サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

本当の愛とは何か?愛情との違いは何か?今の時代に必要だと感じる私が目指す在り方について。

こんにちは!

サナブリ真木です^_^

 

今日は、本当の愛とは何か?について書きたいと思います。

 

私は、今まで、愛とは愛情の事だと思っていました。

ですから愛には対象があり、愛を向けるべき相手と、そうではない相手がいると思っていたのです。

 

特に、家族や、スタッフ、お客様、生産者さんに対して、いかにして愛を伝えるか?という事を考えてきました。

 

私の価値基準の中で、判断し、愛を向けるべき対象を選んでいたのです。

 

誰に対しても、穏やかで優しくありたいと願い、愛のような言葉をかけるように努力しながら、一方では、とても粗末にしているものがありました。

 

それは、自分や、身のまわりの物達や、私の価値観にそぐわない人達です。

 

15年くらい前、テレビ番組で、日本人1億人の縮図という事で、1000人の人を、子供からお年寄りまで集めて、アンケートを取るというものがありました。

 

あなたにとって一番大切なものは何ですか?

いう質問に対して4つの選択肢がありました。

 

①お金

②健康

③愛

④仕事、勉強

 

私は、それを見ながら、そりゃ愛やろう!と思いました。

 

ですが、結果一番多かったのは、①のお金で実に8割の人がお金を選んでいました。

 

私は衝撃を受けました。

私には、子供の頃から、お伽話、聖書の言葉などで、お金を一番大切にしている人は、酷い目に合うというイメージが焼き付いていたのです。

ですから、もちろん、みんなもそうだろうと思っていたんですね。

 

私は、自分の価値観の中で、愛は最も重要であり、最も正しいと信じていたのです。

 

ですが、ここ1年の学びの中で、本当の愛には対象は無く、正しさでも無く、

愛とは、状態である

という事を学びました。

 

始めは、意味は何となく分かっても、ピンと来ませんでした。

 

ですが、今はその意味がよく分かるようになってきました。

 

本当の愛という状態は、全てを受け入れ、全てを見守ります。

 

自分の価値観や、条件や、願望というフィルターを通さずに、ただ受け入れ、ただ大切に感じるという事です。

 

正にマザーテレサのような状態です。

マザーテレサは、宗教も、国も、年齢も、家柄も一切関係なく、すべての人を愛し、受け入れました。

 

愛という発振が起こり始めると、自分を愛し、家族を愛し、全ての人、全てのものに対して、本当の関心が生まれてきます。

 

先日も書きましたが、本当にすべてのものが受け取りたい波動は、1つしかないそうです。

 

それは、

「I love  you」の波動です。

 

言われてみれば、本当にそうだなと思います。

私も確かにそれ以外は、いらないなと思うのです。

嫌われたくないし、求められたくもありません。

 

昔は、子供はみんな、親や、隣のおじさんに叩かれながら育ったそうです。

 

でも、今のように、すぐ暴力だ!虐待だ!とはなりませんでした。

子供も健全に育ちました。

今と、何が違うのか?

きっと、

「源は何か?」

これに尽きるのではないでしょうか?

 

本当に源が愛ならば、人は怒られても、叩かれても、必ず分かるのです。

それが本当の関心であると。

 

私達はこれから、子供達や社会に本当の関心を向けていかなければと思います。

 

「愛情が不足している」

とよく言いますが、本当は、そういう問題ではないではないでしょうか?

 

私達が愛情と愛を混同して認識し、自分の価値観で対象を選び、自分の価値観で愛情を示している事が、大きな社会課題を作っているのではないかと思います。

 

何故ならば、その人の価値観にそぐわない人は愛されないという、認識が小学生くらいになると明確に起こってくるからです。

 

だから不安になります。

だから足りないと感じます。

だから価値を足そう、価値を証明しようとします。

みんな愛されたくて、受け入れられたくて、必死にならなければなりません。

 

そして、頑張ったり無理した結果、人に対しても、同じように自分の価値観で判断するようになっていくのです。

 

今、私は自分がやるべき事は、1つしかないと確信しています。

 

それは、愛という状態になるという事です。

 

人も、生き物も、物も、すべてのものが、ただありのままで愛される事を願っています。

 

自分は愛されたいと強く願っていながら、人間だけは、自分にも人にも強く、こうなるべきだ!求めています。

 

まず、その強い固定観念はどこからやって来たのかを知り、終わらせていく事が、愛という状態になる第1歩ではないでしょうか?

 

自分の価値観を手放し、ニュートラルな状態で、すべてを受け入れられる人が、今の世の中には、たくさん必要だと思います。

 

もし、読んでくださっている方の中で、私の言っている事に共感して下さる方がいらっしゃったら、私と一緒に愛そのものになる学びをしませんか?

 

私は、たくさんの大人達が、自由で、輝いて、愛そのものになっていく事が、未来の子供達にイノチのバトンを渡す事だと考えています。

 

同士がたくさん欲しいな〜と思うのです!

興味をお持ちの方がおられましたら、また、気軽に声をかけていただけたら嬉しいです!

 

今日も、ありのままの自分、ありのままのあの人を愛しましょう。

 

私達は、たくさんの事を勘違いしています。

本当に、足りなくなんてないんですね。

 

ただ必要があって、そう現れているだけなのです。

だから、安心して受け取ればいいんですね。

 

皆様にとって今日という日が、愛そのものという光で輝いていますように。

 

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名張中学の「働く人から学ぶ会」にお招きいただき、熱い話をして来ました〜〜!

