気が付いたら、いつものパターンになってる!?今を生きる為に私が身に付けたい習慣はこれです。
こんにちは!
サナブリ真木です。
ご好評いただきました、パン食べ放題付きランチ&ディナーも、今日が最終日となりました!
パンを毎日焼くのは大変でしたが、超仕事早い元スタッフにめちゃくちゃ手伝ってもらいまして、何とか頑張る事が出来ました(๑˃̵ᴗ˂̵)
私がパンを並べるとすぐにグチャグチャになってしまうという事が分かった1週間でした(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾丁寧な仕事、苦手!!
今日までやっておりまして、販売用パンもありますので、よろしければお立ち寄り下さい!!
今日は、私が今を超真剣に心を込めて生きる為に乗り越えなければならない課題について書きたいと思います。
一瞬一瞬、今を真剣に生きようとしていても、いつの間にか不安になってしまう事があります。
いつもの自分のパターンに戻ってしまい、あれ?何でだろうと思っていんですが、それは、私のある癖が原因になっていました。
それは、
すぐさま反応し判断する
という癖です。
このすぐさまという事がとても大きな障害になっているのです。
どういう事かと言いますと、私には、何でも価値観に照らし合わせて、すぐさまジャッジする癖が染み付いています。
そのジャッジの早さたるや、本当に驚かれるくらいの電光石火です。
口に入れた瞬間に「美味しい!」
と判断し、
話を聞いたその瞬間に「それはないんちゃう?」
と判断し、
面接をしても、会った瞬間にほぼ判断は終わっています。
主人の顔色を見た瞬間に「病気やな」と判断していた事もしばしばありました。
すみません(-_-;)
時には、自販機にお金を入れた瞬間にジュースを選択し、出てくるより先に手を入れていました。
この「すぐに決められる」という事は、私が全ての事をスピーディーに行う事を可能にしていて、これまでは、大きな強みだったのです。
なぜ判断が早いかというと、早く判断する為に、価値観を明確に整理していたからです。
そして、何度も何度も価値観に照らし合わせて判断する反復練習をして生きてきたからです。
経営者として、リーダーとして、判断力はとても重要です。
ですから、このすぐさま判断の力を私は磨きに磨いてきたのです。
なので、自分の価値観を手放した今、照らし合わせる自分の教科書が無くなったということになります。
では、右に行くか?左に行くか?何に照らし合わせて決めたらいいのか?と思いますよね?
答えは、その一瞬一瞬にしか無いのです。
その一瞬一瞬、自分の内側に深くアクセスしなければ、答えは分からないのです。
「前に右だったから、右だね!」という話ではありません。
今、自分に問われていることをしっかりと深く認識し、自分の普遍意識とつながって答えていかなければ、結局は、いつも選んでいた方、前に持っていた価値観の燃えかすに照らし合わせて正しいと思う方を選んでしまいます。
これこそが、いつもの自分のパターンに戻ってしまう原因になっていると分かったのです。
私達は、自分が発振した通りの事を体験します。
私は、いつもの癖で、自分の価値観、すなわちエゴを源に判断し発振した事を体験して、不安になっていたという事です。
ですから、
「あれ?なんか不安になるな。」
と思ったら、自分が発振している不安を知る事が出来ます。
「あれ?私って足りないのかな?」
と思ったら、自分が発振している不足を知る事が出来ます。
「あれ?私って顔大きいな?」
と思ったら、自分が発振している顔大きいを知る事が出来ます。(?)
だから、愛だけを発振していれば、愛だけを体験するという事です。
私はそれを100%、頭では理解しているつもりなのですが、
今、この瞬間にある答えに耳を傾け、心を澄まし、自分の内側に深くアクセスする習慣
が身に付いていなかった為、いつの間にかいつもの癖で不安を発振していたのだと思います。
これから、更に意識的に、今、何が問われているのかを深く受け取って、深くアクセスし、答えがしっかり浮かんでくるまで待って、次の瞬間の行動を決めていきたいと思います。
こうして、ありとあらゆる事と、深く向き合っていく事が、
今という瞬間に超真剣に心を込めて生きる
という事なのだと思います。
今日、私達は、何を発振するのでしょうか?
自分が発振したものを、恐ろしいほど正確に私達は体験します。
私達は、ただそれを受け取って生きているのです。
その、自分の発振からくる体験を
「これは欲しいけど、これはいらない。」
と選ぶ事は、出来ないんですね。
ですから、自分が体験する事は、100%自分に責任があるという事です。
「私はみんなの事をこんなに大切にしているのに、みんなは私を大切にしてくれない!」
とか、
「私は旦那の為にこんなに尽くしているのに、旦那は何もくれない。」
とか、
「私はそんなに食べてないのに、何故か
太る〜〜!」
という事は無いんですね。
全ての現象は、自分が発振した通りに起こっているのです。
発振したというのは、望んだという事ではありません。
意識状態がそのように在るという事です。
ですから、自分の発振を、大切に、丁寧に、自分の内側に深くアクセスして行っていかなければ、本当の自分にふさわしく無い体験をする事になります。
今日も、愛を発振して過ごしましょう!
愛の発振は、自分に大きな大きな愛の体験をプレゼントしてくれます。
ですから、出し惜しまず、与えて与えて与え尽くせば良いんですよ!!
とりあえず、旦那さんのカバンの中に、私達の大切な大切な、あんこ入りよもぎ餅を1個入れておきましょう!ホンマにしゃあなしやで(*゚▽゚)ノ
やるべき事は、めっちゃシンプルですね。
本当に、分かりやすいわ〜〜(๑˃̵ᴗ˂̵)
読んで下さってありがとうございました!
また、お会いしましょう(´∀`)
ミッションステートメントは必要か?毎年書き直している自分のミッションが「何でもいいな」と思った話
こんにちは!
