サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

人に対しての責任はどこまで取らなければならないのか?

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

今日は、

「責任を取る」

事こそ自分の人生を生きる事だと思っていた私が、「責任を取ろうとしすぎる病」にかかった話を書きたいと思います。

 

私は、

自分の考え、言葉、行動、を絶対に人のせいにしてはならないと考えていました。

 

自分の人生に対して、自分が責任を追わない限り、何も始まらないのだと強く信じていたからです。

 

なので、誰に何を言われても、最後は自分が覚悟を持って決めるのだと自分に、言い聞かせていました。

 

そしてその延長なのか、周りの人、主人や子供やスタッフの事も、だんだん、自分の責任であると思うようになってきました。

 

私が雇ったスタッフ、

私が産んだ子供、

私が決めたパートナー、

私が始めた店、

私が決めたルール

 

全てにおいて、私に責任があると思っていました。

 

ですから、常に私にかかっているという感覚があったのです。

 

すると、何か重た〜〜いのです。

 

重たいものを、四六時中持っているという事は、意外と疲れるんですね!

 

今考えると、いつも、パンパンのリュックを背負って歩いているような、肩がカチカチに凝るようなしんどさがありました。

 

それは、割と子供の頃からずーっと続いていた感覚だったのです。

 

ですが、私は本当の意味でこのリュックを下ろす時がやってきたのです。

 

実は、これまでの間に2回ほど、私は、荷物を下ろすという感覚を味わった事がありました。

 

1度目は何と、中学1年生の時です。

私は、以前住んでいた神奈川県へ、よく面倒をみてくれたおばちゃんを訪ねる為に旅行しようと、お年玉やお小遣いを貯めていました。

 

その大切な全財産が入ったお財布を失くしてしまったのです。

 

寝ても冷めても、ずっとそのお財布の事が頭から離れず、必死になって探していました。

 

私の両親は、クリスチャンである為、私達兄弟は、子供の頃から祈るという習慣がありました。

 

「神様!どうか、どうか、私のお財布が見つかりますように!!お願いします!!何でもします!どうか私を助けて下さい」

 

と必死になって祈っていました。

 

すると、その時に礼拝で歌ったある賛美歌が、

ズドーンと私の中に降りてきたのです。

 

それは、結婚式やお葬式でも歌われる、とても有名な賛美歌321番「慈しみ深き」です。

 

1番の歌詞はこうです。

 

慈しみ深き友なるイエスは、罪、咎、憂いを取り去りたもう。
心の嘆きをつつまず述べて、などかは下さぬ、負える重荷を。

 

意味は簡単に言うとこんな感じです。

 

愛に溢れているイエスキリストは、

罪、心の迷い、心配事を取り去ってくれます。

心にある悩みを全て打ちあけて、何故、重荷をおろさないのですか?

 

私はこの

何故、重荷を下ろさないのですか?

の歌詞に、中1にして、ものすごい衝撃を受けたのです。

 

そうだ!全て、神様がいいようにしてくれているんだ。

これを分かるために、財布が無くなったんだな。だから、思い悩まなくてもいいんだ!

神様ありがとうございます!

 

と分かってしまい、財布の事から解放され、とても身軽になったという体験をしたのでした。

 

変な中1ですよね(^_^;)

そりゃおばちゃんみたいな子供になるわ。

 

そして2回目は、20歳の時です。

やたらと先の事が不安になってしまうという、ネガティヴに心配ばかりしてしまう時期がありました。

 

その時に、母の紹介で、米沢の牧師さんが行なっている、

「トータルカウンセリングスクール」

という、自己受容の勉強をするというセミナーに行った事がありました。

 

その時学んだことは、

「一元に生きる」

という事でした。

出来たら素晴らしい、

出来なかったら素晴らしく無い

という二元では無く、

何も出来なくても、

どんな事があっても、神の采配により、

「全ては最善の為に起こる」

という事を知り抜いて生きましょう!

という事を教えていただきました。

 

そこでまた、重たかった自分の荷物を下ろす事ができたのでした。

 

そこからは、とにかく明るく前向きに人生が展開されていきました。

 

なんてったって、20歳にして

「全ては最善の為に起こる」

という事を感覚的に理解したのです。

 

怖い事があまり、ありませんでした。

 

ですが本当の意味では、分かりきっていなかった様で、

実力主義、結果がすべての環境で働く中で、

だんだん、

自分次第で全てが変わると思い込むようになっていきました。

 

すると、1つまた1つと、背負っている荷物が増えていったのでした。

 

そして、とうとう、私はこの相対性の世界の仕組みを知る時が来ました。

 

そして、

 

「なるほど!自分が人生の最高責任者では無いのか!むしろ逆!コントロールしようとせずに、全て委ねて、お任せして、自分の天命を全う出来るように、身軽に自由になっておけばよかったんだ!」

 

という事を理解しました。

 

それが分かってしまうと、もう本当に楽チンです。何故ならコントロールしなくていいのです。ただ、手ブラで流れに乗っかって流されたらいいのです。

もちろん、メチャクチャ覚悟と勇気は入りますが!

 

そして、今まで、

考えた事、

学んだ事、

体験した事、

太った事、

ドブに落ちた事、

旦那の顔の上にクサヤを乗せ続けた事、

 

全てに、ホンノ1ミリさえも無駄が無かったのだなとハッキリと理解する事が出来たのです。

 

そうしていると、今まで

「私の責任」

と思っていた事がすごくおこがましかったのだと分かってきました。

 

何故なら、私と同じように、みんなにも天命があるからです。

その人だけの役割があり、その人にしか出来ない体験をする為に生きているのです。

全て、その人にとって必要だから起こっているのです。

 

その人にとってのその体験は必要な事なのです。

 

それを、私のせいで!としゃしゃり出て勝手に背負って、

「重い重い!」

と私は怒っていたのです。

ホンマにすんませ〜〜ん!

 

本当に、

「責任を取ろうとしすぎる」

という病気にかかったのだと思います。

 

何故、病気にかかるのか?

