サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

主人がインドに行って1週間がたちました。私にも色々と変化があります。

こんにちは!
サナブリ真木です。
主人が日本を発って1週間が過ぎました。本人が10日間の旅だと言っていたので、そう思い込んでいましたが、よく数えてみたら12日でした!!
結構行くのね(*゚∀゚*)

主人はインドの田舎にいる為、ネットがあまり繋がらないようですが、ちょこちょこラインで日記のようなものを送ってきます。

一部を抜粋するとこんな感じです。

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11月1日の出来事
午前中、同じ宿泊客であるオーストラリア人ファミリーと近くの集落を散策に出かける。村を抜けて田んぼの畦道を歩くこと2時間半。
午後は原始的なマーケットに連れて言ってもらい、サンダルを買う。そしてサリーは買わされる。
カレー三昧と覚悟していたが、未だ食べていない。
2日の朝、乗るはずの列車は、大幅に遅れており、着く頃には7時間くらいの遅れになると宿のオーナーが断言している。今日はどんなガイドがサポートしてくれるのやら。

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11月2日の出来事
宿の送迎車とバスでなんとか夕方にバスター県のホテルに到着。危ないから出歩くなとガイドブックには書いてあるが、夕飯探しに出かけてみる。親切な若者が店まで送ってくれると言うので乗ったバイクは、人生初のノーヘル3ケツ。でもインドでは4ケツすら驚かない。
スマホは宿でしか使えない。
英語も上手ではない。
いろんなものが削がれて行くことに不安だったが、常にちゃんとサポートがあることは感じている。
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11月3日の出来事
ホテルに頼んだタクシーで、午前中は地元では有名な滝へ、午後は民族博物館とバスター村へ行く。バスター村については、みんなから散々行く意味がないと反対されてなかなか行かせてくれない。
でも午前も午後も、頼んでないのにドライバーが寄ってくれた場所に運命を感じた。そして旅で初めてメッセージもあった。やはりここに来ることになっていたのだと、恩恵を感じる。
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11月4日の出来事
午前中はヒンドゥー寺院へ、午後はビーチへ行く。夕方からはもう一度スマホのネット接続に挑戦しに店に行き、3時間かけて繋いでもらえた。これでかなり旅がしやすくなった。
早速今夜のコルカタ泊の安宿をネット予約。700円の宿は想像以上に酷くて絶句したまま床に着く。まあ普通の宿よりは話のネタになると思うことにする。


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みのっさんが、インド人とノーヘル3けつ!!
想像すると少し笑える(´∀`*)

無事に、旅を満喫しているようです。
このインドへの1人旅は、主人にとって、計り知れない価値があるに違いないと感じます。

何故ならば、きっと、主人にとってインドは、要らないものが削ぎ落とされる最高の場所だろうと思うからです。

自分の人生を生きる為に必要な事は、そんなに多くないのに、いつの間にか、私達は、沢山のものを握りしめていました。

手放せないものだらけになっていました。

これを認めたら、これが無くなったら、私が私では無くなってしまうんではないか?
無性にそんな気がして必死でもがいていました。

でも、意外にも、
足し算の生き方から、引き算の生き方に変えた途端、私も主人も本当の自分に出会い始めたのです。

主人はきっとインドの田舎の畦道を歩きながら、生きている事とその事に対する喜びを実感していることと思います。

私もつい最近、まだまだ握りしめているものが沢山あるのだなぁという体験をしました。

それは、何故私がこんなに「愛」にこだわっていたのかに気付く良い機会になりました。

その体験とは、実は、私自身が
「条件無しの愛にすごく飢えている」
という事を知るという体験でした。

私の両親はとても真面目で誠実な人です。
特に母は、エゴがとても少ない人です。

なので、私は兄弟全員が絶対的な母性により受容されて育ったと思っていました。

惜しみなく愛された事は間違い無いのですが、そのようにして育つ過程で5人兄弟という事もあってか、幼かった私は何かの勘違いをしたようで、足りない、もっと愛されたいと魂に刻み込んだようなのです。

もっともっと!
まだまだ!
頑張れば、必ず特別に愛される私になれる!


と信じて走り続けてみて、

その不自然さに気付き、手放す事にフォーカスしている今も尚、絶対的な受容を求めて止まない、強くて脆い私がいる事が分かったのです。

何故、私がこんなに、愛になりたかったか?
それは、


私自身が愛されたかったから

という事です。

この事を私は認識していませんでした。

愛への渇望をハートで理解した時、急に涙が溢れ、本当に子供のように泣けてきたのでした。

それから、また一段、自由になる事が出来ました。

愛に飢えていた事で、
意識的に集中して食べる事が出来なかったり、
言うべき事が言えなかったり、
また言わないでいい事を言ってしまったり、
深く内側にアクセスせずに動いてしまったり、
そんな浅はかな自分を責めていた私は、また少しずつ変化し始める事が出来たのでした。

こうして、もうこだわりも理想も、本当に無くなってきたな〜〜。と思っていても、更にまだ握りしめているものが後から後から出て来ます。
まだまだ、これこらも、どんどん、身軽になっていくのだな〜と感じたのでした。

この事を分からせてもらえたのは、間違い無く、主人の変化による恩恵です。

主人の準備が出来たどころか、私を追い越して行ったので、私もまた子供に戻って大きな荷物を下ろす事が出来たのだと思います。

嫌われない為では無く、
愛される為でも無く、

私は私を生きたいと思います。


それは、自分と宇宙との一対一の関係に、どこまでも誠実に、どこまでも真剣に生きるという事です。

それだけが、いただいこのイノチを燃やす唯一の方法だと私は思っているのです。

主人が帰って来たら、また報告させていただきます。

今日も読んで下さってありがとうございました。
また、お会いしましょう!

