私達は、不思議な事に同じ事を言われても人によって受け取り方が違います。それは何故なんでしょうか?体験とは何か?を書きました。
おはようございます!サナブリ真木です。
昨日の台風、凄かったですね。
皆様、大丈夫でしたでしょうか?
サナブリも早めに閉店して、珍しく家族揃って夕ご飯を食べる事が出来ました。
わたくしサナブリ真木は、英語の短期集中コースを遂に終了したところです。
まだ英語をペラペラと話す事は出来ませんが、奇跡的に、だいぶ聞き取れるようになりました。
この英語のクラスでは、ただ英語を学ばせてもらっただけでなく、私自身が、本当に驚くほど成長させてもらいました。
不思議な事に、文法や発音、英語で伝えるとは?聴くとは?だけでなく、愛とは?体験とは?経営とは?教育とは?など自分自身の在り方についても英語を通して本当に多くの事を学ばせていただいたのです。
この事は本当に驚きでした。
まず、師匠である馬渕先生と英語クラスの為にイギリスから来て下さったスペイン人の先生お二人共が、今まで私が経験した事が無いような真剣さで関わって下さった事で、私も今までに経験した事が無いような真剣さで、学ぶ事が出来ました。
何をするにしても、フルコミットで真剣に向き合う事が、楽しさや、達成感、そして結果を連れて来てくれるのだと身体中で体験したような気がします。
今日は、そんな英語のレッスンと、日々の生活の中で、確信を持って理解した事がありますので、紹介させていただきます。
それは、体験についてです。
いつもブログに書いていますが、私達は、まず意識状態が呼吸や言動を司り、意識にある通りの体験をしています。
ですから、意識がどういう状態かが、とても重要です。
私達は、それぞれ意識にあるものが違うので、同じ事が起こっても、全く違う体験をする事になるのです。
特に英語のように自分の頭の中で日本語に変換して理解する時、その違いは顕著になります。
同じ言葉を聞いても、各自のフィルターによって、全く違う色がつき、全く違う体験が起きるという事を、私は身を持って体験したのでした。
その事を意識しながら暮らしていると、全てが正にそうなってる!と感じるのです。
例えば、
Do you understand?
と聞かれたとします。
質問は、
「分かりますか?」
ですから、答えは
Yes I do.
かもしくは、
No I don't.
になるわけです。
ですが、自分の中にある意識によって、質問を受け取る時点で解釈が人によって大きく変わります。
例えば
「今日は宿題や準備が万全に出来ていない。」
という意識があると、この質問に対して、ドキッとする反応が出てワタワタして、
Yes I don't.
という「どっちやねん!」という事を言ってしまったりするわけです。
また、
*私は理解するのが遅い
*私は何かと足りていない
*あの人は、きっと私に不満がある
*このくらいの事が分からなければ嫌われるのではないか?
*理解力があると思われたい
*私に分からないはずがない
*ここで、分からないと言ったら、授業を授業を中断する事になるのかな?
といった様々な意識により、
このシンプルなYesNoクエスチョンに対して、
「すみません。」と答えたり、分からないのに、「分かります。」とい言ってしまったりするのです。
こんな事が私たちの頭の中で毎日毎日繰り広げられています。
何と答えるのがベストなのか?
何と答えれば受け入れられるのか?
この頭の中のおしゃべりは、本当に人を消耗させます。
私も、以前は、一つ一つの言動を頭で考えてしていましたが、今考えると、物凄い労力を使っていたと思うのです。
このように、
今起きている事、今言われた事、今聞かれている事を、私達はいつも自分の中にあるものの答え合わせとして使っているのです。
ですから、
私は足りていない
という自己否定が意識の中にあると、何もかもがそう見え、そう言われているように聞こえます。
これは、本当に大変な事です。
毎日、毎時間、足りていない自分を確認し続ける事になるからです。
そして、更に大変な事に、人は自分にしてあげたようにしか人にしてあげられませんので、周りの人、家族や友人、仕事場の人に対しても、足りていないその人を確認し続ける事になるのです。
このようにして育てられた子供達が、どうなっていくかは、もうお分かりの通りです。
(もちろん、それも必要な体験なわけですが)
私は、ある時期から、主人が私に不満を持っていると強く思うようになっていきました。
すると、何をどう見てもそう見えるようになりました。
そして、その事にとても、傷付いていました。
その事が苦しくて仕方無いくせに、
主人が普通の時に、
「何がそんなに不満なん?」
と問い詰めては、怒らせ、
「ほ〜ら!やっぱり怒ってるやん!」
と自分の意識にあるものの答え合わせをしていたのでした。
主人は、心の中で、
「俺は当たり屋と結婚してしもたようや。」
と思っていた事でしょう。
自分がそうしていたと分かったのは、もうどうにもならないくらい、疲れ果ててからの事です。
そして、この意識にあるものが例えポジティブな思い込みであったとしても、そこに、条件がある限り、私達は見当違いの場所に、満足や安心を探し続ける事になるのです。
本当の満足、本当の安心、本当の癒し、本当の愛を体験する為に、理由も条件も必要ありません。
何も持っていなくても、
誰にも認めらていなくても、
どんな状況下にあっても、
意識に愛があれば、絶対に揺らがない愛の体験をするのです。
私達は、目の前で起こっている事を体験する前に、まず意識で必ず体験しています。
意識で体験した事を、実際に現象として体験するのです。
ですから、不安になる現象が起こる場合、自分の意識の中に何があるのかを、まず知る必要があります。
それは、決して怖い事でも、辛い事でもありません。
恐れの中に入っていく感覚で、不安に意識の光を当てた時、必ずボヤッとしたお化けの正体に気付くのです。
自分が、握りしめているものに気が付き、それが今はもう必要無いのだと分かって、手放した時、私達は必ず身軽になります。
昨日の自分が嘘だと思えるくらい、一瞬で自由になる事が出来るのです。
それは、魂が震える体験です。
なぜなら、荷物を降ろして自由になる事は、
本当の自分と出会うこと
だからです。
頭の中のおしゃべりが静まり、自分の作り上げてきた価値観や固定観念に気付いて手放した時、私達は、本当の自分との出会いを体験するのです。
今月のAwekning cafeはお仕事の話をさせていただきます。
私達が仕事を通して学ぶことは無限です。
自分の役割を通して与えること「仕事」
今、私達の目の前にある仕事というのは、必ず現時点での私達を成長させてくれ、現時点での私達の役割を教えてくれる、最高のものが与えられているようです。
それに気付いて本気で向き合った時、また新たなステージが与えられるという、とってもワクワクする流れになっているんですね!
