サナブリ真木のなるほど!ブログ

カフェを経営したり、子育てしたりする中で、気付いた事を発信していきます!

分かっちゃいるけど、やめられない!プライドを手放すのは難しい。

おはようございます。

サナブリ真木です。

 

最近、5月に産まれた甥っ子の大地(たいち)君のお世話ですっごく癒されている私達西木家です。

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(後ろで猫のミルクが何か言いたげですがΣ(゚д゚lll)

 

赤ちゃんというのは、本当にパワフルですね〜〜。空気なんて全く読まずに、泣いて笑ってひっくり返って、オナラして、いつも柔らかくて、フニャフニャしてて、すっごく自由ですね。

肩に力が全く入っていない大地君を見て、見習いたいなと思う今日この頃です。

 

さて今日は、私の肩に力が入る最大の原因になっていたもの、プライドについて書きたいと思います。

 

私は正直に言いますと、プライドが高い人を見るとずっと面倒臭いな〜と思っていました。

 

仕事をする上でプライドほど邪魔なものはないと思っていたのです。

 

ですが、ある時、私はプライドが自分をぐるぐる巻きに縛っている事に気が付きました。

その事を受け入れてからすごく肩の力が抜けたような気がします。

 

何故、私達はプライドを高くしてしまうのでしょうか?そして、邪魔だと思いながらもなかなか手放す事が出来ないのでしょうか?

 

私の体験を通して書いてみたいと思います。

 

まず、何故、私はプライドが高くなっていたのか?

その答えは今なら明確に分かります。

 

それは、

自分に自信が無かったからです。

 

不思議な事に、私はその事に全く気が付いていなかったのです。

 

私は、色々な経験をして、壁を沢山乗り越えた事で、自信を手に入れた!と思い込んでいたのです。

 

私は子供の頃から、その時その時に努力する事で、ある程度、結果を出してきました。

 

目の前にある壁を乗り越える事が、自信を付ける上で、一番大切だと信じていました。

 

ただ、その結果に対する自信は、環境が変わり、ステージが変わる度に毎回毎回、人に説明し、証明しなければなりませんでした。

 

ですから8年前、出産により勤めていた会社を退職し、地元に戻ってきて、しばらく経った時、私は最高に焦っていました。

 

それは、誰も私の出してきた結果を知らなかったからです。

 

しかも双子の娘を抱えていた私は、自分の自信の源である「仕事」が出来ず、焦りはピークに達していたのです。

 

聞かれてもいないのに、その辺の人に、

「これは、社長賞をもらった時の記念品の鍋やねんけど、すごく重いから気を付けてな。」

という、「ただ社長賞って言いたいだけやろ!」という情報をチョコチョコ入れていました。

 

焦っていた私は、働けるのに喜んで働いていない(ように見える)主人にものすごくイライラしていました。

そして、何かある度に

「それやったら私が働こうか?」

と何度も言って、鬱陶しがられていたのでした。

 

当時の私には、自分の価値を証明する必要がありました。

私がどういう人間で、何が出来るのか?

その事をみんなに分かってもらう必要があったのです。

 

今だから分かる事ですが、本来、自分の中にあるものは、決して人に証明する必要など無いのです。

 

例えば家を持っている人は、家を持っている事を証明しようとしません。

 

愛されている人は、愛されている事を証明しようとしません。

 

本当に持っていると自分が知っていれば、人に分かってもらう必要などないのです。

 

私は、自分に自信が無かったので、どこまで行っても自分が自信がある事を証明する必要があったのでした。

 

これが、まさに私のプライドを高くしている理由でした。

 

そしてとうとう私は、二進も三進もいかなくなって、

自信とは、自分の行いや結果、条件を基に持てるものではない

という事を知りました。

 

私は、ずっと、

綺麗になったら、

成功したら、

人の役に立てたら、

お金持ちになったら、

尊敬されたら、

沢山の人に感謝されたら、

 

そしたら、きっと、もっともっと自信が持てるのだと信じてきたのです。

 

ですが、本当の自信は、付けるものでは無く、思い出すものだという事を学びました。

 自信とは、もともと自分の中にあるもので、後から足していくものではないのです。

 

そこで初めて、本当の自信を取り戻し、自分を大きく見せる必要など全く無いのだと気が付いたのでした。

 

これは、私にとっては衝撃の事実でした。

 

ずっと、自信がある人は、それなりのステータスがあるから自信があると信じて疑わなかったからです。

 

でも、よく考えてみると、うちの母は、何のステータスも肩書きも無いのに、

「私が、美和子です。」

的な自信を漲らせていました。

 

ずっと謎だと思っていましたが、正にそういう事なのです。

 

私達が愛されるのにも、

自信を持つ為にも、

実は条件や理由は必要ないのです。

 

一見、根拠の無い、漲る自信こそが本物なのです。

 

その事が理解出来たのは、多分、

「本当はみんなひとつなんだな〜〜。」

という事が分かったからだと思います。

 

その時に、私の中にあった

「優劣の幻想」

「不足の幻想」

がす〜〜っと消えて無くなっていったのでした。

 

とは言え、まだまだ癖が、なかなか抜けきれないのも事実です。

 

すぐ、自分を証明しようとしてしまいます。

 

プライドを手放した私

大切な事に気が付いた私

何からも縛られない私

 

本来、その事を自分が深く認識していれば証明する必要など、全く無いのです。

 

ただ、純粋にシェアする事で、愛を発振したいと願いながら、いつの間にか

「私が、あの、手放した真木ですねん!」

 

という話になってしまっていて、焦る今日この頃です。

 

本当の自己受容により、プライドから解放されて、素のの自分で、すでに大きな愛に抱かれている事に感謝して歩いていきたいと思います。

 

それは、正に大地君のように、自分を判断せずにただ、真剣に生きるという事です。

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「赤ちゃんは、神さんやから。」

という言葉の意味が少し分かったような気がしました。

 

今日も、読んで下さってありがとうございました!

9月29日金14:30から、サナブリでお話し会を行います。

 

人間関係の悩みから一気に解放された、私の体験談を、プライドを捨てて、お話させていただきます。

 

会場が広くなりましたので、まだお席がございます。

 

人間関係でお悩みの方

人間関係の事で相談を受ける方

もっと自分らしく生きたい方

 

何かしらのヒントがあると思います。

サナブリの特製スイーツプレート付きです。

ぜひご来場くださいませ!