ナマステ〜〜!

旦那が急に「インドに行く」と言い出した!

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

人生は、何があるか分からないと言いますが、最近、なかなか驚くことがありました。

 

それは、主人が、急に「インドに行く」と言い出した事です。

 

それは、突然やってきました。

最近、主人は急激に不安を手放して、すごい勢いで自由になっていました。

 

そして、一気に頭が静かになり、普遍意識からのメッセージをダイレクトに受け取るまでになっていたのです。

 

思考に思考を重ねて、慎重に物事を決めてきた主人が、半信半疑ながらも、内側から溢れるものを発露とし始めたのは、本当に感動でした。

 

人ってこんなに変わるんだなと笑ってしまうほどでした。

 

そんなある日、夜中に帰ってきた主人が言いました。

「インドのバスタールって知ってる?」

私は答えました。

「知らん」

主人は、言いました。

「今日、急に背中が暖かくなって、ハッキリとメッセージが浮かんできた。インド、バスタール、10月25日、時代を変えろ。時をかけよ。」

私は、

「えー!!」

と思いました。

私にはそんな事、一度も起こった事が無かったからです。

主人は言いました。

「腹が減ってる時に、こういう事がよく起こる。」

私は、「だから私には起こらんのか!」と思いました。

 

主人は、

「バスタールなんて、聞いた事なかったから、ネットで調べてみたら、ホンマにあって、ビックリした!コワ〜〜!と思った。俺、インド行くのかな?」

 

私は、

「でも、まさか本当に行く気では無いよね?(;゙゚'ω゚'):」

と思っていました。

私には、主人が何かを決めるのに、とても時間がかかるイメージがあったからです。

 

その時は、5年くらい悩みに悩んだ結果、「やっぱりやめとく」とでも言うだろうと思っていました。

 

ですが、主人は次の日に、この今に生きるという生き方を教えて下さった先生に相談し、その次の日にはパスポートを更新する為に動き始めていました。

 

「この人は、本当に私の旦那か?」

と疑いたくなるような行動力で、インドに詳しい人、何人かに話を聞きに行き、正直に自分に起こった事を説明した上で、アドバイスをもらい、インドへの一人旅を計画し始めたのです。

 

私の心境は複雑でした。

それまでは、

「頭の中から出てきて、今を生きたらいいんや!

今にだけ答えがあるんや!

溢れる発露に従って進むんや〜〜!

エイエイ、オー!」

 

と主人を諭していた癖に、いざとなると、

「店は?子供は?お金は?どうするつもり?」

と私はオロオロするばかりでした。

 

ですが、私はふと思い出しました。

主人は、大学の卒論で、インドについて書いていたのです。主人は若い頃、インドが好きで、インドに憧れていました。

当時インドの事が無性に気になっている様子でした。

私は、そういえば、みのっさんて、ターバン巻いたらインド人みたいな顔してるなと思いました。

 

そして、これは、インドに何かあるぞ!と確信し、もうここまで来たら行ってもらうしか無い!と覚悟を決めたのでした。

 

啓示を受けてから2週間、準備が整い、10月30日から何とインドへ10日間、主人は一人旅をする事になったのです。

 

本来ならば、英語もヒンディー語も話せない主人が、知り合いもいない場所に1人で行くなんて、とてもハードルが高いことです。

病気やら、治安やら大丈夫かいな?と心配されても仕方ありません。

 

これまでの私なら、頭がおかしくなったと思われるのが嫌で、こっそり内密に、嘘で塗り固めて、この事を隠そうとしていたかもしれません。

 

ですが、主人は最近、事あるごとにこのように言っていました。

 

「俺、分かったんや。

自分の真実を語ること。

それが一番、自分を自由にする。」

 

この言葉は、とても奥が深いと思います。

私達は、人にどう思われるかをとても気にしています。その事が、私達の価値を決めるような錯覚があるからです。

 

そして、自分の真実では無く、こう思われたい、こう見られたいとう理由で、本当の自分の真実に蓋をしてして、嘘を語りがちです。

 

ですが、この自分の真実に蓋をするという事は、想像以上に、本当の自分を踏みにじる行為なのです。

自分のありのままを否定し、粗末にし、小さく凝り固まらせてしまいます。

例え、自分で見たくないような、ドロドロとした得体の知れない感情や不安だったとしても、そこに蓋をしてはいけないのです。

答えは外には無いのです。

そのドロドロとしたものをジッと見つめると見えてくるのです。

 

小さい事のように見えても、

自分に嘘を付く事、

背伸びする事、

知ったかぶりする事、

我慢する事、

自分を殺して人に合わせる事など

自分に対しての不誠実さは、必ず私達の中に歪みや詰まりを作ります。

 

私は、自分に対して、一点の曇りもなく誠実で無ければ、人に対して誠実に向き合うなんて、本当に出来ないのだなと学んだのでした。

 

ですから、この主人の驚くべき体験と行動をカミングアウトしておきます。

 

これが、今の西木家の真実です。

 

 

10日後、ほんのりカレー味になって帰ってくるであろう、主人の真実を聞くのが楽しみです。

 

また、シェアすべき何かがありましたら、報告させていただきます。

 

*「カレーが美味かった」という話が主人の真実だった場合は、割愛させていただきます。

サナブリがナンとカレーの店になっていたら、「よっぽど美味しかったんやな!」と思っておいて下さい。

 

そしてお知らせです。

10月30日(月)15:00から17:00、サナブリで5回目のawakning cafeを行います。

 