8月25日(金)14:30から
伊賀上野の新天地商店街のレンタルスペース
the spaceで行います!
今回は初めての上野です。
オシャレ空間で、私も楽しみにしています!
サナブリのケーキとお茶を召し上がっていただけますので、ご興味をお持ちの方は、お気軽にお問い合わせくださいませ!
読んで下さってありがとうございました。
では、今日も素敵な1日をお過ごしください!
またお会いしましょう( ´∀`)
例えば、
本当にそうなんですね!「手放せば与えられる!」
こんにちは!
サナブリ真木です。
昨日は、わたくしサナブリ真木のお話会awekning cafeの2回目を開催しました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。
このお話会では、私の人生がパッカーンと開いた体験談を基に、今に在るという生き方の話をしています。
いつの間にか、このawekning cafeこそが私の一番の仕事なのではないかと思う程に、私のライフワークの中で重要なものになってきました。
このお話会を通して、私が感じている事は、本当に大切な事を人にシェアするという事は、自分そのものを成長させるのだという事です。
私は、何度も大勢の人の前で話したことがありますし、料理教室や勉強会などで、大勢の人に何かを教えたという経験もあります。
ですが、このお話会で話す事は、これまでとは全く違う体験になっています。
自分のありとあらゆる条件や考えが、白日の下に晒され、ただ正直に、ただ真っ直ぐに、今の自分でそこに立つ事以外に出来ることがありません。
うまく話したい
何とか伝えたい
という私の願いは、見事に私の呼吸や表情や言葉を司り、不安になる現象を連れて来ますから、ただただ本当に心を静かにし、溢れてくる言葉を、発するしかないのです。
この体験は、私とアシスタントのちえこさんにとって、矢面に立って、全てを引き受ける事の責任の重さと、その責任をいただく事の喜びを教えてくれています。
自分1人の力では、到底出来ないような大きな仕事を、宇宙への絶対的信頼と共に引き受けた時、必ずといっていいほど、自分のものとは思えないエネルギーが湧いてくるのです。
自分で決めた自分の限界が、いかに適当で、自分勝手なものだったかを思い知る日々です。
「なるほどな〜〜。
自分で何とかしようとしているうちは、自分の想像を超える事なんか出来へんのやな〜〜。」
とシミジミ思うのでした。
8月のawekning cafeは、上野新天地商店the spacesで行います。
次回は仕事の話です。
本当は、主婦業も子育ても仕事です。
仕事が生きがいであり喜びになったらどんなに毎日が輝く事でしょうか!
自分の役割を通して仕える事、仕事
どなたに聞いていただいても、必ず関係がある話をします。
入っていただける方の人数に制限がございますので、ご希望の方はお早めにご予約下さいませ!
皆様とお会いできるのを楽しみにしております^_^
さて、今日は、つい先日体験した、手放せば与えられるという体験について書かせていただきます。
1週間ほど前、年に一度のサナブリ総会を開きました。
毎年、サナブリでは、周年行事といたしまして、スタッフに集まってもらい、1年の振り返りをしたりスタッフに感謝を伝えたりしていました。
私の前の職場は、ベンチャーで実力主義だった為、優秀者の表彰や辞令にとても力を入れていました。
その表彰や辞令が多くの働くスタッフのモチベーションを上げていた事もあり、私はサナブリでも、表彰や感謝状を取り入れていました。
1年を振り返って、スタッフの頑張りを大いに褒め、一人一人に感謝の言葉を述べてプレゼントを渡したりしていたのです。
中には、涙が止めどなく溢れているスタッフもいました。
私は、毎年毎年、更に労をねぎらう為に、何が出来るかを考え、工夫をこらしてしていたのでした。
そして、迎えた5周年です。
私は、今年はどうしようかな?と思いました。
スタッフにもちろん感謝の気持ちはありましたが、どうも感謝状を作ろうと思えなかったのです。
何でかな?
