サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

アチャー!しもたー!ばかり言っていた私が覚えた、スムーズに物事と関わる方法

こんにちは!

サナブリ真木です。

今週水曜日の里の市は、企画が盛りだくさんです!

バレンタイン直前という事で、わたくし、オーガニックナッツをたっぷりのせた木の葉のチョコレートを作るワークショップをします。

 

すごく簡単ですが、素材の良さを楽しんでいただけたらと思っていますので、ぜひ、皆様参加してください(๑˃̵ᴗ˂̵)お子様連れも大歓迎です!

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 そして、今回、特に皆様にお知らしたいのが、

「しゃべるの時間」にお呼びしました、

宮崎えいき君(32歳)の事です。

 

宮崎君は、自分の難病体験などから、安全な食べ物や、環境への関心を持ち、気付い人の責任で誰かがやらねばと、政治活動をしています。

 

この前、里の市で話した時に、彼はこのように言っていました。

 

「僕がやるのでは無く、みんなの代表として、僕が役割をいただいたんだと思っています。僕は、結婚もしていませんし、子供もいません。だから身軽に動ける今、問題に気付いた人の責任を全うしていきたいと思います。」

 

宮崎君は、毎週里の市に来て、出店者さん1人1人と、話をしながら何かしら1つずつ買ってくれています。

 

買うという行動を通して、未来を考える出店者や生産者さんに清き一票を投じてくれているのだと感じます。

 

私は、若くて、未経験ながら、私達の代表として、本気で地域の為に考え、動こうとしている宮崎君を心から応援したいと思っています。

 

時間のある方は、ぜひ、宮崎君の話を聞きに来てください!

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8日は、根っこさんのライブもあります。

心震える大地と人をつなぐ根っこの音楽です。

寒いとは思いますが、ぜひ里の市に遊びに来てください!お待ちしております(´∀`)

 

 

 

今日は、私が最近になって、やっと分かってきた、仕事や家事や勉強などを、本当の意味でスムーズに行う方法について書きたいと思います。

 

私は、子供の頃からエネルギーが有り余っていて、ほとんどの時間をパワフルに過ごしてきました。

 

そのせいなのか、とにかく物を落としたり、こぼしたり、頭を打ったり、躓いたり、ドアに挟まったりする事が多く、不注意極まりない行動で、「アチャー!」を繰り返してきました。

 

小学校の時に、ランドセルを開けたら、大きなお皿が飛び出して来て、ものすごく恥ずかしかった事は、今でも忘れられません。

 

(どれだけ焦ったら、間違えるのか?これはもう、完全に、不注意の領域を超えていますが(・・;))

 

ですから、何においても早く出来るのですが、こぼしたものを片付けたり、頭にコブが出来たりと、終わった後に、なんだか自分が嫌になっちゃうような感覚があり、スッと終わらせるという事がなかなか出来ませんでした。

 

何事もスムーズな人と、私のようなドジな人は、何が違うのか?

 

私は今まで、

「私ってはそういうタイプやん?」と自分を納得させてきたのです。

 

ですが、ドジの本当の理由が、分かりました。

 

それは、私が

頭で考えた事と、身体の感覚が一体になっておらず、身体の中心から動けていなかったから

 

でした。

 

私達人間は、

手を動かそうと考えて手を動かし、

足を動かそうと考えて足を動かし、

このように話そうと考えて口で言葉を話します。

 

そして、脳を頼りすぎていると、身体の感覚が置き去りになってしまい、手だけで物を取ろうとしたり、足だけで歩こうとしたり、口だけで話そうとしたりしてしまうのです。

 

私も始めは、何の事だかさっぱり分からなかったのですが、人間にも物にも中心があるそうです。

 

人間でいうと、おヘソの下の奥の方にある、丹田というやつです。

 

その中心から、全てのものに関わる事の大切さを1年前に教えていただき、それ以来私は、日々、中心から!中心から!と自分に言い聞かせて過ごしてきました。

 

手で物を取るのではなく、中心からのエネルギーが手を動かし、物を取るというイメージです。

歩く時も、中心から!

本を読む時も中心から!

勉強する時も中心から!

そして、子供に何かを教える時も、中心から!中心を子供に向けて!と意識してきました。

 

すると、だんだん自分の動きに安定感が出てきました。

 

ワチャワチャ、ガヤガヤ、ドタバタやっていたのが、だんだん、静かになってきました。

 

そして、不思議なもので、言いたい事が伝わるようになってきました。

自分が言った事で、

「そうじゃないんです!そういう意味じゃないんです!」

という勘違いをさせる事も減ってきました。

 

ぶつかったり、怪我をしたりする事も減ってきました。

 

何よりも、気の流れのようなものを感じられるようになってきました。

 

感覚が研ぎ澄まされてきたように思うのです。

 

言葉で説明するのは、難しいんですが、私達は、とても脳に頼って暮らしています。

 

頭が思考で埋め尽くされ、いつも、自分を守る為に、脳からの命令に従って、急いだり、頑張ったりしています。

 

ですが、

本当に必要な行動や言葉を紡ぎ出す時、私達は、脳や、感覚や、気の流れと一体になる必要があるのです。

 

この感覚と一体になる為には、頭が静かである必要があるわけです。

 

ですから、私はとんでもなく、うるさかった思考を静める為に、自分の価値観を手放し、判断するのをやめて、

「ただそのように、中心から関わる」

という事を意識してきました。

 

今、私は、口先や小手先では、何事もうまくいかないのだという事を、体験を持って実感しているところなのです。

 

私達は、気がついたら、いつの間にか、すごく頑張っています。

人によっては、頑張らない事を頑張っている人もいるでしょう。

 

何故か、自分には価値が無いのではないか?という不安が漠然とつきまとい、

 

受け入れられるように

認めらるように

 

こうしなければ!ああしなければ!