サナブリ真木です!
今週限定のパン食べ放題ランチ&ディナー、ご来店いただいた方、誠にありがとうございます。
すでにちょっと疲れてきましたが(^-^;、あはは!土曜日までやっていますので、パン好きな方は、ぜひぜひご来店下さいませ!
今日は、週に1回の里の市もあります。
寒そうですが、パンとお弁当を持って行きますので良かったら遊びに来て下さ〜〜い!
里の市に売っているものって本当に美味しいですよ(*´∀`*)
皆さんのセンスはもちろんの事、素材が良いって本当にすごいなと思います。
一応ストーブがあるので、その場で食べる事も出来ますし、お持ち帰りも可能です。
皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています。
昨日は、月に1度のスタッフミーティングの日でした。
サナブリでは、スタッフ全員、自分のミッションステートメントを毎年作っています。
自分の使命や役割を明確にし、常々、意識していく事を言葉にしたものです。
これは、3年くらい前に、主人が読んで感銘を受けていたスティーブン・R・コヴィー博士のベストセラー「7つの習慣」を盗み読みして、始めた事でした。
自分のミッションステートメントを作る事の重要性が書いてあり、すぐにその気になる、おめでたい私は、全員が自分のミッションステートメントを考える事がとても重要だと思いました。
そこで、新しい年を迎える度に、新たな気持ちで、今大切にしている事を文章にして発表する事にしました。
スタッフ1人1人が、働く上で自分が大切にする事を書いていて、みんなそれぞれ違います。
私がその時、サナブリを経営する上で書いたミッションステートメントは、なんとA4のコピー用紙にギッシリ2枚になってしまい、生産者さんに対して、地域への思い、お客様に対しての考え方、スタッフのまかない(ご飯)の事まで、ものすごく熱い思いで、詳しく書いていました。
それを、毎回ミーティングで読む為に1/10くらいに短縮し、常に持ち歩いてその思いを大切にしていました。
そのくらい、すべての事にこだわりがあり、こうなりたい!と強く思ってやっていたという事です。
今、考えるとスタッフは大変だったろうなと思います。
そんなに、たくさんの強いこだわりを持っている人の下で働くなんて、自分の事ながら考えただけでもゾッとしてしまいます。
やはり、任せてるようで、結局、全く任せられていませんでした。
そして、人を信じているようで、全く信じていなかったように思います。
去年のミッションステートメントは、途中で6回くらい書き直す事になりました。
大切にしていた事がゴロゴロと抜け落ちていき、自分の使命だと思っていたものが、本当にどうでもよくなっていった年でした。
1番変わったのは、
「ミッションステートメントって本当に必要なんかな?」
と思った事です。
結局、「こうでなければならない」を探して、必死に握りしめるきっかけになるのではないか?と思ったのです。
なので、少し迷ったのですが、やっぱり今年も書く事にしました。
自分の使命だと思っているものに縛られない為にも、書いてみて、その時々で変わる事を良しとして進んでみようと思ったのです。
今、私が仕事をする上で1番大切にしている事は、
心を込めて真剣にやる
という事です。
自分に、何が出来るとか出来ないとか、人がどうとか、これをやったら損するとか、そういう不安から解放されて、ただ真剣に一生懸命やろうと思っています。
今までは、いつも私には目標がありました。
こうなったらいいな!
これが出来たら成功!
こうなる為にはこれをする!
というような、理想の形があり、やるべき事がありました。
なので、その理想の形から少しでもズレると不安になりました。
不安なのが嫌なので、何とか自分の理想の形に納めようと躍起になってコントロールしようとしていました。
ある程度までは、人間、コントロールって出来るんですね。
子供でも、自分に対しても、ある程度までは、コントロールは可能だと思います。
でも、こうなる為に!と、自分の計画通りコントロールして進んでいったとしても、多分、それ以上の事は起こらないと思うのです。
逆にゴールを決めずに、目の前の事を一生懸命やっていけば、自分の想像を遥かに超えた事が起きてくる可能性があります。
その方がワクワクするし楽しいな!と純粋に感じます。
本当に心の底から喜びを伴って生きる為には、
「自分の思い通りになりますように」と願うのをやめて、自分も人もみんなそのままを受け入れて、感謝して、本当の意味で
「ああ、これでいいんだな。」と分かる必要があるのかなと思います。
私は、自分がとことん、自分の正しさによりコントロールしようとしてみたので、 頭を打つ事が出来て良かったな〜〜と今は思います!
ちょっと、痛かったですが(^-^;
今年のミッションステートメントも、日々変わっていくかもしれませんが、変わる事を良しとして、楽しんで流されていきたいなと思います。
あまりにも、私が世間のビジネスの常識と真逆な事を言っている為、理解されない事も多く、たまに不安になりますが、そういう時は、自分のブログを読んで、
「なるほど!人がどう思うかは関係ないんやな。さすがは、なるほど!ブログやな!」
と、かなり痛い人になりながら、学んでいます。
本当のビジネスとは、自分が儲ける事では無いと思います。
全てにとっての最善を選択し、心を込めて超真剣に進んでいけば、ビジネスの為に必要としていた
アイデア、知性、判断力、実行力、持久力、包容力、人材、お金、時間、エネルギー、先見の明、などの全ての要素が自分の周りに与えられていくのではないかと私は、思っているのです。
まだ、与えられては無いので、想像ですが
(*´∀`*)
神様!ひとつ、よろしく頼みます!
今日も、自分で自分を判断せずに進みましょう!
自分がどうか?人がどうか?は神のみぞ知る領域です。
だから、ただお任せして、一生懸命進めたらいいなと思います(^-^)v
読んで下さってありがとうございました!
また、お会いしましょう!