こんにちは!

サナブリ真木です。

先日、名張中学校の「働く人から学ぶ会」にお招きいただき、中学2年生を対象に飲食店経営についてお話をさせていただきました。

今日は、そこでお話した事について書きたいと思います。

 

何を話そうか考えた時に、思い出した事があります。

それは、中学生の時の話です。

 

ALTの先生が英語の授業中にやって来て、私達生徒に質問しました。

「Who is your favorite musician?」

(あなたの好きなミュージシャンは誰ですか?)

 

日本人の先生が、

「アイ ライクマイケルジャクソ〜ンでもいいし、アイ ライク チャゲ&飛鳥〜でもいいから、1人ずつ答えて!」

 

と言いました。

一番最初の子が、小さい声で、

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

2番目の子も、下を向いて

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

 

私は、その時、長渕剛が好きだったので、

だんだんドキドキしてきました。

(どんな女子中学生や!)

 

「アイ ライク ツヨシ ナガブチ」

と心の中で何回も言いました。

 

ですが、次の子も、その次の子も、

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

私の番になり、私もとうとう

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言い、40人全員が結局

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

 

私は、これは一体何なんだろう?と愕然としました。

自分が本当に好きなミュージシャンを誰も言えないなんて!

もちろん、本当にチャゲ&飛鳥が好きな人もいたと思いますが、どう考えても、みんな下を向いて恥ずかしそうに、別に好きじゃない雰囲気で言っていました。

 

それくらい、自分が好きなミュージシャンをみんなの前で言う事は、怖い事だったのです。

 

私は、その体験を名張中学の生徒さん達に話して、このように伝えました。

 

私は、心から料理を作ったり、お客さんに喜んでもらったりする事が好きだから、この仕事につく事にしました。

だから、すごく楽しかったんです。

ですが、だんだん、いつの間にか、

「利益を上げなければならない」

「経営者はいつも感謝していなければならない」

「お客さんの要望にはできる限り応えなければならない」

など、自分の価値観に、強く縛られていきました。

すると、だんだん不安になってきて、

人がどう思うかを気にし過ぎて、

自分が何が好きなのか?

自分が何にワクワクしているのか?

自分が何をしたいのか?

分からなくなっていったんです。

 

私の周りにも、大人になるに連れ、人に受け入れられているかの不安により

自分には、何が出来るのか?

どうしたら受け入れられるのか?

頭で考え過ぎて

自分が何がしたいのか分からないとと言っている人が沢山います。

 

だから、今日は、みんなに伝えたいんです。

 

みんなの中には、もれなく必ずパーフェクトな才能があります。

こんな事、出来てもしょうがないなと、自分の才能を甘く見ているのは誰だと思いますか?

これが出来たら100点で、これが出来ないから30点と点数を付けているのは誰だと思いますか?

 

私は、

自分を理想の型に押し込んで、動きを制限していたのも、

自分に点数を付けて、あきらめていたのも全部、

自分自身だったんだなと気付く事が出来ました。

 

その気付きがあったから、今があります。

今は、自分の仕事がとても楽しく、毎日が輝いています。

だから、みんなも本当の自分の声を聞いて下さい。

お母さんがどう思うか?

お父さんがどんな顔するか?

テレビの人が言っていた事

ネットに書いてあった事

本で読んだ事

友達が言っていた事

先生が言っていた事

 

もちろん聞いたらいいし、影響を受けたらいいと思います。

でも、そればかり考えていると、だんだん聞こえなくなるものがあります。

 

それは、ワクワクが教えてくれる魂の声です。

 

これを聞かずに、毎日がやらなければならない事に埋め尽くされていくと、仕事がしんどくなります。

生きるのがしんどくなります。

 

でも本当は、世の中に、しょうもない仕事なんてひとつも無いんですよ。

しょうもなく感じるのは、甘く見て真剣にやっていないからなんです。

どんな仕事でも、超真剣に心を込めてやっている人がいます。

 

それが本当の一流のプロフェッショナルです。

 

超真剣にやれば、どんな仕事も本当は面白いと私は思います。

だから、自分のワクワクに耳を傾けて、真剣に出来る事をやりましょう。

 

どんなものであっても、自分の好きなものや出来る事を見くびらない事です。

そして、人の好きなものを笑わない事です。

本当に真剣に生きていたら、そんな事出来ないんですよ。

 

私にとって仕事は、喜びそのものです。

 

みんなも本当の自分の声を大切にして下さいね!

 

以上です。ありがとうございました!

 

 

 

 

今時の中学生も、私の時代と変わらずシャイでした。

 

でも、私が今現時点で出来る最大のパワーで、自分の目を輝かせて話して来ました。

 

私に、何が出来るかはよく分からなかったのですが、

ただ純粋である事

ただ愛である事

を自分の在り方を 通して発振したいと思ったのです。

 

どこまで行っても、自分がやるべき事は、それしかないのだと確信する日々です。

 

何故ならば、人も、その他の生き物も、物も、全てのモノが受け取りたい波動は1つしかないそうです。

 

それは、

「I love you」の波動です。

 

私が如何に優秀で、

私が如何に知識があって、

私がどれだけ努力して、

私が何点の人間か

そんな事は、周りの人にとっても、中学生にとっても、全てのモノとっても、本当にどうだっていい事なんだと思います。

 

 

ただただ、誰にとっても、唯一重要なのは、

「I love you」

をくれるのか?という事です。

 

ですから、私は自分が何点かにこだわるのをやめて、人に「I love you」を送れる人間になりたいと思います。

 

本当にそうなりたいと心から願っているのです。

 

今日も、愛という発振をしましょう。

その為に、まず、自分を許し自分に愛を送りましょう。

 

一番、自分の点数にこだわっているのが誰なのか?

