サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

ワークライフバランスが大切と思っていましたが、本当にそうでしょうか?

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今日は、今まで私が大切にしてきたワークライフバランスについて書きたいと思います。

 

ワークライフバランス

とは、2007年以降、日本が特に力を入れて取り組み始めたもので、

「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」

事を指すそうです。

 

私は2007年、前の職場で、この言葉と出会いました。

私が勤めていた、ABCクッキングスタジオは、当時、女性専用の料理教室で、スタッフも99%が女性でした。

ですから会社の成長に伴い、スタッフには、結婚、出産、介護などの家庭の事情と、仕事のバランスを取りながら、それぞれに合った雇用形態が選べるようになっていきました。

 

私も、この言葉を聞いた時は、自分にとっても、すごく大切な事だなと感じました。

 

ただ、ガムシャラに働くだけでなく、家庭や、地域生活も、人生の中の喜びに直結しており、学ぶ事も多いのでこのバランスを取ってこそ、人は幸せになれるのだと考えていました。

 

ですから、このバランスを取らなければならないという事がいつも頭の片隅にあり、私お得意の、自分をぐるぐる巻きに縛るルールになっていったのでした。

 

そのように、自分に求めていると、人に対しても、そうしなければならないと考えるようになります。

私は、自分に対してもそうであるように、

スタッフに無理をさせてはいけない!

ワークとライフのバランスを取ってもらわなければ!

と強く思っていたのでした。

 

ですが、最近になって、感じている事があります。

 

バランスは、本当に取らなければいけないのか?という事です。

 

最近、私がそのように感じるようになってきたのには、分けがあります。

 

それは、仕事も、家庭生活も、地域社会生活も全部ひっくるめて、本当に心を込めて、めちゃくちゃ真剣にやってみようと思うようになったからです。

 

そのように、暮らしてみると、バランスを考えてる暇も無ければ、バランスを取る必要も無くなってきたのです。

 オンとオフが無くなり、どの瞬間も人生の本番で、ただ真剣に関わる以外する事が無いんですね。

 

本当に自分自身を生ききっている人は、これだというものに、一点集中し、全てを投げ打って、捧げきって生きている人が多いのではないか?

と思うようになってきたのです。

 

私は、これまで、バランスを取ろうとしたり、辻褄を合わせようとしたりするあまり、物事に対しての向き合い方が、中途半端で何かブレブレだったな〜!思うようになってきました。

 

良い悪いは別として、昔の日本は、一点集中の生き方の時代が長くあったようです。

 

生きる為に、食べる為に、働くという、シンプルな一点集中の時代があったそうです。


そして、本当に天皇の為なら、喜んで死ねるという、一点集中の生き方の時代があったと聞きます。

 

師匠に弟子入りして、ただ命をかけてその仕事をするという職人さんが沢山いたそうです。

 

嫁いで、子供を産み、主人に尽くし、子供を育てるという役割をただ生きていた人が沢山いたそうです。

 

昔は、師匠や先生は絶対的な存在だったと聞きます。

 

30年くらい前までは、一度会社に入ったら、自分の価値観に合う合わないなど関係無く、会社の為に定年まで勤めあげるのが当たり前だったとよく聞きます。

 

時代は、どんどん便利になり、どんどん自由になり、本当に多くの情報と選択肢の中で、全てが自分の選択に委ねられるようになってきました。

 

自由で無限の可能性があるはずなのに、何故か得体の知れない不安を抱える人が多くなってきたように思うのは、私だけでしょうか?

 

「これをやっていて大丈夫かな?」

「本当に、私の道は、これなのかな?」

「このまま行ったらこの先に何があるのかな?」

 

と、どうしても、良いとこ取りしたい気持ちになり、こっちをやれば、あっちが気になり、あっちをやればこっちが気になったりしてしまいます。そこで、バランスを取ろうとします。

 

これからの、便利で、自由で、情報の多い時代を生きる子ども達は、バランスを取る事に多くのエネルギーを使って生きていく事になるのでは無いでしょうか?

 

勉強と習い事のバランス

人と人のバランス

家族のバランス

仕事と生活のバランス

心のバランス

 

これらは、確かに上手に生きるためには、必要な事かもしれません。

 

ですが、何にしても、深く真剣に向き合わなければ、本当の面白さや、本当の奥深さ、その意味、その醍醐味は、身体に入ってこないと思うのです。

 

軽く舐めるような関わり方では、自分の自信にもならなければ、社会に、人に、貢献するという大きな喜びまで辿り着いていかないと感じます。

 

あくまで、人それぞれかもしれませんが、私は人生をこれというものに捧げて生きている人は幸せだなと思うのです。

 

何故ならば、それこそが、自分自身を生きるという事ではないかと思うからです。

 

もちろん、何かに集中して生きれば、苦しみや、痛みも深く味わう事があると思います。

 

でも、それは、本当に自分にとって必要な体験であり、それさえも大きな意味では、喜びであり、本当の自分に出会うチャンスなのではないかと感じるのです。

 

そして、その自分の役割とも言える、この人生をかけてやるべき事は、色々やってみたり、聞いてみたり、触ってみたりしなくても、今を真剣に生きていれば、分かってくるように思います。

 

本当に今という瞬間を、真剣に生きようとした時、人は自分の外では無く、内側に入っていくからです。

 

そのように生きていれば、自分の本質から来るメッセージが受け取りやすくなるのです。

 

しかも、何故か、その役割や人や仕事は、まあまあ自分の近くにあるんですね。

 

ですから、

私は、今、目の前にある事に超真剣に関わるという事を、自分の在り方を通して、子供やスタッフに伝えていきたいと思っています。

 