 

それでは、素敵な1日をお過ごし下さい!

またお会いしましょう^_^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視点が変われば、世界は変わる!私達は、今どこに注目しているのか?

おはようございます!

サナブリ真木です!

 

随分涼しくなってきましたね( ´∀`)

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は、日々の生活の中でしみじみ感じている、視点が変わると、物事の受け取り方が変わるという話を書きたいと思います。

 

私は、このブログに、私自身の意識の変化に伴い、体験した身の回りの現象の変化について書いています。

 

実際に、意識が変われば全てが変わるのだな〜〜と毎日、感じ続けているのです。

 

苦しく感じた事、受け入れ難かった事、どうしてもそのようにしか考えられなかった事が、いつの間にかスーッと消えて無くなっていったのでした。

 

そうなったのには理由があります。

それは私の視点が変わったからです。

 

視点が変われば、本当に全てが変わるのです。

 

今日は、視点について書いてみたいと思います。

 

以前、私は色んな事が気になっていました。

その中でも10年前くらいでしょうか?

 

無性に気になる事がありました。

それは、日本の少子化についてです。

 

私が勤めていたのは、働くスタッフの99%が女性という会社でした。

 

その多くは、20代から30代でした。

私の同僚や先輩は、とにかく真剣に仕事に取り組み、経済力も精神的な強さも持ち合わせている、とても自立した女性がほとんどでした。

 

当時、同僚の中には、自分1人でも生きていけるので、結婚や出産に、あまり興味が無いと言っている人も多かったのです。

 

私はその言葉を聞くといつも心がザワザワしていました。

「人間、しかも女に産まれたからには、子供を産むのが責任ではないか?

どんな子供が欲しくても、叶わない人も沢山いるのに、自分の都合だけでそんな生き方を選択して果たして良いものなのか?」

 

その時の私は強くそう思っていました。

 

少子高齢化社会の話を聞くたびに、日本はこれからどうなってしまうのか?

人口は、国の力に直結しているから、きっとこれから日本はすごく弱体化するのではないか?

 

と自分はその時はまだ子供を産んでもないのに、しきりに気にしていたのです。

 

私はある日、父にその事を聞いてみました。

 

父はとても頭が良く、色々な事に詳しい人で、私は父がどう考えているのか知りたかったのです。

 

「お父さん、これから日本は少子化で、どんどん人口が減っていくけど、大丈夫なんかな?

私はすごく心配なんやけど。」

 

すると、父はこのように答えました。

 

「日本の人口は減ってるけど、地球の人口は増えすぎなんや。急激に増えすぎて、住むところを作る為に森林を伐採したり、食べるものが無かったり、色んな問題が起きてるから、日本の人口が減っても、地球としては問題ではないんや。」

 

私はハッとしました。

 

それは、正に、視点が変わった瞬間でした。

 

☆自分は自立しているから、結婚しないという女性

☆日本の人口が減る事を心配している私

☆地球としては大丈夫という父

 

このように、視点が変われば、答えは全く変わってしまうのです。

 

私はそれ以降、少子化問題に関して興味を持ちつつも、結婚する必要を感じないと言う人に対して、ザワザワする事は無くなっていきました。

 

そして、最近よく思うのが、

視点こそ肝中の肝

だという事です。

 

要するに、大切なのは、

どこを見ているのか?

という事なのです。

 

私が以前悩んでいた事は以下の通りです。

 

自分は太っている

旦那が私に怒っている(ように見える)

スタッフが私についてきていない(ように見える)

 

この悩みはどこを見て生まれてきているのでしょうか?

 

この私の深刻すぎる、世紀の大問題だと思えた悩みは、

 

私ってどうなん?

 

という視点から生まれていたのです。

 

視野が狭ければ狭いほど、悩みは深刻になります。

 

体重が3キロ増えた!!

職場で正当に評価されていない!!

子供が「お母さんには関係無い」と言った!!

旦那が私の誕生日を忘れた!!

お姑さんが、ありがとうと言わなかった!!

私のプリンを誰かが食べた!!

 

その事だけを見ていると、考えられない!!何て事だ〜〜!!おかしい!絶対に間違ってる!

となる訳です。

 

ですが、私達は本当はひとつです。

宇宙の中に地球があり、地球の中には沢山の人がいて、それぞれ必要な体験をしています。

 

私達は、一滴の雫のようなものです。

人類という視点で見れば、

地球という視点で見れば、

宇宙という視点で見れば、

人の生き死にさえも、一瞬のはじける泡のようなものなのではないかと私は思うようになってきました。

 

もちろん、そのはじける泡にも無限の可能性があります。

ですから、真剣に、一瞬一瞬と向き合う事は本当に大切だと思います。

 

ですが、視点が限定されていると、

誰かが私のプリンを食べないか見張る

というような事に物凄いエネルギーを使ってしまったりするのです。

 

これは、とてももったいない事です。

 

私達が本当の自分を発揮して、イキイキと揺るぎなく生きる為に必要な事は、

視点を変える

という事ではないでしょうか?

 

私にとってどうなのか?から

私達の家族にとってどうなのか?

私達の地域にとってどうなのか?

私達の国にとってどうなのか?

私達の地球にとってどうなのか?

私達の宇宙にとってどうなのか?へ。

 

視点が変わった時、

私はこれが出来るけど、これが出来ない。

私はこれを持っているけど、これを持っていない。

という事が如何に小さい事かが分かります。

 

それと同時に周りの人が出来る事や出来ない事を気にする事が、如何にもったいない事かが分かると思うのです。

 

私達は、みんなでひとつの生命体ですから、役割が違うんですね。

 

心臓の細胞の役割の人もいれば、足の小指の細胞の役割の人もいます。

心臓の人が小指の人に、いくら心臓のようになれと言っても、ある意味、無理なのです。

 

そして、心臓の人は、足の小指の人の代わりは出来ないのです。

そこに、優劣をつけているのは、果たして誰なのでしょうか?