気付いたら、とりあえず、一旦2万点くらい付けておきましょう。

 

本当に誰も、私達に点数なんて付けられないですよ。

だって、本当にパーフェクトなんですもん!!

 

今日も読んでくださってありがとうございました(´∀`)

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

組織で働く時に、よく起こる問題。この問題を解決する為に必要だったのは、ズバリ自分の視点を変える事でした。

こんにちは!

サナブリ真木です。

今日は、バレンタインデーですね!

サナブリでは、今日まで、バレンタインチョコレートと、焼き菓子の販売をしています。

 

♪今日、バレンタインか!忘れてた〜〜!と思っている方、

♪旦那さんの分どうしよっかな〜〜!と思っている方、

♪ただ、バレンタインにかこつけて自分が食べたい方、

♪ほんで、バレンタインて何やねん!と怒っている方、

 

わたくしは、皆様のご来店を心よりお待ちしております!

  

今日は、久々の投稿になってしまいましたが、2月10日のバレンタイン料理教室のお知らせもさせていただきます!

☆チーズ入り煮込みハンバーグ

☆温野菜の味噌ディップ

☆コーンドレッシングのサラダ

☆さつまいも大豆大根の豆乳スープ

フォンダンショコラ

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昼の料理の部

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ザッハトルテ

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夜の料理の部

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雪と、風邪などで、来れ無くなってしまった方も多かったのですが、今回も楽しく作る事が出来ました!参加して下さった皆様、本当にありがとうございました。

 

 

さて、今日は、私が考える、組織で仕事をする事の難しさと、組織だからこそ体験出来た学びについて書きたいと思います。

 

私は、今まで、ほとんどの仕事を、組織の中でしてきました。

1人で仕事をするより、私にとっては、チームで動く事の方が魅力的に感じましたし、そこから学ぶ事にとても興味がありました。

 

一番多い時で、約30人のスタッフがいる店舗を3店舗、管轄した事がありました。

 

そうなってくると、自分がいかに動くかでは無く、いかに仕事を任せ、適材適所で人材を配置するかが重要になってきます。

 

そこで、私が、日々感じ、重要視していたのが、

「働きアリの法則」

です。

通称、2:6:2の法則とも言われています。

アリは働き者だというイメージがありますが、

2割がすごく良く働き

6割が普通に働き

2割が働かない

のです。

このよく働く2割のアリを、取り除いても、不思議と、その残りのアリで2:6:2で構成し直します。


人間が集団を構成しても、アリと同様に、集団で何らかの活動をすると、
2割の人が、率先してリーダーシップを発揮し、
6割の人が、そのリーダーシップに引っぱられて働き、
残りの2割の人が働かない傾向があると言われています。

 

当初、私は、この良く働き、リーダーシップを発揮出来て、顕著に結果を出せる、2割のスタッフをいかにして育てるか?という事に力を入れていました。

 

やはり、この若手の台頭こそが、手っ取り早く、確実な方法だという確信があったのです。

ですから、モチベーションが高く、向上心があるスタッフを見つけては、どんどん仕事を教えて、任せるという事を徹底してやっていました。

 

そんな組織の中で、よく起こる問題としてこういう事がありました。

 

よく働く2割のスタッフが、残りの6割、サボりがちな2割のスタッフに対して、不満を持つという事です。

 

うまくいっている時はいいのですが、頑張り屋さんで意識が高い、よく働くスタッフ達は、

結果を出さなければならないという重圧、

頑張っても、結果が出ないという壁、

期待しているほど周りの人に感謝されない不満、

などが湧いてくると、

ほとんどの場合、

「自分以外の人は、何故、真剣に考えてくれないのか?私はこんなに頑張っているのに!!」

 

と、不満が爆発するのでした。

この、問題はどこでも、よく起こる問題だと思います。

そして、仕方が無いとは思っていましたが、私自身が、かなりのエネルギーを使う事になっていました。

 

そのスタッフが頑張って、背負えば背負うほど、頑張れば頑張るほど、他の周りのスタッフ達は、オロオロはするものの、どうしていいか分からず、ある意味で傍観者になり、自信を無くしていくのでした。

 

今、私は当時を振り返って感じる事があります。

 

それは、

自分の価値の証明の為に頑張っていると、頑張っていない人の事が気になる

 

という事です。

 

仕事なので当然かもしれませんが、

 

私は、利益を出す為に、また、自分の価値を証明する為に、このバランスを何とかしてコントロールしようとしていました。

 

よく働く2割の人を強くして、出来れば割合を増やし、全体的な底上げを常に考えていました。

 

結局、不満を持つスタッフと同じ状況になり、うまくいかないと、

「何で、出来ないのに努力しないかな?