真剣になれる事を探したり、バランスを取ったりして、未来の為の準備をするよりも、まず、今、この瞬間を大切に一点集中して関わる事を教えたいと思うのです。

 

何故なら、未来は、今の連続の先にしかないからです。

未来を生きる事は、頭の中を生きる事です。

 

私は、この難しい時代を生きる子供達の為にも、本当に大人が真剣にならないかんな!と思っています。

 

子供は、いつの時代も大人を見て育つからです。

 

結局、私も、両親が2人共、一点集中して生きているのをずっと見ていたから、その生き方を知ったのだと思います。

 

今日も、目の前の事、人、もの、に真剣に関わりましょう。

これは、なかなか難しい事ですが、、、。

 

私達は、すでに必要なものを持っていますし、必要な環境を与えられています。

 

何も足りなくないから、探さなくてもいいんですね。

だから、今を丁寧に生きればそれでいいと私は思います!

ありがたい事ですね(´∀`)

 

長い文章を読んで下さってありがとうございました〜!

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教育とは何か?人を育てるとはどういう事か?私の父は先生でした。

こんにちは!

サナブリ真木です(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

今日は、英語のスピーチを考えていてまとめた「教育」について書いてみたいと思います。

 

私の父は5年前まで日本で一つしかない私立の農業高校、愛農学園農業高等学校の校長をしていました。

 

父は、私が小学校2年生になる時に、それまで勤めていた明治大学を退職し、自分の母校でもある愛農高校の先生になりました。

 

それから、約30年に渡り、愛農高校で、

神を愛し、人を愛し、土を愛す

という三愛精神を元にした、人間教育に携わってきました。

愛農高校では、聖書、寮、有機農業の3つの柱を通して、圧倒的な密度の教育が行われています。

 

私の母は謎の人物、美和子ですが、愛農の職員では無かった母も、父と同様、人生を本当に愛農に捧げて生きていました。

 

私は、子供の頃、その両親の背中を不思議に思いながら見ていました。

 

どちらかというと2人ともいつも楽しそうな訳でも無く、悲壮な面持ちの事も多かったのですが、とにかく本当に真剣なのです。

 

私は、父の仕事を間近で見ていて、教育とは何か?を考える機会がありました。

 

私が、本格的にスタッフ教育に携わる事になったのは、24歳の時でした。

 

マネージャーとしてスタッフ教育に携わり始めると、教育の奥深さや面白さに一気に引き込まれていきました。

 

コーチングの勉強や人を動かすリーダーシップの取り方ついて自主的に学び、力を発揮するようになっていきました。

 

突出したカリスマ性や、スキルが無かった私は、人を育て動かす事こそ、自分の得意分野であり大きな武器だと考えるようになっていきました。

 

ですから、教育には、特に強いこだわりを持っていたのです。

 

ですが、自分の店を始めて人が育つ場所を作ろうと意気込めば意気込むほど、だんだんうまくいかない事が増えてきました。

 

私がスタッフ教育に対して、一番大切にしてきた事は、期待と承認です。

 

人は、期待され、信頼された時に力を発揮し、承認される事で自信を作ると信じていました。

 

ですから、本当にスタッフにかける言葉や、任せる内容にはとても注意を払っていたのです。

 

それと同時に、自分自身がいつも見本になれるという事も、とても大切に考えていました。

 

なので、常に自分を律し、手本となるべく努力していました。

 

でも、気がつくと、何故かスタッフが苦しそうなのです。

スタッフは真面目で誠実で優秀に成長しているのに、みんな何故か自分に自信が無いのです。

 

私は、「何が間違っているのかを知りたい!」と強く願いました。

 

スタッフが自分の鏡である事は知っていました。

自分は、自信があって、好きな事を喜んでやっていると思い込んでいたので、何故スタッフが苦しくなるのか、全く検討もつかなかったのです。

 

そして、私は、何度も書いていますが、

「そうだったのか!」

という答えに出会いました。

 

それは、私のその行動の、その言葉の、その発振の、

「源は何か?」

という事です。

私が拘っていた、言葉も行動も私の価値観の中では正しい事でした。

ですが、

正しさでは、人のマインドには届いても、人の本質には届かないのです。

私は、自分の在り方を通して

「こうでなければ価値が無い!」

を発振していたのです。

 

 

すべての人が受け取りたいと思っているのは、

「正しさ」では無く「愛」なのだそうです。

 

私は、正しさや、善し悪しに拘るのをやめ、とにかく自分の源を精査しようと決めました。

 

すると、信じられない事に、私の価値観の源は不安で埋め尽くされていたのです。

 

私は、自分が出していた波動を知りました。

 

そして、スタッフや子供とどう関わるのが正しいかを考えるのをやめました。

 

「自分が愛そのものならどうするか?」

 

それだけに意識を向けようと思ったのです。

 

すると、不思議な事が起こり始めました。

私の周りにいる人が自然に成長し始めたのです。

 

これまで私にとって、たくさんいた

「この人に何とか成長してもらわなければ」

という人も、いつの間にか1人もいなくなっていました。

 

私は、

「何をするか?」

よりも遥かに力強い発振がある事を知りました。

 

それは、

「どう在るか?」

という事です。

 

犬も猫も植物も、例え同じ言葉をかけ続けたとしても、その波動が、愛なのか?不安なのか?で全く違う反応を示すそうです。

 

植物に毎日怒りをぶつけれは、本当に枯れてしまうという話を聞いた事があります。

 

人間も同じです。例え何も言わなくても、愛の波動は、人を育て、見守ります。

 