 

ですから、自分がいただいた役割に感謝して、そして、他の役割の人にも感謝して、みんなで助け合っていけたらいいなと思うのです。

 

私達は、みんなでひとつ

 

これがこれからの世の中に必要なキーワードではないかなと思う今日この頃です。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

素敵な1日をお過ごし下さい!

またお会いしましょう〜〜( ´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事とは何か?働くとはどういう事か?仕事が喜びになれば、人生は楽しい!

おはようございます!

サナブリ真木です!

 

今日は、8月のAwekning cafeでお話しさせていただいた仕事とは何か?について書かせていただきます。

 

私は20代の頃から採用面接をする機会をいただいていました。

 

「あなたにとって仕事とは何ですか?」

 

これは、よく面接でしていた質問です。

多くの場合、このような答えが返ってきます。

 

「ただ、お金を稼ぐ為のものでは無く、自分自身を成長させてくれるもの。」

 

「仕事とは、社会と自分をつなぐもの。そして人と人をつなぐものです。」

 

「仕事とは、その事を通して社会に貢献する為にするものです。」

 

それを聞いて、若かりし頃の私は、自分が仕事とは何かも分かっていないのに、

「なるほど!分かっとるな!」

と思っていました。

 

ですが、多くの人がだんだん、

 

私の仕事ってこれでいいのかな?

生涯をかけて情熱を注ぐ感じがしないんやけど…。

そうは言っても、給料、休み、福利厚生、の充実が無いと…。

まずは自分が生きていく事が大切。

 

という不安にかられていくように思います。

 

本当に仕事とは何なのでしょうか?

 

私は子供の頃から働く事が面白くて仕方ありませんでした。

 

料理を作ったり、皿洗いをして、お小遣いをもらう事から始まって、高校の時からアルバイトを始め、夢中で働いていました。

 

自分が誰かの役に立つ事で、報酬をもらえるという事がすごく嬉しかったし、仕事を通して成長出来る事が楽しかったのです。

 

 ですから、いつ聞かれても

「私にとって仕事とは、喜びであり生き甲斐です。」

 

という風に答えてきました。

 

そんな私も、最近になってようやく、仕事とは何なのかを深く理解出来るようになってきたように思います。

 

何にしてもそうなのですが、何をするかでは無く、何の為にその事をやっているかにより、そのものの定義は全く変わります。

 

ですから、人によって仕事とは、全く違う体験であり、全く違う現象を生み出すのものです。

 

不安を源に働けば不安を
愛を源に働けば愛を
体験することになります。

 

もちろん、正誤も、良悪もありません。

 

以前、私はテレビでこんな情報を耳にしたことがあります。

 

「親が子供について欲しいランキングの1位は10年連続、公務員でした。」

 

寝ながらテレビを見ていた私は

「ウソやろ!?」

と言いながら飛び起きました。

 

親が変わり者の私にとっては、すごく意外な情報だったのです。

理由は

「安定しているから」

だそうです。

 

そして、最近は、薬剤師、会社員も必ず上位に入り、その、後医者や弁護士などが続くようです。

薬剤師さんが人気の理由は、高齢化社会で食いっぱぐれが無さそうという理由が多いと言います。

いかに親御さんが、子供の将来の不安定さを心配しているかが分かります。

 

勿論、子供が就きたい職業について欲しいという親御さんも多いと思います。

 

ですが、この「安定、保証」を求めてしまうその源は一体何なのでしょうか?

 

一方、子供達が就きたい仕事ランキングの上位には、

スポーツ選手、アイドル、歌手、ケーキ屋さん、警察官、保育士さん、看護師さんなどが名を連ねます。

 

子供は、安定や保証では無く、ただ、カッコイイと思う事や、ワクワクする事を言っているのです。

 

子供と大人が共感しあえなかったり、すれ違ったりする大きな原因がこの源の違いにあるのではないかと私は思っています。

 

多くの大人は、考え(思考)で判断し、

多くの子供は、感じ(ワクワク)で判断しているのです。

 

たまに、

「将来の夢は、平穏無事に暮らす事です。」

というような、「一体何があったんや!」と言いたくなる子供がいる事も事実です。

 

逆に

「将来の夢は空を飛ぶ事です!」

と目を輝かせる、おじさんがいるのも事実です。

 

この源の違いにより、私達は、仕事を通して全く違う体験をします。

 

たとえ、自己成長、社会との繋がり、社会貢献、を理由に働いていても、それをしたいその源が、

 

受け入れられる為

認めらる為

自分の価値を証明する為

居場所を確保する為

 

であれば、虚、実、現、の法則により、

これとは、逆の事を体験することになります。

 

ですから、仕事は自然と苦しく修行のようなものになっていくのです。

 

私達は元々、愛の一部です。

そのイノチは、誰もがとても純粋で、無邪気で、素直で、良いことをしたいと願っています。

 

その内側から溢れてくるものこそ、本物の自分の声なのです。

 

溢れてくるもの、ワクワク(愛)を源に働くと、もちろん、仕事を通して愛を体験する事になります。

 

頭の中のおしゃべりは、本当の自分からのメッセージではありません。

 

「私には才能がない。」

「いつも途中で逃げ出すくせに。」

「まずはお金がなければ、話にならない。」

「調子にのったら、また恥ずかしい目にあうよ」

「もし、出来なかったら?失敗したら?」

「私にはワクワクする事なんて何もない。」

 

こういう声は、どこから来ていると思いますか?