みんなの為!お客さんの為!もっと本気で頑張るように!」

とプリプリしていました。

 

よく働く2割を上

普通の6割を真ん中

サボりがちな2割を下

 

という風に上下をつけて認識していました。

 

私は今、その頃の自分に言いたい事があります。

全ての人に、その人だけのステージや課題や役割がある。

だから、それぞれのステージや課題や役割を、私自身の価値観というフィルターを通して見て、自分の視点で自分に都合の良い組織を作ろうとしても、うまくいかないよ。

 

という事です。

 

自分の視点とは、自分の位置ならではの視点の事です。

その時の私であれば、

 

早く結果を出す

責任者を育てる

 

マネージャーであれば当然の視点です。

ですが、その仕事において、出来る、出来ないはあっても、人間としては、やはり上も下も無いのです。

 

それを、自分の立ち位置から判断し、コントロールしようとすると、いつかは限界を体験するのでは無いかと思います。

 

なぜなら、その視点とは、人の数だけ存在するからです。

マネージャーの視点から見ると、

出来ないように見える人も、

新人から見たら、とても安心出来る人だったり、

お客様からは必要とされていたり、

社長から見るとまた違って見えたりします。

 

それは、私達がとても立体的だからです。

 

それぞれの自己真実に照らし合わせれば、どれも正しく、その人にとって、今、正に必要な事を学んでいます。

 

仕事が出来ないとされる2割の人にも、大きな役割があるという事です。

 

ですから、今の私が大切にしている事は、

みんなで一生懸命やろう!

という事です。

 

ただ、目の前にある事に心を込めて、

自分が、出来るか、出来ないかに囚われるのをやめて、

人がどうなのか判断するのをやめて、

ただ、純粋に

ただ、真剣に

それぞれが持っている、才能を発揮し、役割をまっとうする事に集中していればいいのではないかと思います。

 

 その当時は、分からなかったのですが、

 

世の中は、本当に絶妙なバランスで成り立っています。

 

よく、人間が自分達の為に害虫駆除をしたらその虫に食べられるはずたった生物が、爆発的に繁殖したという話を聞きますよね。

 

人間が行う、生態系の破壊により絶滅する生物は、17300種以上に上るそうです。

 

私達は、

自分達の利益の為に、

自分達の価値の証明の為に、

この自然界の絶妙なバランスを変え、自分にとって良い風にコントロールしようとしてしまいます。

 

今こそ立ち止まって、

「それにしても、これは何の為にやってるんだっけ?」

 

ともう一度考え直し、視点を変えて全体の調和を目指していけたらいいなと思います。

 

今日も、わたくし、あるがままを受け入れて、ただ目の前にある事に真剣に向き合いたいと思います(´∀`)

 

今日、バレンタインのチョコレートが売れなくても、わたくし、あるがままを受け入れて、自分で食べたいと思っております。

 

ですから、皆様、お気になさらずね!

オホホ!

 

でも、買いに来て下さっても、もちろんあるがままを受け入れます(*´ω`*)アハ!

 

どうぞ、どうぞ、ヨロシクお願いいたします(;゙゚'ω゚'):

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アチャー!しもたー!ばかり言っていた私が覚えた、スムーズに物事と関わる方法

こんにちは!

サナブリ真木です。

今週水曜日の里の市は、企画が盛りだくさんです!

バレンタイン直前という事で、わたくし、オーガニックナッツをたっぷりのせた木の葉のチョコレートを作るワークショップをします。

 

すごく簡単ですが、素材の良さを楽しんでいただけたらと思っていますので、ぜひ、皆様参加してください(๑˃̵ᴗ˂̵)お子様連れも大歓迎です!

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 そして、今回、特に皆様にお知らしたいのが、

「しゃべるの時間」にお呼びしました、

宮崎えいき君(32歳)の事です。

 

宮崎君は、自分の難病体験などから、安全な食べ物や、環境への関心を持ち、気付い人の責任で誰かがやらねばと、政治活動をしています。

 

この前、里の市で話した時に、彼はこのように言っていました。

 

「僕がやるのでは無く、みんなの代表として、僕が役割をいただいたんだと思っています。僕は、結婚もしていませんし、子供もいません。だから身軽に動ける今、問題に気付いた人の責任を全うしていきたいと思います。」

 

宮崎君は、毎週里の市に来て、出店者さん1人1人と、話をしながら何かしら1つずつ買ってくれています。

 

買うという行動を通して、未来を考える出店者や生産者さんに清き一票を投じてくれているのだと感じます。

 

私は、若くて、未経験ながら、私達の代表として、本気で地域の為に考え、動こうとしている宮崎君を心から応援したいと思っています。

 

時間のある方は、ぜひ、宮崎君の話を聞きに来てください!

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8日は、根っこさんのライブもあります。

心震える大地と人をつなぐ根っこの音楽です。

寒いとは思いますが、ぜひ里の市に遊びに来てください!お待ちしております(´∀`)

 

 

 

今日は、私が最近になって、やっと分かってきた、仕事や家事や勉強などを、本当の意味でスムーズに行う方法について書きたいと思います。

 

私は、子供の頃からエネルギーが有り余っていて、ほとんどの時間をパワフルに過ごしてきました。

 

そのせいなのか、とにかく物を落としたり、こぼしたり、頭を打ったり、躓いたり、ドアに挟まったりする事が多く、不注意極まりない行動で、「アチャー!」を繰り返してきました。

 

小学校の時に、ランドセルを開けたら、大きなお皿が飛び出して来て、ものすごく恥ずかしかった事は、今でも忘れられません。

 

(どれだけ焦ったら、間違えるのか?これはもう、完全に、不注意の領域を超えていますが(・・;))

 

ですから、何においても早く出来るのですが、こぼしたものを片付けたり、頭にコブが出来たりと、終わった後に、なんだか自分が嫌になっちゃうような感覚があり、スッと終わらせるという事がなかなか出来ませんでした。

 

何事もスムーズな人と、私のようなドジな人は、何が違うのか?