と呼吸をし、行動し、言葉を発します。

 

その源が不安であると、脳からの命令に焦って対応してしまうのです。

 

頭を静かにし、自分の中心を感じてみる

静かに静まり返った内側から浮かび上がってくる感覚の方を信じてみる

気の流れに意識を向けてみる

 

こういった、目に見えないものこそが、私達にとって、とても大切な、次にどうすれば良いのかを教えてくれるのでは無いでしょうか?

 

今日も、頭を静かにし、丁寧に、全ての事に中心から関わっていきましょう。

 

ペンを持つ時、

包丁を握る時、

洗濯物を干す時、

子供のオモチャを片付ける時、

せんべいを食べる時、

手だけでなく、身体の中心から行いましょう。

 

そうすると、自然に、もう片方の手が、口の下にのびて来て、食べた時に落ちる、せんべいのかけらを受けようとしてくれるはずです。

 

その時の顔は、何故か不思議と、セレブマダムのようになってしまうはずです。

「このおせんべい、美味しいわね。オホホ」

と言っておきましょう。

 

子供に何かを伝える時は、自分の中心を子供に向け、子供の目を見て、話しかけましょう。

 

そうすると何故か

「わたくし、この前も言ったザマスわよね。」

と言葉がやわらかくなるはずです。

 

中心の力により、皆様の1日が光に満ちている事を祈っています!

 

今日も読んでくださってありがとうございました!また、お会いしましょう(´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛み」から逃げたくて、必死に逃げ回っていた私ですが、最近痛みとの向き合い方を覚えました!

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

サナブリでは、2月1日から2月14日まで、バレンタインスイーツプレートを販売しています。

 

一押しのショコラスイーツを4種類、贅沢に召し上がっていただけます。

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☆チーズマーブルショコラ

☆テリーヌショコラ

☆オレンジショコラのビスコッティ

☆ホワイトチョコのマーブルアイス

750円です♪

チョコ好きの方は、ぜひこの機会にご来店下さいませ〜!

 

夜は2月中、熱々アヒージョフェアをやっております。

アヒージョのオイルをパンに付けて食べるのは本当に美味しすぎて、危険です!

 

アヒージョ好きの方もご来店お待ちしております(´∀`)

 

さて、今日は、私が、本当に嫌いで、怖くて、一番受け取るまいと、逃げ回っていた「痛み」について書きたいと思います。

 

私は子供の頃から痛い事が大嫌いでした。

注射、怪我、腹痛、頭痛、筋肉痛でさえも、とても嫌で嫌で、何とかして逃げ切れないものか?と考えていました。

 

ついでに言うと、暑いのも寒いのも嫌いでした。ジメジメしているのも、虫に刺されて痒いのも、雑音がうるさいのも苦手でした。

 (自分はすごくうるさいのに(^-^;)

 

そして、肉体の痛みだけではなく、勿論、心の痛みもとても嫌いでした。

 

傷つくのも、傷付けるのも、罪悪感も、世の中の心が痛むニュースも、とにかく避けたくて、なるべく、受け取らないで済むように、心に鎧を着て、痛みを感じずに、痛みを跳ね返せるように工夫して生きてきました。

 

そうする事で、強くなれたと思っていましたし、自分が強くなる以外に方法は無いのだと思っていました。

 

でも、最近になって分かった事があります。

 

私を苦しめていたのは、本当は、痛みでは無く、痛みを受け取るまいとする私の判断の方でした。

 

これは、愛そのものとなって生きる事を教えていただいている先生から伺った事です。

 

先生は、このように仰っていました。

 

 

痛みと苦しみの違いは何だと思いますか?

 

ライオンの子供がサバンナで怪我をして動けなくなった時、ライオンのお母さんは、群の為にもその子を置いて行かなければなりません。

空にはハゲワシが、今にも飛びかかろうと子供のライオンを狙っています。

そんな時、ライオンのお母さんも、ライオンの子供も、とても悲しい目をしています。

痛みを抱え、悲しみと共にいるのです。

でも、嫌だ!それは出来ない!と暴れたりしませんし、パニックになったりもしません。

お母さんは、はっきりと理解した上で、2回3回振り返りながら、子供をそこに残して前に進むのです。

静かに痛みと共にあり、それを受け入れているのですね。

想像するだけで、とても悲しいですね。

 

痛みというのは、生きていれば必ず起こる事です。

それを受け取るまいとすれば、必ず苦しみが生まれます。

ですから、痛みはいらないと拒否しなければ、ただ痛いだけなのです。

痛みが無い人生なんて、愛は育たないんですよ。だから、人生に痛みは必要です。

痛みと闘わない事です。逃げようとしない事です。

ただ、痛みと共にいればいいのです。

痛い自分を客観的に眺める事です。

そうしていれば、静かに終わっていくのです。

 

 

私は、このお話を聞いて、とても思い当たる節がありました。

 

それは最近、

これは、欲しい!

これは、いらない!

 

と起こった事を判断するのをやめ、コントロールしようとせずに暮らすようにしていたら、だんだん痛みが怖く無くなってきていたのです。

 

というのも、あんなに苦痛だった、火傷や怪我、罪悪感や、周りの人からの反発がだんだん、苦しくなくなり、

あれ?

そんなに痛く無いぞ?

思ってたより全然大丈夫やん?

何であんなに怖かったのかな?