今回は、

知っているだけで心が軽くなる

「悩みの正体」

についてお話しします。

私や主人が学んでいる事は、スピリチュアルとは言っても、決してバーチャルな絵空事ではありません。

現実の社会をバリバリと自分の役割を爆発させながら生きる為の話です。

この事は、学べば学ぶほど明確になります。

私は、この事を知らなければ、何をやっても、いつかは歪みが出るのではないかと思っています。

それは、一般的に、行動と結果の法則は広く知られているのに、その行動の源こそが全てを握っているという事があまりにも、知られていないからです。

仕事、人間関係、子育て、恋愛、自己実現、何においても、全ての鍵はその人の意識状態が握っています。

ここには、絶対的な法則があり、私達が自分のイノチの形を生きる為には、この事を知り抜いている必要があります。

 

今回は、この意識状態と行動、結果のメカニズムを中心に、悩みの正体とそれ自体が無くなる方法について、分かりやすく、そして楽しく、お話しさせていただきます。

初めていらっしゃる方にも分かりやすい話でオススメです!

皆様にお会い出来るのを楽しみにしております(^∇^)

 

では、またお会いしましょう!

ありがとうございました!

ナマステ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束を守ろうとすると、いつの間にか自由ではなくなってしまうんですね。私にとっての成功とは何か?

こんにちは!

サナブリ真木です。

早速なんですが、事情により、10月のawekning cafeの日程を変更させていただく事になりました。

 

調整して下さっていた方には本当に申し訳ないのですが、

10月27日(金)から10月30日(月)に変更させていただきます。

時間は変わらず15:00〜17:00で、会場はサナブリです。

10月のお話は、

「悩みの正体」

についてです。悩みは自分が作り出しているという事は薄々分かっていても、本気でそんな自分にウンザリしない限り、なかなか手放せないものだと思います。

 

私は、

自分が抱えていた悩みが勘違いや思い込みだと本気で気付くという体験

そして

その悩みの仕組みや正体を知り抜くという体験

を通して握りしめていたものを手放す事が出来ました。

分かっちゃいるけどやめられない!といううちは、本当には分かっていなかったんですね。

 

知っておくだけできっと心が軽くなる、悩みが生まれるメカニズムと向き合い方について、分かりやすくお話させていただきます!

 

皆様のご来場を心よりお待ちしております。

 

さて今日は、私が最近、つくづく感じている、

成功とは何か?について書きたいと思います。

 

私はこれまで、自分らしくイキイキと生きるという目標を掲げて生きてきました。

自分がなれる最高の自分になって、沢山の人や地域の役に立ちたいという願いを強く握りしめてきたのです。

 

そして、昨年、それにしても、何でそんなに役に立ちたいのか?

 

その願いの源にあったのが、自分の価値を証明して安心したいという裏を返せば不安であったということに気付きました。

 

それから、不安を手放すに連れ、私の考えていた成功の形は、全く違うものへと変わっていきました。

 

何が正しくて、何が間違っているとか、良い悪いの話ではありません。

魂によって何を体験したいかが違うので、人によって視点が違いますし、その基準も、様々です。

ただ、どこを見ているのか?という話ですが、今の私にとっての成功は、

完全に、自分が思い描く最高の自分になる事では無くなりました。

私が思い描いていた成功、それは、才能、人徳、人望、財産、などなど、

より多くを所有する

というものでした。

 

この強い願いこそが、私の沢山の問題と歪みを作り出し、結果として、周りに被害を与えてきたという事が分かったのです。

 

役に立ちたいと願いながら、全く反対の事が起きていた!!これは、ガーン!!∑(゚Д゚)としか言いようがありません。

これには、本当に驚きました。

 

ですが、このことはそこら中で起こっている事です。

何故そうなってしまうのか?

 

それを私は、神との対話Ⅲを読んだ時に、感覚的に理解しました。

抜粋して紹介させていただきます。

 

著者のニールが神様に、結婚の約束について質問します。

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ニール

結婚の約束をしても、その約束を守り続けるのは難しい。全てのものは変わる。変わらないものは何もないから、約束を守るのが難しいんですか?

 

約束を守るのが難しい理由のひとつは、誠実さとぶつかるからだ。

本当の自分はいつもこうだと言っても、その後に変わる。

だから深い葛藤が生じる。

どちらに従うべきか?

本当の自分か?

約束した自分か?

他人を裏切らない為に、自分を裏切る事、それも裏切りだ。それは最高の裏切りだ。

 

ニール

でも、それじゃあ、そこら中で約束が破られてしまいますよ!誰のどんな言葉も意味をもたなくなってしまう!

私達には、相手が約束を守ってくれると期待する権利も無いとおっしゃるんですか?

 

どうしてそんな権利が欲しい?

人に無理矢理、約束を守らせて、それで自分達は傷付かずにすむと思うか?

人があなたとの約束を破るたった一つの理由は、もう約束を守りたくないからだよ。

本人がしたくない事を強制すべきだと本当に思うか?

いいかね。

自由に好きなように行動している人よりも、静かな絶望の人生を送っている人

つまり、「しなければならない」事をしている人の方がずっと大きな被害を与えてきたのだよ。

 

相手を約束やコミットメントから解放してやれば、その時は、自分が傷付くと感じるだろう。

だが、長い目で見れば、決して被害は受けない。

相手に自由を与えれば、自分も自由になるのだから。

人に無理矢理、約束を守らせれば、必ず、自分の尊厳や自尊心が傷付く。

ビジネスでも、正気でやらうと思うなら、それが唯一の方法だ。

 

神聖な約束はただ一つしかない。

本当の自分を語り生きる事だ。

 

本当のあなたは自由だから、自由を失えば、自分自身を失う。

それは、神聖どころか冒涜なのだよ。

 

 

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要するに、私は、周りの人だけでなく、自分とした約束を守る為、しなければならない事を必死でしていたのです。