それは、自分の存在そのものの価値を知らなかったからです。

 

だから価値を証明しなければならず、不安になったんですね。

 

皆さんは、どう思うか分かりませんが、私はこの世は、神様が作ったのだと思っています。

 

ですから、間違い無く愛されているし、全てのものに価値があるのだと思っているのです。

 

どう捉えるかは、もちろん自由ですが、

私は、私だと思っていた私を手放したその瞬間から、本当の私の役割が目の前にバーンと現れ、細胞に組み込まれていた、プログラムが一気に起動し出したのを確かに感じています。

 

ですから、責任を取るべきは、

「自分の役割に対してのみ」

だと言い切れる思います。

 

そこにさえ、命がけでいればそれでいいのだと、氣太く天命を生きている方から教わりました。

 

それ以外は、自分の領域では無いのです。

責任を取る事で自分の価値を確認してはうまくいきません。

 

自分が目の前にある事に、心を込めて、全身全霊で進むという事にだけ、責任を取ればいいのです。

 

今日も、目の前にいる人を愛を持って見守りましょう!

すべて、その人にとって必要だから、起こっているのです。

決して自分のせいで起こっているのでは無いのです。

子供たちも、必要があって親を選んで産まれて来ているのだと思います。

だから

「こんな母親でごめんね」

なんて言わなくていいんですよ。

「そっちが勝手にお母ちゃんを選んだんやろ〜!とか言って、私も本当は貴方を選んだんやけどな(*゚▽゚*)我ながらナイスチョイスやったわ!」

と言っておきましょう!

 

読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人を幸せにしているあの人は何故人を幸せに出来るのか?&料理教室のご報告

こんにちは!

サナブリ真木です。

昨日は12月二回目のお料理教室でした!

ブッシュドノエル↓

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シュトーレン&リースパン↓

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クリスマスディナー↓

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 12月のお忙しい中、そして風邪がメチャクチャ流行っている中、参加して下さった方、本当にありがとうございました(*´∀`*)

次は2月10日に

バレンタインチョコ教室&チョコデザート付き料理教室を予定しています!

また、詳しく決まりましたら連絡させていただきますので、よろしくお願いいたします。

 

さてさて、今日は周りの人を幸せにしたいな〜と常々思っていた私が最近気付いた、

「明らかに人を幸せにしているある人物」について書きたいと思います!

 

私は、今まで

「人を幸せにしたい!」

という思いを握りしめて生きてきました。

なので、自分の周りの人が

嬉しそうにしているか?

笑っているか?

悲しんでいないか?

がとても気になっていました。

 

遡ると、小学校の頃から、友人の誕生日会に行く時は、その子にとびっきり喜んで貰おうと、全力で手紙と手作りのプレゼンを用意して渡していましたし、日頃から、人の良いところを見つけて褒めるという事を心掛けていました。

 

「褒める事でその人が自分自身の事を好きになってもらえたらいいな」

「私と話す事で喜んでもらえたらいいな」

と思って一生懸命褒めるようにしていました。

 

ですが、だんだん自分が

人を幸せにしようと頑張れば頑張るほど、周りの人の顔色が悪くなっていく事に気付き始めました。

主人の顔色はその時にはもう、土色になっていました。

「あらー!これは、さすがにヤバイかも(汗)」

と思い、更に一生懸命、主人を褒めようと努力したり、感謝を伝えようと工夫したりしていました。

ですが、私にも主人に対して、

「自分で無いものになる努力をさせられた」

という強い恨みが心の奥底にあった為、分かっていても、どうしても優しい言動が取れず、何で出来ないのか?と更に自分を責めるという悪循環が続いていました。

 

とにかく、このやり場の無い怒りや虚しさをどうしたらいいのか?を知りたい。

心から優しくなりたい。

どうしたら自分自身が満たされて、本当に人を幸せに出来るのかを知りたい!

 

と真剣に願っていました。

どれだけ取り繕ってみても、自分の意識状態は呼吸を司り、全身から発振されていきますので、私の意識にあるように

「人を幸せに出来ない」

という現象が淡々と現れていたのです。

 

私は、意識状態と現象の法則を理解し、思考で埋め尽くされていた頭をクリアにする事で、

自分自身を許す事、そして人を許すという事を体験しました。

 

これは、本当に感動の体験でした。

心が信じらないくらい軽くなりました。

 

その時から視界が一気にクリアになりました。

今まで見えてかなかった、景色や、命ある生き物や、人々、子供達の表情、目の奥にあるものがハッキリと見えるようになってきたのです。

 

すると、もしかして人を幸せにするってこういう事なのかな?

という1つのモデルを発見しました。

 

それは、産まれて間も無い「赤ちゃん」です。

笑っている赤ちゃんの前では、誰もが笑顔になってしまいます。

 

まあまあ不機嫌なおじさんでさえも、赤ちゃんに笑いかけられると、ニッコリ笑顔なってしまいますよね?

 

これは、赤ちゃんが超強力な武器を持っているからだと思います。

 

その武器とは

「判断出来ない」

という武器です。

 

赤ちゃんは、

「この人は、マイペースだな」

とか

「この人は、優柔不断だな」

とか

「この人は、眉毛がつながりかけてるな」

 

などと判断出来ません。

ただ、純粋に

「お腹が空いた〜〜!!」

とか

「オムツが気持ち悪い〜〜!!」

と感じて泣き喚いてているだけです。

 

「私のお母さんはこの人か。この人にはもう少し段取りを考えて育児をしてもらいたいものだね。そして、テレビばっかり見てないで、早く私に、もっと美味しいものを下さいよ。あらあら、もうちょっと栄養のバランス考えた方がいいんじゃないですか?」

 

とは考えていないのです。

 

私達はそれが分かっているので、

赤ちゃんの前では、

丸裸でいられますし、

自分のお肌のの調子が悪かろうが、

髪の毛がボサボサだろうが、

コミュニケーションスキルが無かろうが、

 

全く関係無く、赤ちゃんをぎゅーっと抱きしめる事が出来ます。

 

赤ちゃんの前では、本当の自分でいられるのです。

 

これこそが、人を幸せにするという事では無いでしょうか?