私は、本当の教育が何かに触れたような気がしました。

 

私の妹と弟は、父の勤めていた愛農高校に進学し、3年間、寮で過ごしました。

 

そして色々と苦労して大切な事を学び、卒業の時には、2人とも父の事をとても尊敬するようになっていました。

 

父が、何かを説明したり、教えたからでは無いと思います。

 

ただ近くで、その真剣さを、本当に命を削る姿を見ていたからだと思います。

 

私は、今、人は在り方を通して人を育てるのだと確信しています。

 

人はいつまでたっても、きっと未熟である事には変わりが無いでしょう。

 

ですが、その未熟さに囚われず、ただ真剣に、ただ心を込めて、今、目の前にいる人に向き合っていけば、それでいいのだと感じています。

 

いつも笑顔の人がいたり、

何も言わない人がいたり、

すぐ怒る人がいても、

 

その源が愛ならば、何の問題も無いという事です。

そして、例え、それが不安からきていたとしても、それはそれで、大きい意味では、人を育てているから安心していいと思います。

 

ただ、必要な事が起こるだけなのです。

 

結局、何がどうなっても大丈夫という事です。

 

明日の不安に怯えずに、

昨日の失敗に囚われず、

今を生きたいものだと思います。

 

私達大人が、今を丁寧に生きるという、

自己教育

これこそが、本当に人を育てる教育そのものなのでは無いでしょうか?

 

日々精進していきたいと思います。

 

今日も読んでくださってありがとうございました!

今日は、真面目なまま終わりま〜〜す!

また、お会いしましょう〜(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は、

 

 

 

私達は、日々色々な事を発振して生きています。

 

発信では無く、発振なのは振動で広がっていくからです。

 

そして自分の意識状態から発振された事を見事に私達は体験して生きています。

 

 

 

 

最近、英語を習い始めました!これが自分でも信じられないのですがめちゃくちゃ面白いんです。

こんにちは!サナブリ真木です。

久々の投稿になってしまいました。

 

最近バタバタと、忙しくしておりまして。

 

何がそんなに忙しいかと言いますと、わたくし習い事を始めたのです。

 

自分でも信じられないのですが、生まれてこの方、習い事などほとんどした事がなかった、私が習い始めたもの、それは英語です。

 

私は、中1で英語に挫折してからというもの、全く授業を聞いておらず、be動詞が何かも分からずに生きてきてしまいました。

 

なので、

「英語怖い!」

「外国人怖い!」

という変な固定観念を強く持っていたのです。

 

そんな、私が英語を習う事になり、今夢中で体得を目指して学んでいます。

 

このレッスンというのが、英会話ではなく、本当に言いたい事を、英語でシェア出来るようになる為に、日本語からブラッシュアップして、言語体系を学んでいくという、

Supreme English Course

なのです。

 

一緒に習っている方は、皆さん、語彙があるので、私は今、必死に英単語を覚える毎日です。

 

実際に習ってみると、他言語とはなんと面白いものでしょうか!!

 

自分が言いたい事を英語にする時、まずは、自分が本当に言いたい事にフォーカスしなければなりません。

 

そして、いらない部分をそぎ落とし、出来る限りシンプルにし、私が発音出来て、誰もが分かる言い方を探していきます。

 

この作業が、私にはたまらなく面白いのです。

何故ならば、私には本当に伝えたい事があるからです。

 

毎週、本当に言いたい事を英語で5分間スピーチするという宿題があり、私は、言いたい事を英語にするという事に、とても真剣に取り組んでいます。

 

いくら考えても、英文がわいてこない私は、調べて作って100%暗記して行くしかありません。

ですが、暗記する前に、これが合っているかも分からない為、今は、秀才の義理の妹にスピーチを添削してもらっています。

 

正に、英語を習う為に英語を習っているという状態になっています。

 

こうして、真剣に取り組んでみると、何であんなに英語が嫌だったのか?不思議で仕方ありません。

 

今は、本当に楽しくて仕方無いのです。

というのも、英語を話す為には、本当に日本語をブラッシュアップしなければならず、今まで、自分がいかにダラダラといらない情報を入れていたかに気付かされます。

 

それが、またとても勉強になり面白いんです。

 

自分が本当に言いたい事を整理し、シンプルな文章を作り、またそれを他言語で表現するという事は、脳の構造を立体的にするのにとても役立つそうです。

 

今の私には、ピッタリの勉強なんだと思います。

 

何故英語を習い始めたの?と聞かれれば

「そこに英語があったから」

と言うしかありません。

 

私は今まで、目標ありきで生きてきました。

こうなる為にこれをしよう!と未来の為の投資と準備に人生の大半の時間を使ってきたのです。

 

ですが、私は生き方を変えようと決めました。

 

未来への不安を手放し、今目の前で起こっている事、目の前にいる人、目の前にある、すべてをマルッと受け入れ、今という瞬間にこころを込めて、フルコミットで味わい尽くそうとしているのです。

 

そうしてみると、驚くくらいのノンストレスでいられます。

 

私は、自分に対して、本当に多くの固定観念を持って生きてきました。

 

私とは、こういうものだと強く思い込んでいました。

 

その観念を手放してみると、信じられないくらい、身軽で自由になりました。

 

私の世界は、今、どんどん広がり続けています。

一番、自分で意外に感じた事は、ブログを書いている事と、英語を習っている事です。

 

これは、間違いなく私がプライドを手放す事が出来たからこその行動だと思います。

 

自分が、現時点で全く出来ないことを、恥ずかしいとか、かっこ悪いとか、苦手ー!とか感じずに、ただ、チャレンジする。

 