子供の3歳の誕生日に起業した私が悩みに悩んだ仕事と子育ての両立。最終的に意外な結論が出ました。
こんにちは!サナブリ真木です!
cafe sanaburiでは、今日から1週間、パン食べ放題付きのランチと、ディナーを販売します(^-^)v
私自身が無類のパン好きの為、パンを焼くのが楽しくて仕方ありません。
毎日、工夫しながら色々なパンを焼きたいと思っています!
期間中は、サナブリでパンの販売も行いますので、お持ち帰りだけの方もぜひお立ち寄りください(´∀`)
2017年パン福袋も販売予定です!お楽しみに〜(๑˃̵ᴗ˂̵)
今日は、「こんな子育てでいいのかな?」
と、仕事にかまけて子供を放ったらかしながら、不安になっていた私が、
「これでいいんだな。」
と思えた体験を書きたいと思います。
私は娘が3歳の誕生日を迎えると同時に店を始めました。
子供を授かった時に、3歳くらいまでは、母親がしっかり側にいてあげないと子供が可愛そうだという固定観念があった為、3歳になるまでは、子育てをしながら準備をしておこうと思って起業計画を立てていたのです。
ですが、出産するまでの、14年間、コッテリと仕事しかしていなかった私は、子供が1歳になる前にはすでにもう、いてもたってもいられなくなり、子供を背負って走り回っていました。
まず、始めたのが、近くの施設を管理する仕事です。
その場所で、自然育児サークルを始め、マクロビのスイーツを毎週3品作り自然派のお菓子の研究を始めました。
そして、自然食品店はらぺこあおむしの手伝い、レシピを書いたり、ポップを書いたり、お弁当を作ったり、マクロビスイーツを作ったりと、娘を担いで働いていました。
そして、サナブリオープンに向けて約2年間の準備期間には、仕事と並行して
人気のカフェを巡り分析する
オリジナルメニューを考える
物件や厨房機器を探す
などの他に、
ファン獲得とメニュー開発の為に月1回、知人、友人を集めての模擬カフェを開いたり、
やなせ宿で、1dayシェフをしたり
試食会を開いてアンケートを取ったりということも行いました。
子供が寝ると、店用のおしぼりや座布団を縫い始め、手作りのコースターなどは、1年半前にはすでに60枚出来上がっていました。
(そんなにいらんのに!)
沢山の経験者の方から、
「準備は本当に大変だから、オープン日程はガチガチに決めずに、ほぼ揃ったところで始めた方がいい」
と言われていた私ですが、逆に自分との約束を守れなければビジネスなど絶対に出来ないと思い込み、子供の3歳の誕生日という開業日をどんなことがあっても守ってやる!と最後の3日くらいはほぼ徹夜でオープンにこぎつけました。
その時点で主人は、10キロくらい痩せていて、かなり顔色が悪くなっていました。
不思議な事に私は、全く痩せませんでした:(;゙゚'ω゚'):
「起業するからには、私には責任がある。絶対に自分を甘やかしてはいけない」と強く信じていたので、主人にも、頑張れ!頼むよ!と、自分は太りながら、優しい激痩せ主人に私と同じスタンスを求め続けていたのでした。
そんな私が、とうとうお店をオープンさせると、主人に細々やってもらおうと思っていた夜の営業の人手が足りず、丸々4ヶ月に渡り、保育園から帰ってくる子供を母に預けて、朝から晩まで働く事になっていました。
ある日、娘の晴乃が熱を出しました。夜の9:00頃、実家に迎えに行った時、晴乃がうなされながら私の顔を見て涙を浮かべ、
「お母ちゃん、早くおうちに帰ろう。」
と言いました。
それを見て、私は涙が溢れてきました。
「ごめんな。ハル。一緒に帰ろうな!」と言いながら、こんなに小さい子を放ったらかして、一体私は何をしているんだろう?と頭をブン殴られたような気持ちになりました。
それからは、スタッフを増やし、子供と過ごす時間と仕事のバランスを考え、出来る範囲の量に仕事を減らしていきました。
それでも、やはり、基本的に焦っていた私は、事あるごとに、頑張りすぎてしまい、気がついたら仕事、要するに自分事に夢中になってしまうのでした。
私は、子供の頃から小さい子供が大好きで、可愛くて可愛くて、将来子供を産んで、お母さんになるのが楽しみで仕方ありませんでした。
子供がこんなに好きで、マネジメントや教育の仕事を長くやってきたんだから、きっと良いお母さんになれるはず!と心のどこかで思っていたんだと思います。
それなのに、いざ子供を育ててみると、基本的に、全く子供の周りを回る事が出来ないのです。
気が付いたら、子供に我慢させたり、子供の言いなりになったり、甘やかしたりして、何とかして自分の仕事をしようとしているのでした。
私はだんだん、罪悪感を募らせていきました。
「こんなんで、大丈夫かな?世の中のお母さんみたいに、ずっと子供の事だけ考えていられたらいいのにな。こんな母親で申し訳ないな。ごめんな。子供達。」
と子供に引け目を感じるようになっていくにつれ、すぐにお菓子やオモチャを与えるようになっていきました。
そして、また自分を責めるという悪循環の出来上がりです。
私が、この苦しい悪循環から解放された、1番のきっかけは、
こうしたらダメ!
こうでなければならない!
というルールを作っているのは、自分自身である
という事を知った事でした。
それは、テレビにもよく出ている心理カウンセラーの心屋仁之助氏の著書
「好きな事だけして生きていく」を読んでいた時に、ズドーンと腹に落ちてきた事でした。
自分自身に課しているルールが多いと、守りきれなくなってしまうのですね。
私には、勿論、仕事が楽しいという思いもありましたが、
自分の価値を証明しなければならない!
経営者としてこうでなければならない!
母親とはこうでなければならない!
夫婦とはこうでなければならない!