 

もちろん、赤ちゃんはとても可愛く、見ているだけで幸せな気持ちになれます。

 

ですが、決してそれだけでは無く、

 

赤ちゃんが持つ、「超純粋さ」こそ、赤ちゃんが人を幸せにする最強の武器のように思うのです。

 

私達大人には、赤ちゃんには無い知性があります。

 

この知性を持った上で尚、判断しないという赤ちゃんのような「超純粋さ」を持っていれば、その人の周りの人は、ありのままの自分でいられます。

 

ありのまま、そのままの自分でいられるという事は、本当に幸せな事です。

 

「判断しない人」の周りの人は、そのままの自分で受け入れられていると感じ、心から安心し、力が発揮出来て、いつの間にか幸せになってしまうのでは無いでしょうか?

 

私は、知性を持ちながらにして、自分がコントロールしようとせず、全てのありのままそのままを、マルッと受け入れられる、赤ちゃんのようになりたいなと思いました。

 

周りの人が、

知っているふり

出来るふり

大きいふり

頭が良いふり

テキパキしているふり

強いふり

優しいふり

自分では無いもののふり

をしなくて済むように、その人のイノチのカタチを大切に出来る人になりたいとおもうのです。

 

周りの人が、自分は、そのままで素晴らしく、そのままで十分に価値があるのだと、一緒にいるだけで分かるような在り方を目指して行きたいと思っています。

 

それこそが私の目指す、

愛そのものという在り方

 なのだろうと思うからです。

 

そして、最後に

「人を幸せにしたい」

という想いは、意外とエゴから来ている事が多いです。

赤ちゃんみたいに、

気がついたらいつの間にかみんなを幸せにしていた

というただの結果である所こそ、赤ちゃんから学ぶ所だなと感じる今日この頃なのです。

 

今日も、みなさんの周りにいる赤ちゃん達に

「ご苦労様です。」

と声をかけましょう!

赤ちゃん達は、大きな役割を果たしています。

そして、自分が自分の事を判断しない所から始めましょう!

そのままですでに十分足りているんですからね!

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(^-^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カフェを経営してみて分かった、「揺るがない自信」とは何か?

こんにちわ!

サナブリ真木です!

 

今日は、水曜日ですね!なんか一週間が早すぎないですか??

今日も、焼き立てパンとサナブリ特製弁当を持って、里の市に出店しに行ってきます(^-^)v

 

クリスマス間近という事で、ドイツのクリスマスパンシュトーレンも持って行きますよ(*゚▽゚*)これが、本当に食べだしたら止まらないんですよね!コワ〜〜∑(゚Д゚)

 

クリスマスのお菓子とシュトーレン

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後、冬の寒い日のイベント限定の、

レーズンバターサンドも、用意しました!

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天気が心配ではありますが、雨でも雪でも開催します!

ぜひ皆様、里の市に遊びに来て下さいませね(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

さて、今日は、私がお店をやってみて分かった「経営者にとって本当に必要なもの」

について書きたいと思います。

 

実際、私がお店をやってみて思った事なんですが、経営者が一番、不安になる時は、

「どうしたらいいか分からない」

時では無いでしょうか?

 

商品が売れない、

スタッフのやる気がない、

売上が伸びない、

利益が出ない、

 

など、具体的な問題が目の前にある時、

経営者は「どうすればいいか?」と考えます。

 

これが、明確にハッキリと分かっていて、

そのプロセスもしっかり見えていれば、

後はひたすら進むだけですからいいのです。

 

基本的に、経営者になろうと選択する人は、進むのが得意な人が多いと思います。

 

ですが、

「どうすればいいのか、全く分からない」

とか、

「こうすればうまく行く!という事が分かっていて、それをしているはずなのに、うまくいかない」

とか、

「人に聞きすぎて、何が正解なのか分からない。」

という事が起こってくると、

「あれ?何がまずいのかな?進む方向ってこれであってるのかな?」

と不安になってきてしまいます。

 

経営者にとって、この迷いというのは、本当に苦しみを伴います。

 

うまくいくかどうかが、自分の判断にかかっているのに、その判断が一か八かの勝負になってきては、生きた心地がしないものなのです。

 

私は、ありがたい事にそこまで追い詰められた事は無かったのですが、サナブリを経営していく上で、

「何か、思ってたのと違〜〜う!!」

という思いが常に付きまとっていました。

 

なので、

まだまだ足りない!

もっともっと素晴らしくしなくては!

ところで、何が足りないのかな?

 

と日々考えていたのです。

なので、いつも足りないヒントを探していました。

 

お察しの通り、「足りない所」を探していれば、足りないという証拠が出てきます。

 

ですから、どんどん不安になってきてしまうのです。

 

そして、私は、自分の在り方自体が問題を作り出しているという事を学びました。

 

私が在り方により、問題を作り出していた行動とは、以下の通りです。

 

①売上目標を設定し、それを逆算してどう行動するか決めていた。

 

②常に、反省点を探し、改善方法を考え、打ち出していた。

 

③自分の考え方や、価値観をスタッフと共有しようとして、ミーティングやメールで発信していた。

 

④スタッフの働きを正当に評価しようと、実力主義による時間給や、キャリアプランを設定していた。

 

⑤スタッフやお客様の声を拾うべく、細かいヒアリングを心がけていた。

 

⑥いつも笑顔で、関わって下さる全ての人に感謝し、それを表現していこう!と心がけていた。

 

まだまだ、沢山ありますが、私が心がけていた事は、多くの成功哲学の本にも書いてあるような、経営者なら、

「当然やるべき事」

ばかりです。見るからに

「それは、間違ってるよ!」

というものでは、無いと思います。

 

ですが!!!

 

正しいとされている事を心がけていても、本当に沢山の人が、「うまくいかない」という経験をしているのでは無いでしょうか?

