サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

あの人さえ変わってくれたら!と思ったら読んで下さい。

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

今日は、私もこれまでの人生で、ずっと頭を悩ませてきた

「変わって欲しいあの人」

について書きたいと思います。

 

人は、色々な人と関係を結びながら生きています。

 

その中で、多くの方が、対人関係の悩みを抱えていると思います。

実際、悩みの90%は対人関係の悩みと言われているそうです。

 

私も、

「人を変えるより、自分が変わる方が簡単」

と、何度も聞いて、何度、その通りだと思ったか分かりませんが、それでも、どうしても

「変わってくれたらいいのに!」

を手放す事が出来ませんでした。

 

その一番の理由は、自分が、どう変わったらいいのか、よく分からなかったからではないかと思います。

 

その真っ只中にいる時は、

「自分は正しい」

と思ってますので、相手は、

「間違っている」

ように見えます。

 

ですから、何とかして、何とかして、教えてあげなければ!

と思ってしまいますし、それが相手の為になると思い込んでしまうんですね。

 

一生懸命、伝えよう、分かってもらおうと、あの手この手で、頑張っていました。

 

相手が、親だったり、パートナーだったり、子供だったりと、家族であれば、特に感情的になってしまったりして、こじれにこじれてしまう事も多いと思います。

 

私も、本当にどこにも出口の無い迷路に迷いこんだような気持ちになり、行き詰まって、辛くて辛くて、何度涙を流したか分かりません。

 

今、私は、本当にようやく出口を見つける事が出来ました。

そして、出口に辿りついて、ハッキリと断言出来る事があります。

 

それは、100%相手の問題では無いという事です。

 

相手が悩んでいるのは、

相手の問題であり、

自分の問題では無く、

自分が悩んでいるのは、

自分の問題で、

相手の問題では無い

と考えなければ、

出口に辿り着く事は出来ないのです。

 

まず、自分に起こる事は、すべて、自分の意識の総和から来ています。

 

 

自分に起こる事は100%、自分の責任なのです。

 

20%くらいは、相手の責任だと考えているうちは、本当の意味で責任を取る事は、出来ません。

 

まずは、自分の課題と相手の課題を完全に切り離さなければならないのです。

 

その上で、自分がどうしたいのかを決めなければなりません。

 

私もそうでしたが、対人関係の悩みを抱えている人は、

「ひどいあの人」

「可哀想な私」

で頭がいっぱいになり、誰かに相談しているように見えても、ただ

「ひどいあの人」

「可哀想な私」

の話を聞いて欲しいだけになってしまいます。

 

「あなたは、どうしたいの?」

と聞かれると、

「あの人さえ変わってくれたら」

と堂々巡りになってしまうんですね。

 

ただ、聞いて欲しいだけ!

それはそれで幸せならばそれもいいと思います。

 

でも、本当に解決したいならば、

まず、

自分がどうしたいのか?

これからどうするのか?

を決めなければなりません。

 

頭を静かにし、自分の思考を客観的に見た上で、本当の問題に意識を向けていけば、状況は必ず変わっていきます。

 

私が思うには、対人関係の悩みを抱えている人のほとんどすべてと言っていいと思いますが

 

必ず何か、我慢をしています。

 

それは、

本当の自分で無いものになる為の我慢

です。

 

この我慢をやめれば、ほとんどの問題は片付いてしまうのではないかと思う程、この我慢が大きな問題になっています。

 

私達は、

自分で無いものになるように強制され、我慢を強いられた時、驚く程の強い恨みを持ちます。

 

その恨みはとても根深く、簡単には溶けない、大きな氷の塊になって、心の中に抱えてしまうのです。

 

ですが、ここで一番大切な事は、

誰かに、自分で無いものになるように強制されたとしても、それを受け入れ、そうなると選択したのは、自分である

という事です。

 

本当の意味で、

自分がどう在るのかを選択できるのは自分だけ

なのです。

 

これは、すべてにおいて共通しています。

「相手が酷いことを言った!こんなに傷つけるなんて、許せない!」

という事もよくありますが、

「傷つく」事も、その人が選択しなければ、起こらない事

なのです。

 

その証拠に、

相手が傷つけるつもり無く言った言葉に、傷ついたり、

相手が傷付けようとして言った言葉が、全く応えないという事もあると思います。

 