がありすぎて、すごく頑張る羽目になっていたのです。
ですから、まずその頑張らなければならない理由を掘り下げに掘り下げて、更に掘り下げてみました。
すると、結局、
「ありのままでは価値がない気がする」
という所に辿り着きました。
そして、無理やり
「そのままで最高!」と思い込むことに決めました。
その結果、多くの事に気付き始めたのです。
そして、今まで経験した事は、私にとって必要だったなと確信するに至りました。
父が私に、男の子だったら良かったと言った事
母が天然ながらも、天に任せて生きている事
主人の顔色を悪くしてしまった事
子供の周りを回れなかった事
全てが、私にとってはかけがえのない体験で、それをしなければ、「私は大丈夫だ」と絶対に分からなかったと思うのです。
私の役割として、「仕事をする」というプログラムが細胞に組み込まれているのです。
だから、私は自分のプログラムを使って役割を果たしていけばいいという事です。
ですから、皆さんはどう思うか分かりませんが、私は、子供達も、私という母親にほったらかされたり、淋しい思いをさせられたり、甘やかされたりする体験が必要なんだと思っています。
全ての人が、必要な体験をし、必要な事を学ぶ為に生きています。
その体験の内容は、100人いたら100人とも全く違いますし、私達が理解できるほどシンプルな話では無いのです。
分からないのですから仕方ありません。
自分の価値観で自分を縛らず、安心して、お任せして、自分が喜んで出来る子育てをすればいいのだと思います。
昔、正しいとされていた事も、時代が変われば、全く変わってしまいます。
もしかしたら、今やっている悪い事は、10年後には、良いことに変わっているかもしれません。そのくらい、良い悪いとは、あやふやなものなのです。
ですから、自分の正誤の判断で、自分を縛らない事、責めない事が大切だと思います。
何が起きても、全ては必要な事ですから、安心していていいということです。
そうしていると、不思議なもので、前より子供と過ごす時間が楽しくなりましたし、子供に自信を持って
「お母さんは忙しいんや!!アカンもんはアカン!!」
と言えるようになってきたような気がします。
今日も、心から安心して過ごしましょう!
全ての事は、実はコントロール済みなんですね。
だから、自分次第で、最高にも、最低にもなると思わずに、「絶対に最高にしかならないんだな!」
と信じて、肩の力を抜きましょう!
子供は、神様が育ててくれるんですね(๑˃̵ᴗ˂̵)
本当にありがたい!
とりあえず、
「神さま〜〜!子供をお守りください!なるべく、勉強が出来て、足が速くて、片付けられて、お母さん思いで、後でグレない程度の軽めの反抗期の子で、ひとつよろしく頼んます〜。」と言っておきましょう。
今日も皆様にとって、素敵な1日となりますように!
読んでくださってありがとうございました(๑˃̵ᴗ˂̵)
また、お会いしましょう!
誰かに責められたり、分かってもらえなかったらどうしますか?私が辿り着いた問題自体が無くなる方法
こんにちは!
サナブリ真木です!
あっという間にもうバレンタインシーズンですね(*^▽^*)
子供の頃からお菓子作りが大好きだった私は、毎年チョコレートを手作りするのをすごく楽しみにしていました。
とにかく誰かにプレゼントして喜んでもらうのが嬉しくてたまらなかったんですね。
いつの時代も、大切な人に、超力作をプレゼントするのは、ワクワクするものです。
サナブリでは、そんな心の込もった手作りを応援すべく、 バレンタイン料理教室を企画しました!
彼やご主人、子供さんが喜ぶ、とっておきのお料理と、本格派のチョコレートケーキのレッスンです!
ご希望の方は、お早めにご予約下さいませ(๑˃̵ᴗ˂̵)
さて今日は、私達が日々生活する中で、問題に直面した時にどのように対処すれば良いのか?について書きたいと思います。
特に、私達が抱える悩みの圧倒的大多数は対人関係の悩みと言われています。
お金がない
自信が無い
仕事が無い
夢が無い
などの自分に対する悩みも、何故それが悩みなのか?と紐解いていくと、最終的には、
「愛されない不安」
にたどり着く場合がとても多いのです。
そして、この
「愛されない不安」
を作り出しているのは、もちろん、
自分自身の不足の幻想
なのですが、この
不足の幻想が対人関係の悩みとして現れる事が多いということです。
例えば
子供が言う事を聞かない
旦那さん、奥さんと心が通じない
お姑さんが分かってくれない
ママ友との関係が疲れる
部下が受け身で成長してくれない
上司が裏表があり尊敬出来ない
同僚と馬が合わない
不機嫌な人が周りにいる
などなど、私達の頭は毎日、何かしら人に対して判断し、不満をもってしまいます。
もっとこうしてくれたらいいのに!
と、人に対して求めてしまうのです。
でも、頭のどこかでは、結局は自分次第だと分かっているので、うまくいかない事が続けば、最終的には自分を責めてしまいます。
では、問題に対して、私達はどのように対峙すれば良いのでしょうか?
例えば、人に責められたり、攻撃された時、どのような在り方をすればいいのでしょうか?
例えば、どれだけ一生懸命説明しても、伝わらなかった時、分かってもらえなかった時、どのような在り方をすればいいのでしょうか?
私はこれまでずっと、その答えが知りたかったように思うのです。
これまでの、私の価値観からくる正しい在り方はこうでした。
誰かにに責められたら、その人が納得するまで話を聞いて、しっかり受け止める。その人が安心出来るまで聞いて受け入れてるよと表現する。
聖書の中の
「右の頬を打たれたら左の頬を出せ。」
という言葉が、ずっと頭にありましたので、
例えば「ガサツなのを何とかして欲しい」
と言われたら
「ガサツな上に太っているのも問題だよね?」
とわざわざ、自分の痛い所を差し出していました。
(今考えると、バカじゃないだろうか?:(;゙゚'ω゚'):と思いますが)
誰かに自分の思いが伝わらなかったら、相手の立場に立って考え、相手の為に伝え方を工夫し、誠心誠意、何度でもあきらめずにチャレンジして伝える。
弱った振りをしてみたり、褒めまくりながら言ってみたり、途中から、劇場型になっていました。
(ドンマイ!真木!)