 

私は今まで、

「私ってはそういうタイプやん?」と自分を納得させてきたのです。

 

ですが、ドジの本当の理由が、分かりました。

 

それは、私が

頭で考えた事と、身体の感覚が一体になっておらず、身体の中心から動けていなかったから

 

でした。

 

私達人間は、

手を動かそうと考えて手を動かし、

足を動かそうと考えて足を動かし、

このように話そうと考えて口で言葉を話します。

 

そして、脳を頼りすぎていると、身体の感覚が置き去りになってしまい、手だけで物を取ろうとしたり、足だけで歩こうとしたり、口だけで話そうとしたりしてしまうのです。

 

私も始めは、何の事だかさっぱり分からなかったのですが、人間にも物にも中心があるそうです。

 

人間でいうと、おヘソの下の奥の方にある、丹田というやつです。

 

その中心から、全てのものに関わる事の大切さを1年前に教えていただき、それ以来私は、日々、中心から!中心から!と自分に言い聞かせて過ごしてきました。

 

手で物を取るのではなく、中心からのエネルギーが手を動かし、物を取るというイメージです。

歩く時も、中心から!

本を読む時も中心から!

勉強する時も中心から!

そして、子供に何かを教える時も、中心から!中心を子供に向けて!と意識してきました。

 

すると、だんだん自分の動きに安定感が出てきました。

 

ワチャワチャ、ガヤガヤ、ドタバタやっていたのが、だんだん、静かになってきました。

 

そして、不思議なもので、言いたい事が伝わるようになってきました。

自分が言った事で、

「そうじゃないんです!そういう意味じゃないんです!」

という勘違いをさせる事も減ってきました。

 

ぶつかったり、怪我をしたりする事も減ってきました。

 

何よりも、気の流れのようなものを感じられるようになってきました。

 

感覚が研ぎ澄まされてきたように思うのです。

 

言葉で説明するのは、難しいんですが、私達は、とても脳に頼って暮らしています。

 

頭が思考で埋め尽くされ、いつも、自分を守る為に、脳からの命令に従って、急いだり、頑張ったりしています。

 

ですが、

本当に必要な行動や言葉を紡ぎ出す時、私達は、脳や、感覚や、気の流れと一体になる必要があるのです。

 

この感覚と一体になる為には、頭が静かである必要があるわけです。

 

ですから、私はとんでもなく、うるさかった思考を静める為に、自分の価値観を手放し、判断するのをやめて、

「ただそのように、中心から関わる」

という事を意識してきました。

 

今、私は、口先や小手先では、何事もうまくいかないのだという事を、体験を持って実感しているところなのです。

 

私達は、気がついたら、いつの間にか、すごく頑張っています。

人によっては、頑張らない事を頑張っている人もいるでしょう。

 

何故か、自分には価値が無いのではないか?という不安が漠然とつきまとい、

 

受け入れられるように

認めらるように

 

こうしなければ!ああしなければ!

と呼吸をし、行動し、言葉を発します。

 

その源が不安であると、脳からの命令に焦って対応してしまうのです。

 

頭を静かにし、自分の中心を感じてみる

静かに静まり返った内側から浮かび上がってくる感覚の方を信じてみる

気の流れに意識を向けてみる

 

こういった、目に見えないものこそが、私達にとって、とても大切な、次にどうすれば良いのかを教えてくれるのでは無いでしょうか?

 

今日も、頭を静かにし、丁寧に、全ての事に中心から関わっていきましょう。

 

ペンを持つ時、

包丁を握る時、

洗濯物を干す時、

子供のオモチャを片付ける時、

せんべいを食べる時、

手だけでなく、身体の中心から行いましょう。

 

そうすると、自然に、もう片方の手が、口の下にのびて来て、食べた時に落ちる、せんべいのかけらを受けようとしてくれるはずです。

 

その時の顔は、何故か不思議と、セレブマダムのようになってしまうはずです。

「このおせんべい、美味しいわね。オホホ」

と言っておきましょう。

 

子供に何かを伝える時は、自分の中心を子供に向け、子供の目を見て、話しかけましょう。

 

そうすると何故か

「わたくし、この前も言ったザマスわよね。」

と言葉がやわらかくなるはずです。

 

中心の力により、皆様の1日が光に満ちている事を祈っています!

 

今日も読んでくださってありがとうございました!また、お会いしましょう(´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛み」から逃げたくて、必死に逃げ回っていた私ですが、最近痛みとの向き合い方を覚えました!

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

サナブリでは、2月1日から2月14日まで、バレンタインスイーツプレートを販売しています。

 

一押しのショコラスイーツを4種類、贅沢に召し上がっていただけます。

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☆チーズマーブルショコラ

☆テリーヌショコラ

☆オレンジショコラのビスコッティ

☆ホワイトチョコのマーブルアイス

750円です♪

チョコ好きの方は、ぜひこの機会にご来店下さいませ〜!

 

夜は2月中、熱々アヒージョフェアをやっております。

アヒージョのオイルをパンに付けて食べるのは本当に美味しすぎて、危険です!