これは、プライドを強く握りしめていた頃には絶対に出来なかった事だと思います。

 

私が、身軽になった一番の理由はここにあります。

人間は、いつの間にか、虚栄心にがんじがらめに縛られていくのではないかと思うのです。

 

そして、色々手放せても、最後に虚栄心だけは残る場合も多いそうです。

 

それほど、私達は、虚栄心にしがみついて生きています。

 

そして、この虚栄心こそが、私達に痛みや苦しみを運んでくるのかもしれません。

 

この、「私はこうでなければならない」という虚栄心が、私を生きにくくしていたんだな〜〜と実感する日々なのです。

 

この身軽さと喜びを、本当に英語でシェア出来るようになったら面白いな〜〜と今、思っている所なのです。

 

私が、真剣に英語を学んでいると、主人がいつの間にか、サナブリEnglish cafe なるものを企画してくれていました。

 

伊賀名張のALTの先生や、外国人の方と、英語を話したい日本人の方が集まってお茶会をするというものです。

 

意外と英語を話せる日本人の方ってたくさんいるんですね!気にして見てみると、私の周りにはたくさんいました〜〜!本当に尊敬します!

 

また、詳しく決まりましたら、連絡させていただきます!

 

今、習いだした所なので、まだ、私はいざとなると

「I can not speak Englis」

くらいしか言えません。

くれぐれも日本語が話せる方は、英語で話かけないようにお願いいたしますね!

 

そのうち、私が、ルー大柴のような話し方になっていても、その時はそっとしておいてあげて下さい(^_−)−☆

 

読んでくださってありがとうございました〜〜!

また、お会いしましょう(´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の愛とは何か?愛情との違いは何か?今の時代に必要だと感じる私が目指す在り方について。

こんにちは!

サナブリ真木です^_^

 

今日は、本当の愛とは何か?について書きたいと思います。

 

私は、今まで、愛とは愛情の事だと思っていました。

ですから愛には対象があり、愛を向けるべき相手と、そうではない相手がいると思っていたのです。

 

特に、家族や、スタッフ、お客様、生産者さんに対して、いかにして愛を伝えるか?という事を考えてきました。

 

私の価値基準の中で、判断し、愛を向けるべき対象を選んでいたのです。

 

誰に対しても、穏やかで優しくありたいと願い、愛のような言葉をかけるように努力しながら、一方では、とても粗末にしているものがありました。

 

それは、自分や、身のまわりの物達や、私の価値観にそぐわない人達です。

 

15年くらい前、テレビ番組で、日本人1億人の縮図という事で、1000人の人を、子供からお年寄りまで集めて、アンケートを取るというものがありました。

 

あなたにとって一番大切なものは何ですか?

いう質問に対して4つの選択肢がありました。

 

①お金

②健康

③愛

④仕事、勉強

 

私は、それを見ながら、そりゃ愛やろう!と思いました。

 

ですが、結果一番多かったのは、①のお金で実に8割の人がお金を選んでいました。

 

私は衝撃を受けました。

私には、子供の頃から、お伽話、聖書の言葉などで、お金を一番大切にしている人は、酷い目に合うというイメージが焼き付いていたのです。

ですから、もちろん、みんなもそうだろうと思っていたんですね。

 

私は、自分の価値観の中で、愛は最も重要であり、最も正しいと信じていたのです。

 

ですが、ここ1年の学びの中で、本当の愛には対象は無く、正しさでも無く、

愛とは、状態である

という事を学びました。

 

始めは、意味は何となく分かっても、ピンと来ませんでした。

 

ですが、今はその意味がよく分かるようになってきました。

 

本当の愛という状態は、全てを受け入れ、全てを見守ります。

 

自分の価値観や、条件や、願望というフィルターを通さずに、ただ受け入れ、ただ大切に感じるという事です。

 

正にマザーテレサのような状態です。

マザーテレサは、宗教も、国も、年齢も、家柄も一切関係なく、すべての人を愛し、受け入れました。

 

愛という発振が起こり始めると、自分を愛し、家族を愛し、全ての人、全てのものに対して、本当の関心が生まれてきます。

 

先日も書きましたが、本当にすべてのものが受け取りたい波動は、1つしかないそうです。

 

それは、

「I love  you」の波動です。

 

言われてみれば、本当にそうだなと思います。

私も確かにそれ以外は、いらないなと思うのです。

嫌われたくないし、求められたくもありません。

 

昔は、子供はみんな、親や、隣のおじさんに叩かれながら育ったそうです。

 

でも、今のように、すぐ暴力だ!虐待だ!とはなりませんでした。

子供も健全に育ちました。

今と、何が違うのか?

きっと、

「源は何か?」

これに尽きるのではないでしょうか?

 

本当に源が愛ならば、人は怒られても、叩かれても、必ず分かるのです。

それが本当の関心であると。

 

私達はこれから、子供達や社会に本当の関心を向けていかなければと思います。

 

「愛情が不足している」

とよく言いますが、本当は、そういう問題ではないではないでしょうか?

 

私達が愛情と愛を混同して認識し、自分の価値観で対象を選び、自分の価値観で愛情を示している事が、大きな社会課題を作っているのではないかと思います。

 

何故ならば、その人の価値観にそぐわない人は愛されないという、認識が小学生くらいになると明確に起こってくるからです。

 

だから不安になります。

だから足りないと感じます。

だから価値を足そう、価値を証明しようとします。

みんな愛されたくて、受け入れられたくて、必死にならなければなりません。

 

そして、頑張ったり無理した結果、人に対しても、同じように自分の価値観で判断するようになっていくのです。

 

今、私は自分がやるべき事は、1つしかないと確信しています。

 

それは、愛という状態になるという事です。

 

人も、生き物も、物も、すべてのものが、ただありのままで愛される事を願っています。

 

自分は愛されたいと強く願っていながら、人間だけは、自分にも人にも強く、こうなるべきだ!求めています。

 

まず、その強い固定観念はどこからやって来たのかを知り、終わらせていく事が、愛という状態になる第1歩ではないでしょうか?