私は、自分がやってきた事の源をもう一度精査しました。
すると、スタッフをみんなの前で大いに褒め、感謝状やプレゼントを渡していたその源が、不安であったという事が見えて来ました。
私は、スタッフに、頑張って働いてきて良かった、もっとサナブリで頑張ろうと思って欲しかったのです。
そして、私に付いて来て欲しかったのです。
私は、不安を源にした言葉や行動は、一切やめようと決めていたので、気付いたからにはやめなければなりません。
感謝の言葉も、物も、賞状も何も用意せずに、総会を始めました。
その代わり、ひとつだけ準備していた事がありました。
それは、私ではなくスタッフに、1年を振り返って、「与えるスピーチ」を3分間でして下さいと伝えておいたのです。
今までは、私が躍起になって、不安を水面にスタッフに与えよう与えようとしてきました。
その不安が源の私のギフトは、いつもいつも、スタッフが与える機会を奪っていたと気付いたのです。
私がスタッフに与えられるものは、本当にひとつしかない。
それは
与える機会を与える
という事だとの確信がありましたので、私が何かを渡すのでは無く、みんなが真剣に与えるとはどういう事かを考えたらいいと思ったのでした。
私はスタッフに言いました。
「これまで、私は一生懸命、スタッフの為、お客様の為、地域の為にと、与えようと頑張ってきましたが、本当は、もらいたかったんだという事に気がつきました。
みんなに、サナブリを、そして私を、好きになって欲しかったのです。
その為に、私は1人で、本当に多くの事を背負って走り回っていました。
ですが、それこそが、みんなの与える機会を奪っていたという事に気が付きました。
私は、与える機会を奪われ続けた人のハートの中に育つのは、恨みだけだという事を学びました。
ですから、私は不安を源にみなさんに与えようとするのをもうやめます。
無理して褒めたり、感謝したりもしません。
その代わり絶対に嘘も言いません。
本当に溢れてくる事しか言いません。
どの瞬間も100%の関心を持って皆さんと関わります。
そうしていれば、ものや言葉で取り繕う必要など全く無いのだという事がよく分かったからです。
ですから、今日は、私は何も用意していません。皆さんが与える機会だけを用意しました。
今後、何かをもらいたい人にとってはサナブリは居心地の悪い場所になっていきます。
ですが、何かを与えたい人にとっては、最高の機会と環境がここにはあります。
ぜひ、私と一緒に愛を源に与える事の喜びを体験しましょう。」
スタッフのスピーチは、誰もがしっかりと与えるということについて真剣に考えた事が伝わってくる、素晴らしいものでした。
そして、総会を終わろうとした時、スタッフが「ちょっと待って下さい」言いました。
バツが悪そうに、私と主人に感謝状と店の玄関マットをプレゼントしてくれたのです。
私は本当に驚きました。
私が、一生懸命、貰うために与えていた時は、誰もが私と同じ状態になっていました。
私が、完全に貰う事から解放された瞬間に、それまで私が欲しくてたまらなかった、
「サナブリは、私達の店です」
という愛のある意思表示をスタッフから貰ったのでした。
正に
手放せば与えられる
愛を発振すれば、愛の体験をするのです。
私はこの事を絶対に忘れてはならないなと強く思ったのでした。
最後に、急展開ではありますが、
実はサナブリでは、私達と一緒に働いて下さるスタッフの方を募集しています。
今回は、なかなか無い、昼、夜のどちらも募集しています。
サナブリの求める人材は、
自分の役割を通して本気で与えたい人
です。
与える為の機会と環境がここにはあります。
(本当は、どの瞬間もそうなのですが( ´∀`))
もし、ブログを読んで下さる方の中でサナブリの仕事に興味をお持ちの方がおられましたら、私、西木まで連絡下さいませ!
読んで下さってありがとうございました^_^
またお会いしましょう!
何故、不安になる事が起こるのか?
おはようございます。
パッション真木です。
今日は、不安について書きたいと思います。
私は小さい頃、あまり怖いものがなく、すぐ飛び込める強い一面と、引っ込み思案で人見知りの弱い一面を同時に併せ持つような子供でした。
初対面の人を異常に怖がり、心を開くのに2年くらいかかる一方、心を許した近所の子達と遊ぶ時は、相撲をとろうと誘い、どすこいどすこい!とみんなを投げ飛ばし、周りの子達をうんざりさせたりしていました。
そんな私は、成長するに連れ、不安がある弱い自分を封印して長らく生きることになりました。
その事に気が付いたのは、去年の事です。
私は、自分が自分だと思っていた自分のイメージは全て思い込みだったのだと知る事になりました。
そして、この世で起こっている意識と現象の仕組みを知ったのです。
それは本当に知りぬいてしまえば、人生が変わる仕組みでした。
自分の意識にある事が、自分の肉体を司り、そのように100%現象として現れているということです。
これは、本当にそうなのです。
この意識にあるものというのは、顕在意識だけでなく、潜在意識にあるものも、含まれますから、自分では認識していない事もたくさんあります。
例えば、私が
「優しくなりたい」
と願っていたとします。
これは、顕在化している意識です。
この願いがあるとき、大抵の場合、潜在意識には、
「私は優しくない」
という意識があります。
すると、その
「私は優しくない」
が現象として現れてきます。
その奥の方を辿ると、
「優しくなければ愛されない」
という意識があり、また
「優しくないから愛されない」
が現象として現れてくるわけです。
そして、どんな意識にもそれを支える源の意識があります。どこまでいってもその奥の奥の奥にあるその源は2つしかありません。
不安か愛か
の2つです。
正に
「優しくなければ愛されない」
という意識は、不安からやってきています。
すると、この意識が、呼吸、言葉、態度、波動、など全ての機能を司り、不安になる現象を連れてくるのです。
必ず意識にある通りになります。
今、自分に起こっている現象を見れば、意識に何があるかがハッキリと分かるのですね。
「え!?じゃあどうしたらいいの?」
となり、その仕組みと、本当の自分に帰る道を本気で猛勉強した私は、どうしたらいいかが、分かりました。
分かってくると、こんなにありがたい事はありません。
世の中が何故こんなに混沌としていて、沢山の機能不全が現れているのかも分かるようになってきました。
私は初め、自分の源が、不安なのか?愛なのか?
それがよく分かりませんでした。
私は、人の役に立ちたいと強く願っていたので、
「これは愛でしょ!」
と思っていました。
でも、その奥を覗いてみると、やはり
人の役に立つことで、自分の価値を証明したい。
そして愛されたい。
自分とは何者かを知りたいという。
不安が大きく渦巻いていたのです。
誰かの悩みをただ、
「うんうん。大変だね。分かるよ。」
と聞いてあげる、その行動ひとつとっても、自分は人の痛みを受け入れらる人間だと確認したいとうエゴ(不安)が隠れていたりするのです。
本当に愛ならば、どうするか?
まず、話を聞くか?
聞かないか?
受け入れるべきか?
突き放すべきか?
怒るべきか?
一緒に泣くべきか?
何と声をかければいい?
どんな声で?どんな表情で?
その全ての答えは、毎回違います。
その瞬間、自分が0でその場と一体になれば分かるのです。
ですが、自分が握りしめている不安は、見事に自分の視界を曇らせます。
本当の事を分からなくさせてしまうのです。
「人を傷付けたくない」
いう大義名分の奥には、必ずと言っていいほど不安が隠れています。
今、愛ならばどうするか?