と感じるようになっていたのです。

 

これは、間違いなく、痛みを受け入れられるようになってきたからだと思います。

 

私がどうしても抜け出せなかった苦しみは、痛みを受け取らないという、自分自身の価値判断からやって来ていたのです。

 

褒められるのは欲しい

貶されるのはいらない

優しさは欲しい

厳しさはいらない

あたたかさは欲しい

冷たさはいらない

愛は欲しい

孤独はいらない

 

と自分に起こる事を、受け取ったり拒否したりと選択し判断していたので、色んな所で闘いが生じていました。

そして、闘えば相手は強くなるという法則から、私の敵はどんどん大きくなっていったのでした。

 

今、私が日々感じているのは、

「やっぱり自分にとって必要な事しか起きないんだな。」

という事です。

それを確信してしまえば、起こる事1つ1つにそんなに怯えなくてもよくなっていくんですね。

 

私は、自分にとってマイナスな事が起こる事を避ける為に、中長期的な目標を決め、それを今日の行動に落とし込み、一生懸命欲しいものだけが手に入るように、コントロールしようとして生きてきました。

リスクマネジメントが甘いと大変な目に合うかもしれないと、いらないものが入って来ないように、気を張って見張りながら、頑張ってきました。

 

でも、考えた事、言った事、行動した事の源は何だったのか?と聞かれたら、今考えると、不安だったとしか言いようが無いと思うのです。

 

不安という意識状態は、呼吸、言葉、行動を司り、不安になる現象を連れて来ます。

 

ですから、私は、起こる事1つ1つを受け取るか受け取らないか判断するのをやめて、全部マルッと受け取って行きたいと思うのです。

 

痛みや悲しみも、ただ純粋に受け入れて、判断せずに、ただ丁寧に今と共にあるという体験を通して、愛を育て深めていけたらと思います。

 

今日も、痛みと共に過ごしましょう。

今ある身体や、心の痛みは、私達の愛を育てくれます。

やはり、痛みを体験しないと、人の痛みが分からないんですね。

やっぱり、必要の無いものなんて、本当はひとつも無いという事ではないでしょうか?(´∀`)

だから安心して、感謝して受け取りましょう!

 

必ず、あの時あれがあったから、今の私が在るんだと言える日が来るのだと思います。

 

痛みの分だけ愛を深める事が出来るんですね!

神様、いつも最高のギフトをありがとうございます。

 

今日も読んで下さってありがとうございました(´∀`)また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コミュニケーション能力とは何か?本当のコミュケーションはどうすれば生まれるのでしょうか?

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今日は、先日学んだ、本当のコミュニケーションについて書きたいと思います。

 

私達は、日々たくさんのコミュニケーションを行なっています。

 

家族、職場、お客様、店員さんなどなど。

 

私は今まで、コミュニケーションとして、人にどういう言葉をかけるか?をとても大切にしてきました。

 

「ありがとうございます。」

「お世話になります。」

「素晴らしいですね!」

「期待しているよ!」

「出来ない事を気にしなくていい。出来る事に集中しよう!」

 

というように、前向きであたたかい言葉をかける事を意識し、実際その様に言っていました。

 

そして、小さな頃から超おしゃべりだった私は、コミュケーション能力には自信がありました。

人に伝えるという意味では、人の3倍の量の言いたい事を全部言う!伝わるように言う!という事に磨きをかけてきたからです。

 

これは、悲しいかな、5人兄弟の2番目に生まれた私が、沢山の兄弟を差し置いて親に自分を注目してもらう為に編み出した、必殺技でした。

幼少期は、

 

「真木ちゃんはね!真木ちゃんで、真木ちゃんだよ!」

 

という、どうでもいい情報を、ひたすら大きい声で、ひたすら早く言うという練習を頑張っていました。

 

 

なのに、大人になって「なんかこの言葉、届かないな〜。」と感じる事が多くなってきたのです。

 

今、考えるとその理由がハッキリと分かります。

 

それは、私の目が、そのように言っていなかったからです。

 

私があたたかい言葉をかけながら、全身で発していた事は、

 

「もう少し早くやってくれないかな?」

「ここをもうちょっとなんとかしてくれない?」

「何で出来ないのに努力しないかな?」

「真木さんをもっと大切にしてよね。」

 

という、何とも、求めて求めて求め尽くすというメッセージだったのです。

 

目は口ほどに物を言う

 

とは、よく言ったものです。

昔の人は、本当によく分かってたんですね。

目というのは、考えている事や、その判断を100%反映しています。

 

ですから、
「この人は信用出来ない」
と思って見ていれば、そういう視線になり、
「この人心配だわー」
と思って見ていれば、そういう視線になるのです。

 

私は、物心つく頃から、人の目を見るのが苦手でした。

 

いえ、正確に言うと、人に目を見られるのが、とても苦手でした。

 

どれだけ目線を合わさなければ!と思っても、どうしても身体がそのように動かないのです。

 

これは、正に私の潜在意識がさせている私を守る為の行動だったのだと今は、分かります。

 

思っている事と、言っている事にギャップがあると、バレてはいけない!と自己防衛本能が働くんですね。

 

よく考えると、小さい子供が嘘をつく時のようです。

 

「これ食べた?」

「た、食べてないよ。」

 

と言いながら目が泳ぎまくってる子、いますよね。

 

私は自分の価値観に縛られていた為、そんな単純な事に気付かずに、人に冷ややかな視線を送りながら、あたたかい言葉にこだわっていました。

 

つい先日、

 

人は視線を向けられると緊張する。

人はまなざしを向けられれと安心する。

 

という言葉を教えていただき、なるほどな〜〜!と思ったのでした。

 

私達は、コミュニケーション能力の事を言葉の能力、会話の能力と思いがちです。

 

ですが、本当のコミュニケーションは、やはり在り方で決まってくるのです。

 

どのように感じ、どのように発振しているのか?それは、言葉を発する前に、全身から溢れ出ています。

 

特に目は、言葉以上の発振をしています。

目の奥が笑っていないというやつです。

 

あたたかい眼差しは、全ての人をほぐし、全ての人を受け入れます。

 

ですから、言葉の能力、聴き方の能力、会話の能力を磨く前にやるべき事があるという事です。

 

 

人に何かを伝えよう、人から何かを受け取ろう、人とその場と一体になろうという時に、本当に必要な事はひとつだけです。

 

ただ愛そのもので在る

 

という事ではないでしょうか?