ですが、私達は絶えず変わっているので、どんどんその制約やコミットメントのくびきが重たくなり、終いには、ぐるぐる巻きになって、身動きが出来なくなりコケかけていたのでした。

 

私がしてきた約束で、真っ先に思い付くのが、「主人を幸せにする」

というものでした。どこでどうなったらそうなるのかは、謎ですが、この事は、いつのまにか私の中で大きくたくましく育ち、強烈なコミットになっていきました。

 

今考えると、元々、不幸でも無かった主人を、あの手この手で不幸せにして、そして自分が救おうと猛烈に頑張っていたようなものでした。

(ごめんごめん!その時は分からなかったんやもん (;  ; ))

 

そして、主人がどうにも幸せにならないのを腹に据えかねた私は、主人をヘッドロックしながら、

「幸せになった?誰のおかげかな?今すぐ言わんと、キメるで!」

と脅しているような状態になっていたのです。

 

この神の言葉により、私は何事も判断したり決め付けたりせず、もっと自由に、もっと好きなようにしていいんだ!と自らを縛っていた鎖をとく事が出来ました。

 

そして、今、

 

自分が約束を守って、相手にも守ってもらおう

自分が貰える分だけ相手に与えよう

 

という期待や願いは、本当に自分を重くするだけのものだと分かるようになりました。

 

とにかく、もらう事から解放される事は、私達をとても自由にしてくれます。

 

もらおうとするのをやめてから、ハッキリと分かった事は、もらおうとなんてしなくても、結局は出した分だけ入ってくるという事です。

 

だからそんなに心配しなくて良かったんですね!

 

今の私が考える成功は、

 

思いっきり自分の無限性を発揮する事です。

 

それは、変に聞こえるかもしれませんか、私が決める事ではありません。

 

私が私と思う私(エゴ)が無くなって、ただ純粋に、真っ直ぐに、出し惜しまずに、100%貢献して生きる事が、

私の自己実現であり、成功なのでは無いかと思っているのです。

 

それは、私がこれまで思い描いていたものとは全く逆で、

何も所有しておらず、何にも縛られず、想像を超えた自由さと身軽さの中で、喜んで生きるということです。

 

そのように在るため、今日も真剣に今に在りたいと思います!

 

今日も読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうアカン。無理かも。」と何度も思った夫婦関係。ミラクルな解決が待ち受けていました!

おはようございます!

サナブリ真木です。

 

9月29日金曜日に、4回目のawekning cafeを開催しました。

 

会場をサナブリに変えたことで、沢山の方にお越し頂く事ができました。

 

ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました〜(´∀`*)

 

とても、楽しく、また価値のあるエネルギーの交流が出来たと思います。

 

こういったイベントは、決して1人で出来るものではありません。

 

来てくださる方一人一人の方によって作られているという事を毎回、確信いたします。

 

そして、ここでお伝えさせていただく内容は、決して私の考え方や捉え方の話であっては、ならないと思っています。

私は、誰かの個人的な価値観など、迷いの素になる事はあっても、気付きの素にはならないと確信しているからです。

 

ですから、私という一粒の雫を通して、真実が語られますようにと祈りながら行っているお話会です。

 

まだまだ、どうしても個人的な見解が入ってしまう事もありますが、更に風通しの良い空洞になれるように静寂の中にある事に努めていきたいと思います。

 

今回は、人間関係の話をさせていただきました。

この人間関係というのは、私達人類の最大の悩みの素と言われています。

 

悩みの全ては、対人がいるから生まれるという考え方もあるくらいです。

 

何故、悩みが生まれるのか?

ではどうしたらいいのか?

 

が頭では無く、感覚的にビターッと理解出来た私の体験談をお話させていただきました。

 

今回は、アシスタントのちえこさんが、大切なお仕事で来られなかった為、主人にアシスタントをお願いしました。

 

なのに、私が話した体験談とは、主人とのドロドロの関係についてです。

 

「私は、主人がどうしても許せなかったのです!主人が怒っている事に腹を立てているつもりだったのに、主人が笑っているとそれはそれで無性に腹が立ったのです!」

 

という話をするのに、主人が、神妙な顔で、

「サナブリ真木のお話会の司会を担当します、サナブリ稔です。」

 

と挨拶していて、こんな事になるとは、誰が想像できたろうか?と感慨深いものがありました。

 

こんな事が可能になったのも、私も主人も、絶対に譲れなかったものを手放せたからだと思います。

これが無くなったら私では無くなってしまう!と思って握りしめていたものを、手放してみたら、意外に全然いらんもんやった!と気が付いたからだと思います。

 

私以上に主人の手放し方は、目を見張るものがありました。

 

面白い事に、私が

「主人に何とか変わって欲しい!」

という気持ちが少しでも残っている時は、ピクリとも動かなかった彼ですが、私が

「ああ、私が幸せになるために、この人がどうかということは、本当に一切関係がないんやな。」

と知り抜いた瞬間に、主人は、握りしめていたものを勢いよく手放したのでした。

 

この事は、本当に感動的でした。

相手に、何とかして変わって欲しい

と思っている時、そこで何が起こっているか?

 

それは、

あの人は変わらない

を宇宙に宣言しているという事なのです。

 

少なくとも、

私にとって、あの人は変わらない

 

が現象として現れます。

 

1ミリでも相手への理想、期待、求める気持ちが残っていると、見事にそうなります。

 

何故なら、顕在化している意識が1ミリあるということは、潜在意識には2万ミリあるという事だからです。

 

この、体験は、私にとって、

「本当にそうなってる!!」

という事を確信させてくれました。

 

人間関係の悩みが何故生まれるのか?