傷付くのは、自分が心のどこかで、気にしている事だけなのです。

 

 

自分には、全く身に覚えの無い事を言われても、ただ驚く事はあっても、傷つく事はありません。

 

私は、足のサイズが25.5cmくらいあり、特に若い時は、手も足も身体も何もかもが、ビックサイズな事をすごく気にしていた為

「大きい」という言葉には、過剰に反応し、「小さい」という言葉には、なんの反応もしませんでした。

「器が大きいね。」と言われても、器が聞こえずに、青ざめていた程でした。

 

ジャンケンをしても、手が大きいので、パーを出すのが嫌で、必ずグーを出して、負ける上に、

残念すぎる事に「グーが大きいね」と言われていました。

 

傷つくというのは、間違いなく自分が選択した結果なのです。

 

ですから、自分が何も気にしていなければ、何事も傷付かないという事です。

 

「相手に否定された!ひどい!」

も、自分が自分を否定しない限り、

誰も自分を否定する事など出来ないという事です。

 

自分で無いものになる努力をさせられたのも

自分が、そう選択した結果であるという事をまず知らなければなりません。

 

その上で、自分の課題を明確にし、それをどうしたいのかを決めればいいのです。

 

なぜ私達は、ありのままの自分でいられず、我慢をしてしまうのでしょうか?

 

それは、間違いなく、

「私は、愛される努力をしなければ、受け入れられない」

という、勘違いから来ていると思います。

 

「自分は、ありのままで十分愛されている」

と確信していれば、

自分で無いものになるように、誰かに強制されたとしても、

「私は、そうなるつもりはありません。」

とハッキリと言えるのです。

 

ですから、まず、自分が

ありのままの自分がいかに高価で尊い存在

かを知らなければなりません。

 

それを知る為の方法は、これに限ります!

とにかく、あれこれ考え過ぎの思考を手放し、我慢をやめる事

です!

 

私達は、

我慢をしなくても愛されています!

そして、

我慢をしなくても愛されていると意識すれば、それが、より明確に現象に現れてきます。

 

もし、万一、私が、我慢をやめて

「自分の言う通りしないなら、お前なんかいらない」

と言われたとします。

その人は誰の為に言ってるのでしょうか?

私の事を心から思って、愛を持って言っているでしょうか。

 

その人がなぜそう言うのか、そこには、ひとつしか理由はありません。間違いなくそれは、

 

「不安だから」

 

です。自分が愛されているか不安だから、試しているのです。注目して欲しいのです。

怖くて仕方が無いのです。

自分の為に、どこまでしてもらえるのかを知りたいのです。

 

でなければ、自分で、私から離れていくはずです。

 

それを理解した上で

自分がどうしたいかを選択すればいいのです。

そこに、正しい答えなどありません。

どうすべきかもありません。

相手を変える必要は、全くありません。

ただ自分がどうしたいか?

という話だけです。

 

それが、例え、会社の上司であっても、お姑さんであっても、お客様であっても、やるべき事は、同じです。

「愛と敬意を持って相手に接し、毅然として本当の自分でいる」

という事だけです。

 

相手が変わってくれたらうまくいくというは、絶対に幻想です。

「変わってくれたらうまくいくのに!」

という意識でいる限り

変わってくれないからうまくいかない

という現象から出ていく事は出来ないのです!

 

 

私達は、「受け入れられない不安」から、沢山の問題を抱えます。

 

ですが、すべての問題に出口は必ずあります。

気付いた人から、

「不安」を一つずつを手放す事です。

 

 

まずは、

自分の価値を知り、選択、判断の源を「不安」から「愛」へと変えていく事

これが、私の考える出口です。

 

自分の思考の源が「不安」から「愛」へと変わった時、全く変えようとしなくても、相手も100%の確率で、変わってしまうようですが、それはオマケのようなものなのですね^_^

 

今日も、自分の価値を知る為に、我慢をやめて好きな事をやりましょう!

 

そして、ひとつでも多く不安を手放して、1人でも多くの人に、愛を伝えて過ごしましょう!

 

今日は、いつもに増して熱〜くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございました!!

良い休日をお過ごし下さい(^-^)v

 

また、お会いしましょう!