 

何故ならば、視線や眼差しはその人の在り方からやってくるからです。

 

「こんな目をしてやろう!」といくら思った所で、目の奥にあるものは誤魔化せません。

 

 

愛そのもの

又の名を

ニュートラ

又の名を

静寂

 

この在り方である時に初めて、本当のコミュニケーションが生まれるという事です。

 

愛で全てを受け止め、判断せずに、普遍意識とつながって、受け取り、発振するという事です。

 

私達は、本当に言葉に頼って日々を過ごしています。

 

言語能力があり、自分が言いたい事が言える人の事をコミュニケーション能力が高いと判断しがちです。

 

ですが、

本当のコミュニケーションとは、その場が一体になる事だそうです。

 

言いたい事をいくら言えても、調和が生まれなければ、コミュニケイションがうまくいっているとは言えないのではないでしょうか?

 

私は、これから、あたたかい眼差しを送れる人になりたいなと思います。

 

その為に、日々、判断せずに過ごしたいと思っているのです。

 

今日も、周りの人にあたたかい眼差しを送りましょう。

 

そして、人と向き合う時は、相手の目を見つめてみましょう。

 

目を見れば、意外と自分が受け入れられている事に気付くものです。

 

特に、小さい子供の目はキラキラしていて、お母さんに全幅の信頼を置いてくれているんだなと感じたりします。

 

エゴの無い子供の目の輝きから、私達大人も大いに学んでいきたいですね!

 

皆様の1日が今日も輝いている事を祈っています。

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を大切にしなければ、人を大切に出来ないよ!と思っていた私が一番自分を粗末にしていました(。-_-。)

こんにちは!

サナブリ真木です。

昨日は、私の住んでいる伊賀市旧青山町では、急に雪が降り出して、あっという間に、結構積もりました!!

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雪が降ると、

「アチャ〜〜せっかく仕込んだのに、売れ残るかな?これは、やば〜い!」とか

「明日、朝、車で来れるかな?どうしよう〜〜!」

などと言いながらも、顔は半笑いなのは、何故でしょうね??(*´∀`*)

 

子供の頃から、台風や、大雪は、何故かワクワクしてしまう性質でしたが、大人になってもそこはあんまり変わらない私です。

 

今日は、自分を粗末にすると、大変な目に会うんだなと思った話を書きたい思います。

 

私は、基本的には、自分の意見を言ったり、人に頼ったりする事は得意な方で、自分を価値あるものとして扱うという事が、とても重要であると思って生きてきました。

 

なので、「自分さえ我慢すれば」という考え方がとにかく嫌いでした。

 

子供に高い服を着せ、習い事を沢山させて、自分には何もお金をかけられないと嘆く、お母さんの話を聞くと、違和感を覚えて無性に気になっていました。

 

また、お姑さんや、会社の上司に、明らかな八つ当たりをされたり、意地悪をされても、何も言い返さずに、じっと耐えている人を 見ると、無性に腹が立つのでした。

 

人は、自分が無理して、我慢して守っているルールを、平気で破っている人を見ると心ザワザワします。

 

ですが、私は喜んで自分を大切にしていると思っていたので、何でこんなに、自己犠牲の精神
が気になっているのか分かりませんでした。

 

やっと最近になって理解した事があります。

それは、実際に私が私を縛っていた強い固定観念のひとつに、

 

「自己犠牲は、喜んでしなければならない」

 

というものがあったという事です。

なので、

自分を大切にしながら、喜んで人に奉仕しなければ何の意味も無い!

 

と、ちょっとこじらしていたのでした(^-^;

迷惑被った人すみません!

 

私は、結局、とても自分を粗末に扱っていたという事です。

 

何故ならば、本当の弱い自分、情けない自分に蓋をして、無理して喜んで、人の役に立とうとしていたからです。

 

この無理をしている時は、自分が無理をしているという事は、分からないんですね。

 

なので、喜んでやっているはずなのに、やたらと疲れます。

 

喜んでやっているはずなのに・・・

 

身体の声を聞かずに食べるものを選び、

味わい尽くす事なくムシャムシャと食べ続け、

鏡を見る事なく髪を束ね、

見たく無いのにテレビを見て、

寝ていたいのに起きて、

疲れているのに出かけ、

傷ついているのに笑い、

頼りたいのに背負い、

怒りたいのに感謝する

 

というように、本当の自分の声を無視し始める事になっていました。

 

これを、「自分を粗末にしている」意外何と表現すれば、良いのでしょうか?

 

このように正しさに拘っていると、内側から溢れてくる、本当の自分の声が聞こえなくなります。

 

すると、私達は自分の価値観から来る、正誤や善悪、損得で判断をするようになります。

 

この判断は、源をたどって行くと、やはり不安から来ている事が多いのです。

 

ですから、この不安からくる意識状態で、どれだけ愛のような行為を行った所で、目の前に現れる現象は、不安そのものという事になります。

 

私が体験した、

「あれ?こんなに人の為に頑張ってるのに、なんか報われないな?」

という体験は正にそれを証明しています。

 

愛のように見える行動愛そのものの行動

とは、全く別のものです。

 

愛そのものの行動とは、愛そのものという在り方からやってきます。

 

ですから、自己犠牲という考え方自体が無いんだと私は思います。

 

愛そのものとは、喜びそのものです。

 

誰かの為に生きるのでは無く、

全ての為に生きる事なのだと私は思います。

 

これは、確信を持って言えますが、

本当は人も自分もひとつなんです。

 

だから、どっちかを大切にして、どっちかを粗末にする事は絶対に出来ないんですね。

 

私が握りしめていた

「自分を大切にしなければ人を大切にする事は出来ない!」

 

という理論は、一見そんな感じもしますが、自分と人とを分けて考えずに、全部同じで、全部同時でいいんだなという事が分かった今日この頃です。

 

だから、人も自分も大切にしましょう!