 

それは、

相手に期待があるからです。

 

認めて欲しい

分かって欲しい

愛して欲しい

 

私に足りないものをどうか、あなたが補って下さい。という願いがあるからなのです。

 

私達はいつも、

人が自分をどう見ているか?で自分を評価しています。

 

友達が多かったら

異性にモテたら

尊敬されたら

特別に愛されたら

みんなから受け入れられたら

 

そうなった時に初めて自分の価値を確認出来るような気がするのです。

 

ですが、本来は人を通して自分の価値を確認する必要など全くありません。

 

何故なら、私達には、既に無限の価値があるからです。

それは、人の評価で変わるようなものでは無いのです。

 

人の評価を通して自分の価値を確認していると、「受けいれられる為」という理由で言動を選択する事になります。

 

これが、私達を、本来の自分から遠ざけている大きな理由のひとつです。

 

人の期待に応えようとして生きる事は、人の人生を生きる事です。

 

ですから、多くの人がだんだん疲れてくるのです。

そして、

「あなたに愛される為に、こんなに頑張ってるんだから、いい加減、そろそろ私を満たしてよ!」

と不満が爆発してくるのですね。

 

ですが、誠に残念な事に、人に自分を満たしてもらうというのは、到底不可能な事なのです。

 

何故なら、元々足りなくなんて無いからです。

穴があると勘違いして、その穴を埋めようと、いくら必死になっても、埋める穴自体が無いのです。

 

では、何故、私達はこんなに不安になるのでしょうか?

元々完璧なら、こんなに心許なく感じるはずは無いと思いませんか?

 

それは、この宇宙の一体性に気付く為なのです。

自分も宇宙(神)の一部なのだと知る為に、無性になんか足りない!ような気がする?

を体験しているのです。

 

その事が実感として全身で分かった時、私は、主人から、満たして貰おうとする事から、完全に解放されたように思います。

 

私の場合は、

「この人に幸せにして貰いたい」

ではなく、

「この人に私によって幸せになって貰いたい」

というなんとも男前な期待でした。

これも、貰いたいのひとつの形です。

 

主人は「何で?」

と20年に渡って首を傾げてきたのです。

 

貰う事に興味が無くなってからというもの、私には、嫌な人、気が重い人が全くいなくなりました。

 

それどころか、どんどん人が怖くなくなり、好きで好きで仕方無くなってきたのです!

 

貰う事ではなく、本当の意味で与える事だけに興味が出て来ると、人と出会い、チャンスをいただける事が嬉しくて仕方が無いのです。

 

何かを貰う気がさらさら無いので、全くの自然体でいられるのです。

 

褒めてもらう必要も、認めてもらう必要も無いのです。

 

どれだけ身軽になることか!

 

しかもありがたい事に、人に認めて貰う為にやる事よりも、自然体で、ただやる事の方が何倍も結果が出るのです。

 

それなら、人の目を気にして、自分で無いものになる努力をするのは、本当にもったいないですよね!

 

ワクワクする事をやりましょう。

それが魂のメッセージです。

 

自分を、大きくも、強くも、賢くも、優しくも、見せなくてよくなった時、必ず私達は、本当の自分と出会います。

 

ただ、花が咲くようにイノチの花を咲かせるのです。

 

私も、主人と新たなパートナーシップを携え、ここから再出発したいと思います!

 

そのうち、サナブリ稔のお話会

「僕は嫁が怖かった。」

 

をお届けする日が来るかもしれません。

 

今日も読んでいただいてありがとうございました!

10月以降もawekning cafeは続けていきます。

ぜひ、興味をお持ちの方は、続けていらして下さいね!

体質化するには、習慣が必要です。

皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。

また、お会いしましょう!

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そうだったのか!弱点との向き合い方が分かりました。

おはようございます!

サナブリ真木です!

 

だんだん秋を感じる季節が来ましたね(^_^)

皆様いかがお過ごしですか?

私は昨日、ちえこさんのお芝居を見せていただき、とっても感動して、更にパワーが漲っております!

ちえこさん、ありがとう〜*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

今日は、弱点について書きたいと思います。

私達には、弱点とも言える人生のテーマがあります。

 

それは、本当に人それぞれです。

皆さんの弱点は何でしょうか?

 

☆決められない。

☆ルーズ

☆完璧主義

☆本気になれない

☆短気

☆片付けられない

 

などなど、裏を返せば、美点にもなり得る事でも、自分が何を気にしているかによって、弱点と呼べるものになります。

 

私が思う、私の最大の弱点はこの2つです。

 

☆食べる事をコントロール出来ない事

☆時々、ブルドーザーのように、全てをなぎ倒してしまう事

 

他にもたくさんありますが、この2つの事は特に、私にとって、得体の知れないオドロオドロシイ不安の霧のようなもので、長い間、私を埋め尽くして来ました。

 

私は長らく、この事が解決出来たら、きっと人生は好転するに違いないと信じていました。

 

ですが、ある日、

弱点を乗り越えようと思えば思うほど、意識がその事をフォーカスし、強くその現象が起きるということを知りました。

 

「食べてはいけない」

 

のいけないの部分は、脳では認識出来ないので、

「食べては」だけが、どんどん意識状態を作っていくと言うのです。

 

すると、その意識は見事に行動を強化します。

 

その事を知ってから、私はまず弱点だと思っている事の捉え方を変える事が大切なのだなと意識してきました。

 

ですが、最近になって、弱点と認識しないように気を付けていた課題が、ものすごく浮き彫りになる事が、ちょこちょこと起こってきたのです。

 

私は、少しウンザリした気持ちになりました。

 

「人間の意識と行動のメカニズムを理解して、頭では、分かっているのに、なんで私はこんなにこの課題をクリア出来ないんかな?