 

アヒージョ好きの方もご来店お待ちしております(´∀`)

 

さて、今日は、私が、本当に嫌いで、怖くて、一番受け取るまいと、逃げ回っていた「痛み」について書きたいと思います。

 

私は子供の頃から痛い事が大嫌いでした。

注射、怪我、腹痛、頭痛、筋肉痛でさえも、とても嫌で嫌で、何とかして逃げ切れないものか?と考えていました。

 

ついでに言うと、暑いのも寒いのも嫌いでした。ジメジメしているのも、虫に刺されて痒いのも、雑音がうるさいのも苦手でした。

 (自分はすごくうるさいのに(^-^;)

 

そして、肉体の痛みだけではなく、勿論、心の痛みもとても嫌いでした。

 

傷つくのも、傷付けるのも、罪悪感も、世の中の心が痛むニュースも、とにかく避けたくて、なるべく、受け取らないで済むように、心に鎧を着て、痛みを感じずに、痛みを跳ね返せるように工夫して生きてきました。

 

そうする事で、強くなれたと思っていましたし、自分が強くなる以外に方法は無いのだと思っていました。

 

でも、最近になって分かった事があります。

 

私を苦しめていたのは、本当は、痛みでは無く、痛みを受け取るまいとする私の判断の方でした。

 

これは、愛そのものとなって生きる事を教えていただいている先生から伺った事です。

 

先生は、このように仰っていました。

 

 

痛みと苦しみの違いは何だと思いますか?

 

ライオンの子供がサバンナで怪我をして動けなくなった時、ライオンのお母さんは、群の為にもその子を置いて行かなければなりません。

空にはハゲワシが、今にも飛びかかろうと子供のライオンを狙っています。

そんな時、ライオンのお母さんも、ライオンの子供も、とても悲しい目をしています。

痛みを抱え、悲しみと共にいるのです。

でも、嫌だ!それは出来ない!と暴れたりしませんし、パニックになったりもしません。

お母さんは、はっきりと理解した上で、2回3回振り返りながら、子供をそこに残して前に進むのです。

静かに痛みと共にあり、それを受け入れているのですね。

想像するだけで、とても悲しいですね。

 

痛みというのは、生きていれば必ず起こる事です。

それを受け取るまいとすれば、必ず苦しみが生まれます。

ですから、痛みはいらないと拒否しなければ、ただ痛いだけなのです。

痛みが無い人生なんて、愛は育たないんですよ。だから、人生に痛みは必要です。

痛みと闘わない事です。逃げようとしない事です。

ただ、痛みと共にいればいいのです。

痛い自分を客観的に眺める事です。

そうしていれば、静かに終わっていくのです。

 

 

私は、このお話を聞いて、とても思い当たる節がありました。

 

それは最近、

これは、欲しい!

これは、いらない!

 

と起こった事を判断するのをやめ、コントロールしようとせずに暮らすようにしていたら、だんだん痛みが怖く無くなってきていたのです。

 

というのも、あんなに苦痛だった、火傷や怪我、罪悪感や、周りの人からの反発がだんだん、苦しくなくなり、

あれ?

そんなに痛く無いぞ?

思ってたより全然大丈夫やん?

何であんなに怖かったのかな?

と感じるようになっていたのです。

 

これは、間違いなく、痛みを受け入れられるようになってきたからだと思います。

 

私がどうしても抜け出せなかった苦しみは、痛みを受け取らないという、自分自身の価値判断からやって来ていたのです。

 

褒められるのは欲しい

貶されるのはいらない

優しさは欲しい

厳しさはいらない

あたたかさは欲しい

冷たさはいらない

愛は欲しい

孤独はいらない

 

と自分に起こる事を、受け取ったり拒否したりと選択し判断していたので、色んな所で闘いが生じていました。

そして、闘えば相手は強くなるという法則から、私の敵はどんどん大きくなっていったのでした。

 

今、私が日々感じているのは、

「やっぱり自分にとって必要な事しか起きないんだな。」

という事です。

それを確信してしまえば、起こる事1つ1つにそんなに怯えなくてもよくなっていくんですね。

 

私は、自分にとってマイナスな事が起こる事を避ける為に、中長期的な目標を決め、それを今日の行動に落とし込み、一生懸命欲しいものだけが手に入るように、コントロールしようとして生きてきました。

リスクマネジメントが甘いと大変な目に合うかもしれないと、いらないものが入って来ないように、気を張って見張りながら、頑張ってきました。

 

でも、考えた事、言った事、行動した事の源は何だったのか?と聞かれたら、今考えると、不安だったとしか言いようが無いと思うのです。

 

不安という意識状態は、呼吸、言葉、行動を司り、不安になる現象を連れて来ます。

 

ですから、私は、起こる事1つ1つを受け取るか受け取らないか判断するのをやめて、全部マルッと受け取って行きたいと思うのです。

 

痛みや悲しみも、ただ純粋に受け入れて、判断せずに、ただ丁寧に今と共にあるという体験を通して、愛を育て深めていけたらと思います。

 

今日も、痛みと共に過ごしましょう。

今ある身体や、心の痛みは、私達の愛を育てくれます。

やはり、痛みを体験しないと、人の痛みが分からないんですね。

やっぱり、必要の無いものなんて、本当はひとつも無いという事ではないでしょうか?(´∀`)

だから安心して、感謝して受け取りましょう!

 

必ず、あの時あれがあったから、今の私が在るんだと言える日が来るのだと思います。

 

痛みの分だけ愛を深める事が出来るんですね!

神様、いつも最高のギフトをありがとうございます。

 

今日も読んで下さってありがとうございました(´∀`)また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コミュニケーション能力とは何か?本当のコミュケーションはどうすれば生まれるのでしょうか?