本当の事は、私が色々握りしめている時には、全く見えていなかったと言えるでしょう。
何故、不安になる事が起きるのか?
その答えは明確です。
意識に不安があり、不安の波動を出しているから
です。
私達はただただ、
自分が出した波動を体験しているだけ
なのです。
なのに、何故か、
いい仕事につければ、
優秀であれば、
成功すれば、
お金があれば、
もっと綺麗だったら、
結婚すれば、
子供がいれば、
あの人が変わってくれたら、
みんなに認められたら、
そうしたら、不安が無くなるのではないかと勘違いしているのです。
そして、その条件を手に入れる為、毎日、不安を源にした行動をし、言葉を言い、波動を出し、結果、その不安を体験しています。
ますます、不安になり、努力を重ねるという、スパイラルの中にいるのですね。
私は、今ならハッキリと分かります。
自分が不安でなくなる為に必要だと思っていた全ての条件を手に入れても、決して不安は無くなりません。
手に入れた時、一瞬だけ、興奮したり、幸せに感じる事はあっても、絶対に長くは続かないのです。
何故ならそれを手に入れた、その源が不安だからです。
私は、その事が本当に良く分かったので、今、愛の発振だけにコミットしています。
すると、本当に受け取るものはどんどん愛だけになってきました。
自分でも信じられませんが、本当の事です。
何をしていても、嬉しくて、楽しくて、ありがたくて、
今、生きている!
という感覚をハッキリと伴っているのです。
少し前まで、憧れていた、高級ホテルや、海外旅行、高価な食事、ステータス、人に認められる仕事、家や服やバッグなどの持ち物に興味が無くなりました。
その全てが、本当に必要無くなってきたのです。
本当の自分を生きれば、持ち物など何もいらないのです。
手ぶらで、ただ自由に、ただ子供のように、溢れる発露のままに喜んで生きる事が出来るのだということを体験しつつあります。
自分の中にある不安に意識の光を当てる事。
全てはここから始まりました。
そうは言っても、自分の中にある不安と向き合う事を、怖く、苦しく感じる方もおられるかもしれません。
ですが、この意識の光を当てる事は、決して傷付く事ではありません。
ただ、気付いて観察すれば必ず終わっていくのです。
ありがたいですね。
この愛を発露に生きるという事をシェアする、
サナブリ真木のお話会Awakening cafeを次回7月24日(月)14:30〜開催します。
本気でハートを開いて聞いていただけれは、人生が変わる話をしています。
不安になる体験はもううんざりという方、
自分の本質を生きたい方
愛を発露に生きたい方
本当の献身の人生を生きたい方
何かを変容させる時、まずは、何かを変えなければなりません。
興味のある方、いつもの優先順位をひっくり返して、ぜひ聞きに来てください。
(会場の関係上、後数名で満席となります。ご希望の方はお早めにご予約ください。)
では、皆様、今日も爽やかな1日をお過ごしください。
また、お会いしましょう!
お陰様で5周年!カフェサナブリは、新たな船出をいたしました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
こんにちは!
サナブリ真木です。
大変お久しぶりの投稿になりました。
皆様のおかげでcafe sanaburiは7月に5周年を迎える事が出来ました。
本当にありがとうございます。
なかなか色々とありましたが、私にとって、本当に学びと喜びの詰まった5年間でした。
今はただただ、お客様、生産者の皆様、働いてくれているスタッフ、近隣の皆様、全ての関わって下さる皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
7月はサナブリ5周年月間としまして、色々な企画をご用意しております。
まず1週目は、オーガニックランチ&ディナーといたしまして、選りすぐりの地元のオーガニック食材を使用して、マクロビオティックのお料理とデザートを提供しています。
7月3日~7月8日
スペシャルオーガニックランチ
・彩り野菜の玄米ライス サラダ仕立て
・ひよこ豆のコロッケ(ファラフェル)
・焼き野菜のマリネ
・ひじきと油揚げのサラダ
・人参の豆乳ポタージュスープ
特製マクロビデザートも ご用意しております。
来週は、伊賀名張ランチ&ディナーが登場します!
今後とも6年目のサナブリよろしくお願いいたします。
さて、本当に久々になってしまいましたが、この1ヶ月の間に何だか色々ありまして、物凄くパワーアップしました、私サナブリ真木の体験談を書きたいと思います。
この5周年を期に、メニューブックを変更したり、生産者さんや特にお世話になっている方をお招きして、パーティーを開いたりと、今の店の在り方をブラッシュアップする機会がありました。
その中で明確になった事がいくつかありました。
まずは、今後どのようなお客様に何を提供していくのかを、ハッキリさせた事です。
それに伴い、どのような方から仕入れをするかも明確になりました。
サナブリのコンセプト
「全てのものに愛を込める」
から、まず本質的な暮らしを選択している、もしくは選択したいと考えている方に向けて、本物の愛に溢れた商品を提供するという理念が生まれました。
その為には、今まで幅広い層の方に喜んでいただく為に考えていたメニュー構成や、システムを変える必要が出てきました。
それは、どういうお客様の何に訴えてものを売るのかを精査した時、その時は喜んでいただけたとしても、本当の意味ではお客様の為にならない事も沢山あるという事が分かったからです。
例えば、子供が喜ぶものだけがのったお子様ランチや、量が多すぎるデザートプレートなどです。
糖分を摂りすぎてしまう飲み物やお酒も、なるべく工夫してお出しするよう、今、出来る最大限の努力が必要だと感じました。
その時はワクワクして嬉しくなったとしても、その方の身体や心に、良い影響を与えるものを提供しなければ、本当に愛を込めたとは言えないのではないかと思うようになってきたのです。
自分の最愛の家族に食べて欲しいものを、お客様にも提供しなければならないと今は考えています。
これまで、私はこだわりを持って食べ物と向き合ってきましたが、自分が食べる物に関して、本当に無頓着でした。
何故ならば、自分の身体や心を労わることの意味を完全に履き違えていたからです。
自分の身体を労わる事とは、マッサージに行く事だと思っていました。
(それもそやけど!)