私は、このようにして一生懸命、問題と向き合ってきました。
ですが、どれだけ誠心誠意、頑張った所で、問題が好転するという兆しは見えませんでした。
それどころか、自分の気持ちを無理に抑える必要が出てきて、正しくある為に色々と我慢する羽目になりました。
我慢していると、だんだん責めてくる人や、分かってくれない人に腹が立ってきました。
そして最終的には、自分を責め、人も責めるようになっていきました。
そんな私が、本当の意味でどう在ればいいのかを学ぶ機会を与えられました。
その答えとは、
愛そのもので在れば良い
という事です。
具体的に言うと、責めてくる人、コントロールしようとしてくる人と対峙した時、
戦うのではなく、
制圧するのでも無く、
逃げるのでも無く、
負けた振りをするのでも無く、
無視するのでも無く
その人の全てを、そのまま抱きしめるということです。
自分の愛で、すべてを包みこむという事です。
相手を判断しないという事です。
ただ、その人の本質に目を向け、超真剣に中心から関わるという事です。
これは、相手の意見や価値観を受け入れるのとは、全く違う話なのです。
何が違うかと言うと、視点が違います。
今までの私は、その人のほんの一部を、私のフィルターという小さな穴を通して見て判断し、受け入れようとしといたのです。
ですが、人それぞれ、持って産まれた性分、環境、価値観、性別、年齢、親、すべてにおいて全く違うのです。
要するに受け入れようとしても、分かるわけがないのです。
判断した上で、受け入れる事自体に無理があるという事なのです。
ですが、自分が握っているものを手放して、ニュートラルな状態になれば、その人の本質が見えるようになります。
本質とは、本当は何を考えているか?という話ではありません。
その人の存在そのものがただただ素晴らしいという事です。
それが分かれば、ただただ必要な事が起こっているのだと分かるようになるのです。
ですから、責められたとしても、何の問題もない事が分かります。
そうして、自分が愛そのもので、大地に根を張って真っ直ぐに立つことだけを考えていれば、いつの間にか誰も、責めてくる人などいなくなっていきます。
もちろん、人に自分の思いを分かって貰う必要も、全くない事に気付かされます。
その次元に自分がいかない限り、問題は無くならないのだという事を学んだ私は、日々、愛そのものになること、真っ直ぐに立てるようになることを目指して過ごしています。
面白い事に、私の名前は、真木といいます。
聖書の中の
「私は真ことのぶどうの木。私の父は農夫である。」
という言葉から命名されました。
「真っ直ぐな木」とも読めるため、私は太くて、真っ直ぐな木を見ると、子供の頃からとても気になっていました。
今考えると、私は太くて、真っ直ぐな木になる為に生きてきたのではないかと思うのです。
自分の周りに起こる問題は、自分に何かを教える為に起こっています。
その何かとは、常に「在り方」です。
私達は、常に在り方を問われてるのです。
どう在ろうが自由ですし、自分が選んだ在り方の通りの人生が展開されていきます。
どういう在り方を選んだとしても、正しい、間違っているという事は無いそうです。
ですから私は
人がどうであっても、
「愛に溢れた人生を生きたい!」
と思うので、愛そのものという在り方を選択しようと頑張っているのです。
不安を手放すという事は、怖いものが無くなるという事です。
とても清々しく、喜びが溢れているという事です。
この喜びを持って、自分の役割を全うして生きたいと思います。
私がこれまで、多くの事を気付かせていただくきっかけになった「宇宙の真理」を学ぶ勉強会が今年も行われます。
私自身、エゴを握りしめている時は、ちんぷんかんぷんで、とても怪しく感じた勉強会ですが、(すみません汗)今は、本当にこの宇宙の真理と先生方との出会いとご縁に言葉では表せない感謝でいっぱいです。
学べば学ぶほど、揺るがなくなり、氣太くなり、自分の本質とつながっていきました。
もし興味をお持ちの方がおられましたら、青山のハーモニーフォレストと武道館交流館イキイキなどでやっているので、ぜひ参加してみてください!
私も最初は、よく分からなかったのですが、この勉強会に興味を持つということは、天命を生きる準備が整ってきているという事のようです。
参加されている方、皆さんが日に日に輝いていくのが、とても感動的です。
*宗教ではありません。
*天命を生きたい方が集まって真理を学び交流する場となっています。
*瞑想なども取り入れています。
今日も、この混沌とした世の中の光になる事を目指して、大地にしっかりと根を張りたいと思います。
皆様にとって、今日という日が輝きと喜びに溢れている事を願っています。
読んでくださってありがとうございました!!
また、お会いしましょう(^-^)v
リラックスすると見えてくる本当の事
こんにちは!
サナブリ真木です(´∀`)
お正月休みって何であんなに食べてしまうんでしょうね!?