 

そして、ほとんどのの場合、

「私の頑張りが足りないのかな?」

と捉えてしまい、より正しい事を頑張るという循環に入っていってしまいます。

 

私も、本当に驚いたのですが、

この常識とされている、

「うまくいく方法」には落とし穴があります。

「常識を疑え」とは、良く言ったものです。

 

それは、

その行動の源は何か?

という事です。

 

行動の源は大きく分けて2つしかありません。

1つは「不安」で1つは「愛」です。

 

この「不安」からやって来る思考や行動をまとめてエゴと言っていいと思います。

 

このエゴを源に

 

お店をやってみんなを幸せにしたい!

自分が出来る事で社会に貢献したい!

 

といくら思って努力してみても、驚くくらい顕著に、人を巻き込めないのです。

 

ですから正しいとされている事も、人には伝わらないし、繋がっていかないのですね。

 

もちろんエゴ丸出しの会社でも、利益を出しているところも沢山あるでしょう。

 

ですが、これは、利害関係で、全てが繋がっている為、損得感情を抜きにしてしまうと、簡単に破綻してしまうという危ういバランスで成り立っていると思われます。

金の切れ目が縁の切れ目というやつです。

 

だからこそ、私はいくら経営の本を読んでも、正しい事を実践しても、何か足りないような気がしていたのだと思います。

 

では、どうしたらいいのか?

今の私の答えはこうです。

 

愛を源に経営する事。

自分が愛そのものである事。

自分のイノチのカタチそのもので、

与えて与えて与え尽くすという、ビジネスを展開する事。

自分が与えるものの価値を甘く見ない事。

お客様にも、スタッフにも、本気の本気で、超真剣に関わる事。

そして、今という瞬間に全力で心を込める事。

 

これを総じて言うならば、

不安を手放して、天命に生きるという事でしょうか。これを私は、

「絶対に揺るがない自信」

という風に捉えています。

 

この揺るがない自信を身に付けつつある私は、1つなるほどな!という体験をしました。

 

それは、お客様からご予約いただいていた品を、私のうっかりミスにより、約束の時間が迫る中、まだ用意出来ていない事が発覚した時でした。

 

今までの私なら、さすがにこれは無理だ!と諦めて謝ることを選択していたと思います。

 

ですが、私はこの時、

目の前に道があるのをハッキリと感じました。

足りない材料を、まだ開店前のお店に頼み込んで手に入れ、周りのスタッフを竜巻のような勢いで巻き込んで、奇跡としか言いようの無い短時間で、約束していた通りに用意する事が出来たのです。

 

私はお客様にその品をお渡しした後、

「なるほど!これが、揺るがないという事か!」と感じました。

 

(私のうっかりミスから始まってるのが、誠に残念ではありますが!)

 

それは、自分の為、すなわちエゴの為では絶対に出て来ない大きなエネルギーが私を包み、前に進む為に邪魔になる障害物を勝手に片付けてくれたいう感覚でした。

 

今までは、ひとつひとつ、一生懸命、障害物を片付けて、片付けたつもりが、また上から落ちてきて、ウンザリしながら片付けて、その道を作る事にすごくエネルギーを使って疲れていたのです。

 

ですが、源が不安から愛に変わった途端、目の前にとても歩きやすい道がバーンと現れ、ご丁寧にも光で照らしてくれている感じがするのです。

 

こうなってしまえば、もう、猛ダッシュも可能です。

 

私の性分である、ブルドーザーを本当の意味で発動させる時が、やってきたようだね。ムフフという感じです。

 

これから私は、この揺るがない自信を引っ提げて、

「どすこい!どすこい!そこのけ!そこのけ!」

と進んで行きたいと思います。

 

今日も、愛を源に行動しましょう!

そして、自分のイノチのカタチを信じましょう!

そして、周りの人のイノチのカタチも信じましょう!

それが、自分の道を進むという事です!

今日1日が皆様にとって光に満ちて輝いている事を祈っています(*´∀`*)

読んでくださってありがとうございました〜〜!

またお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーガニックフェスタを終えて、今立ち止まって考えたい「全てにとっての最善」とは?

こんにちは!

サナブリ真木です!

昨日は、オーガニックフェスタに出店してきました!

 

伊賀有機農業推進協議会が主催する、伊賀オーガニックフェスタに、サナブリは毎回出店させてもらっています。

 

サナブリのコンセプトとして、

良いものを真面目に作っている生産者さんと、お客様を繋ぐ架け橋になりたいという思いがありますので、このオーガニックフェスタは本当に架け橋として最高だな!と常々、思っています。

 

昨日も、寒い中、沢山の方にご来場いただきまして、伊賀名張の方の食に対する意識の高さを改めて感じる1日となりました(*´∀`*)

 

主催者、出店者の皆さま、お疲れ様でした!

ご来場いただきました皆様、本当にありがとうございました!

 

みんなで、

有機的なつながりを大切にするまち、

そして、

あたたかい未来を考えるまち

オーガニックタウン伊賀を作って行けたら嬉しいなと思います。

 

今日は、有機的な暮らしについて考えたいと思います。

 

私は、両親がなるべく自然に近く、なるべく質素な暮らしを選択していた為、当たり前の様に有機的な暮らしの中育ちました。

 

子供の頃は、そのありがたさや良さがよく分からず、着色料がタップリ入った、ドギツイ色のお菓子に憧れたり、病院に行って薬を貰う事にワクワクしたりしていました。

 

私の家では、風邪やちょっとした怪我で、病院に行くという習慣がなく、基本的に人間が元々持っている自然治癒力を高める自然療法により治療をしていました。

 

その中でも、圧倒的に良く登場したのが、枇杷の葉っぱです。

 

擦り傷、切り傷、やけど、打撲、捻挫、などの外傷ならほとんどの場合、その患部に枇杷の葉っぱを巻き付けられていました。

 

子供心に、葉っぱをつけているのが恥ずかしく、

「お母さん、葉っぱが見えないようにして!」

と切実な思いで巻かれているのを見ていた記憶があります。

 