その事に気が付き、自分の身体と心を大切に出来るようになってから、本当に良い影響のあるものを子供や主人やお客様に食べてもらわなければならないという思いがフツフツと湧いてきました。
それは、せねばならぬという決意では無く、嬉しさと共に湧いてくる溢れる思いでした。
やはり、
自分に対してしたようにしか、人にしてあげられない
のです。
私は、自分の、「食べ物を提供する」という仕事の責任を本当にみくびっていました。
自分の提供するものの価値を、とても甘く見ていました。
愛を込めて育てられた野菜が、愛を込めて料理された時、それを食べた人が本当に愛に目覚めたりする事を本当には理解していませんでした。
逆に、不安によって作られたものを食べ続けた子供達はどうなってしまうのでしょうか?
また、これまで、良い物を安く売ろうとしたり、消耗品や洗剤まで配慮が行き届いていなかったりと、どこかでバランスを取ろうとする余りに、逆に崩していたバランスを、一度、バラバラにして積み上げる必要を感じました。
これは、少し勇気がいる事でした。
何故ならば、何をするにもお金がかかる事だからです。
値上げしたとして、そこまでの本物を求めてるお客様が果たしてどのくらいいるのか?
「お客さん、減るかもな…」
という事がずっと頭の中にあったからです。
サナブリは、従業員13人と私と主人の大家族ですから、私の中で、「そうは言ってもまずは存続させなきゃね」という思いがしぶとくあったのです。
ですが、売り上げ、集客、クレーム、スタッフの定着など、
全ての不安の素にフォーカスするのを一切やめ、愛の発振だけにコミットする
と決めていた私は、思い切って、今回5周年を期に舵を切りました。
何をしたかというと、
サナブリの在り方を明確にスタッフ、関係者に示した
という事です。
「サナブリは、このようにさせていただきます。ご協力いただけるようであればお願いします。」
というスタンスです。
もちろん周りの方の選択は周りの方の自由ですので、賛同出来ないという方もおられると思います。
ですが、
周りの人がどう思うか?
お客様がどう思うか?
スタッフがどう思うか?
を気にしていた時、私は本当にブレブレでした。
言い訳ばかり考えていました。
きっと自分の為に店をやっていたからだと思います。
でも今は、
全体の為に店をやりたいと心から思っています。
何故なら、その中に自分も入っている事がよく分かったからです。
そうする事で、全く気を使ったり、遠慮する必要がなくなりました。
本当に自分の為では無く、全体の為だからです。
これからサナブリは、愛の起点となる店になるよう更に努めて参ります。
ご賛同いただける生産者の方々、ぜひこれからの時代を生きる子供達に食べて欲しい愛に溢れた素材をサナブリに分けて下さい!
ご賛同いただける消費者の皆様、ぜひ、足繁くサナブリにご来店下さいませ!
6年目のサナブリを今後ともどうぞよろしくお願いいたします^_^
また、お会いしましょう(*^_^*)
パッショ〜ン!!!
前向きならば幸せになれるのか?ポジティブという名の鎧は結構重かった話
こんにちは!サナブリ真木です。
今日は、ポジティブこそ、幸せになるために最も必要な要素だと思っていた私が、そういう問題ではなかったと気付いた話を書きたいと思います。
私は、1年半ほど前、多くの悩みを抱えていました。
その時は強がっていて、
「悩みはこの3つだけ。他の人よりはウンと少ないから、幸せな方かな。」
と自分に言い聞かせていましたが、本当は100個くらいの事について悩んでいました。
その中でも、どうにもならなくなっていたのは、
①食べ過ぎが止まらず、太り続けていた事
②主人のありのままを受け入れられずどうしても許せなかった事
③店の運営(中でもスタッフ教育)
という3点でした。
そして、子供の好き嫌いが多すぎる事や、自分の金使いの荒さや、家が片付けられない事や、腰や肩がいつも痛い事や、子供にすぐガチャガチャをさせてしまう事や、母がまだ喋ってるのに電話を切ってくる事や、
まあ、とにかく色々な事にストレスを感じていました。
私の握りしめていた固定観念の一つに
「前向きでなければ幸せになれない」
というものがありましたので、そういった私の問題を、何とかして良い風に捉えようと、日々自分に言い聞かせて過ごしていました。
ですが、「本当に前向きなら幸せになれるのか?」と考え始めるようになりました。
このポジティブシンキングを疑い始めたのには、一つのきっかけがありました。
それは、ネガティヴに考えがちなスタッフに、
「前向きに考えるように」と伝えれば伝えるほど、そのスタッフが、
そのように出来ない自分を責めるようになっている
と気付いた時でした。
私はポジティブシンキングこそ、自己実現に最も必要な要素だと信じきっていましたので、初めは、他に原因を探していました。
ですが、やはりどう考えても、超がつくほど前向きな私も、全く幸せでは無かったのです。
これを受け入れる事は、大変、勇気が入りました。
ある程度の期間、その考え方でかなり上手くいっていたからです。
ですが、どう考えても、
「前向きに捉えなければならない」
という考え方は、出来ない自分を否定する事に繋がっているのです。
私は、自分に起こってくる現象と向き合う事が怖くなっていました。
そして、とうとう自分の握りしめているものの多さに気付く時がやってきました。
その問題の一番の原因になっていたのは、今考えると
虚栄心
だったのではないかと思います。
それまで私は、人は
自分には価値がないのでは無いか?