 

自分の価値観を手放し、ニュートラルな状態で、すべてを受け入れられる人が、今の世の中には、たくさん必要だと思います。

 

もし、読んでくださっている方の中で、私の言っている事に共感して下さる方がいらっしゃったら、私と一緒に愛そのものになる学びをしませんか?

 

私は、たくさんの大人達が、自由で、輝いて、愛そのものになっていく事が、未来の子供達にイノチのバトンを渡す事だと考えています。

 

同士がたくさん欲しいな〜と思うのです!

興味をお持ちの方がおられましたら、また、気軽に声をかけていただけたら嬉しいです!

 

今日も、ありのままの自分、ありのままのあの人を愛しましょう。

 

私達は、たくさんの事を勘違いしています。

本当に、足りなくなんてないんですね。

 

ただ必要があって、そう現れているだけなのです。

だから、安心して受け取ればいいんですね。

 

皆様にとって今日という日が、愛そのものという光で輝いていますように。

 

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名張中学の「働く人から学ぶ会」にお招きいただき、熱い話をして来ました〜〜!

こんにちは!

サナブリ真木です。

先日、名張中学校の「働く人から学ぶ会」にお招きいただき、中学2年生を対象に飲食店経営についてお話をさせていただきました。

今日は、そこでお話した事について書きたいと思います。

 

何を話そうか考えた時に、思い出した事があります。

それは、中学生の時の話です。

 

ALTの先生が英語の授業中にやって来て、私達生徒に質問しました。

「Who is your favorite musician?」

(あなたの好きなミュージシャンは誰ですか?)

 

日本人の先生が、

「アイ ライクマイケルジャクソ〜ンでもいいし、アイ ライク チャゲ&飛鳥〜でもいいから、1人ずつ答えて!」

 

と言いました。

一番最初の子が、小さい声で、

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

2番目の子も、下を向いて

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

 

私は、その時、長渕剛が好きだったので、

だんだんドキドキしてきました。

(どんな女子中学生や!)

 

「アイ ライク ツヨシ ナガブチ」

と心の中で何回も言いました。

 

ですが、次の子も、その次の子も、

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

私の番になり、私もとうとう

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言い、40人全員が結局

「アイ ライク チャゲ&飛鳥

と言いました。

 

私は、これは一体何なんだろう?と愕然としました。

自分が本当に好きなミュージシャンを誰も言えないなんて!

もちろん、本当にチャゲ&飛鳥が好きな人もいたと思いますが、どう考えても、みんな下を向いて恥ずかしそうに、別に好きじゃない雰囲気で言っていました。

 

それくらい、自分が好きなミュージシャンをみんなの前で言う事は、怖い事だったのです。

 

私は、その体験を名張中学の生徒さん達に話して、このように伝えました。

 

私は、心から料理を作ったり、お客さんに喜んでもらったりする事が好きだから、この仕事につく事にしました。

だから、すごく楽しかったんです。

ですが、だんだん、いつの間にか、

「利益を上げなければならない」

「経営者はいつも感謝していなければならない」

「お客さんの要望にはできる限り応えなければならない」

など、自分の価値観に、強く縛られていきました。

すると、だんだん不安になってきて、

人がどう思うかを気にし過ぎて、

自分が何が好きなのか?

自分が何にワクワクしているのか?

自分が何をしたいのか?

分からなくなっていったんです。

 

私の周りにも、大人になるに連れ、人に受け入れられているかの不安により

自分には、何が出来るのか?

どうしたら受け入れられるのか?

頭で考え過ぎて

自分が何がしたいのか分からないとと言っている人が沢山います。

 

だから、今日は、みんなに伝えたいんです。

 

みんなの中には、もれなく必ずパーフェクトな才能があります。

こんな事、出来てもしょうがないなと、自分の才能を甘く見ているのは誰だと思いますか?

これが出来たら100点で、これが出来ないから30点と点数を付けているのは誰だと思いますか?

 

私は、

自分を理想の型に押し込んで、動きを制限していたのも、

自分に点数を付けて、あきらめていたのも全部、

自分自身だったんだなと気付く事が出来ました。

 

その気付きがあったから、今があります。

今は、自分の仕事がとても楽しく、毎日が輝いています。

だから、みんなも本当の自分の声を聞いて下さい。

お母さんがどう思うか?

お父さんがどんな顔するか?

テレビの人が言っていた事

ネットに書いてあった事

本で読んだ事

友達が言っていた事

先生が言っていた事

 

もちろん聞いたらいいし、影響を受けたらいいと思います。

でも、そればかり考えていると、だんだん聞こえなくなるものがあります。

 

それは、ワクワクが教えてくれる魂の声です。

 

これを聞かずに、毎日がやらなければならない事に埋め尽くされていくと、仕事がしんどくなります。

生きるのがしんどくなります。

 

でも本当は、世の中に、しょうもない仕事なんてひとつも無いんですよ。

しょうもなく感じるのは、甘く見て真剣にやっていないからなんです。

どんな仕事でも、超真剣に心を込めてやっている人がいます。

 

それが本当の一流のプロフェッショナルです。

 

超真剣にやれば、どんな仕事も本当は面白いと私は思います。

だから、自分のワクワクに耳を傾けて、真剣に出来る事をやりましょう。

 

どんなものであっても、自分の好きなものや出来る事を見くびらない事です。

そして、人の好きなものを笑わない事です。

本当に真剣に生きていたら、そんな事出来ないんですよ。

 

私にとって仕事は、喜びそのものです。

 

みんなも本当の自分の声を大切にして下さいね!