 

大切にするという事は、自分の心の声、身体の声を聞くという事です。

 

大切に丁寧に、愛を持って自分の肉体や精神と関わるという事です。

 

そして、同じように、周りの人、周りのもの、自然、地球、宇宙と関わる事が、愛を発振するという事なのではないかと思います。

 

今日も、目の前にある全てを大切にして過ごしましょう!

全てを大切にしている人は、必ず大切にされます。そして、心の底から感謝や喜びが溢れてくるんですね。

私のように、無理してやってみても、見事にバレるという事です(^-^;

チキショ〜〜!なんか、恥ずかしいぞ〜!

 

自分を粗末に扱っている人は、必ず粗末に扱われます。

自分の身体に鞭を打つのも、

自分が言いたい事を我慢するのも、

自分を卑下するのも、

自分に笑顔を強制するのも、

 

全部、自分を粗末にしている事になります。

粗末に扱うとは、使い捨てのように扱うという事です。

全てのものにイノチがあるのだと分かった今、私は、やっと心から自分とすべのものを大切にしたいなと思えるようになってきました。

 

勿論、選択は、それぞれの自由です。

正しい間違ってるは無いと思います。

 

ただ、自分にふさわしく無い体験は、みんなで終わらせていけたらいいなと思います!

 

そうして、未来の子供達に、イノチのバトンを渡していきたいなと思うのです!

 

愛のような発言をしてしまったと気づいたら、空を見上げて、

「とか言ってー!」

と、叫んでおきましょう!

それで、ギリギリセーフです!(多分)

 

今日も読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょ〜(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付いたら、いつものパターンになってる!?今を生きる為に私が身に付けたい習慣はこれです。

こんにちは!

サナブリ真木です。

ご好評いただきました、パン食べ放題付きランチ&ディナーも、今日が最終日となりました!

 

パンを毎日焼くのは大変でしたが、超仕事早い元スタッフにめちゃくちゃ手伝ってもらいまして、何とか頑張る事が出来ました(๑˃̵ᴗ˂̵) 

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私がパンを並べるとすぐにグチャグチャになってしまうという事が分かった1週間でした(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾丁寧な仕事、苦手!!

今日までやっておりまして、販売用パンもありますので、よろしければお立ち寄り下さい!!

 

今日は、私が今を超真剣に心を込めて生きる為に乗り越えなければならない課題について書きたいと思います。

 

一瞬一瞬、今を真剣に生きようとしていても、いつの間にか不安になってしまう事があります。

いつもの自分のパターンに戻ってしまい、あれ?何でだろうと思っていんですが、それは、私のある癖が原因になっていました。

 

それは、

すぐさま反応し判断する

という癖です。

 

このすぐさまという事がとても大きな障害になっているのです。

 

どういう事かと言いますと、私には、何でも価値観に照らし合わせて、すぐさまジャッジする癖が染み付いています。

 

そのジャッジの早さたるや、本当に驚かれるくらいの電光石火です。

 

口に入れた瞬間に「美味しい!」

と判断し、

話を聞いたその瞬間に「それはないんちゃう?」

と判断し、

面接をしても、会った瞬間にほぼ判断は終わっています。

 

主人の顔色を見た瞬間に「病気やな」と判断していた事もしばしばありました。

すみません(-_-;)

 

時には、自販機にお金を入れた瞬間にジュースを選択し、出てくるより先に手を入れていました。

 

この「すぐに決められる」という事は、私が全ての事をスピーディーに行う事を可能にしていて、これまでは、大きな強みだったのです。

 

なぜ判断が早いかというと、早く判断する為に、価値観を明確に整理していたからです。

そして、何度も何度も価値観に照らし合わせて判断する反復練習をして生きてきたからです。

 

経営者として、リーダーとして、判断力はとても重要です。

 

ですから、このすぐさま判断の力を私は磨きに磨いてきたのです。

 

なので、自分の価値観を手放した今、照らし合わせる自分の教科書が無くなったということになります。

 

では、右に行くか?左に行くか?何に照らし合わせて決めたらいいのか?と思いますよね?

答えは、その一瞬一瞬にしか無いのです。

 

その一瞬一瞬、自分の内側に深くアクセスしなければ、答えは分からないのです。

 

「前に右だったから、右だね!」という話ではありません。

 

今、自分に問われていることをしっかりと深く認識し、自分の普遍意識とつながって答えていかなければ、結局は、いつも選んでいた方、前に持っていた価値観の燃えかすに照らし合わせて正しいと思う方を選んでしまいます。

 

これこそが、いつもの自分のパターンに戻ってしまう原因になっていると分かったのです。

 

私達は、自分が発振した通りの事を体験します。

私は、いつもの癖で、自分の価値観、すなわちエゴを源に判断し発振した事を体験して、不安になっていたという事です。

 

ですから、

「あれ?なんか不安になるな。」

と思ったら、自分が発振している不安を知る事が出来ます。

 

「あれ?私って足りないのかな?」

と思ったら、自分が発振している不足を知る事が出来ます。

 

「あれ?私って顔大きいな?」

と思ったら、自分が発振している顔大きいを知る事が出来ます。(?)