という不安からネガティヴになり人生を暗転させるのだと思っていました。
ですが、それよりも圧倒的に多いのは、
自分だけは特別な価値があるはず
という虚栄心から来る不安だそうです。
この不安に取り憑かれると、自分のあるがままを受け入れられなくなり、不安からくる焦りや恐れが広がっていきます。
自己否定が強いとプライドが高くなるように、虚栄心もとてもプライドを高くするのですね。
傷付かないように、硬い鎧を着て、自分を守り、人に心を開けなくなっていきます。
ある意味、ポジティブは鎧になり得るのです。
何よりも自分のプライドを守る事が、第一優先事項になっていたように思います。
私は、自分の価値を信じたいが為に、一生懸命、色々な事の責任を1人で背負い、人の役に立とうとしたり、人を救おうとしたりして走り回っていました。
ですが、この行動は、周りの人には、
大迷惑です!!
(本当は迷惑という考え方自体無いんですが)
何故ならば、救おうとされる人が、
「よっぽど自分は駄目なんだな。」
と勘違いするはめになるからです。
先日も書きましたが、
与える機会を奪われた人は、本当の喜びが育たないのですね。
与える機会をあってこそ、人は成長し、輝くという事ではないでしょうか?
私は、「前向き」という鎧を着て、心で泣きながら必死に自分を守りつつ、周りの普通に生きている人達の前に立ってその人の与える機会を奪っていたのです。
ひとつひとつが誤解だったと分かり、それからというもの、私の固定観念、思い込み、想念は、見事に溶けてどんどん減っていきました。
私は大きな玉ねぎのようなもので、皮を剥いたらまた、思い込みやプライドが出てきて、ガッカリしながら剥いたら、また恐れや不安が出てきて「ガーン」と思いながら剥くの繰り返しでした。
でも、1年経つと、確実に悩みは激減していました。
ある時から、急に空がものすごく綺麗に見えるようになりました。
植物のエネルギーに驚いたり、動物の目が透き通っているのに気付き、愛おしく見えるようになりました。
その頃から、すぐに感動したり、涙が出たりするようになりました。
そして、その頃には、私が救おうとしていた人達が、とても輝いて見えるようになっていたのです。
その一番の理由は、
自分の価値が気にならなくなってきて、自分を判断しなくなったから
ではないかと思います。
人は、本当に自分にしているようにしか人にしてあげられない
という事を心の底から実感しました。
そうなる事が出来たのは、自分も空も植物も動物も人も地球も本当はひとつなんだなと何となく分かったからだと思います。
この事に気付けた事は、私の得体の知れない、虚栄心や向上心や孤独感などを一気に溶かしてくれました。
これは、自分がこだわっている自分になろうと潜在意識を味方につける引き寄せや、成功哲学を学んで実践している時には、全く感じなかった変化だったのです。
私は、
私達は本当はひとつなので、自分だけの幸せをいくら求めた所で、結局、不安は強くなり、孤独感は増すのでは無いかと考えています。
全体にとっての幸せの方向に向かわなければ、自分が必要としていた全ての条件を手に入れたとしても、お金がいくらあったとしても、自分の理想を追いかけている限りいつかきっと歪みが出て、満たされない思いや不安に苛まれるのでは無いかと思っています。
ですからまだまだ私の中に残っている虚栄心をもっともっと手放して、本当に自由になり、全体の調和のお役に立ちたいと心から願っています。
虚栄心を手放す事はある意味で、自分を忘れる事です。
ですから、頭の中の小さい自分が「忘れないで!」と暴れまわります。
ですがこの
自分を忘れる事こそが、本当の自分との出会い
なのです。
本当の自分で生きられる事は、言葉に表せないくらい幸せな事です。
自分を取り繕う必要が全く無いからです。
ただ、自然に内側から沸いてくる安心感と喜びに身を任せ、思いっきり自由に生きる事が出来ます。
私が、この変化の中で一番嬉しく感じている事は、自分が自然体でいられる事です。
それは、完璧でない自分を晒け出せるという事です。
残念な自分を、情けない自分を、誰にも隠さなくてよくなったという事です。
これが、どれだけ自分を解放し、自由にしてくれたか、そして失敗や人の目を恐れず、進める事に、感謝が溢れます。
私のテーマは、
花や野生の動物のように
溢れるままに生きる
という事です。
この事を6月から行う、アウェイクニングカフェでシェアしていきたいと思っています。
私は、全くの未熟者です。
自分で言うのも何ですが、まだ30代です!(39ですが)
まだまだ道の途中です。皆様に教えられる事などひとつもありません。
ですが、だからこそシェア出来る事があります。真剣に分かち合いたい事があります。
私個人がやるならば、これほど怖い事はありませんが、私を通して立ち昇ってくる喜びをただ溢れるままにシェアさせていただきたいと思っています。
本当の自分との出会いに興味をお持ちの方、
本質的な生き方を選んでおられる方、
今、解決出来ない悩みをお持ちの方、
引き寄せや成功哲学でうまくいかなかった方、
もし、このブログにピンとくる部分がありましたら、ぜひこのお話会にいらして下さい。
私にとっていつも変化に必要だったのは、
飛び込む勇気でした。
そして
先送りにしないという覚悟
でした。
一期一会の精神は、やはりとても大切だと感じます。
ブログを読んで下さる皆様とシェア出来る事を、心から楽しみにしております。
今日も読んでくださってありがとうございました!
また、お会いしましょう!
ただ感謝だけしていたいのに、なかなか難しい親との関係。親を卒業するとはどういうことかを考えました。
こんにちは!
サナブリ真木です。
この度6月から、サナブリ真木のお話会
Awakening cafe(アウェイクニングカフェ)
を開催する事になりました!
Awakeningとは、目覚めるという意味です。
正に私が、自分の本質との出会いという一つの目覚めにより、ものごとがクリアに認識出来るようになり、全てが始まったのだと感じているのです。
この、体験を通して知り得た大切な事を、子育て、仕事、人間関係など、超現実的な切り口から、お話させていただきます。
私がそうであったように、
イキイキと自分の本質を生きる
というキーワードに何かを感じる方は、自分の本質との出会いの準備が整ってきているという事だそうです。
私個人の力では大したことは出来ませんが、必ず大いなる力が働いて、私を含め参加の皆様1人1人に、何かしらの目覚めが起きる場所になると思います。
そして、お忙しい中このお話会を手伝って下さるのが、FMなばり「ちえこのビッグショー」でお馴染みの、たぐちちえこさんです。
名張の人なら、だいたい知ってるちえこさんは、信じらない事に私よりだいぶ年上です。
なのに、誰もがいつの間にかペラペラと話をしてしまう、人を緊張させない、何ともあたたかい、不思議な魅力をお持ちで、とても多才な方です。
1人では抜け抜けの私は、ちえこ姉さんのサポートをガッツリと受けて、楽しく、熱く、分かりやすく、そして超真剣に、大切な事をシェアさせていただきたいと思います!