そして、多くの人が自分の弱点にウンザリしているのに、何でこんなに変われないのだろう?」

 

そして、その事についてまた新たな学びがあり、気付きをいただいたので、書かせていただきたいと思います。

 

それは、2点あります。

 

1つめは、なぜ変われないのか?

 

それは、人間は体質化、習慣化していない事は出来ないからだそうです。

 

頭でどれだけ分かっても、身体が、もっと言うと、細胞が、血液が、これまでの習慣を記憶しているのです。

 

細胞が生まれ変わらない限り、つまり体質化しない限り、意思の力だけで一気に乗り換えようとしても、やはり到底、無理だったのです。

特に、本気になる、努力を続ける、自分を信じる、などの体質化がされていないと、習慣化、体質化をする為の努力事自体が難しくなるのです。

 

そして2つ目です。

 

何故、それぞれに違った課題があり、こんなに手こずるのか?

 

それは、

その弱点こそが、役割に直結しているからだそうです。

 

私達は、本当の自分に回帰する為に、色々な体験をしています。

 

そして、本当の自分には、担うべき大きな役割があるのです。

 

その役割は、人によって様々ですが、乗り越えるべきテーマは、役割を果たす上で必要不可欠なもののようです。

 

ですから、手こずります。

ウンザリする程、何回もやってきては、私達を困らせるのですね。

 

そういえば、私の弱点は、私の役割に直結しています。

私は、現段階で

「料理をつくる」

「伝える」

「リーダーシップを取る」

という役割を認識しています。

 

正にその事で何度も何度も嫌になる程、頭を打ってきたのです。

だからこそ、その事をどんどん深めています。

その事に、ものすごく詳しくなってきているのです。

 

逆に、私は、ルーズな事や、片付けられない事は、そうであるにも関わらず、さほど気にしていません。

 

無性に気になる時点で、それは、そこにこそ役割があるという事です。

 

私はその事を改めて学んで、とても気が楽になりました。

何故なら、乗り越えられない分だけ、役割は大きいのだなと感じたからです。

 

もし、私と同じ、不安や苦しみを抱えている人に会った時、全部、くまなく説明出来るように、私はその事の専門家にならせてもらっているのだなと感じたのです。

 

そう考えると、弱点とは、本当にありがたいものですね。

 

出来る事も大切ですが、

 

どうしても出来ない事こそが、私達が神様からもらった最高のギフトなのです。

 

そして、それをクリアする為に、フォーカスすべきは、弱点そのものではありません。

 

フォーカスすべきは、本当の自分です。

 

本当の自分に出会い、その役割を本気で生き始めた時、必ず、私達の乗り越えるべきテーマは、自然に超えていけるのです。

 

余談ですが、私は前世が分かる先生に、このように教えていただいた事があります。

 

「真木さんは、前世で、武道を相当やり込んでいますね。直線の動きだけで殆どのものを倒す事が出来たようです。普通ではなかなか考えられない事ですが、よっぽど大きくて力が強かったのでしょう。だから、曲線の動きが苦手なようです。曲線の動きを身につけたらいいですよ。」

 

私は、神妙な面持ちでその話を聞いて、その後に教えていただいた螺旋運動を家で練習し始めました。

 

そして、身体全体で螺旋を描きながら、私は自分の事が無性に可笑しくなってきました。

 

通りで、私、北斗の拳の「山のフドウ」を見ると、妙に親近感を覚えていたなという事を思い出したのです。

 

そして、子供の頃からよく近所の子と相撲を取り、どすこいどすこいと、周りの子供達を投げ飛ばしていたのです。

 

その事は、私の弱点でもあり、18歳の時に「ブルドーザー」とあだ名が付くほど、何においても私は、常に真っ直ぐにしか進めなかったのでした。

 

ですが、間違いなくこの事は、私の役割に直結しています。

 

この度の人生で、曲線の動きを学びに来ているのです。そして、それをクリアして果たすべき役割があるということです。

 

私は、その事が嬉しく、楽しみだな〜〜と感じ、無性にワクワクしてきました。

 

皆様、ぜひ、ブルドーザー真木がお送りするであろう

「山のフドウの曲線講座」

にご期待下さい!

 

今日も読んでいただき、ありがとうございました!

今日も、自分を許し、自分を抱きしめて過ごしましょう!(´∀`)

 

今週、金曜日の、awekning cafeは、会場がカフェサナブリに、変更になりました。

 

お茶会感覚で、楽しく、分かりやすく、人間関係をテーマにお話させていただきます!

興味を持たれた方は、是非気軽にいらして下さい!

 

では、またお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分かっちゃいるけど、やめられない!プライドを手放すのは難しい。

おはようございます。

サナブリ真木です。

 

最近、5月に産まれた甥っ子の大地(たいち)君のお世話ですっごく癒されている私達西木家です。

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(後ろで猫のミルクが何か言いたげですがΣ(゚д゚lll)

 

赤ちゃんというのは、本当にパワフルですね〜〜。空気なんて全く読まずに、泣いて笑ってひっくり返って、オナラして、いつも柔らかくて、フニャフニャしてて、すっごく自由ですね。

肩に力が全く入っていない大地君を見て、見習いたいなと思う今日この頃です。

 

さて今日は、私の肩に力が入る最大の原因になっていたもの、プライドについて書きたいと思います。

 

私は正直に言いますと、プライドが高い人を見るとずっと面倒臭いな〜と思っていました。

 

仕事をする上でプライドほど邪魔なものはないと思っていたのです。

 

ですが、ある時、私はプライドが自分をぐるぐる巻きに縛っている事に気が付きました。

その事を受け入れてからすごく肩の力が抜けたような気がします。

 

何故、私達はプライドを高くしてしまうのでしょうか?そして、邪魔だと思いながらもなかなか手放す事が出来ないのでしょうか?