 

以上です。ありがとうございました!

 

 

 

 

今時の中学生も、私の時代と変わらずシャイでした。

 

でも、私が今現時点で出来る最大のパワーで、自分の目を輝かせて話して来ました。

 

私に、何が出来るかはよく分からなかったのですが、

ただ純粋である事

ただ愛である事

を自分の在り方を 通して発振したいと思ったのです。

 

どこまで行っても、自分がやるべき事は、それしかないのだと確信する日々です。

 

何故ならば、人も、その他の生き物も、物も、全てのモノが受け取りたい波動は1つしかないそうです。

 

それは、

「I love you」の波動です。

 

私が如何に優秀で、

私が如何に知識があって、

私がどれだけ努力して、

私が何点の人間か

そんな事は、周りの人にとっても、中学生にとっても、全てのモノとっても、本当にどうだっていい事なんだと思います。

 

 

ただただ、誰にとっても、唯一重要なのは、

「I love you」

をくれるのか?という事です。

 

ですから、私は自分が何点かにこだわるのをやめて、人に「I love you」を送れる人間になりたいと思います。

 

本当にそうなりたいと心から願っているのです。

 

今日も、愛という発振をしましょう。

その為に、まず、自分を許し自分に愛を送りましょう。

 

一番、自分の点数にこだわっているのが誰なのか?

気付いたら、とりあえず、一旦2万点くらい付けておきましょう。

 

本当に誰も、私達に点数なんて付けられないですよ。

だって、本当にパーフェクトなんですもん!!

 

今日も読んでくださってありがとうございました(´∀`)

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

組織で働く時に、よく起こる問題。この問題を解決する為に必要だったのは、ズバリ自分の視点を変える事でした。

こんにちは!

サナブリ真木です。

今日は、バレンタインデーですね!

サナブリでは、今日まで、バレンタインチョコレートと、焼き菓子の販売をしています。

 

♪今日、バレンタインか!忘れてた〜〜!と思っている方、

♪旦那さんの分どうしよっかな〜〜!と思っている方、

♪ただ、バレンタインにかこつけて自分が食べたい方、

♪ほんで、バレンタインて何やねん!と怒っている方、

 

わたくしは、皆様のご来店を心よりお待ちしております!

  

今日は、久々の投稿になってしまいましたが、2月10日のバレンタイン料理教室のお知らせもさせていただきます!

☆チーズ入り煮込みハンバーグ

☆温野菜の味噌ディップ

☆コーンドレッシングのサラダ

☆さつまいも大豆大根の豆乳スープ

フォンダンショコラ

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昼の料理の部

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ザッハトルテ

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夜の料理の部

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雪と、風邪などで、来れ無くなってしまった方も多かったのですが、今回も楽しく作る事が出来ました!参加して下さった皆様、本当にありがとうございました。

 

 

さて、今日は、私が考える、組織で仕事をする事の難しさと、組織だからこそ体験出来た学びについて書きたいと思います。

 

私は、今まで、ほとんどの仕事を、組織の中でしてきました。

1人で仕事をするより、私にとっては、チームで動く事の方が魅力的に感じましたし、そこから学ぶ事にとても興味がありました。

 

一番多い時で、約30人のスタッフがいる店舗を3店舗、管轄した事がありました。

 

そうなってくると、自分がいかに動くかでは無く、いかに仕事を任せ、適材適所で人材を配置するかが重要になってきます。

 

そこで、私が、日々感じ、重要視していたのが、

「働きアリの法則」

です。

通称、2:6:2の法則とも言われています。

アリは働き者だというイメージがありますが、

2割がすごく良く働き

6割が普通に働き

2割が働かない

のです。

このよく働く2割のアリを、取り除いても、不思議と、その残りのアリで2:6:2で構成し直します。


人間が集団を構成しても、アリと同様に、集団で何らかの活動をすると、
2割の人が、率先してリーダーシップを発揮し、
6割の人が、そのリーダーシップに引っぱられて働き、
残りの2割の人が働かない傾向があると言われています。

 

当初、私は、この良く働き、リーダーシップを発揮出来て、顕著に結果を出せる、2割のスタッフをいかにして育てるか?という事に力を入れていました。

 

やはり、この若手の台頭こそが、手っ取り早く、確実な方法だという確信があったのです。

ですから、モチベーションが高く、向上心があるスタッフを見つけては、どんどん仕事を教えて、任せるという事を徹底してやっていました。

 

そんな組織の中で、よく起こる問題としてこういう事がありました。

 

よく働く2割のスタッフが、残りの6割、サボりがちな2割のスタッフに対して、不満を持つという事です。

 

うまくいっている時はいいのですが、頑張り屋さんで意識が高い、よく働くスタッフ達は、

結果を出さなければならないという重圧、

頑張っても、結果が出ないという壁、

期待しているほど周りの人に感謝されない不満、

などが湧いてくると、

ほとんどの場合、

「自分以外の人は、何故、真剣に考えてくれないのか?私はこんなに頑張っているのに!!」

 

と、不満が爆発するのでした。

この、問題はどこでも、よく起こる問題だと思います。

そして、仕方が無いとは思っていましたが、私自身が、かなりのエネルギーを使う事になっていました。

 

そのスタッフが頑張って、背負えば背負うほど、頑張れば頑張るほど、他の周りのスタッフ達は、オロオロはするものの、どうしていいか分からず、ある意味で傍観者になり、自信を無くしていくのでした。

 

今、私は当時を振り返って感じる事があります。

 

それは、

自分の価値の証明の為に頑張っていると、頑張っていない人の事が気になる

 

という事です。

 

仕事なので当然かもしれませんが、

 

私は、利益を出す為に、また、自分の価値を証明する為に、このバランスを何とかしてコントロールしようとしていました。

 

よく働く2割の人を強くして、出来れば割合を増やし、全体的な底上げを常に考えていました。

 

結局、不満を持つスタッフと同じ状況になり、うまくいかないと、

「何で、出来ないのに努力しないかな?