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今日は、先日学んだ、本当のコミュニケーションについて書きたいと思います。

 

私達は、日々たくさんのコミュニケーションを行なっています。

 

家族、職場、お客様、店員さんなどなど。

 

私は今まで、コミュニケーションとして、人にどういう言葉をかけるか?をとても大切にしてきました。

 

「ありがとうございます。」

「お世話になります。」

「素晴らしいですね!」

「期待しているよ!」

「出来ない事を気にしなくていい。出来る事に集中しよう!」

 

というように、前向きであたたかい言葉をかける事を意識し、実際その様に言っていました。

 

そして、小さな頃から超おしゃべりだった私は、コミュケーション能力には自信がありました。

人に伝えるという意味では、人の3倍の量の言いたい事を全部言う!伝わるように言う!という事に磨きをかけてきたからです。

 

これは、悲しいかな、5人兄弟の2番目に生まれた私が、沢山の兄弟を差し置いて親に自分を注目してもらう為に編み出した、必殺技でした。

幼少期は、

 

「真木ちゃんはね!真木ちゃんで、真木ちゃんだよ!」

 

という、どうでもいい情報を、ひたすら大きい声で、ひたすら早く言うという練習を頑張っていました。

 

 

なのに、大人になって「なんかこの言葉、届かないな〜。」と感じる事が多くなってきたのです。

 

今、考えるとその理由がハッキリと分かります。

 

それは、私の目が、そのように言っていなかったからです。

 

私があたたかい言葉をかけながら、全身で発していた事は、

 

「もう少し早くやってくれないかな?」

「ここをもうちょっとなんとかしてくれない?」

「何で出来ないのに努力しないかな?」

「真木さんをもっと大切にしてよね。」

 

という、何とも、求めて求めて求め尽くすというメッセージだったのです。

 

目は口ほどに物を言う

 

とは、よく言ったものです。

昔の人は、本当によく分かってたんですね。

目というのは、考えている事や、その判断を100%反映しています。

 

ですから、
「この人は信用出来ない」
と思って見ていれば、そういう視線になり、
「この人心配だわー」
と思って見ていれば、そういう視線になるのです。

 

私は、物心つく頃から、人の目を見るのが苦手でした。

 

いえ、正確に言うと、人に目を見られるのが、とても苦手でした。

 

どれだけ目線を合わさなければ!と思っても、どうしても身体がそのように動かないのです。

 

これは、正に私の潜在意識がさせている私を守る為の行動だったのだと今は、分かります。

 

思っている事と、言っている事にギャップがあると、バレてはいけない!と自己防衛本能が働くんですね。

 

よく考えると、小さい子供が嘘をつく時のようです。

 

「これ食べた?」

「た、食べてないよ。」

 

と言いながら目が泳ぎまくってる子、いますよね。

 

私は自分の価値観に縛られていた為、そんな単純な事に気付かずに、人に冷ややかな視線を送りながら、あたたかい言葉にこだわっていました。

 

つい先日、

 

人は視線を向けられると緊張する。

人はまなざしを向けられれと安心する。

 

という言葉を教えていただき、なるほどな〜〜!と思ったのでした。

 

私達は、コミュニケーション能力の事を言葉の能力、会話の能力と思いがちです。

 

ですが、本当のコミュニケーションは、やはり在り方で決まってくるのです。

 

どのように感じ、どのように発振しているのか?それは、言葉を発する前に、全身から溢れ出ています。

 

特に目は、言葉以上の発振をしています。

目の奥が笑っていないというやつです。

 

あたたかい眼差しは、全ての人をほぐし、全ての人を受け入れます。

 

ですから、言葉の能力、聴き方の能力、会話の能力を磨く前にやるべき事があるという事です。

 

 

人に何かを伝えよう、人から何かを受け取ろう、人とその場と一体になろうという時に、本当に必要な事はひとつだけです。

 

ただ愛そのもので在る

 

という事ではないでしょうか?

 

何故ならば、視線や眼差しはその人の在り方からやってくるからです。

 

「こんな目をしてやろう!」といくら思った所で、目の奥にあるものは誤魔化せません。

 

 

愛そのもの

又の名を

ニュートラ

又の名を

静寂

 

この在り方である時に初めて、本当のコミュニケーションが生まれるという事です。

 

愛で全てを受け止め、判断せずに、普遍意識とつながって、受け取り、発振するという事です。

 

私達は、本当に言葉に頼って日々を過ごしています。

 

言語能力があり、自分が言いたい事が言える人の事をコミュニケーション能力が高いと判断しがちです。

 

ですが、

本当のコミュニケーションとは、その場が一体になる事だそうです。

 

言いたい事をいくら言えても、調和が生まれなければ、コミュニケイションがうまくいっているとは言えないのではないでしょうか?

 

私は、これから、あたたかい眼差しを送れる人になりたいなと思います。

 

その為に、日々、判断せずに過ごしたいと思っているのです。

 

今日も、周りの人にあたたかい眼差しを送りましょう。

 

そして、人と向き合う時は、相手の目を見つめてみましょう。

 

目を見れば、意外と自分が受け入れられている事に気付くものです。

 

特に、小さい子供の目はキラキラしていて、お母さんに全幅の信頼を置いてくれているんだなと感じたりします。

 

エゴの無い子供の目の輝きから、私達大人も大いに学んでいきたいですね!

 

皆様の1日が今日も輝いている事を祈っています。

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を大切にしなければ、人を大切に出来ないよ!と思っていた私が一番自分を粗末にしていました(。-_-。)

こんにちは!

サナブリ真木です。

昨日は、私の住んでいる伊賀市旧青山町では、急に雪が降り出して、あっという間に、結構積もりました!!