カフェサナブリのケーキセットでお茶しながら、皆様のご質問にもお答えいたします。
気になる方は、ぜひ気軽に参加して下さい!
一応言っておますが、そんな、変な事にはなりませんから大丈夫です(^_−)−☆
会場の関係で、人数に限りがございます。
ご希望の方は、お早めに連絡下さいませ。
皆様にお会い出来るのを心より楽しみにしております!
さて、今日は、親との関係について書きたいと思います。
実に多くの人が、親に対して感謝以外の感情を感じ、そんな自分を責めたり、持て余していると思うのです。
私も、親に対して並々ならぬ思いを抱えて生きてきました。
それは、私の兄弟姉妹も同じで、ただ尊敬し、ただ愛の関係でいたいからこそ、色々と考え過ぎてしまったり、自分を責めてしまったりという事があったように思います。
私の母は、とにかく変わり者でした。
友人のお母さん達とは全く違いました。
私の知る限り、母は友達と遊びに行ったり、井戸端会議をしたりという事がありませんでした。
母は、
「お母さん、子供の頃から黙ってばっかりいたら、いつの間にか周りの人にこわがらてたみたいで、寡黙な番長だと思われてて、ビックリしたわ。アハ〜。」
と「ホンマかいな」というエピソードを、舌を出しながら番長とは程遠い顔で話していました。
母は、いつもじっと考えていたり、堪えたりしているように見え、子供の頃の私は、母は何かを我慢しているのかなと思っていました。
また、私から見ると、父はとても真面目で器用で賢く、何をやっても「下手だね〜〜!」という事がない優秀な人で、これまた母同様、多くは語らず、やる事はやるという不言実行の人でした。
私が子供の頃、父が母によく怒っていて、私には、2人ともがとても苦しそうに見えていました。
私は成長するにつれ、「私達兄弟が子供の頃、両親が苦しんでいたから、私達に自己肯定感が育たなかったのではないか?」
と思うようになっていました。
この思いは、私が子供を育てる上で大きな重石になっていました。
何故ならば、
夫婦仲良く、喜びに溢れて生きていなければ、子供の自己肯定感は育たない
という強い思いがあったからです。
そう思えば思うほど、私と主人の関係は、私のの両親そっくりそのものになっていきました。
娘は、とても悲しそうに、
「お父ちゃんは、お母ちゃんの前ではいつも怒っているね。お母ちゃんの事嫌いなのかな?」
と心配していました。
私は胸が締め付けられる思いで、早く何とかしなければと思い、
「子供の為にも、その顔とその言い方やめてくれる?」
と主人以上に酷い顔と言い方で主人に求めていたのでした。
もうどうにもならない所まで来て、私はとても重要な事を学びました。
それは、
私の自己肯定感が育たなかったのは、親のせいではないという事です。
私達は、自分の魂が成長し、本当の自分を思い出していく為に、自分で一番最高の親を選んで産まれてくるそうです。
誰が見ても、最低の親のように見えたとしても、その人の魂の学びの為には、最高の役割を担ってくれる親であるということです。
それは、実に全ての問題を一気に溶かしてしまうような学びでした。
馬渕さんは、いつもこのように教えてくださいます。
「親は、多くの場合、子供を傷付ける為だけにいるんです。
子供の業を小さい頃から浮上させ、はやく終わらせる為の役割をかって出てくれているんですよ。
ですから、親に対しての在り方はひとつしかありません。それは、ただ愛する事です。
親は、感謝して愛する為だけにいるんですよ。」
私は、両親がこうだったから、両親にこうされたからこうなったと、いつも意味を付けて考えていました。
でも、そうする事で、私の自己真実はとても強固なものになり、私を縛るルールになっていきました。
そのルールから解放されてみると、親に対して本当に感謝以外に何をすることがあるだろうかと思うようになりました。
そして、自分も、子供に対して、安心して関わることが出来るようになりました。
やはり、必要でない事など起きないという事です。
全てが必要で、全てが貴重で美しい体験ですから、安心して受け取っていればいいんですね。
そうは言っても家族となると、簡単では無い事も多いと思います。
どのように受け取るかは、いつも私達の自由ですから、こうしなければならないという事はないそうです。
ですが、今ある事を受け取るまいとすると、葛藤や苦しみが生まれる事は間違い無いのではないでしょうか?
ひとつひとつ、丁寧に観察し、ネガティヴでは無く、心震える喜びこそを選択していきたいと思う今日この頃です。
ただ愛すればいいとは、何ともシンプルですね!
お父さん、お母さん、生んでくれて、そして育ててくれてありがとう。
今は、心から、
私は最高の両親を選んで生まれてきたのだと感じる
日々を過ごしています。
みなさま、今日も読んでくださってありがとうございました!
また、お会いしましょう(*´∀`)♪
与える経営、与える子育て、与える教育…。与える事について考えました。
こんにちわ!