みんなの為!お客さんの為!もっと本気で頑張るように!」

とプリプリしていました。

 

よく働く2割を上

普通の6割を真ん中

サボりがちな2割を下

 

という風に上下をつけて認識していました。

 

私は今、その頃の自分に言いたい事があります。

全ての人に、その人だけのステージや課題や役割がある。

だから、それぞれのステージや課題や役割を、私自身の価値観というフィルターを通して見て、自分の視点で自分に都合の良い組織を作ろうとしても、うまくいかないよ。

 

という事です。

 

自分の視点とは、自分の位置ならではの視点の事です。

その時の私であれば、

 

早く結果を出す

責任者を育てる

 

マネージャーであれば当然の視点です。

ですが、その仕事において、出来る、出来ないはあっても、人間としては、やはり上も下も無いのです。

 

それを、自分の立ち位置から判断し、コントロールしようとすると、いつかは限界を体験するのでは無いかと思います。

 

なぜなら、その視点とは、人の数だけ存在するからです。

マネージャーの視点から見ると、

出来ないように見える人も、

新人から見たら、とても安心出来る人だったり、

お客様からは必要とされていたり、

社長から見るとまた違って見えたりします。

 

それは、私達がとても立体的だからです。

 

それぞれの自己真実に照らし合わせれば、どれも正しく、その人にとって、今、正に必要な事を学んでいます。

 

仕事が出来ないとされる2割の人にも、大きな役割があるという事です。

 

ですから、今の私が大切にしている事は、

みんなで一生懸命やろう!

という事です。

 

ただ、目の前にある事に心を込めて、

自分が、出来るか、出来ないかに囚われるのをやめて、

人がどうなのか判断するのをやめて、

ただ、純粋に

ただ、真剣に

それぞれが持っている、才能を発揮し、役割をまっとうする事に集中していればいいのではないかと思います。

 

 その当時は、分からなかったのですが、

 

世の中は、本当に絶妙なバランスで成り立っています。

 

よく、人間が自分達の為に害虫駆除をしたらその虫に食べられるはずたった生物が、爆発的に繁殖したという話を聞きますよね。

 

人間が行う、生態系の破壊により絶滅する生物は、17300種以上に上るそうです。

 

私達は、

自分達の利益の為に、

自分達の価値の証明の為に、

この自然界の絶妙なバランスを変え、自分にとって良い風にコントロールしようとしてしまいます。

 

今こそ立ち止まって、

「それにしても、これは何の為にやってるんだっけ?」

 

ともう一度考え直し、視点を変えて全体の調和を目指していけたらいいなと思います。

 

今日も、わたくし、あるがままを受け入れて、ただ目の前にある事に真剣に向き合いたいと思います(´∀`)

 

今日、バレンタインのチョコレートが売れなくても、わたくし、あるがままを受け入れて、自分で食べたいと思っております。

 

ですから、皆様、お気になさらずね!

オホホ!

 

でも、買いに来て下さっても、もちろんあるがままを受け入れます(*´ω`*)アハ!

 

どうぞ、どうぞ、ヨロシクお願いいたします(;゙゚'ω゚'):

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アチャー!しもたー!ばかり言っていた私が覚えた、スムーズに物事と関わる方法

こんにちは!

サナブリ真木です。

今週水曜日の里の市は、企画が盛りだくさんです!

バレンタイン直前という事で、わたくし、オーガニックナッツをたっぷりのせた木の葉のチョコレートを作るワークショップをします。

 

すごく簡単ですが、素材の良さを楽しんでいただけたらと思っていますので、ぜひ、皆様参加してください(๑˃̵ᴗ˂̵)お子様連れも大歓迎です!

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 そして、今回、特に皆様にお知らしたいのが、

「しゃべるの時間」にお呼びしました、

宮崎えいき君(32歳)の事です。

 

宮崎君は、自分の難病体験などから、安全な食べ物や、環境への関心を持ち、気付い人の責任で誰かがやらねばと、政治活動をしています。

 

この前、里の市で話した時に、彼はこのように言っていました。

 

「僕がやるのでは無く、みんなの代表として、僕が役割をいただいたんだと思っています。僕は、結婚もしていませんし、子供もいません。だから身軽に動ける今、問題に気付いた人の責任を全うしていきたいと思います。」

 

宮崎君は、毎週里の市に来て、出店者さん1人1人と、話をしながら何かしら1つずつ買ってくれています。

 

買うという行動を通して、未来を考える出店者や生産者さんに清き一票を投じてくれているのだと感じます。

 

私は、若くて、未経験ながら、私達の代表として、本気で地域の為に考え、動こうとしている宮崎君を心から応援したいと思っています。

 

時間のある方は、ぜひ、宮崎君の話を聞きに来てください!