今年も、実家、親戚、友人の家とまわって来た為、とにかく食べて食べて食べまくるお正月でした。
私は今まで、毎年毎年お正月休みが終わると、とにかく身体が重く、動く事が面倒臭くなり、ダラダラ過ごしてしまう自分の事がいつもの10倍嫌いになっては、
「今年こそ絶対に変わりたい!!」
と悲壮な決意を固めていたのでした。
面白い事に、ここ10年を振り返っても、毎年、1月末から3月まではダイエットをしていました。
太っている事を確信するだけで、何も変わりませんでしたがಠ_ಠ
今年は、コントロールしない事を覚え、
「何がどうあっても幸せ」
という感覚があったので、深く考えずに安心していたんですが、、、。
意外にも例年通り食べ過ぎてしまい、食べ過ぎると苦しくてゴロゴロしてしまい、気が付いたらいつもの自分のパターンに戻りかけていて、やや焦ったお正月休みでした(;ω;)
今日は、そんな私が、日々感じている
「リラックスする事の大切さ」
について書きたいと思います。
私達は、普段の生活の中で緊張を強いられる事が多々あります。
お客様や上司から評価を貰う時。
人から注意されたり、怒られる時。
初対面の人と話す時。
試験や面接を受ける時や、結果を聞く時。
告白する時や、返事を聞く時。
体重計にのる時や、自分のお腹まわりを見る時。
生きていると、冷や汗がタラリとたれるような、不安な瞬間がたくさんあります。
私は今まで、この不安な瞬間を乗り越えるため、しっかり見過ぎないように、半分目を瞑りながらも、気持ちを強く持って、しっかり向き合うぞ!と頑張っていました。
全ては、修行なので受け入れようと思いながらも、傷付くのがやっぱり怖かったので、謙虚な態度を装いつつも、心にナイフを隠し持っているという感じでした。
そういう風に物事に対峙していくと、本当に肩に力が入ります。
いつでも臨戦態勢といいますか、
「いつでもやったんぞ!オラ!」というように、相手に対しても、自分のお腹に対しても、やや威嚇しながら、周りの人を牽制し、人や自分の言動を見張っていたように思うのです。
その時には分からなかったのですが、肩の力が抜けてくると、如何にリラックスが大切かが分かります。
よく、「深呼吸が大切」という話を聞きますがが、緊張して肩に力が入っていると、自分の持てる力を本当に半分も発揮出来ないんですね。
そして、何よりも緊張している時というのは、不安に支配されています。
ですから、肩に力が入るのです。
そのままの自分に不安があると、より良く見せようと背伸びしたり、そのままの自分がバレないように取り繕ったりする事にエネルギーを使う必要が出てきます。
特に、人にどう思われるかを気にしている時というのは、すごく肩が凝ります。
この、ガチガチの状態で、
自分とは何者なのか?
何をすれば力が発揮出来るのか?
どうすれば、夢が叶うのか?
といくら考えた所で本当の事は、見えて来ないのだと思います。
でも、その時は本人は、至って真剣な為、周りでヘラヘラしている人がいると、腹が立ちます。
「あの人、私がこんなに一生懸命なのに、何も考えてない!何で、あんなに足りない所だらけなのに、笑ってられるんだろう?もっと努力したらいいのに!!世の中間違ってる!」
というように、常に自分に緊張を強いている人は、ヘラヘラしている人に腹を立てます。
ですが、よく考えてみると、このヘラヘラしている人の心の持ち方こそ、注目すべきだと思うのです。
このヘラヘラしながら、力まずフニャフニャしている人は、自分を良く見せよう!と肩に力が入っていないという事です。
(もちろん、リラックスしているけど、ヘラヘラしていない人も沢山いますが!)
今、この瞬間、人にどう思われようが私は大丈夫であると、分からない限り、本当の意味でリラックスする事など出来ません。
リラックスして生きるというのは、
家に帰って、
上下ジャージに着替え、
コンタクトを取って、
化粧を落とし、
せんべいを抱えてコタツに入った時に
起こってくるような、本当に安心しきった心の状態で生きるということではないでしょうか?
無防備で、さらけ出して、そのままの自分で、力を抜いて生きるという事です。
自分の固定観念を手放して、何も握らず、心からリラックスした時に、初めて人は潜在意識の更に下にある、普遍意識とつながる事ができます。
その時に初めて、自分がこだわっていた「自分」とは、過去の体験から来る固定観念が作り上げた、制限だらけの小さな小さな箱に入れた妄想のようなものだったのだと分かるのだと思います。
私は色々手放して、リラックスして、その事に気付けたので、
降参して、
お任せして、
肩の力を抜いて、
自分の役割にのみ、真剣に生きていたらいいんだな
と分かったんだと思うのです。
今日も、思いっきりリラックスして過ごしましょう!
リラックスしている人の周りにいる人は、自然と力が抜けてきます。
これは、とても幸せな事だと思います。
丸腰で生きるとは、武器を持たずに力を抜いて生きる事では無いでしょうか?
そして、意外にもリラックスしながらにして、超真剣は可能だと思います。
むしろ、リラックスしてパワフルこそ、本当の私達のイノチのカタチなのではないでしょうか?
丸腰で、さらけ出して、ニコニコしている人を、本気で攻撃してくる人なんて、実はあんまりいないんですね。
むしろ、緊張していた方が、攻撃されます。
何故なら、「攻撃される!」と思っているからです。
意識にある事は、必ずそのようになります。
攻撃されても、攻撃された!と思わない事ですね!
そして、戦わない事です。
ヘラヘラして、気付かないか、もしくは負けておけばいいんですね!
本当に、力むと何事もうまく行かないんだなと痛感する毎日です(๑˃̵ᴗ˂̵)
今日も、ジャージに着替えて、コタツでせんべいを食べましょう!
読んで下さってありがとうございました〜〜!
また、お会いしましょう(*´∀`*)
私達はドーパミンを出す為に行動している?脳内ホルモンという切り口から生きるという事を考えました!
明けましておめでとうございます!
サナブリ真木です(´∀`)
皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします!
サナブリは、明日6日から、新年営業をスタートします。
お正月のご馳走で疲れた胃腸に優しいランチ、ディナーをお作りして、皆様のご来店をお待ちしております(๑˃̵ᴗ˂̵)
16日からは、サナブリ初の
「自家製パン食べ放題付きのランチ」
も行う予定です!!
皆様にお会い出来るのを、スタッフ一同楽しみにしております!