 

これらは、自分の頭の中で作り上げた妄想のおしゃべりなのです。

 

例え誰かに言われた事であっても同じ事です。

何故なら、その誰かの頭の中の妄想のおしゃべりだからです。

 

私達が、本当の意味で働く為に必要な事

それは、愛を源に働くという事では無いかと思います。

 

愛を源にした時、

人はとてもパワフルになります。

身軽になります。

疲れなくなります。

その理由は、明確です。

それこそが本当の自分だからです。

 

本当の自分、どこにも歪みの無い、ありのままの自分でいられる時、私達は、何倍も集中し、何倍もその事を引き受け、何倍も結果が出せるのです。

 

これこそが、本当の仕事であり、働く喜びでは無いかと私はヒシヒシと感じているのです。

 

本当の仕事とは、人や社会の為に、自分の心や身体に鞭を打ってするものでもなければ、自分の価値の証明の為にするものでもありません。

 

自分と人と社会と宇宙へ、愛を源に奉仕する事では無いかと思うのです。

 

最後に、「神との対話III」の中に出てくる、ニールと神様の対話を紹介します。

 

私が、これこそが仕事の本質ではないかと感じた言葉です。

 

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ニール

私も全人類に贈り物を与えられるのなら、「あなたには価値がある」と思わせてあげたいのです。

 

神様

それでは、その贈り物を与えなさい。

ふれあうひとすべてに、あなたには価値があると思わせられるように努力しなさい。

すべてのひとに、それぞれひととして価値がある、自分であるだけで素晴らしいのだと感じさせてやりなさい。

この贈り物を与えていけば、世界を癒すことができるよ。

 

//////////////////

 

私は、この事を、自分の在り方を通して、仕事を通してやりたいと思うのです。

 

何を通して愛を発振するのか?

 

子育てであっても、家事であっても、地域のボランティアであっても、自分の役割を通して愛を発振する限りにおいて、それは、最高の仕事と呼べるのではないでしょうか?

 

今日も、1日、純粋に率直に、最高に働きたいと思います。

 

 

次回のAwekning cafeは、9月29日(金)14:30からです。

 

次回のテーマは

「愛から始まる人間関係」

 

親、パートナー、子供、職場、友人、、、

人間の悩みの90%が人間関係の悩みだと言われています。

この私達にとって永遠のテーマだとも思われる、大きな課題を、確実に終わらせる明確な方法があります。

しかもそれは、とてもシンプルです。

 

お話会で、その場の空気に触れていただく事は、ブログを読んでいただくのとは全く別のの体験になると思います。

 

定員の関係で、9月は会場をcafe sanaburiに変更させていただきます。

 

興味をお持ちの方は、ぜひご来場下さいませ!

 

ではでは、またお会いしましょう( ´∀`)

ありがとうございました〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありのままで大丈夫」だけど「変わらなければならない」これは、どう捉えたらいいのか?

こんにちは!
サナブリ真木です。
暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか?

 今日は最近、より深まってきた!と感じている

私達はありのままで価値がある

という考え方について書きたいと思います。
ブログを始めた時に、私が一番書きたいと思っていたのは、正にこの事でした。


私は、みんな

「ありのままで価値がある

という事を信じて生きてきました。

 

みんなそれぞれに役割があって、何が出来なくとも、存在そのものが素晴らしいのだと、母から聞いて育ったからです。

 

私の母は、普通の事が出来ません。
整理整頓したり、
自分のスケジュールを管理したり、
言い訳せずに料理を出したり、
最後まで話を聞いてから電話を切ったり、
そういう事が本当に出来ないのです。

 

そんな突っ込みどころ満載の母ですが、不思議な事に、母は、私が小さい頃から、人が愛されるのに、条件や理由はいらないという事をよく知っていたようです。

 

ですから、私達子供の疑問に対しても母は、ブレずに見事に答えていました。

 

「お母さん、何で家には、こんなにお金がないの?お金が無いのに、何でこんなに子供が多いの?せめて、もっと美人に産んでくれたらよかったのに。」

と私が言うと、
「お金なら暮らせるだけ十分あるよ。

お母さんが子供の頃はお金が全く無くてサツマイモばっかり食べてたよ。

食べものを買えなくても、神様がいつもお母さん達を守ってくれてた。
お母さんは、本当は子供を産んだり育てたりするより、畑にいる方が得意だけど、こんなお母さんに神様が沢山子供を授けてくれたから、これ以上ありがたいことはないね。

こんなに素晴らしいイノチをもらってるのに、不満を持ったらもったいないよ。
神様に任せて安心してたらいい。

必要な時は全て与えてくれるから。」

と、いつも、その答えの土台には、神への絶対的な信頼がありました。

 

子供の私は、

「ホンマに、そんな美味しい話あるんかいな?

真木は、芋とかじゃなくて、ケーキとかアイスとか美味しいものを与えられたいんやで?」

 

と母の言う事を信じきれていませんでした。

 

母は、自分が神に既に愛され、与えらていることを知っていたので、子供達に対しても同じように、こうなったら素晴らしい、こうであれば価値があるというような、条件無しに、無限の愛を注ぐ事が出来たのでは無いかと思います。

 

その後、私は20歳の時に尊敬する牧師さんに、

doingではなくbeingが大切

と教えてもらいました。

それから、この事が私の信念になっていました。

 

ですが、度々、こういう場合はどうしたらいいのかな?という事が起こり始めました。


開業して、スタッフを雇い始めると、
「みんなそのままで素晴らしいから、自分らしく得意な事で力を発揮してね!」
と口では言いながら、
意識が低い人、仕事が遅い人、ネガティヴな人が何とか変わってくれないものか?と考えるようになっていきました。


本物の商品と、本物のサービスは、本物の人から生まれるはずだから、まずは、スタッフを本物のプロにしなければ!と思い込んでいたのです。
ですが、この事を伝えれば伝えるほど、スタッフは、自信を無くしていきました。

私は、だんだん疑問が出てきました。

 

本質的な生き方

ビジネスでの成功

このふたつは、バッティングを起こすのか?

でも、きっと、本質的なビジネスというものがあるはず。
人に求めずに生産性を上げる事は可能なのか?
誰か〜!この矛盾をどう捉えたらいいのか教えて!
私は、その答えをかなり長い間、探していたような気がします。
そして、なるほど!そうか!という答えにめぐり合いました。
それは、
ありのままで価値がある

変わらなければならない

は、

実はしっかり両立している

ということです。


まず、私が知った事はこういうことでした。

私達は、条件も理由も全く持ち合わせていなくても、既にパーフェクトに与えられている存在で、ありのままで完璧である。
私達はみんな繋がっていて、実はみんなひとつで、宇宙が私達一人一人を通して、ありとあらゆる体験をしたがっている為、私達は、色々な体験をするが、どの体験も全て、損得、良悪、正誤、は全く無く、その魂にとっては必要で貴重で美しいものである。


そして、その事が本当に実感を伴いながら、分かってくると、何も変わらなくても、何も成し遂げ無くても、存在そのものは、やはり元々完璧なのだと感じられるようになりました。


では、私達は、何のために必要な体験をしていると思いますか?

