サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

手放してみて気付いた一番大切大切な事

こんにちは!

サナブリ真木です^_^

 

毎日、読んで下さる方、本当にありがとうございます!

 

「好きな事をしていいんだ!」

と分かってから、劇的に毎日が輝き出した私ですが、やってみた事や、挑戦してみた事が沢山あります。

 

例えば

☆メイクをし出した

(出産するまでは、毎日していました。)

☆マニキュアを塗ってみた

☆髪を染めてみた

☆バーゲンで服を買いまくった

☆子供とプールで泳いだ

宮古島の海に行って、珊瑚と熱帯魚の中を泳いだ

☆リゾートホテルのジャグジースイートに泊まった

☆料理教室を始めた

☆ヨガを始めた

☆スピリチュアルの学びを始めた

☆開脚のための体操を始めた

☆子供と卓球を始めた

☆ブログを始めた

フェイスブックを始めた

☆英会話のレッスンの予約をした

 

などなど、数えたらキリがありません。

みなさんにとったら、当たり前の事かもしれませんが、私は、勝手に

「自分には無理だ」

「そんな時間も無ければ、お金もない」

と思い込んでいて、自分に課したルールを一生懸命守って、たくさんの制限の中で生きていたのです。

 

その真っ只中にいる時は、私程、自由に生きている人はいないと思っていました。

 

周りの人と比べて、自分で決められない事などひとつも無かったからです。

 

私は、すべての判断を自分でしているつもりでいました。

なので、自分そのものを生きている気満々だったのです。

 

ですが、私は身体も心も疲れていて、肩や腰がガチガチに凝っていました。

それをほぐす為に、よくマッサージに行ったり、整体に行ったりしていました。

 

20代の時ですが、主人と一緒に居る時に

「息子さんは高校生ですか?」

と聞かれたりしていました。

(私、いくつに見えたんや!o(`ω´ )o()

 

家に帰ったら、一度座ると中々立ち上がれず、ボーッとテレビを見て、そのまま寝てしまったりする事も、しょっちゅうありました。

 

子供の宿題をきちんと見てあげられず、仕事のせいで、規則正しい生活をさせてあげられない自分を、母親失格だと責めていました。

 

明るく楽観的な性格である私が、まさか、自分に制限をかけて、本当の自分を知らないなんて、全く思いもしませんでした。

 

でも、完全に、そして確実に、私は、自分を誤解していたのです。

 

私はこういうものだと思っていたのは、全く私では無かったのです。

 

人は自分で無いものになろうとした時、その為だけに、多くのエネルギーを消耗してしまうのですね。

私はとにかく、疲れていました。

 

何故こんな事が起こったのでしょうか?

 

今、考えるとその理由が見えてきます。

 

すべての事を、頭をフル回転させ、思考から選択し、判断していた

 

からでした。

 

本当の自分が、

直感や、ワクワクを通して教えてくれる、自分の役割の合図

を全く無視し、頭で考えた正しさにこだわっていた事によって、誤解が生まれ、その誤解がどんどん大きくなっていたのでした。

 

それが、ハッキリと分かってからは、とにかく楽になりました。

 

何故ならば、そんなに考えなくていいからです。

頭で考えずに、感覚を研ぎ澄ます事に力を注ぎました。

 

頭を静かにし、心の奥底から、ポンと上がってきたキーワードを逃さないように、何か上がってきたら、後先考えずに、すぐにやってみました。

 

そうすると、ほとんど疲れず、何もかもすんなりと、うまくいくようになってきたのです。

 

本当にこれには、驚きました。

 

何か、困った事が起こっても、

「フムフム、なるほどね。」

 

と深く考えず、冷静に観察出来るようになってきたのです。

 

私が強く思うのは、真面目に、一生懸命生きている人達、1人1人が、自分の役割以外の事に心を痛めずに、ありのままを生きられたら、もっともっと愛に溢れた世の中になるのではないかという事です。

 

誰も人を傷つけたくは無いし、自分も傷つきたくはないのです。

 

でも、毎日、多くの誤解や、争いが生まれ、傷つけあってしまうのは、何故なのでしょうか??

 

ここには、必ず何かしら「我慢」の存在があると私は思います。

 

愛される為、受け入れられる為にしている、我慢です。

我慢する事は、私達が、愛と忍耐を学ぶ上でとても重要な事だと思います。

 

でも、「自分でないもの」になろうとしてする我慢は、たくさんの誤解と争いを連れて来ます。

我慢している人は、自分と人を見張るのです。

 

自分の役割そのものを生きている時、人は輝き、力を発揮し、遠慮や、我慢の必要がなくなってきて、喜び合い、励まし合い、慈しみ合えるのでは無いかと思っています。

 

最後に、私が色々手放してみて、一番大切だと気付いた事、

そして、一番大切だと伝えて行きたい事は、

我慢をやめて、

 

「純粋でいよう」

 

という事です。

結局、これがすべてでは無いかと思うほど、純粋である事にはパワーがあります。

 

純粋にありのままが見えれば、ほとんどの問題は、起こらないのです。

 

例え

「マイペースだね」

と言われても、

「どういう意味?o(`ω´ )o」

とは、ならないのです。

「早くして!」

と言われても、

「了解です!(´∀`)」

となっていきます。

自分を責めている訳ではないと分かるのです。

 

例え相手が、責めるつもりで言っていたとしても、相手に怒る理由があるだけだと、ハッキリ分かってくるのです。

 

(*怒る理由とは、「私は常に、我慢して無理して、早くやっているんだから、あなたも早くしなさいよ!」という事です。)

 

例え、誰かに嫌われても、向こうに嫌う理由があるだけだと、分かるようになるのです。

 

まさにありのままが分かるとは、そういう自分の価値観というフィルターを通さずに見るという事です。

 

 聖書の言葉
「貧しき者は幸いです。」の意味は
「頭がシンプルな人は幸せです。」

ですが、正に純粋な人の事ではないでしょうか?

 

「でもな〜〜」

「そうは言ってもな〜〜」

を手放して、

 

今日も、純粋に過ごしましょう!

純粋な言葉を話しましょう!

必ず、純粋なところに人は引き寄せられてしまうのですから!

  

今日も読んでくださってありがとうございました〜〜(๑˃̵ᴗ˂̵)

またお会いしましょう!