また、喉が痛いと言えば、ネギや、梅干しを手ぬぐいに巻いて首に巻かれ、

お腹が痛いと言えば、温めたコンニャクをお腹にのせられ、

熱があると言えば、キャベツを頭に乗せられていました。

 

母に「手に棘が刺さった」言った時は、梅干しを棘の上に乗せて、バンドエイドで巻かれてしまい、

「イヤ、棘を抜いてくれへんかな?」

と思ったものでした。

 

中でも一番謎だったのが、

目が痛い時です。

番茶に塩を入れて、その湯気を目に入れるまでは良かったのですが、その後、なぜか母の母乳を目に入れられるという、訳の分からない流れになっていました。

 

私には妹や、弟が3人いるので、母は、結構な割合で母乳が出ていたせいもあるのでしょうが、私は何とも言えない気持ちになり、

「それ、直接入れなあかんの?なんか恥ずかしいんやけど!」と思っていたのでした。

 

このように育った私は、幼少期はあまり即効性のある薬や注射で、身体の不調を直すという事をしていませんでしたし、石油系の洗剤やシャンプーを使わず、人工的に無理やり色や香りを付けた食べ物を食べずに育ちました。

 

その後、自分のお金を持つようになると、反動が大きく出て、今まで、憧れた食べ物や洗剤、シャンプー、そして薬をかなり買うようになりました。

 

そして、散々使ってみた結果、やっぱり人間は、安さ、便利さ、効率の良さ、即効性を追い求めるあまり、一番大切なものをないがしろにしているのだという事が分かってきました。

 

一番大切なものとは、

「全てにとって最善である」

という視点の事です。

私達人間は、自分達が

とにかく少しでも楽したくて、

とにかく少しても得したくて、

とにかく少しでも安心したくて、

とにかく少しても価値を証明したくて、

一生懸命、一生懸命、

自然を壊し、

身体に負担のかかるものを食べ、

産まれる事から死ぬ事までを含めて、全てを

コントロールしようとしています。

 

時には、同じ人間や、自分達が住む地球さえも、一生懸命傷つけて、自分の個性を発揮しようと躍起になって頑張っています。

 

ですが、本当にそうしなければ、私達は価値を証明出来ないのでしょうか?

 

そんなに自分を守らなければ、誰も助けてくれないのでしょうか?

 

「足りない」という幻想は、どこまでも自分勝手な大義名分を作り出します。

 

私達は、今、立ち止まらなければならないのだなと強く感じる今日この頃です。

 

私も、「足りない」と思っていたので、ずっと焦っていました。

価値を証明する為に、人の役に立つ大きな仕事がしたいと思っていました。

 

父や母のように、

質素に暮らすこと、

コントロールしようとしない事の意味が、

よく分かりませんでした。

 

ですが、今はこう思っています。

 

「自分にとっての最善では無く、全てにとっての最善を選択をしない限り、何かの役に立つ事は出来ないんだな。

自分が!という思いを手放して、天にお任せして純粋に生きていれば、必要な事が必要な時に実現していくはず!今、目の前にある事に心を込めて進もう!」

 

正直、なかなか、難しく感じる事もあります。

ですが、私達は愛されているので、そんなに心配しなくていいんだなという事はハッキリと分かりました。

 

今日も、目の前にある事に心を込めて過ごしましょう!

 

視点が変われば、ほとんどの事はすぐに終わっていく小さな事です。

 

小さな小さな棘のようなものなんですね。

 

とりあえず、棘には梅干しをのせておけばいいんですよ。

 

何でか分かりませんが、梅干しをのせておくと、棘が自然に出てきてくれるんですよ(*゚▽゚*)

不思議ですが、

「無理に何とかしようとしなければ」

自然と終わっていくんですね!

 

皆様今日も読んでくださってありがとうございました!

素敵な1日をお過ごし下さい!

また、お会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「価値があるから、足さなくていい!」の本当の理由 &料理教室のご報告

こんにちは!サナブリ真木です!

今日は、まず料理教室のご報告をさせていただきます(*´∀`*)

胃腸風邪が流行しているようで、少人数での開催になりましたが、皆さんとっても、上手に作って下さいました!!素晴らしい〜〜(*´∀`*)

本当に今回は、めちゃめちゃボリューム満点のお得なメニューです

🎄クリスマスメニュー🎄

ローストチキン

アレッタと海老のスパゲティ

クリスマスリースサラダ

チーズマーブルショコラ

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昼の部↓

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夜の部↓

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ご参加いただいた方、本当にありがとうございました!今日も、とても楽しかったです(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

15日ご予約いただいている方、本当にご馳走です。お腹を減らしてきて下さいませ!皆さん、楽しみましょうね〜〜〜!!

 

シュトーレンもブッシュドノエルも最高ですよ(๑˃̵ᴗ˂̵)

お楽しみに〜〜!!

 

 

さてさて、では、タイトルにもあるように、「何故、私達には価値があるのか?」

について書きたいと思います。

 

私は、このブログのメインテーマとして、

「ありのまま、そのままで、価値があるから大丈夫です。私は足りていると確信し、足そうとしなくなったら、うまく行くようになりました!」

 

という事を書いているわけです。

「何となく分かるけど、何で価値があるって言い切れるんですか?」

「真木さんは、そう思うのかもしれないけど、どう考えても、私には価値があるようには思えません。」

「では、犯罪者や、私腹を肥やす政治家なども価値があるんですか?」

 

などと思われる方もいらっしゃると思います。

私もどこかで、ずっとそのように思っていました。

 

ですが、今は、

「価値がある」

と言い切れると確信しています。

 

それはシンプルでありながら、とても奥が深い真理に基づいている為、説明するのはなかなか難しいのですが、私流に簡単に言うとこういう事です。

 

その理由は、「愛されているから」です。

 

例えば、私の娘は、よくドングリを拾ってきます。たくさん拾っては、プレゼントとして私にくれるのです。

 

私は、家の中がドングリだらけになって、踏んだら結構、痛いので、

「ドングリ、ホンマ要らんねんけどな〜〜」

と日々思っていました。

 

ですが、子供達にとったら、ドングリは宝物なのです。

 

このドングリに価値はあるか?