さて、新年明けまして一発目の投稿であります今日は、人間が生きていく上で大きな役割をしている
脳内ホルモンの働きという切り口から
「喜んで生きる」
ということについて書いてみたいと思います。
私達は、努力して目標を達成したり、褒められたりすると、
ドーパミン(別名、快感ホルモン)が分泌されます。
このドーパミンは、やる気を起こしたり、努力したりするのに必要不可欠なホルモンですが、この快感が生きている実感を伴う為、人間はドーパミンを出す為に一生懸命、行動していると言ってもいいかもしれません。
努力してご褒美が得られれば良いのですが、なかなか結果が伴わないと、私達は大きなストレスを抱えます。
このストレスが高じると、より安易な方法でドーパミンを出そうとします。
それが、やめられない止まらない、
お酒、タバコ、ギャンブル、薬物、買い物、カフェイン、恋愛、ゲーム、スマホ、糖質、かっぱえびせん、などなどです。
そうです。世の中に溢れている、私達が依存しやすいものたちです。
これらは、努力してご褒美を貰わなくても、私達の脳内に、ドーパミンを分泌してくれます。
ですから私達は、
「分かっちゃいるけどやめられない!」
という様々な、依存症を抱えることになるのです。
私の場合は、努力して報酬を貰う事を必死に追いかけていましたが、うまくいかなくなると、「食べ物」特に「甘い物」や「カフェイン」に依存していきました。
また、ギャンブル的にドキドキする事が大好きで、常に熱〜くなれる事を探していました。
「勝ち負けのドキドキ」は最高に興奮する為、負けてもいいからチャレンジしたい!と今考えると、完全にドーパミンを出す為に、目をギラギラさせていました。
そして、私達の脳内には、もう1つ、
ノルアドレナリンという、自分自身を危険から守ろうとする(別名、怒りのホルモン)が分泌されています。
ノルアドレナリンは、主にストレスに反応して分泌される物質で、ストレスに対して怒りや恐怖、不安などの感情の反応を示します。
脳を覚醒させ、集中力や判断力を高めますが、一方で興奮作用があるため、分泌されると怒りっぽく、イライラしやすくなったり、躁状態になりやすくなります。
そして、この2つのホルモンのバランスを保つ役割をしているのが、セロトニン(別名、幸福ホルモン)です。
セロトニンが不足すると、ドーパミンやノルアドレナリンの分泌をコントロール出来なくなり、不眠や鬱を引き起こすと言われているのです。
私は、今考えると、ドーパミンを分泌させ、快感を得る為に、
「成長したい!役に立ちたい!正しくありたい!勝ちたい!」
という意欲がみなぎっていたのだなと思うのです。
そして、夏休みなどの休暇は、ディズニーランドに行ったり、高級ホテルに泊まったり、美味しい物を食べたりする事で、ドーパミンをもっと出そうとしていたんだと思います。
とにかく、刺激が欲しくてたまらなかったのです。
もちろん、
「ドーパミンを出す事は悪い事」
いう話ではありません。
私が自分に制限をかけていた時は、快感を得る方法がそれしか思いつかなかったということです。
ですが、だんだんと自分が握り締めていた固定観念を手放し、自由で身軽になってみると、今まで欲しくて欲しくてたまらなかった、「報酬や刺激」がそんなに必要に感じなくなってきたのです。
もちろん、褒めらたら嬉しいし、美味しい物を食べたら幸せです。
ですが、料理を作っていたり、子供と話ていたり、空に虹がかかっているのを見たりしても、すごく幸せな気持ちになるのです。
要するに、日々ず〜っと嬉しい気持ちが続いているということです。
すると、不思議なもので無性に欲しいというものが無くなります。
そして、「まぁ、何でもいいな」という気持ちになってくるんですね。
これこそが、コントロールしようとしない事を可能にしてくれます。
私の脳内では、以前に比べて、沢山セロトニンが分泌されているんだなと感じる今日この頃なのです。
私達が生きる今のこの世の中は、本当に雑音だらけです。
普通に暮らしていたら、いつの間にかとても不安になっていきます。
少しも損しないように、
少しも自分の価値が失われないように、
少しも軽く扱われないように、
ものすごいエネルギーを消耗する事になっていきます。
ノルアドレナリンが過剰に分泌され、日々すり減ってくると、生きている実感を得る為に、知らず知らずのうちにドーパミンが分泌される行動を必死で探してしまいます。
時には、ドーパミンを出す為の行動が、顕在意識ではコントロール出来なくなり、周りの人まで巻き込んでとても不幸にしてしまう、深刻な依存症を引き起こしてしまいます。
ですから、私達はしっかり地面に足を付けて不安から解放されていかなければならないと思うのです。
私達の行動や言動の源を不安から愛に変え、今に生きて、この瞬間を楽しんでいかなければと思うのです。
そして、これからの時代を生きる子供達に
「こう生きれば良いのだよ!」
としっかりと喜んで生きる背中を見せていかなければならないと思うのです。
沢山、自分に不安を感じて努力したその後は、今のままでも十分に足りているのだと気付いていく。そして、目の前に幸せはあるのだと確信して、喜んで生きる。
それが、未来にバトンをつなぐという事ではないでしょうか?
2017年、私は脳内ホルモンに振り回されず、日々の幸せを噛み締めて一歩一歩、歩いて行きてたいと思います!
皆様どうぞ、今年もよろしくお願いいたします!
今日が、皆様にとって喜びに溢れた1日になりますように(´∀`)
読んで下さってありがとうございました!
また、お会いしましょう!
2016年を振り返って感じた喜びを持って働くということ
こんにちは!サナブリ真木です!
いよいよ、今年も今日で最後になりました〜!