 

私の体験を通して書いてみたいと思います。

 

まず、何故、私はプライドが高くなっていたのか?

その答えは今なら明確に分かります。

 

それは、

自分に自信が無かったからです。

 

不思議な事に、私はその事に全く気が付いていなかったのです。

 

私は、色々な経験をして、壁を沢山乗り越えた事で、自信を手に入れた!と思い込んでいたのです。

 

私は子供の頃から、その時その時に努力する事で、ある程度、結果を出してきました。

 

目の前にある壁を乗り越える事が、自信を付ける上で、一番大切だと信じていました。

 

ただ、その結果に対する自信は、環境が変わり、ステージが変わる度に毎回毎回、人に説明し、証明しなければなりませんでした。

 

ですから8年前、出産により勤めていた会社を退職し、地元に戻ってきて、しばらく経った時、私は最高に焦っていました。

 

それは、誰も私の出してきた結果を知らなかったからです。

 

しかも双子の娘を抱えていた私は、自分の自信の源である「仕事」が出来ず、焦りはピークに達していたのです。

 

聞かれてもいないのに、その辺の人に、

「これは、社長賞をもらった時の記念品の鍋やねんけど、すごく重いから気を付けてな。」

という、「ただ社長賞って言いたいだけやろ!」という情報をチョコチョコ入れていました。

 

焦っていた私は、働けるのに喜んで働いていない(ように見える)主人にものすごくイライラしていました。

そして、何かある度に

「それやったら私が働こうか?」

と何度も言って、鬱陶しがられていたのでした。

 

当時の私には、自分の価値を証明する必要がありました。

私がどういう人間で、何が出来るのか?

その事をみんなに分かってもらう必要があったのです。

 

今だから分かる事ですが、本来、自分の中にあるものは、決して人に証明する必要など無いのです。

 

例えば家を持っている人は、家を持っている事を証明しようとしません。

 

愛されている人は、愛されている事を証明しようとしません。

 

本当に持っていると自分が知っていれば、人に分かってもらう必要などないのです。

 

私は、自分に自信が無かったので、どこまで行っても自分が自信がある事を証明する必要があったのでした。

 

これが、まさに私のプライドを高くしている理由でした。

 

そしてとうとう私は、二進も三進もいかなくなって、

自信とは、自分の行いや結果、条件を基に持てるものではない

という事を知りました。

 

私は、ずっと、

綺麗になったら、

成功したら、

人の役に立てたら、

お金持ちになったら、

尊敬されたら、

沢山の人に感謝されたら、

 

そしたら、きっと、もっともっと自信が持てるのだと信じてきたのです。

 

ですが、本当の自信は、付けるものでは無く、思い出すものだという事を学びました。

 自信とは、もともと自分の中にあるもので、後から足していくものではないのです。

 

そこで初めて、本当の自信を取り戻し、自分を大きく見せる必要など全く無いのだと気が付いたのでした。

 

これは、私にとっては衝撃の事実でした。

 

ずっと、自信がある人は、それなりのステータスがあるから自信があると信じて疑わなかったからです。

 

でも、よく考えてみると、うちの母は、何のステータスも肩書きも無いのに、

「私が、美和子です。」

的な自信を漲らせていました。

 

ずっと謎だと思っていましたが、正にそういう事なのです。

 

私達が愛されるのにも、

自信を持つ為にも、

実は条件や理由は必要ないのです。

 

一見、根拠の無い、漲る自信こそが本物なのです。

 

その事が理解出来たのは、多分、

「本当はみんなひとつなんだな〜〜。」

という事が分かったからだと思います。

 

その時に、私の中にあった

「優劣の幻想」

「不足の幻想」

がす〜〜っと消えて無くなっていったのでした。

 

とは言え、まだまだ癖が、なかなか抜けきれないのも事実です。

 

すぐ、自分を証明しようとしてしまいます。

 

プライドを手放した私

大切な事に気が付いた私

何からも縛られない私

 

本来、その事を自分が深く認識していれば証明する必要など、全く無いのです。

 

ただ、純粋にシェアする事で、愛を発振したいと願いながら、いつの間にか

「私が、あの、手放した真木ですねん!」

 

という話になってしまっていて、焦る今日この頃です。

 

本当の自己受容により、プライドから解放されて、素のの自分で、すでに大きな愛に抱かれている事に感謝して歩いていきたいと思います。

 

それは、正に大地君のように、自分を判断せずにただ、真剣に生きるという事です。

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「赤ちゃんは、神さんやから。」

という言葉の意味が少し分かったような気がしました。

 

今日も、読んで下さってありがとうございました!

9月29日金14:30から、サナブリでお話し会を行います。

 

人間関係の悩みから一気に解放された、私の体験談を、プライドを捨てて、お話させていただきます。

 

会場が広くなりましたので、まだお席がございます。

 

人間関係でお悩みの方

人間関係の事で相談を受ける方

もっと自分らしく生きたい方

 

何かしらのヒントがあると思います。

サナブリの特製スイーツプレート付きです。

ぜひご来場くださいませ!

 

それでは、素敵な1日をお過ごし下さい!

またお会いしましょう^_^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視点が変われば、世界は変わる!私達は、今どこに注目しているのか?

おはようございます!

サナブリ真木です!