と聞かれれば、

子供にとったらYes

私にとったらNo

なわけです。

 

という事は、物の価値というのは、その人がそれを大切にしているかで決まってくるという事では無いでしょうか?

 

なので、奥さんが勇気を出して買った、高額な化粧品も、旦那さんにとっては、

「それ、安いのとどう違うん?何も、顔変わってないやん」

と価値が全く理解出来ず、

 

また旦那さんが、へそくりして買ったゴルフセットを、奥さんがイライラしている時に

「何やこれ。こんなんで、うまくなった気になんなよ!腹立つからこのパター折ったろかな」

と思ったりするわけです。

 

愛しているものには、その人にとっては、価値があるという事です。

 

人間でも同じ事が言えると思います。

 

価値があるから、愛されているのではなく、

愛されているから価値があるのです。

 

これを多くの人が勘違いしていて、

「価値が無いと愛されない!」

と不安に思い、価値を足す努力をしているように思うのです。

 

そこに落ちているドングリは、愛される為に努力しているのでしょうか?

 

少しでも丸くなろうとか、頭の形をベレー帽っぽくして、女子受けしようなどと狙ったりしているのでしょうか?

 

ドングリは、ただただ、全力で自分のイノチのカタチをまっとうしているだけなのでは無いでしょうか?

 

ですから、私が言いたい事はこうです。

 

自分の価値は自分が決めているのでは無いでしょうか?

自分が自分のイノチのカタチを大切にし、全力でまっとうして、それを愛している限り、価値が無くなる事は絶対に無いという事です。

 

そして、それに気付くと、私はすでにたくさんの人やものや神様に、自分が愛されていたのだという事が分かりました。

 

愛される為に、自分の価値を足そう足そうと必死になればなるほど、「足りていない」という現象が現れていきます。

 

なので私は、一貫して

「皆さん!ワクワクする事をやりましょう!」

と訴えているのです。

 

価値を足して愛されようとしているうちは、自分のワクワクの音が聞こえなくなります。

 

周りの人が、自分に対して言った

「あなたは、もっとこうだったらいいのにね。」

という言葉だけが、頭の中で大音量でこだまして、それこそが自分の真実であるような勘違いが起こってしまいます。

 

ですが、これは意外と真実ではありません。

 

真実は、いつも自分の外側からではなく、内側からやってくるのです。

 

ワクワクに正直に、純粋な意欲に従って、自分のイノチのカタチの通りに生きようとしている時、眠っていた能力が覚醒し、その人の本当の魅力が溢れ出てくるのだと思います。

 

ですから、皆様、

ぜひ、自分を大切にして下さい。

 

価値があるから、愛されるのでは無いんです。

愛されているから、価値があるんです。

 

そしてすでに私達は、ものすごく愛されてているんですよ!!本当に!!

 

自分を大切にすれば、人も大切に出来ます。

その人を大切にすれば、その人の大切なものも大切に出来るようになります。

ドングリや、化粧品やゴルフセットも大切に出来るようになるんですね!

 

私達は、とても愛されています。

ですから、今日も子供達に、

「そのままで100点満点!!だって、お母ちゃんは、あなたのことが大好きだから!!」

と伝えましょう!

旦那さんには

「まあ、よしとしよか…。」

と伝えましょう!(温度差!!(^_^;))

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、誰にも愛されていなければ、価値は無いのか?

これについては、このように思います。

「全てのものは愛されている」

 

 

 

 

 

 

 

 

田んぼの中でカフェを経営してみて分かった、田舎で店をやる為のポイント4つと、特に重要な事。

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

皆さん、気付きましたか?

 

今日から、ブログのタイトルを、ブロガーっぽくしてみました(#^.^#)アハ

 

昨日、ゆとり世代代表のクールな弟に

「ブログに興味を持ってもらう為にはタイトルが、とても大切。

もう少し中身が分かるようにタイトルで説明して、長くてしてもいいと思うよ。」

と教えてもらいまして、早速、ブロガー風にしてみたのです!

 

ブログを始めて、1ヶ月半が経ちましたので、これからはブロガー真木としてちょっと、調子に乗っちゃったりなんかしちゃおうかな(*´∇`*)

 

なんて思っておりますので、皆様

「調子に乗って、イキリ出したで」

とイラつかないで下さいね!

 

ではでは、本題に入りますが、私は、2012年の7月にcafe sanaburiという、オーガニック食材をなるべく取り入れた、ナチュラルなカフェをオープンしました。

 

始めに、田舎で店をやるからこそ強く意識した4つのこだわりがこちらです。

 

目立ちやすさ、入りやすさでは無く、自分の店の魅力を最大限に発揮できる場所かどうかを、立地の条件とする。

 

 

新規のお客様に来ていただく工夫では無く、地域の方に何度も来ていただける工夫をする。

 

 

ターゲット層を絞り過ぎないメニュー構成と、幅広く受け入れられやすい雰囲気作りをする

 

 

 田舎だからこそ、一流の人材を育て、圧倒的なホスピタリティを実現する。

 

京都大阪で働いていた私は、立地条件というものをすごく大切に考えていたのですが、伊賀名張に帰ってきて、人気店の立地条件の悪さに本当に驚きました。

 

田舎では、みんなが車で移動する為、国道から離れていようが、分かりにくかろうが、周りに何もなかろうが、店自体に魅力があれば、お客様はしっかり入っているのです。

 

それを目の当たりにし、分かりやすくて、入りやすい、家賃の高い物件よりも、自分の店の魅力を最大限に活かせる場所を探した方がいいなと思いました。

 

私の場合は、

姉妹店のオーガニックショップはらぺこあおむしの近くで、

まわりに緑があり、自然が感じられて、

駐車場がある程度確保できる。

 

これが、絶対に外せない条件でした。

 