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8日は、根っこさんのライブもあります。

心震える大地と人をつなぐ根っこの音楽です。

寒いとは思いますが、ぜひ里の市に遊びに来てください!お待ちしております(´∀`)

 

 

 

今日は、私が最近になって、やっと分かってきた、仕事や家事や勉強などを、本当の意味でスムーズに行う方法について書きたいと思います。

 

私は、子供の頃からエネルギーが有り余っていて、ほとんどの時間をパワフルに過ごしてきました。

 

そのせいなのか、とにかく物を落としたり、こぼしたり、頭を打ったり、躓いたり、ドアに挟まったりする事が多く、不注意極まりない行動で、「アチャー!」を繰り返してきました。

 

小学校の時に、ランドセルを開けたら、大きなお皿が飛び出して来て、ものすごく恥ずかしかった事は、今でも忘れられません。

 

(どれだけ焦ったら、間違えるのか?これはもう、完全に、不注意の領域を超えていますが(・・;))

 

ですから、何においても早く出来るのですが、こぼしたものを片付けたり、頭にコブが出来たりと、終わった後に、なんだか自分が嫌になっちゃうような感覚があり、スッと終わらせるという事がなかなか出来ませんでした。

 

何事もスムーズな人と、私のようなドジな人は、何が違うのか?

 

私は今まで、

「私ってはそういうタイプやん?」と自分を納得させてきたのです。

 

ですが、ドジの本当の理由が、分かりました。

 

それは、私が

頭で考えた事と、身体の感覚が一体になっておらず、身体の中心から動けていなかったから

 

でした。

 

私達人間は、

手を動かそうと考えて手を動かし、

足を動かそうと考えて足を動かし、

このように話そうと考えて口で言葉を話します。

 

そして、脳を頼りすぎていると、身体の感覚が置き去りになってしまい、手だけで物を取ろうとしたり、足だけで歩こうとしたり、口だけで話そうとしたりしてしまうのです。

 

私も始めは、何の事だかさっぱり分からなかったのですが、人間にも物にも中心があるそうです。

 

人間でいうと、おヘソの下の奥の方にある、丹田というやつです。

 

その中心から、全てのものに関わる事の大切さを1年前に教えていただき、それ以来私は、日々、中心から!中心から!と自分に言い聞かせて過ごしてきました。

 

手で物を取るのではなく、中心からのエネルギーが手を動かし、物を取るというイメージです。

歩く時も、中心から!

本を読む時も中心から!

勉強する時も中心から!

そして、子供に何かを教える時も、中心から!中心を子供に向けて!と意識してきました。

 

すると、だんだん自分の動きに安定感が出てきました。

 

ワチャワチャ、ガヤガヤ、ドタバタやっていたのが、だんだん、静かになってきました。

 

そして、不思議なもので、言いたい事が伝わるようになってきました。

自分が言った事で、

「そうじゃないんです!そういう意味じゃないんです!」

という勘違いをさせる事も減ってきました。

 

ぶつかったり、怪我をしたりする事も減ってきました。

 

何よりも、気の流れのようなものを感じられるようになってきました。

 

感覚が研ぎ澄まされてきたように思うのです。

 

言葉で説明するのは、難しいんですが、私達は、とても脳に頼って暮らしています。

 

頭が思考で埋め尽くされ、いつも、自分を守る為に、脳からの命令に従って、急いだり、頑張ったりしています。

 

ですが、

本当に必要な行動や言葉を紡ぎ出す時、私達は、脳や、感覚や、気の流れと一体になる必要があるのです。

 

この感覚と一体になる為には、頭が静かである必要があるわけです。

 

ですから、私はとんでもなく、うるさかった思考を静める為に、自分の価値観を手放し、判断するのをやめて、

「ただそのように、中心から関わる」

という事を意識してきました。

 

今、私は、口先や小手先では、何事もうまくいかないのだという事を、体験を持って実感しているところなのです。

 

私達は、気がついたら、いつの間にか、すごく頑張っています。

人によっては、頑張らない事を頑張っている人もいるでしょう。

 

何故か、自分には価値が無いのではないか?という不安が漠然とつきまとい、

 

受け入れられるように

認めらるように

 

こうしなければ!ああしなければ!

と呼吸をし、行動し、言葉を発します。

 

その源が不安であると、脳からの命令に焦って対応してしまうのです。

 

頭を静かにし、自分の中心を感じてみる

静かに静まり返った内側から浮かび上がってくる感覚の方を信じてみる

気の流れに意識を向けてみる

 

こういった、目に見えないものこそが、私達にとって、とても大切な、次にどうすれば良いのかを教えてくれるのでは無いでしょうか?

 

今日も、頭を静かにし、丁寧に、全ての事に中心から関わっていきましょう。

 

ペンを持つ時、

包丁を握る時、

洗濯物を干す時、

子供のオモチャを片付ける時、

せんべいを食べる時、

手だけでなく、身体の中心から行いましょう。

 

そうすると、自然に、もう片方の手が、口の下にのびて来て、食べた時に落ちる、せんべいのかけらを受けようとしてくれるはずです。

 

その時の顔は、何故か不思議と、セレブマダムのようになってしまうはずです。

「このおせんべい、美味しいわね。オホホ」

と言っておきましょう。

 

子供に何かを伝える時は、自分の中心を子供に向け、子供の目を見て、話しかけましょう。

 

そうすると何故か

「わたくし、この前も言ったザマスわよね。」

と言葉がやわらかくなるはずです。

 

中心の力により、皆様の1日が光に満ちている事を祈っています!

 

今日も読んでくださってありがとうございました!また、お会いしましょう(´∀`)