 

それは、
変わる為に必要な体験
なのです。
変わるといっても、個人的な目標を達成する為や、自分の価値を証明する為に、自分の理想の自分に変わるという事ではありません。

 

自分の本質に回帰する

 

という意味での変わるです。

正に、

ありのままで生きる為に変わる

という事です。

私達は、本当の自分を思い出す為に必要な体験を続けているのです。

ですから、ネガティヴな体験が続く場合は、「そちらに行っても、本当の自分に出会えませんよ」という合図である事もあれば、そのネガティヴな体験こそが自己への回帰の鍵になる事もあるのです。


私はこの事がストンと身体に入った瞬間から、自分と自分の周りの人に対して、
そのままで完璧で価値があるから大丈夫という絶対的な大安心のもと、本気で真剣に、自分や人に対して、必要であれば、
「変わらなければならないよ。」
というメッセージを伝えられるようになりました。

それは、仕事においても子育てにおいても同じことです。

本当の自分を覆っているものが、多くの問題を引き起こしているのです。


これまでも私は、同じような事を言ってはいました。
でも土台が変わった事で、全く違うメッセージに変わりました。

 

それは、変わらなくても価値があり、何も心配ない事を私が本当に分かったからだと思います。
その上で、
「あなたは、あなたの本質に出会わなければならないよ。」
という意味で言っているのです。


その事をどう受け取るかは、もちろんそれぞれの自由です。
変わる、変わらないも、もちろん自由です。



結局、それぞれの魂がどういう体験をしたがっているかによって、必要な体験が違うので、私の個人的な価値感で、それは違う!こうすべきなのに!などと判断しても何の意味もないのですね。

それどころか、ただただ、人間関係はこじれる事になります。
人は、本当の自分では無いものになる努力をさせられ続けると、恨みを持つようになるそうです。

ですから、今、この世の中で、私が一番必要だと感じる事は、

 

私達は、ありのままでパーフェクトで、既に愛され、受け入れられている事を知る必要がある。その事を知って、心から安心して、今こそ、変わらなければならないのではないか?

 

という事です。

これから、悟りの時代が来ると言われています。
このままの、私達の意識状態では、きっと地球が保たないのだと思います。

 

何故こうなったかというと、私達、人間の不安がどんどん勘違いを生み、何とかコントロールしようとしてきたからでは無いでしょうか?

 

不安が源の行動は、必ず不安になる現象を生み出します。

ですから、今こそ、私達は本当に心から安心しなければならないのでは無いかと思います。

 

「私は、ありのままでも本当に大丈夫なんだ!」という事が心底分かって初めて、人は変われるのではないでしょうか?

 

 

なかなか、私自身もしぶとく以前の癖が出てきたり、グルグル回るなぁとガッカリする事も、ありますが、それもまた必要な体験という事だと思います。

 

やっぱり、安心が人を自由にするのですね!

 

今日も読んで下さってありがとうございました〜〜!

 どうぞ素敵な1日をお過ごし下さい!

 また、お会いしましょう〜〜^_^

 

私達は、不思議な事に同じ事を言われても人によって受け取り方が違います。それは何故なんでしょうか?体験とは何か?を書きました。

おはようございます!サナブリ真木です。

昨日の台風、凄かったですね。

皆様、大丈夫でしたでしょうか?

 

サナブリも早めに閉店して、珍しく家族揃って夕ご飯を食べる事が出来ました。

 

わたくしサナブリ真木は、英語の短期集中コースを遂に終了したところです。

まだ英語をペラペラと話す事は出来ませんが、奇跡的に、だいぶ聞き取れるようになりました。

 

この英語のクラスでは、ただ英語を学ばせてもらっただけでなく、私自身が、本当に驚くほど成長させてもらいました。

 

不思議な事に、文法や発音、英語で伝えるとは?聴くとは?だけでなく、愛とは?体験とは?経営とは?教育とは?など自分自身の在り方についても英語を通して本当に多くの事を学ばせていただいたのです。

 

この事は本当に驚きでした。

 

まず、師匠である馬渕先生と英語クラスの為にイギリスから来て下さったスペイン人の先生お二人共が、今まで私が経験した事が無いような真剣さで関わって下さった事で、私も今までに経験した事が無いような真剣さで、学ぶ事が出来ました。

 

何をするにしても、フルコミットで真剣に向き合う事が、楽しさや、達成感、そして結果を連れて来てくれるのだと身体中で体験したような気がします。

 

今日は、そんな英語のレッスンと、日々の生活の中で、確信を持って理解した事がありますので、紹介させていただきます。

 

それは、体験についてです。

いつもブログに書いていますが、私達は、まず意識状態が呼吸や言動を司り、意識にある通りの体験をしています。

 

ですから、意識がどういう状態かが、とても重要です。

 

私達は、それぞれ意識にあるものが違うので、同じ事が起こっても、全く違う体験をする事になるのです。

 

特に英語のように自分の頭の中で日本語に変換して理解する時、その違いは顕著になります。

同じ言葉を聞いても、各自のフィルターによって、全く違う色がつき、全く違う体験が起きるという事を、私は身を持って体験したのでした。

 

その事を意識しながら暮らしていると、全てが正にそうなってる!と感じるのです。

 

例えば、

Do you understand?

と聞かれたとします。

質問は、

「分かりますか?」

ですから、答えは

Yes I do.

かもしくは、

No I don't.

になるわけです。

 

ですが、自分の中にある意識によって、質問を受け取る時点で解釈が人によって大きく変わります。

 

例えば

「今日は宿題や準備が万全に出来ていない。」

という意識があると、この質問に対して、ドキッとする反応が出てワタワタして、

Yes I don't.

という「どっちやねん!」という事を言ってしまったりするわけです。

 

また、

*私は理解するのが遅い

*私は何かと足りていない

*あの人は、きっと私に不満がある

*このくらいの事が分からなければ嫌われるのではないか?

*理解力があると思われたい

*私に分からないはずがない

*ここで、分からないと言ったら、授業を授業を中断する事になるのかな?