 

随分涼しくなってきましたね( ´∀`)

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

今日は、日々の生活の中でしみじみ感じている、視点が変わると、物事の受け取り方が変わるという話を書きたいと思います。

 

私は、このブログに、私自身の意識の変化に伴い、体験した身の回りの現象の変化について書いています。

 

実際に、意識が変われば全てが変わるのだな〜〜と毎日、感じ続けているのです。

 

苦しく感じた事、受け入れ難かった事、どうしてもそのようにしか考えられなかった事が、いつの間にかスーッと消えて無くなっていったのでした。

 

そうなったのには理由があります。

それは私の視点が変わったからです。

 

視点が変われば、本当に全てが変わるのです。

 

今日は、視点について書いてみたいと思います。

 

以前、私は色んな事が気になっていました。

その中でも10年前くらいでしょうか?

 

無性に気になる事がありました。

それは、日本の少子化についてです。

 

私が勤めていたのは、働くスタッフの99%が女性という会社でした。

 

その多くは、20代から30代でした。

私の同僚や先輩は、とにかく真剣に仕事に取り組み、経済力も精神的な強さも持ち合わせている、とても自立した女性がほとんどでした。

 

当時、同僚の中には、自分1人でも生きていけるので、結婚や出産に、あまり興味が無いと言っている人も多かったのです。

 

私はその言葉を聞くといつも心がザワザワしていました。

「人間、しかも女に産まれたからには、子供を産むのが責任ではないか?

どんな子供が欲しくても、叶わない人も沢山いるのに、自分の都合だけでそんな生き方を選択して果たして良いものなのか?」

 

その時の私は強くそう思っていました。

 

少子高齢化社会の話を聞くたびに、日本はこれからどうなってしまうのか?

人口は、国の力に直結しているから、きっとこれから日本はすごく弱体化するのではないか?

 

と自分はその時はまだ子供を産んでもないのに、しきりに気にしていたのです。

 

私はある日、父にその事を聞いてみました。

 

父はとても頭が良く、色々な事に詳しい人で、私は父がどう考えているのか知りたかったのです。

 

「お父さん、これから日本は少子化で、どんどん人口が減っていくけど、大丈夫なんかな?

私はすごく心配なんやけど。」

 

すると、父はこのように答えました。

 

「日本の人口は減ってるけど、地球の人口は増えすぎなんや。急激に増えすぎて、住むところを作る為に森林を伐採したり、食べるものが無かったり、色んな問題が起きてるから、日本の人口が減っても、地球としては問題ではないんや。」

 

私はハッとしました。

 

それは、正に、視点が変わった瞬間でした。

 

☆自分は自立しているから、結婚しないという女性

☆日本の人口が減る事を心配している私

☆地球としては大丈夫という父

 

このように、視点が変われば、答えは全く変わってしまうのです。

 

私はそれ以降、少子化問題に関して興味を持ちつつも、結婚する必要を感じないと言う人に対して、ザワザワする事は無くなっていきました。

 

そして、最近よく思うのが、

視点こそ肝中の肝

だという事です。

 

要するに、大切なのは、

どこを見ているのか?

という事なのです。

 

私が以前悩んでいた事は以下の通りです。

 

自分は太っている

旦那が私に怒っている(ように見える)

スタッフが私についてきていない(ように見える)

 

この悩みはどこを見て生まれてきているのでしょうか?

 

この私の深刻すぎる、世紀の大問題だと思えた悩みは、

 

私ってどうなん?

 

という視点から生まれていたのです。

 

視野が狭ければ狭いほど、悩みは深刻になります。

 

体重が3キロ増えた!!

職場で正当に評価されていない!!

子供が「お母さんには関係無い」と言った!!

旦那が私の誕生日を忘れた!!

お姑さんが、ありがとうと言わなかった!!

私のプリンを誰かが食べた!!

 

その事だけを見ていると、考えられない!!何て事だ〜〜!!おかしい!絶対に間違ってる!

となる訳です。

 

ですが、私達は本当はひとつです。

宇宙の中に地球があり、地球の中には沢山の人がいて、それぞれ必要な体験をしています。

 

私達は、一滴の雫のようなものです。

人類という視点で見れば、

地球という視点で見れば、

宇宙という視点で見れば、

人の生き死にさえも、一瞬のはじける泡のようなものなのではないかと私は思うようになってきました。

 

もちろん、そのはじける泡にも無限の可能性があります。

ですから、真剣に、一瞬一瞬と向き合う事は本当に大切だと思います。

 

ですが、視点が限定されていると、

誰かが私のプリンを食べないか見張る

というような事に物凄いエネルギーを使ってしまったりするのです。

 

これは、とてももったいない事です。

 

私達が本当の自分を発揮して、イキイキと揺るぎなく生きる為に必要な事は、

視点を変える

という事ではないでしょうか?

 

私にとってどうなのか?から

私達の家族にとってどうなのか?

私達の地域にとってどうなのか?

私達の国にとってどうなのか?

私達の地球にとってどうなのか?

私達の宇宙にとってどうなのか?へ。

 

視点が変わった時、

私はこれが出来るけど、これが出来ない。

私はこれを持っているけど、これを持っていない。

という事が如何に小さい事かが分かります。

 

それと同時に周りの人が出来る事や出来ない事を気にする事が、如何にもったいない事かが分かると思うのです。

 

私達は、みんなでひとつの生命体ですから、役割が違うんですね。

 

心臓の細胞の役割の人もいれば、足の小指の細胞の役割の人もいます。

心臓の人が小指の人に、いくら心臓のようになれと言っても、ある意味、無理なのです。

 

そして、心臓の人は、足の小指の人の代わりは出来ないのです。

そこに、優劣をつけているのは、果たして誰なのでしょうか?

 

ですから、自分がいただいた役割に感謝して、そして、他の役割の人にも感謝して、みんなで助け合っていけたらいいなと思うのです。

 

私達は、みんなでひとつ

 

これがこれからの世の中に必要なキーワードではないかなと思う今日この頃です。

 

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

素敵な1日をお過ごし下さい!

またお会いしましょう〜〜( ´∀`)