次に、お客様に何度も来ていただく為の工夫です。

田舎で店をやる時の条件として、一度来て下さった方に、気に入ってもう一度来ていただけなければ、よっぽどの観光地以外は、絶対に続けていく事は出来ません。

 

都会の路面店のように、店に入ってもらう事がゴールでは無く、店に入ってもらった上で満足してもらい、「また、来たい!何回でも来たい!」と思っていただく事こそがゴールなのです。

 

その為に、私が一番力を入れたのは、メニューを変えるという事です。

 

週替わりのランチメニューや、季節のスイーツ、ドリンクで、旬を感じていただいたり、オススメ食材を提案させていただく事を大切にしています。

 

次に、ターゲットを絞り過ぎない事ですが、

都会で、人口が多ければ、

20代〜30代の健康と美容に興味があり、独身で自分にかけられるお金をある程度持っているOLさん

というように、ターゲットを絞れば絞るほど、コンセプトを明確に打ち出す事が出来て、コアなファンを獲得しやすくなります。

 

ですが、田舎でそれをやりすぎると、お客様を選び過ぎてしまい、元々分母の数が少ない為、分子が足りないという事になってしまいます。

 

私の場合は、オープン当時は、

健康、美容、ヘルシー、ベジタリアン、オーガニック、ナチュラル、オシャレ、

の、どのキーワードに対しても、こだわりすぎない、とんがり過ぎない、という事を大切にしていました。

 

田舎でやるなら、「お客様を選びすぎてはならない」と感覚的に感じていたのです。

 

そして、最後に、人材についてです。

田舎で、商売をするという事は、都会以上に、

何を買うか?

どこで買うか?

よりも、

誰から買うか?

が重要になってきます。

経営者は勿論、スタッフ1人1人の人間性により、店の雰囲気やイメージが作られてきますし、一度ついたイメージは、簡単には拭い去る事は出来ません。

 

ですから、人気店を作る為には、都会以上に、優秀で誠実なスタッフが必要であると考えていました。

 

私の中で、オープン当初から、この人材の力が9割で、残りが合わせて1割だという感覚がありましたので、

「人を大切に、人を輝かせる店を作りたい!」

という強い強い思いがあったのです。

 

ですが、この人を育てる事が、一番難しく、一番頭を打った部分でした。

 

そして、4周年を迎える直前に人材を育てる為に本当に必要な事を学ぶを事になりました。

 

それは、

 

「自分自身がめいいっぱい楽しむ」

 

という事です。

私は、経営を起動に乗せる為に

「こうしなければならない。」

「こうでなければならない。」

と沢山のルールを作り、その中で一生懸命働いていました。

 

いつも笑顔で、

スタッフに感謝して、

明確な指示を出して、

どんどん新しい課題を出して、

良いところは褒めて、

分かりやすく改善点を説明して、

 

 

と、いつもいつも、自分で決めたルールを必死に守る事を心がけていました。

 

ですが自分自身に無理があれば、どれだけ正しい事を言っていても、人を巻き込む事や、育てる事は出来ないのです。

 

優秀で誠実な人材が、どうすれば育つか?

今の私の答えはこうです。

 

自分自身が優秀で誠実で在る事。

そして、常に自由であり、

最高に楽しんで、情熱を燃やしている事。

それを、背中でスタッフに見せながら、

少し前を一緒に走る事」

 

結局は、スタッフに

どう関わるか?

では無いのです。

自分がどう在るか?

こそが全てなのです。

 

私は、それが分かってから、自分の在り方、店の在り方に対して、ものすごーく真剣になってきました。

 

自分が真剣そのものなので、変にスタッフの気持ちを考えて、気を使ったり、遠慮したり出来なくなってきました。

 

ですが、確実に、気を使って、遠慮していた時よりも、スタッフが成長しているのを肌で感じるのです。

 

やはり、はじめに書いた4つのポイント、全てにおいて言える事ですが、何事も小手先でやろうとしていては、絶対にうまくいかないという事です。

 

楽しんで情熱を燃やせないならば、流行らせるポイントを追いかけても、何の意味もないのです。

 

自分の責任で何かをやるのならば、

自分自身が、徹底的に楽しめる事

ものすごい情熱を燃やし続けられる事を

超真剣にやらなければ、続いてはいかない

 

という事です。

 

ですから、今の私にとって、店をやる上で、一番重要な事は、

現象に囚われず

「本当の自分のワクワクに従って進む」

という事です。

人間、それだけは、超真剣になれるのです。

それが、いつも自分の答えなのです。

これを見失えば、必ず迷いが出てきます。

 

そして、その迷いは周りの人を不安にさせます。

ですが、ワクワクに向かってさえいれば、どんなに、しんどい作業も耐えられます。

寒い中、朝早く起きて、冷たい野菜の土を洗う作業でさえも、喜びになってくるものです。

 

今日も、自分を信じて、まっすぐ前に進みましょう!

そうすれば、必ず同じ方向を見てくれる、ビジョンパートナーを与えられます。

 

ビジョンパートナーとの出会いは、最高です!

ワクワク以外の何物でもありません!

 

自分が心を開いて超真剣になってみたら、意外に横にいたりするものですよ!

「君か?」「君なのか?」と言いながら、日々を過ごしましょう?

 

皆様、今日も読んでくださってありがとうございました!