 

 

といった様々な意識により、

このシンプルなYesNoクエスチョンに対して、

「すみません。」と答えたり、分からないのに、「分かります。」とい言ってしまったりするのです。

 

こんな事が私たちの頭の中で毎日毎日繰り広げられています。

 

何と答えるのがベストなのか?

何と答えれば受け入れられるのか?

 

この頭の中のおしゃべりは、本当に人を消耗させます。

 

私も、以前は、一つ一つの言動を頭で考えてしていましたが、今考えると、物凄い労力を使っていたと思うのです。

 

このように、

今起きている事、今言われた事、今聞かれている事を、私達はいつも自分の中にあるものの答え合わせとして使っているのです。

 

ですから、

私は足りていない

という自己否定が意識の中にあると、何もかもがそう見え、そう言われているように聞こえます。

 

これは、本当に大変な事です。

毎日、毎時間、足りていない自分を確認し続ける事になるからです。

 

そして、更に大変な事に、人は自分にしてあげたようにしか人にしてあげられませんので、周りの人、家族や友人、仕事場の人に対しても、足りていないその人を確認し続ける事になるのです。

このようにして育てられた子供達が、どうなっていくかは、もうお分かりの通りです。

 (もちろん、それも必要な体験なわけですが)

 

私は、ある時期から、主人が私に不満を持っていると強く思うようになっていきました。

 

すると、何をどう見てもそう見えるようになりました。

そして、その事にとても、傷付いていました。

その事が苦しくて仕方無いくせに、

主人が普通の時に、

「何がそんなに不満なん?」

と問い詰めては、怒らせ、

「ほ〜ら!やっぱり怒ってるやん!」

と自分の意識にあるものの答え合わせをしていたのでした。

 

主人は、心の中で、

「俺は当たり屋と結婚してしもたようや。」

と思っていた事でしょう。

 

自分がそうしていたと分かったのは、もうどうにもならないくらい、疲れ果ててからの事です。

 

そして、この意識にあるものが例えポジティブな思い込みであったとしても、そこに、条件がある限り、私達は見当違いの場所に、満足や安心を探し続ける事になるのです。

 

本当の満足、本当の安心、本当の癒し、本当の愛を体験する為に、理由も条件も必要ありません。

 

何も持っていなくても、

誰にも認めらていなくても、

どんな状況下にあっても、

意識に愛があれば、絶対に揺らがない愛の体験をするのです。

 

私達は、目の前で起こっている事を体験する前に、まず意識で必ず体験しています。

 

意識で体験した事を、実際に現象として体験するのです。

 

ですから、不安になる現象が起こる場合、自分の意識の中に何があるのかを、まず知る必要があります。

 

それは、決して怖い事でも、辛い事でもありません。

恐れの中に入っていく感覚で、不安に意識の光を当てた時、必ずボヤッとしたお化けの正体に気付くのです。

 

自分が、握りしめているものに気が付き、それが今はもう必要無いのだと分かって、手放した時、私達は必ず身軽になります。

 

昨日の自分が嘘だと思えるくらい、一瞬で自由になる事が出来るのです。

 

それは、魂が震える体験です。

 

なぜなら、荷物を降ろして自由になる事は、

 

本当の自分と出会うこと

 

だからです。

 

 頭の中のおしゃべりが静まり、自分の作り上げてきた価値観や固定観念に気付いて手放した時、私達は、本当の自分との出会いを体験するのです。

 

今月のAwekning cafeはお仕事の話をさせていただきます。

 

私達が仕事を通して学ぶことは無限です。

 

自分の役割を通して与えること「仕事」

 

今、私達の目の前にある仕事というのは、必ず現時点での私達を成長させてくれ、現時点での私達の役割を教えてくれる、最高のものが与えられているようです。

 

それに気付いて本気で向き合った時、また新たなステージが与えられるという、とってもワクワクする流れになっているんですね!

 

8月25日(金)14:30から

伊賀上野の新天地商店街のレンタルスペース

the spaceで行います!

 

今回は初めての上野です。

オシャレ空間で、私も楽しみにしています!

サナブリのケーキとお茶を召し上がっていただけますので、ご興味をお持ちの方は、お気軽にお問い合わせくださいませ!

 

 読んで下さってありがとうございました。

では、今日も素敵な1日をお過ごしください!

またお会いしましょう( ´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にそうなんですね!「手放せば与えられる!」

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

昨日は、わたくしサナブリ真木のお話会awekning cafeの2回目を開催しました。

 

ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。

このお話会では、私の人生がパッカーンと開いた体験談を基に、今に在るという生き方の話をしています。

いつの間にか、このawekning cafeこそが私の一番の仕事なのではないかと思う程に、私のライフワークの中で重要なものになってきました。

 

このお話会を通して、私が感じている事は、本当に大切な事を人にシェアするという事は、自分そのものを成長させるのだという事です。

 

私は、何度も大勢の人の前で話したことがありますし、料理教室や勉強会などで、大勢の人に何かを教えたという経験もあります。

 

ですが、このお話会で話す事は、これまでとは全く違う体験になっています。

 

自分のありとあらゆる条件や考えが、白日の下に晒され、ただ正直に、ただ真っ直ぐに、今の自分でそこに立つ事以外に出来ることがありません。

 

うまく話したい

何とか伝えたい

 

という私の願いは、見事に私の呼吸や表情や言葉を司り、不安になる現象を連れて来ますから、ただただ本当に心を静かにし、溢れてくる言葉を、発するしかないのです。

 

この体験は、私とアシスタントのちえこさんにとって、矢面に立って、全てを引き受ける事の責任の重さと、その責任をいただく事の喜びを教えてくれています。

 

自分1人の力では、到底出来ないような大きな仕事を、宇宙への絶対的信頼と共に引き受けた時、必ずといっていいほど、自分のものとは思えないエネルギーが湧いてくるのです。

 

自分で決めた自分の限界が、いかに適当で、自分勝手なものだったかを思い知る日々です。

 

「なるほどな〜〜。

自分で何とかしようとしているうちは、自分の想像を超える事なんか出来へんのやな〜〜。」

 

とシミジミ思うのでした。

 

8月のawekning cafeは、上野新天地商店the spacesで行います。

 

次回は仕事の話です。

本当は、主婦業も子育ても仕事です。

仕事が生きがいであり喜びになったらどんなに毎日が輝く事でしょうか!