サナブリは、昨日の15:00に閉店し、大掃除をしてから忘年会をしました。
毎年、大掃除の時に思うのですが、サナブリのスタッフは、本当に真面目です。
むちゃくちゃ寒い中、外の担当の人も、誰1人手を抜く事なく、本当に真剣に掃除をしてくれます。
私は、昔から片付けや掃除が苦手で、アルバイト先での大掃除など、
「早く終わらないかな〜〜」
と思いながら、適当にやっていたような気がします。
今の若者のこの真面目さを目の当たりにすると、
「これからの日本も捨てたもんじゃないんじゃない??(^∇^)」
と、嬉しい気持ちになっております!
(すみません!偉そうに)
昨日で、3年8ヶ月働いてくれた若ちゃんが、1月出産の為、産休に入りました。
昨日は、大きなお腹で、隅々まで、ダイナミックに掃除をしてくれました。
本当にキャパの広いスーパーガール若ちゃん、長い間、お疲れ様でした!
まずは、ゆっくりして元気な赤ちゃんを産んでくださいね!
今日は、今年1年を振り返って私が感じた、
喜びを持って働くという事について書きたいと思います。
何かをする上で、
人や自分の気持ちなど、どうでもいいということなど、ひとつも無いと思います。
働いてもらうにしても、
買ってもらうにしても、
買わせてもらうにしても、
人が関わる時、必ず人の気持ちが関わってきます。
目の前の結果だけに注目すれば、人の気持ちを置き去りにする事が手っ取り早く見える事もあるかもしれません。
やはりそういう源の行動は、後から大きな付けを払うことになり、最終的には、とんでもなく遠まわりをする事になります。
ですから、
何をするにしても、本質的でなければならないし、
本当の意味での喜びにつながっていなければうまくいかない
という事を私は今年学びました。
私はずっと
「ビジネスはWINWINでなくっちゃね!」
と信じてきました。
(買う人も買われる人もどちらも勝ちという意味)
ですが、今は本当は、勝ち負けでは無いのだと思っています。
今は、
「ビジネスはJOYJOYでなくっちゃね!」
と思っています。
与える方も与えられる方も、最高の喜びが溢れている状態
を目指していきたいと思っているのです。
何故ならば、
本質的な仕事というのは、生き方そのもの
だからです。
ここに、勝ち負けの考え方を持ち込めば、必ずうまくいかない事が出てきます。
勝っているうちはいいかもしれませんが、人間ずっと勝ち続けるためには、大きな犠牲を払う必要があります。
多くの悩みや迷いは、知らないうちに私達に染み込んでいる、勝ち負けや優劣で捉える価値観から起こってきていると思うのです。
私達は自分の価値観からやってくる
勝っている負けている、
優れている劣っている、
良い悪い、
正しい間違っている、
という物差しを持っています。
その物差しで、物事を判断していると、必ず人に対しても自分に対しても
勝っている
優れている
良い
正しい
という判断をする事になります。
そして、時には
負けている
劣っている
悪い
間違っている
と判断し、人や自分を責めたり、裁いたりする事になります。
この、自分の物差しを握りしめている間は、どれだけ、
そのままの自分を受け入れよう!
ありのままのあの人を受け入れよう!
と思ってみても、どうしても、絶対に出来ないのです。
何故ならば!
そのままの、ありのままのその人が見えていないからです。
物差しを握りしめている間は、物差しを反映したサングラスをかけています。
私達の価値観をそのままの反映させた、超高性能グラサンです。
全てが、その価値観という、フィルターを通して、あたかもノンフィクションです!と言わんばかりの編集を加えたフィクションが私達の中に入ってきます。
それを見て私達は、
「やっぱりね!私の思った通りだわ!」
と確信を深めているのです。
そりゃそうです。
自分の価値観で編集しちゃってるんですから!
私の場合は、
超ポジティブ&正義って大事やん?という色のついたグラサンをかけていたものですから、何でもかんでも前向きに編集し、正しくないと思われる人(私から見ての悪者)を裁きまくってきました。
ですから、本質的なビジネスをしようと思ったら、まずは、自分の価値観を手放さなければならないのだと理解した時には、本当に驚きました。
現象を見た時に、ありのままが見え、全くニュートラルな状態で受け取る事が出来るようになった時に初めて
ありのままの自分
ありのまのあの人
を受け入れられるようになるんですね。
すると、無理に変えなければならない人など、1人もいないのだという事が分かります。
誰を見てもとても素晴らしく見えてきます。
人それぞれ、その時に必要な体験をしているわけですから、周りの人に変わって貰わなければ自分が困るというのは、おかしな話なのです。
もちろん、教えるべき人はいます。
ですが、誠心誠意、自分が教えた事を相手が出来なかったとしても、
無性に腹が立ったり、
期待して損したとガッカリしたり、
問題だ!と熱くなったり
するのはやはりおかしいのです。
「その人が変わらなくて困るのは誰か?」
その答えが「自分」であるうちは、問題は自分の中にあるという事です。
目の前で起きている事や人に真剣に向き合いながらも、
人ががどうであっても、
自分は困らないという事こそ、
すべてのありのままを受け入れるという事
だと私は思います。
ですから、今年1年かけて学んだ、
自分がどう在るかに集中し、
人や物事を自分の価値観で判断せず、
ありのままの物事、人の本質をそのまま見た上で判断せずに、純粋な喜びに従って生きる
これを大切に、来年も進んでいきたいなと思います。
今年も大変多くの方にお世話になりました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです!
ご利用、ご来店くださったお客様
料理教室に来てくださった生徒さん
美味しい食材を届けてくださった生産者のみなさま
ご近所の方々、大家さん
里の市の皆様
スタッフ
友人
家族
皆様、本当に、ありがとうございました(´∀`)
来年もどうぞよろしくお願いいたします!
来年は、もっともっとパワフルに、楽しんで活動したいと思います!
良いお年をお迎え下さい(๑˃̵ᴗ˂̵)
また、お会いしましょう!