 

だから、愛だけを発振していれば、愛だけを体験するという事です。

 

私はそれを100%、頭では理解しているつもりなのですが、

今、この瞬間にある答えに耳を傾け、心を澄まし、自分の内側に深くアクセスする習慣

が身に付いていなかった為、いつの間にかいつもの癖で不安を発振していたのだと思います。

 

これから、更に意識的に、今、何が問われているのかを深く受け取って、深くアクセスし、答えがしっかり浮かんでくるまで待って、次の瞬間の行動を決めていきたいと思います。

 

こうして、ありとあらゆる事と、深く向き合っていく事が、

今という瞬間に超真剣に心を込めて生きる

という事なのだと思います。

 

今日、私達は、何を発振するのでしょうか?

 

自分が発振したものを、恐ろしいほど正確に私達は体験します。

 

私達は、ただそれを受け取って生きているのです。

その、自分の発振からくる体験を

「これは欲しいけど、これはいらない。」

と選ぶ事は、出来ないんですね。

 

ですから、自分が体験する事は、100%自分に責任があるという事です。

 

「私はみんなの事をこんなに大切にしているのに、みんなは私を大切にしてくれない!」

とか、

「私は旦那の為にこんなに尽くしているのに、旦那は何もくれない。」

とか、

「私はそんなに食べてないのに、何故か

太る〜〜!」

 

という事は無いんですね。

 

全ての現象は、自分が発振した通りに起こっているのです。

 

発振したというのは、望んだという事ではありません。

 

 意識状態がそのように在るという事です。

 

ですから、自分の発振を、大切に、丁寧に、自分の内側に深くアクセスして行っていかなければ、本当の自分にふさわしく無い体験をする事になります。

 

今日も、愛を発振して過ごしましょう!

 

愛の発振は、自分に大きな大きな愛の体験をプレゼントしてくれます。

 

ですから、出し惜しまず、与えて与えて与え尽くせば良いんですよ!!

 

とりあえず、旦那さんのカバンの中に、私達の大切な大切な、あんこ入りよもぎ餅を1個入れておきましょう!ホンマにしゃあなしやで(*゚▽゚)ノ

 

やるべき事は、めっちゃシンプルですね。

 

本当に、分かりやすいわ〜〜(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミッションステートメントは必要か?毎年書き直している自分のミッションが「何でもいいな」と思った話

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

今週限定のパン食べ放題ランチ&ディナー、ご来店いただいた方、誠にありがとうございます。

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すでにちょっと疲れてきましたが(^-^;、あはは!土曜日までやっていますので、パン好きな方は、ぜひぜひご来店下さいませ!

 

今日は、週に1回の里の市もあります。

寒そうですが、パンとお弁当を持って行きますので良かったら遊びに来て下さ〜〜い!

 里の市に売っているものって本当に美味しいですよ(*´∀`*)

皆さんのセンスはもちろんの事、素材が良いって本当にすごいなと思います。

一応ストーブがあるので、その場で食べる事も出来ますし、お持ち帰りも可能です。

皆さんにお会い出来るのを楽しみにしています。

 

昨日は、月に1度のスタッフミーティングの日でした。

 

サナブリでは、スタッフ全員、自分のミッションステートメントを毎年作っています。

 

自分の使命や役割を明確にし、常々、意識していく事を言葉にしたものです。

 

これは、3年くらい前に、主人が読んで感銘を受けていたスティーブン・R・コヴィー博士のベストセラー「7つの習慣」を盗み読みして、始めた事でした。

 

自分のミッションステートメントを作る事の重要性が書いてあり、すぐにその気になる、おめでたい私は、全員が自分のミッションステートメントを考える事がとても重要だと思いました。

 

そこで、新しい年を迎える度に、新たな気持ちで、今大切にしている事を文章にして発表する事にしました。

 

 スタッフ1人1人が、働く上で自分が大切にする事を書いていて、みんなそれぞれ違います。

 

私がその時、サナブリを経営する上で書いたミッションステートメントは、なんとA4のコピー用紙にギッシリ2枚になってしまい、生産者さんに対して、地域への思い、お客様に対しての考え方、スタッフのまかない(ご飯)の事まで、ものすごく熱い思いで、詳しく書いていました。

 

それを、毎回ミーティングで読む為に1/10くらいに短縮し、常に持ち歩いてその思いを大切にしていました。

 

そのくらい、すべての事にこだわりがあり、こうなりたい!と強く思ってやっていたという事です。

 

今、考えるとスタッフは大変だったろうなと思います。

そんなに、たくさんの強いこだわりを持っている人の下で働くなんて、自分の事ながら考えただけでもゾッとしてしまいます。

 

やはり、任せてるようで、結局、全く任せられていませんでした。

 

そして、人を信じているようで、全く信じていなかったように思います。

 

去年のミッションステートメントは、途中で6回くらい書き直す事になりました。

 

大切にしていた事がゴロゴロと抜け落ちていき、自分の使命だと思っていたものが、本当にどうでもよくなっていった年でした。

 

1番変わったのは、

「ミッションステートメントって本当に必要なんかな?」

と思った事です。

 

結局、「こうでなければならない」を探して、必死に握りしめるきっかけになるのではないか?と思ったのです。

 

なので、少し迷ったのですが、やっぱり今年も書く事にしました。

 

自分の使命だと思っているものに縛られない為にも、書いてみて、その時々で変わる事を良しとして進んでみようと思ったのです。

 

今、私が仕事をする上で1番大切にしている事は、

心を込めて真剣にやる

という事です。

 

自分に、何が出来るとか出来ないとか、人がどうとか、これをやったら損するとか、そういう不安から解放されて、ただ真剣に一生懸命やろうと思っています。

 

今までは、いつも私には目標がありました。

 

こうなったらいいな!