自分の役割を通して仕える事、仕事

どなたに聞いていただいても、必ず関係がある話をします。

 

入っていただける方の人数に制限がございますので、ご希望の方はお早めにご予約下さいませ!

 

皆様とお会いできるのを楽しみにしております^_^

 

さて、今日は、つい先日体験した、手放せば与えられるという体験について書かせていただきます。

 

1週間ほど前、年に一度のサナブリ総会を開きました。

 

毎年、サナブリでは、周年行事といたしまして、スタッフに集まってもらい、1年の振り返りをしたりスタッフに感謝を伝えたりしていました。

 

私の前の職場は、ベンチャー実力主義だった為、優秀者の表彰や辞令にとても力を入れていました。

 

その表彰や辞令が多くの働くスタッフのモチベーションを上げていた事もあり、私はサナブリでも、表彰や感謝状を取り入れていました。

 

1年を振り返って、スタッフの頑張りを大いに褒め、一人一人に感謝の言葉を述べてプレゼントを渡したりしていたのです。

 

中には、涙が止めどなく溢れているスタッフもいました。

 

私は、毎年毎年、更に労をねぎらう為に、何が出来るかを考え、工夫をこらしてしていたのでした。

 

そして、迎えた5周年です。

私は、今年はどうしようかな?と思いました。

 

スタッフにもちろん感謝の気持ちはありましたが、どうも感謝状を作ろうと思えなかったのです。

 

何でかな?

 

私は、自分がやってきた事の源をもう一度精査しました。

 

すると、スタッフをみんなの前で大いに褒め、感謝状やプレゼントを渡していたその源が、不安であったという事が見えて来ました。

 

私は、スタッフに、頑張って働いてきて良かった、もっとサナブリで頑張ろうと思って欲しかったのです。

 

そして、私に付いて来て欲しかったのです。

 

私は、不安を源にした言葉や行動は、一切やめようと決めていたので、気付いたからにはやめなければなりません。

 

感謝の言葉も、物も、賞状も何も用意せずに、総会を始めました。

 

その代わり、ひとつだけ準備していた事がありました。

 

それは、私ではなくスタッフに、1年を振り返って、「与えるスピーチ」を3分間でして下さいと伝えておいたのです。

 

今までは、私が躍起になって、不安を水面にスタッフに与えよう与えようとしてきました。

 

 

その不安が源の私のギフトは、いつもいつも、スタッフが与える機会を奪っていたと気付いたのです。

 

私がスタッフに与えられるものは、本当にひとつしかない。

それは

与える機会を与える

 

という事だとの確信がありましたので、私が何かを渡すのでは無く、みんなが真剣に与えるとはどういう事かを考えたらいいと思ったのでした。

 

私はスタッフに言いました。

 

「これまで、私は一生懸命、スタッフの為、お客様の為、地域の為にと、与えようと頑張ってきましたが、本当は、もらいたかったんだという事に気がつきました。

みんなに、サナブリを、そして私を、好きになって欲しかったのです。

その為に、私は1人で、本当に多くの事を背負って走り回っていました。

ですが、それこそが、みんなの与える機会を奪っていたという事に気が付きました。

私は、与える機会を奪われ続けた人のハートの中に育つのは、恨みだけだという事を学びました。

ですから、私は不安を源にみなさんに与えようとするのをもうやめます。

無理して褒めたり、感謝したりもしません。

その代わり絶対に嘘も言いません。

本当に溢れてくる事しか言いません。

どの瞬間も100%の関心を持って皆さんと関わります。

そうしていれば、ものや言葉で取り繕う必要など全く無いのだという事がよく分かったからです。

ですから、今日は、私は何も用意していません。皆さんが与える機会だけを用意しました。

今後、何かをもらいたい人にとってはサナブリは居心地の悪い場所になっていきます。

ですが、何かを与えたい人にとっては、最高の機会と環境がここにはあります。

ぜひ、私と一緒に愛を源に与える事の喜びを体験しましょう。」

 

スタッフのスピーチは、誰もがしっかりと与えるということについて真剣に考えた事が伝わってくる、素晴らしいものでした。

 

そして、総会を終わろうとした時、スタッフが「ちょっと待って下さい」言いました。

 

バツが悪そうに、私と主人に感謝状と店の玄関マットをプレゼントしてくれたのです。

 

私は本当に驚きました。

私が、一生懸命、貰うために与えていた時は、誰もが私と同じ状態になっていました。

 

私が、完全に貰う事から解放された瞬間に、それまで私が欲しくてたまらなかった、

「サナブリは、私達の店です」

という愛のある意思表示をスタッフから貰ったのでした。

 

正に

手放せば与えられる

 

愛を発振すれば、愛の体験をするのです。

 

私はこの事を絶対に忘れてはならないなと強く思ったのでした。

 

最後に、急展開ではありますが、

実はサナブリでは、私達と一緒に働いて下さるスタッフの方を募集しています。

今回は、なかなか無い、昼、夜のどちらも募集しています。

 

サナブリの求める人材は、

自分の役割を通して本気で与えたい人

です。

 

与える為の機会と環境がここにはあります。

(本当は、どの瞬間もそうなのですが( ´∀`))

 

もし、ブログを読んで下さる方の中でサナブリの仕事に興味をお持ちの方がおられましたら、私、西木まで連絡下さいませ!

 読んで下さってありがとうございました^_^

またお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故、不安になる事が起こるのか?