またお会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今日は、わたくしサナブリ真木の誕生日です。

お陰様なのか、残念ながらなのか分かりませんが、今日で39歳になりました(*´∀`*)

30代最後の年を、最高に楽しみたいと思います。

 

誕生日を迎えて、フッと頭をよぎる事がありました。

 

それは、私の母方の祖父母の事です。

私の祖父母は、熊本に住んでいて、二人共90代にして健在です。

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最近は、体調を崩していますが、少し前まで、車を運転していたような元気な農家のおじいちゃん、おばあちゃんです。

 

2人は、何とも言葉では表せないような、あたたかい雰囲気の持ち主なのです。

 

この、おじいちゃん、おばあちゃんは、私達兄弟にとって、とても大きな存在でした。

 

私が、物心ついてからは、たま〜に会うくらいでしたが、子供心に只者では無い感をビシビシと感じていたのだと思います。

 

おじいちゃんは、私に会うたびにニコニコしながら、

「真木ちゃんは、太かね〜。」

と熊本弁で言うので、

「えーー!?それ言う!?」と子供心にやや傷ついてはいましたが、

母は「大きいっていう意味だから!」とフォローしてくれていました(涙)

 

 

笑っていない所を想像するのが難しいくらい、2人は、いつもいつもニコニコと笑っていました。

 

私の結婚式の時も、おじいちゃんが体調を崩していたのですが、それでも2人で無理して結婚式に来てくれたので、

「これで会えるのは、最後かもしれない」

と涙を堪えて、

「来てくれて本当にありがとう!」

と固く握手をしたのを覚えています。

 

それから14年経ちますが、その間も、何度も何度も、おじいちゃん、おばあちゃんに会うことが出来てしまい、会う度に、今度こそこれで最後とばかりに「ありがとう」と固く握手を交わしているのです。

 

この、おじいちゃんとおばあちゃんの事が頭をよぎったのには、理由があります。

 

私が最近、

「何をするか?何をしたか?」doing

では無く

「どう在るか?どう在ったか?」being

こそが大切

だと日々感じていたからだと思います。

おじいちゃんとおばあちゃんは、まさに存在そのものだなと思ったのです。

 

私はこれまで、

「何をするか?」doing

をとても大切にしてきました。それこそが結果を作り、価値を決めると信じていたからです。

 

ハッキリ言ってしまえば、面接をする時も、スタッフを育てる時も、子供を見る時も

その人が

「何が出来るのか?」

という事を一生懸命みて、探していたました。

自分に対しても、

何が出来るのか?

何をすればいいのか?

を常に問いかけていました。

 

このdoing重視により、

私は、長い間、矛盾を解消出来ずにいました。

 

結果を出す為には、正確に、スピーディに、質の高い仕事をしなければならない。

だが、心が満たされる為には、そのままの自分を受け入れなければならない。

それは、質が高い仕事が出来なかったとしてもそのままを受け入れるということである。

だが、そうしていると結果は出ないのではないか?

 

 

という事です。

この矛盾は、人を育てようとする時に、顕著に現れてきました。

doingを大切にしてながら、beingを受け入れようとしていたので、どうしても無理が出て、バランスが取れなくなっていたのです。

完全に言っている事とやっている事が違う人になっていました。残念(^_^;)!

 

私は、「ではどうすればいいのか?」

が分からず、とても、もがいていたのです。

 

今、ハッキリと理解した事は、

多くの企業がそうであるように、

私が、ビジネスの目的を

「利益を出す事」

と捉えていた事でその矛盾を解消出来なかったように思います。

 

「利益を出す事」

は結果であり、目的では無いのだと今は思っています。

私は、

「人を幸せにする」「利益を出す」

という2つの、本来、結果であるものを、目的として追いかけていた為、行動に縛られ、動きが取れなくなっていったのでした。

 

これが分かってからは、

 

何をするか?では無い!どう在るか?だ!

 

と、自分自身の在り方を徹底的に変えていきました。

 

すると、今まで分からなかった、困った時の対処法が、迷う事無く、明確に分かるようになって来たのです。

 

何が起こっても、本当に揺らがなくなって来ました。ドーンと構えて

「どすこい!どすこい!」

と言っていられるようになりました。

 

これを言葉で表現するのは、とても難しいのですが、

どう在るか?とは、源は何か?と言い変える事が出来るかもしれません。

 

この事が分かってくると、

母や祖父母の在り方

がハッキリと見えるようになってきたのです。

 

うちの、母にしても、

祖父母にしても、何をした人か?

と聞かれれば、

「農業?」

と言うしかありません。

これと言う肩書きや、偉業を語る事は、ほとんど出来ないのです。

 

ですが、間違いなく

「愛を源に行動している人である。」

とは言えると思います。

 

そうでなければ、あのようには笑えないはずです。本当に90代であっても、目が純粋な子供のようにキラキラと輝いているのです。

 

私は、肩書きは何だかよく分からないけれど、

「存在そのものが愛である」

人が近くにいて、すごく幸せだなぁと思いました。

 今の世の中は、

「何が出来るか?」

を大切にするあまり、

体力や、記憶力がある、働き盛りの人達により作られています。

 

ですが、どう在るか?こそが大切だと分かれば、今まで見過ごしてきた、お年寄りのその、圧倒的な存在感に驚いてしまいます。

 

これからの少子高齢化の日本において、

お年寄りを、働けなくなった人として社会の片隅に追いやるのではなく、

その存在そのものの力により、

知恵を授けてもらったり、

子供達に愛をもって関わってもらう事を通して地域の中心にいてもらう必要があるのかもしれません。

 

両親、祖父母、祖先の、愛のバトンを受け継いで、今、私がここに在るのだという事を心に留め、しっかりと愛のバトンを繋いでいきたいと思います。

 

自分がどう在るかを決めれば、

結果は、後から必ずついてきます。

 

おじいちゃんとおばあちゃんに感謝しつつ、

私は存在そのものを持って、それを伝えていきたいと日々感じているのです。

 

39歳の、太か〜サナブリ真木のサンキュー!な活躍にご期待くださいませ(^-^)v

 

今日も読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

 

私は「人のブログを読む暇などない!」と思い込んでいた、エセ忙しい人間だったので、こうして読んでくださる方々の事を本当に尊敬してしまいます。

 

やはり、私の目の前には愛と豊かさが溢れていたんだな!と実感する日々でございます。

 

今後とも、どすこい真木、サナブリ、スタッフ、クサヤのせられ主人、声デカ娘、はらぺこあおむし、バケモノ美和子、賢ブラック父、多すぎる兄弟達とその配偶者、姪っ子甥っ子共々、よろしくお願いいたしま〜〜す!

 

ありがとうございました〜!

また、お会いしましょう(*´∀`*)