これが出来たら成功!

こうなる為にはこれをする!

 

というような、理想の形があり、やるべき事がありました。

なので、その理想の形から少しでもズレると不安になりました。

不安なのが嫌なので、何とか自分の理想の形に納めようと躍起になってコントロールしようとしていました。

 

ある程度までは、人間、コントロールって出来るんですね。

 

子供でも、自分に対しても、ある程度までは、コントロールは可能だと思います。

 

でも、こうなる為に!と、自分の計画通りコントロールして進んでいったとしても、多分、それ以上の事は起こらないと思うのです。

 

逆にゴールを決めずに、目の前の事を一生懸命やっていけば、自分の想像を遥かに超えた事が起きてくる可能性があります。

その方がワクワクするし楽しいな!と純粋に感じます。

 

本当に心の底から喜びを伴って生きる為には、

「自分の思い通りになりますように」と願うのをやめて、自分も人もみんなそのままを受け入れて、感謝して、本当の意味で

「ああ、これでいいんだな。」と分かる必要があるのかなと思います。

 

私は、自分がとことん、自分の正しさによりコントロールしようとしてみたので、 頭を打つ事が出来て良かったな〜〜と今は思います!

 

ちょっと、痛かったですが(^-^;

 

今年のミッションステートメントも、日々変わっていくかもしれませんが、変わる事を良しとして、楽しんで流されていきたいなと思います。

 

あまりにも、私が世間のビジネスの常識と真逆な事を言っている為、理解されない事も多く、たまに不安になりますが、そういう時は、自分のブログを読んで、

「なるほど!人がどう思うかは関係ないんやな。さすがは、なるほど!ブログやな!」

と、かなり痛い人になりながら、学んでいます。

 

本当のビジネスとは、自分が儲ける事では無いと思います。

 

全てにとっての最善を選択し、心を込めて超真剣に進んでいけば、ビジネスの為に必要としていた

イデア、知性、判断力、実行力、持久力、包容力、人材、お金、時間、エネルギー、先見の明、などの全ての要素が自分の周りに与えられていくのではないかと私は、思っているのです。

 

まだ、与えられては無いので、想像ですが

(*´∀`*)

神様!ひとつ、よろしく頼みます!

 

今日も、自分で自分を判断せずに進みましょう!

自分がどうか?人がどうか?は神のみぞ知る領域です。

 

だから、ただお任せして、一生懸命進めたらいいなと思います(^-^)v

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の3歳の誕生日に起業した私が悩みに悩んだ仕事と子育ての両立。最終的に意外な結論が出ました。

こんにちは!サナブリ真木です!

cafe sanaburiでは、今日から1週間、パン食べ放題付きのランチと、ディナーを販売します(^-^)v

私自身が無類のパン好きの為、パンを焼くのが楽しくて仕方ありません。

毎日、工夫しながら色々なパンを焼きたいと思っています!

 

期間中は、サナブリでパンの販売も行いますので、お持ち帰りだけの方もぜひお立ち寄りください(´∀`)

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2017年パン福袋も販売予定です!お楽しみに〜(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

今日は、「こんな子育てでいいのかな?」

 と、仕事にかまけて子供を放ったらかしながら、不安になっていた私が、

「これでいいんだな。」

と思えた体験を書きたいと思います。

 

私は娘が3歳の誕生日を迎えると同時に店を始めました。

 

子供を授かった時に、3歳くらいまでは、母親がしっかり側にいてあげないと子供が可愛そうだという固定観念があった為、3歳になるまでは、子育てをしながら準備をしておこうと思って起業計画を立てていたのです。

 

ですが、出産するまでの、14年間、コッテリと仕事しかしていなかった私は、子供が1歳になる前にはすでにもう、いてもたってもいられなくなり、子供を背負って走り回っていました。

 

まず、始めたのが、近くの施設を管理する仕事です。

その場所で、自然育児サークルを始め、マクロビのスイーツを毎週3品作り自然派のお菓子の研究を始めました。

そして、自然食品店はらぺこあおむしの手伝い、レシピを書いたり、ポップを書いたり、お弁当を作ったり、マクロビスイーツを作ったりと、娘を担いで働いていました。

 

そして、サナブリオープンに向けて約2年間の準備期間には、仕事と並行して

人気のカフェを巡り分析する

オリジナルメニューを考える

物件や厨房機器を探す

などの他に、

ファン獲得とメニュー開発の為に月1回、知人、友人を集めての模擬カフェを開いたり、

やなせ宿で、1dayシェフをしたり

試食会を開いてアンケートを取ったりということも行いました。

子供が寝ると、店用のおしぼりや座布団を縫い始め、手作りのコースターなどは、1年半前にはすでに60枚出来上がっていました。

(そんなにいらんのに!)

 

沢山の経験者の方から、

「準備は本当に大変だから、オープン日程はガチガチに決めずに、ほぼ揃ったところで始めた方がいい」

と言われていた私ですが、逆に自分との約束を守れなければビジネスなど絶対に出来ないと思い込み、子供の3歳の誕生日という開業日をどんなことがあっても守ってやる!と最後の3日くらいはほぼ徹夜でオープンにこぎつけました。

その時点で主人は、10キロくらい痩せていて、かなり顔色が悪くなっていました。

 

不思議な事に私は、全く痩せませんでした:(;゙゚'ω゚'):

 

「起業するからには、私には責任がある。絶対に自分を甘やかしてはいけない」と強く信じていたので、主人にも、頑張れ!頼むよ!と、自分は太りながら、優しい激痩せ主人に私と同じスタンスを求め続けていたのでした。

 