おはようございます。

パッション真木です。

 

今日は、不安について書きたいと思います。

私は小さい頃、あまり怖いものがなく、すぐ飛び込める強い一面と、引っ込み思案で人見知りの弱い一面を同時に併せ持つような子供でした。

 

初対面の人を異常に怖がり、心を開くのに2年くらいかかる一方、心を許した近所の子達と遊ぶ時は、相撲をとろうと誘い、どすこいどすこい!とみんなを投げ飛ばし、周りの子達をうんざりさせたりしていました。

 

そんな私は、成長するに連れ、不安がある弱い自分を封印して長らく生きることになりました。

 

その事に気が付いたのは、去年の事です。

 

私は、自分が自分だと思っていた自分のイメージは全て思い込みだったのだと知る事になりました。

 

そして、この世で起こっている意識と現象の仕組みを知ったのです。

 

それは本当に知りぬいてしまえば、人生が変わる仕組みでした。

 

自分の意識にある事が、自分の肉体を司り、そのように100%現象として現れているということです。

これは、本当にそうなのです。

 

この意識にあるものというのは、顕在意識だけでなく、潜在意識にあるものも、含まれますから、自分では認識していない事もたくさんあります。

 

例えば、私が

「優しくなりたい」

と願っていたとします。

これは、顕在化している意識です。

 

この願いがあるとき、大抵の場合、潜在意識には、

「私は優しくない」

という意識があります。

 

すると、その

「私は優しくない」

が現象として現れてきます。

その奥の方を辿ると、

「優しくなければ愛されない」

という意識があり、また

「優しくないから愛されない」

が現象として現れてくるわけです。

 

そして、どんな意識にもそれを支える源の意識があります。どこまでいってもその奥の奥の奥にあるその源は2つしかありません。

 

不安か愛か

の2つです。

 

正に

「優しくなければ愛されない」

という意識は、不安からやってきています。

すると、この意識が、呼吸、言葉、態度、波動、など全ての機能を司り、不安になる現象を連れてくるのです。

 

必ず意識にある通りになります。

 

今、自分に起こっている現象を見れば、意識に何があるかがハッキリと分かるのですね。

 

 

「え!?じゃあどうしたらいいの?」

となり、その仕組みと、本当の自分に帰る道を本気で猛勉強した私は、どうしたらいいかが、分かりました。

 

分かってくると、こんなにありがたい事はありません。

 

世の中が何故こんなに混沌としていて、沢山の機能不全が現れているのかも分かるようになってきました。

 

私は初め、自分の源が、不安なのか?愛なのか?

それがよく分かりませんでした。

 

私は、人の役に立ちたいと強く願っていたので、

「これは愛でしょ!」

と思っていました。

 

でも、その奥を覗いてみると、やはり

人の役に立つことで、自分の価値を証明したい。

そして愛されたい。

自分とは何者かを知りたいという。

 

不安が大きく渦巻いていたのです。

誰かの悩みをただ、

「うんうん。大変だね。分かるよ。」

と聞いてあげる、その行動ひとつとっても、自分は人の痛みを受け入れらる人間だと確認したいとうエゴ(不安)が隠れていたりするのです。

 

 本当に愛ならば、どうするか?

まず、話を聞くか?

聞かないか?

受け入れるべきか?

突き放すべきか?

怒るべきか?

一緒に泣くべきか?

何と声をかければいい?

どんな声で?どんな表情で?

 

その全ての答えは、毎回違います。

その瞬間、自分が0でその場と一体になれば分かるのです。

 

ですが、自分が握りしめている不安は、見事に自分の視界を曇らせます。

本当の事を分からなくさせてしまうのです。

 

「人を傷付けたくない」

いう大義名分の奥には、必ずと言っていいほど不安が隠れています。

 

今、愛ならばどうするか?

 

本当の事は、私が色々握りしめている時には、全く見えていなかったと言えるでしょう。

 

何故、不安になる事が起きるのか?

 

その答えは明確です。

 

意識に不安があり、不安の波動を出しているから

 

です。

私達はただただ、

自分が出した波動を体験しているだけ

なのです。

 

なのに、何故か、

いい仕事につければ、

優秀であれば、

成功すれば、

お金があれば、

もっと綺麗だったら、

結婚すれば、

子供がいれば、

あの人が変わってくれたら、

みんなに認められたら、

 

そうしたら、不安が無くなるのではないかと勘違いしているのです。

 

そして、その条件を手に入れる為、毎日、不安を源にした行動をし、言葉を言い、波動を出し、結果、その不安を体験しています。

 

ますます、不安になり、努力を重ねるという、スパイラルの中にいるのですね。

 

私は、今ならハッキリと分かります。

自分が不安でなくなる為に必要だと思っていた全ての条件を手に入れても、決して不安は無くなりません。

 

手に入れた時、一瞬だけ、興奮したり、幸せに感じる事はあっても、絶対に長くは続かないのです。

 

何故ならそれを手に入れた、その源が不安だからです。

 

私は、その事が本当に良く分かったので、今、愛の発振だけにコミットしています。

 

すると、本当に受け取るものはどんどん愛だけになってきました。

自分でも信じられませんが、本当の事です。

何をしていても、嬉しくて、楽しくて、ありがたくて、

今、生きている!

という感覚をハッキリと伴っているのです。

 

少し前まで、憧れていた、高級ホテルや、海外旅行、高価な食事、ステータス、人に認められる仕事、家や服やバッグなどの持ち物に興味が無くなりました。

 

その全てが、本当に必要無くなってきたのです。

 

本当の自分を生きれば、持ち物など何もいらないのです。

 

手ぶらで、ただ自由に、ただ子供のように、溢れる発露のままに喜んで生きる事が出来るのだということを体験しつつあります。

 

自分の中にある不安に意識の光を当てる事。

全てはここから始まりました。

 

そうは言っても、自分の中にある不安と向き合う事を、怖く、苦しく感じる方もおられるかもしれません。

 

ですが、この意識の光を当てる事は、決して傷付く事ではありません。

 

ただ、気付いて観察すれば必ず終わっていくのです。

 

ありがたいですね。

 

この愛を発露に生きるという事をシェアする、

サナブリ真木のお話会Awakening cafeを次回7月24日(月)14:30〜開催します。

 

本気でハートを開いて聞いていただけれは、人生が変わる話をしています。

 

不安になる体験はもううんざりという方、

自分の本質を生きたい方

愛を発露に生きたい方

本当の献身の人生を生きたい方

 

何かを変容させる時、まずは、何かを変えなければなりません。

 

興味のある方、いつもの優先順位をひっくり返して、ぜひ聞きに来てください。

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(会場の関係上、後数名で満席となります。ご希望の方はお早めにご予約ください。)

 

では、皆様、今日も爽やかな1日をお過ごしください。

また、お会いしましょう!