サナブリ真木です( ´∀`)
今日は、与える事について書きたいと思います。
というのも、最近、私は本当に貰うことから解放されてきて、与える事にしか興味がいかなくなってきたのです。
きっと、貰おうとすればするほど渇いてきて、与えようとすればするほど潤ってくるという、仕組みが、頭だけでは無く、細胞で分かり始めたからだと思います。
私は、これまでずっと、心の広い人になりたいと願って生きてきました。
そして、損得で判断する人を心のどこかで軽蔑していたように思います。
あれは、忘れもしない真木23歳の夏でした。
私は主人と中華料理屋さんに行きました。
2人とも、お腹がペコペコで、やっと食べられる!とソワソワしながら、料理を待っていました。
そんな時に限って、主人が頼んだ料理が、何ともすごくおかしな味で、主人の口に全く合わなかったのです。
主人はこれ以上無いくらい、ガッカリして、とても不満を募らせていました。
私は「なんか違うの頼んだら?」と言いましたが、主人は、「勿体無いから食べる」と言って、溜息をつきながら食べていました。
そんな主人を見ていて私は、何故か、無性に腹が立ってきてました。
私は若い時から
「器が大きい人間になりたい」
という思いを握りしめて生きていた為、
「お腹ペコペコなのに、注文したものが不味かった事件」
がとても小さい事に感じたのです。
「ちょっと損したくらいで、ガタガタ言いなさんな。」
と私が、異様に大物ぶっていた為、もちろん喧嘩になりました。
そして、私は主人にこう言いました。
「お互いの絶対に直して欲しい所をひとつだけ言おう。そして、その言われた事は絶対直さなアカン事な!」
私は主人に、あろう事か
「もっと器の大きい男になって欲しい」
と身も蓋も無い事を言いました。
(主人は、私より3歳年上です)
主人は、これまた、あろう事か
「おばさんみたいな歩き方をやめて欲しい」
という、ささやかな抵抗に、この貴重な1回を使ってしまったのでした。
もちろん、ただただ主人が傷付いただけで、お互いの直して欲しい事が直る筈も無く、私の「自分の損得に拘る人は器が小さい」という思い込みは、更に強くなっていったのでした。
ですが、いつの頃からか、私は自分のエネルギーを出し惜しむようになっていました。
だんだん、貰える分だけ出そうというような、計算を頭で自然と行うようになっていったのです。
フと気付くと、貰えるものと出すもののバランスを取ろうとしている自分がいました。
そして、それこそ、私が一番軽蔑していた、損得感情から来ているのではないか?という事に気が付いたのでした。
私はそれから、とても大切な事を知りました。
お金も、労力も、時間も、愛も、全てはエネルギーなので、全て本当に循環しているという事です。
自分の中に溜めこもう溜めこもうとすると、本当に詰まってしまって、流れが悪くなるのです。
ちょうど、これは呼吸と全く同じだそうです。
息を吸ってばかりいると、呼吸が浅くなり、空気があまり入ってこなくなります。
あまりにそれが酷い場合は、過呼吸になります。
ですが、身体の中にある空気を、全部全部ぜ〜〜んぶ出すつもりで吐き出せば、勝手に必要なだけ空気が入ってくるのです。
私は、この循環を、呼吸と自分の労力やお金といったエネルギーで体験し、本当にそうなっている!!と分かったのです。
それからは、とにかく、吸う事にフォーカスするのをやめて、吐く事を中心にやってきました。
すなわち、貰う事では無く、与える事にフォーカスしてきたという事です。
与える事とは、言い換えれば、
自分が愛ならばどうするか?で行動する
という事です。
そのように、意識してみると、見事に循環が始まりました。
とにかく不思議な事に、あまり疲れないのです。
エネルギーを出し惜しんでた時の方が、何故かヘトヘトに疲れていました。
今考えると、出し過ぎない為に絞る事に莫大なエネルギーを使っていたのでは無いかと思う程です。
そして、与えるという事の本当の意味が、最近分かるようになってきました。
それは、馬渕さんに教えていただいたこの言葉がきっかけでした。
「本当の教育はね、ひとつしか無いんですよ。
それは、与える機会を与える事です。
親が子供の為にと、何から何まで世話をして、先回りして与え続けたら、どうなりますか?
子供の中に育つのは、恨みだけです。
でも、与える機会をたくさん貰った子供は、本当の喜びや感謝の心が育つんですよ。」
私は、この言葉にとても感動しました。
与える機会を与える
なんと、深い言葉でしょうか?
与えるとは、ただやってあげることでは無いんですね。
よく、先進国から発展途上国への支援の仕方が問題になっていますが、その国、その人の力を奪うような援助の仕方は、やはり与えているとは言えないという事です。
むしろ奪っていると言っていいでしょう。
結局の所、誰かを、助けることで、補助する事で、自分の力や価値を証明したいだけなのかもしれません。
ですから、私は、サナブリを経営する上で、「良い物を無理してでもなるべく安く」と考えるのをやめました。
そこに歪みを作る理由は、自分の自信の無さや不安が源で、自分の価値を証明したいだけだと気付いたからです。
そして、お客様を甘くみてはいけないと思ったからです。誰も恵んで欲しいなどと思ってはいないのです。
私は、生産者さんとお客様の架け橋になりたいと願っているからこそ、適正価格は大切だと感じたのでした。
経営者がスタッフに、
親が子供に、
すべき事はただひとつ、
与える機会を与えることだと、私は心から納得しました。
ですから、スタッフに、
「申し訳ないけど、ゴミ箱の掃除してきてくるる?ごめんな。臭いけど。」
と謝る必要は無いということです。
正に、ゴミ箱を掃除するなんて、最高に与えるチャンスそのものなのです。
そして、全ての瞬間、私達は、与えるチャンスをいただいています。
出し惜しんでる場合では、本当に無いんですね。
ですが、この与える機会を与える上で、絶対に必要不可欠な事があります。
それは、
自分自身が、心の底から溢れて、与えている存在である
という事です。
それが無ければ、スタッフは、
「ただ、臭くて面倒臭い仕事を押し付けられた」
と感じるでしょう。
与えるという喜びを、爆発させながら生きたいと思う今日この頃です。
今日も、自分が愛ならばどうするか?一瞬一瞬を大切に、与える喜びと共に過ごしたいと思います。
ブログを読んで下さる皆様、いつも本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
ではでは、また、お会いしましょう(*´∀`)♪