そんな私が、とうとうお店をオープンさせると、主人に細々やってもらおうと思っていた夜の営業の人手が足りず、丸々4ヶ月に渡り、保育園から帰ってくる子供を母に預けて、朝から晩まで働く事になっていました。

 

ある日、娘の晴乃が熱を出しました。夜の9:00頃、実家に迎えに行った時、晴乃がうなされながら私の顔を見て涙を浮かべ、

「お母ちゃん、早くおうちに帰ろう。」

と言いました。

 

それを見て、私は涙が溢れてきました。

「ごめんな。ハル。一緒に帰ろうな!」と言いながら、こんなに小さい子を放ったらかして、一体私は何をしているんだろう?と頭をブン殴られたような気持ちになりました。

 

それからは、スタッフを増やし、子供と過ごす時間と仕事のバランスを考え、出来る範囲の量に仕事を減らしていきました。

 

それでも、やはり、基本的に焦っていた私は、事あるごとに、頑張りすぎてしまい、気がついたら仕事、要するに自分事に夢中になってしまうのでした。

 

私は、子供の頃から小さい子供が大好きで、可愛くて可愛くて、将来子供を産んで、お母さんになるのが楽しみで仕方ありませんでした。

 

子供がこんなに好きで、マネジメントや教育の仕事を長くやってきたんだから、きっと良いお母さんになれるはず!と心のどこかで思っていたんだと思います。

 

それなのに、いざ子供を育ててみると、基本的に、全く子供の周りを回る事が出来ないのです。

 

気が付いたら、子供に我慢させたり、子供の言いなりになったり、甘やかしたりして、何とかして自分の仕事をしようとしているのでした。

 

私はだんだん、罪悪感を募らせていきました。

 

「こんなんで、大丈夫かな?世の中のお母さんみたいに、ずっと子供の事だけ考えていられたらいいのにな。こんな母親で申し訳ないな。ごめんな。子供達。」

 

と子供に引け目を感じるようになっていくにつれ、すぐにお菓子やオモチャを与えるようになっていきました。

 

そして、また自分を責めるという悪循環の出来上がりです。

 

私が、この苦しい悪循環から解放された、1番のきっかけは、

 

こうしたらダメ!

こうでなければならない!

というルールを作っているのは、自分自身である

 

という事を知った事でした。

 

それは、テレビにもよく出ている心理カウンセラーの心屋仁之助氏の著書

「好きな事だけして生きていく」を読んでいた時に、ズドーンと腹に落ちてきた事でした。

 

自分自身に課しているルールが多いと、守りきれなくなってしまうのですね。

 

私には、勿論、仕事が楽しいという思いもありましたが、

 

自分の価値を証明しなければならない!

経営者としてこうでなければならない!

母親とはこうでなければならない!

夫婦とはこうでなければならない!

 

がありすぎて、すごく頑張る羽目になっていたのです。

 

ですから、まずその頑張らなければならない理由を掘り下げに掘り下げて、更に掘り下げてみました。

 

すると、結局、

「ありのままでは価値がない気がする」

という所に辿り着きました。

 

そして、無理やり

「そのままで最高!」と思い込むことに決めました。

その結果、多くの事に気付き始めたのです。

 

そして、今まで経験した事は、私にとって必要だったなと確信するに至りました。

 

父が私に、男の子だったら良かったと言った事

母が天然ながらも、天に任せて生きている事

主人の顔色を悪くしてしまった事

子供の周りを回れなかった事

 

全てが、私にとってはかけがえのない体験で、それをしなければ、「私は大丈夫だ」と絶対に分からなかったと思うのです。

 

私の役割として、「仕事をする」というプログラムが細胞に組み込まれているのです。

 

だから、私は自分のプログラムを使って役割を果たしていけばいいという事です。

 

ですから、皆さんはどう思うか分かりませんが、私は、子供達も、私という母親にほったらかされたり、淋しい思いをさせられたり、甘やかされたりする体験が必要なんだと思っています。

 

全ての人が、必要な体験をし、必要な事を学ぶ為に生きています。

 

その体験の内容は、100人いたら100人とも全く違いますし、私達が理解できるほどシンプルな話では無いのです。

 

分からないのですから仕方ありません。

 

自分の価値観で自分を縛らず、安心して、お任せして、自分が喜んで出来る子育てをすればいいのだと思います。

 

昔、正しいとされていた事も、時代が変われば、全く変わってしまいます。

 

もしかしたら、今やっている悪い事は、10年後には、良いことに変わっているかもしれません。そのくらい、良い悪いとは、あやふやなものなのです。

 

ですから、自分の正誤の判断で、自分を縛らない事、責めない事が大切だと思います。

 

 

何が起きても、全ては必要な事ですから、安心していていいということです。

 

そうしていると、不思議なもので、前より子供と過ごす時間が楽しくなりましたし、子供に自信を持って

「お母さんは忙しいんや!!アカンもんはアカン!!」

と言えるようになってきたような気がします。

 

今日も、心から安心して過ごしましょう!

全ての事は、実はコントロール済みなんですね。

 

だから、自分次第で、最高にも、最低にもなると思わずに、「絶対に最高にしかならないんだな!」

と信じて、肩の力を抜きましょう!

 

子供は、神様が育ててくれるんですね(๑˃̵ᴗ˂̵)

本当にありがたい!

とりあえず、

「神さま〜〜!子供をお守りください!なるべく、勉強が出来て、足が速くて、片付けられて、お母さん思いで、後でグレない程度の軽めの反抗期の子で、ひとつよろしく頼んます〜。」と言っておきましょう。

 

今日も皆様にとって、素敵な1日となりますように!

読んでくださってありがとうございました(๑˃̵ᴗ˂̵)

また、お会いしましょう!