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雪が降ると、

「アチャ〜〜せっかく仕込んだのに、売れ残るかな?これは、やば〜い!」とか

「明日、朝、車で来れるかな?どうしよう〜〜!」

などと言いながらも、顔は半笑いなのは、何故でしょうね??(*´∀`*)

 

子供の頃から、台風や、大雪は、何故かワクワクしてしまう性質でしたが、大人になってもそこはあんまり変わらない私です。

 

今日は、自分を粗末にすると、大変な目に会うんだなと思った話を書きたい思います。

 

私は、基本的には、自分の意見を言ったり、人に頼ったりする事は得意な方で、自分を価値あるものとして扱うという事が、とても重要であると思って生きてきました。

 

なので、「自分さえ我慢すれば」という考え方がとにかく嫌いでした。

 

子供に高い服を着せ、習い事を沢山させて、自分には何もお金をかけられないと嘆く、お母さんの話を聞くと、違和感を覚えて無性に気になっていました。

 

また、お姑さんや、会社の上司に、明らかな八つ当たりをされたり、意地悪をされても、何も言い返さずに、じっと耐えている人を 見ると、無性に腹が立つのでした。

 

人は、自分が無理して、我慢して守っているルールを、平気で破っている人を見ると心ザワザワします。

 

ですが、私は喜んで自分を大切にしていると思っていたので、何でこんなに、自己犠牲の精神
が気になっているのか分かりませんでした。

 

やっと最近になって理解した事があります。

それは、実際に私が私を縛っていた強い固定観念のひとつに、

 

「自己犠牲は、喜んでしなければならない」

 

というものがあったという事です。

なので、

自分を大切にしながら、喜んで人に奉仕しなければ何の意味も無い!

 

と、ちょっとこじらしていたのでした(^-^;

迷惑被った人すみません!

 

私は、結局、とても自分を粗末に扱っていたという事です。

 

何故ならば、本当の弱い自分、情けない自分に蓋をして、無理して喜んで、人の役に立とうとしていたからです。

 

この無理をしている時は、自分が無理をしているという事は、分からないんですね。

 

なので、喜んでやっているはずなのに、やたらと疲れます。

 

喜んでやっているはずなのに・・・

 

身体の声を聞かずに食べるものを選び、

味わい尽くす事なくムシャムシャと食べ続け、

鏡を見る事なく髪を束ね、

見たく無いのにテレビを見て、

寝ていたいのに起きて、

疲れているのに出かけ、

傷ついているのに笑い、

頼りたいのに背負い、

怒りたいのに感謝する

 

というように、本当の自分の声を無視し始める事になっていました。

 

これを、「自分を粗末にしている」意外何と表現すれば、良いのでしょうか?

 

このように正しさに拘っていると、内側から溢れてくる、本当の自分の声が聞こえなくなります。

 

すると、私達は自分の価値観から来る、正誤や善悪、損得で判断をするようになります。

 

この判断は、源をたどって行くと、やはり不安から来ている事が多いのです。

 

ですから、この不安からくる意識状態で、どれだけ愛のような行為を行った所で、目の前に現れる現象は、不安そのものという事になります。

 

私が体験した、

「あれ?こんなに人の為に頑張ってるのに、なんか報われないな?」

という体験は正にそれを証明しています。

 

愛のように見える行動愛そのものの行動

とは、全く別のものです。

 

愛そのものの行動とは、愛そのものという在り方からやってきます。

 

ですから、自己犠牲という考え方自体が無いんだと私は思います。

 

愛そのものとは、喜びそのものです。

 

誰かの為に生きるのでは無く、

全ての為に生きる事なのだと私は思います。

 

これは、確信を持って言えますが、

本当は人も自分もひとつなんです。

 

だから、どっちかを大切にして、どっちかを粗末にする事は絶対に出来ないんですね。

 

私が握りしめていた

「自分を大切にしなければ人を大切にする事は出来ない!」

 

という理論は、一見そんな感じもしますが、自分と人とを分けて考えずに、全部同じで、全部同時でいいんだなという事が分かった今日この頃です。

 

だから、人も自分も大切にしましょう!

 

大切にするという事は、自分の心の声、身体の声を聞くという事です。

 

大切に丁寧に、愛を持って自分の肉体や精神と関わるという事です。

 

そして、同じように、周りの人、周りのもの、自然、地球、宇宙と関わる事が、愛を発振するという事なのではないかと思います。

 

今日も、目の前にある全てを大切にして過ごしましょう!

全てを大切にしている人は、必ず大切にされます。そして、心の底から感謝や喜びが溢れてくるんですね。

私のように、無理してやってみても、見事にバレるという事です(^-^;

チキショ〜〜!なんか、恥ずかしいぞ〜!

 

自分を粗末に扱っている人は、必ず粗末に扱われます。

自分の身体に鞭を打つのも、

自分が言いたい事を我慢するのも、

自分を卑下するのも、

自分に笑顔を強制するのも、

 

全部、自分を粗末にしている事になります。

粗末に扱うとは、使い捨てのように扱うという事です。

全てのものにイノチがあるのだと分かった今、私は、やっと心から自分とすべのものを大切にしたいなと思えるようになってきました。

 

勿論、選択は、それぞれの自由です。

正しい間違ってるは無いと思います。

 

ただ、自分にふさわしく無い体験は、みんなで終わらせていけたらいいなと思います!

 

そうして、未来の子供達に、イノチのバトンを渡していきたいなと思うのです!

 

愛のような発言をしてしまったと気づいたら、空を見上げて、

「とか言ってー!」

と、叫んでおきましょう!

それで、ギリギリセーフです!(多分)

 

今日も読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょ〜(*´∀`*)