「良い人」の壁を超えてこそ出来る仕事があるんですね!
こんにちは!
サナブリ真木です!
これから、クリスマスウィークが始まります(๑˃̵ᴗ˂̵)
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今日は、「善人の壁」について書きたいと思います。
私達日本人は、とても「良い人」が多いとされています。
学校でも、会社でも、
「みんなの為に!」
「人の気持ちを考えて!」
と教えられてきました。
そのせいか、私達には
「我が強い人は迷惑」
「自己中心的な人は嫌われる」
というイメージが強くあり、そうなる事をとても不安に思っている人が多いと思うのです。
ですから、自分は、控えめにしゃしゃり出ず、場の空気を読んで行動するという体質の人が、たくさんいます。
こういう人は、基本的に優しく、人当たりが良いので、敵が出来にくく、気が弱い人も安心して接する事が出来ます。
私は、気が強いのか弱いのかどっちやねん!という性格で、
ハッキリ自分の意見をズバッと言ったかと思うと、その後、みんなの顔色を見て必死にフォローしたりする、ずっと、引っ込み思案なジャイアンのような子でした。
もはや、それは、ジャイ子とも言いますが。
ですから、どちらかというと、控えめな人とは話しやすく、我が我がタイプの人は苦手だな〜と常々思っていました。
ですが、最近学んだ事で、
「天命を生きるなら、善人を超えなければならない」
という話がありました。
というのも、
全てにとっての最善を選択する時、
その場にいる全員にとって嬉しい事であるとは限らないからです。
傷つく人がいたとしても、
その場の空気が凍りつくとしても、
必要であれば、
迷い無く選択出来なければならない。
そのように、常に、命懸けで臨まなければ、本当に自分がするべき事は見えてこないという事でした。
これは
「善人の壁を超える」
という事だと思います。
多くの人が、
良い人になりたくて、
良い人になって好かれたくて、
日頃から自分を押し殺し、
無理に我慢して
人や、その場に合わせようと努力しています。
そして、多くの人が頑張って良い人になった結果、多くの悩みを抱えています。
「良い人すぎる」
と言って振られたり
「あなたはいいよね」
と、ないがしろにされたり、
自分の意思と反する事を引き受ける羽目になったりする事です。
この事実を考えると、
「良い人になる」
という事は、私達が目指すべきゴールでは無いという事では無いでしょうか?
私も、
「心から優しくて、みんなに好かれる、良い人になりたい!」
と強く願っていました。
そうなろうとすればするほど、鬼軍曹である、ブラック真木がチョコチョコと顔を出し、これは、バレたらマズイぞ:(;゙゚'ω゚'):と、すごく取り繕う羽目になっていったのです。
この、裏と表がある状態って
本当にしんどいですよね!!
私は地元で商売をしている為、関わる人のほとんどが、お客様、スタッフ、生産者という関係で、とにかく、ずーっと表の顔でいなければならず、なんかとても苦しかったのです。
誰かに私の話を聞いて欲しい!
苦しくて、苦しくて、母と妹がにだけは、頻繁に愚痴をこぼしていました。
私の母は、驚くべき事に、そんな苦しそうな私の話を聞くだけ聞いて、何のアドバイスもしませんでした。
これが、美和子の恐るべき所ですが、私が何故苦しんでいるか、多分、分かっていたと思うのです。
娘がとても苦しんでいて、自分はその理由が分かっていて、どうすれば良いかも知っていたとして、それを言わないという事が、果たして私に出来るだろうか?と考えます。
これこそが
「全ては天の采配である」
と信じ切って生きている証拠です。
多分、すごく祈ってはいたと思います。
もしくは、意外と私の話を聞いている振りして、全く聞いていなかったか?
(母の事ですから、結構ありえます。)
母は、私に、
「これ行ってみたらどうかな?」
と今私が学んでいる、スピリチュアルな生き方「宇宙の真理」を教えて下さる先生の個人セッションのチラシを渡して来ました。
母は、本当にお金など無いのに、
「真木ちゃん、すごく頑張ったから、これお母さんがプレゼントするわ。」
とクシャクシャのお金と一緒にチラシを渡してきたのです。
しかも勝手に個人セッションを予約して、
「真木ちゃんが行かないなら、お母さんが行くから」
と、何ひとつ悩んでいない癖に、私が行かなければ、自分が個人セッションを受けようとしていたのです!
私は、
「お金は大丈夫やから、行ってみるわ。」
と言って、先生の所へ出かけて行きました。
自分の裏も表も出していいのだと思うと、部屋に入った瞬間から涙が溢れ出し、最初から最後まで、ず〜っと泣いていました。
その時、教えていただいた事は、握りしめているものが多すぎた私には、スコーンとは落ちて来なかったのですが、その半年後に
「そういう事だったのか!!」
と急に理解することになるのでした。
そして、今、ようやく私は、善人の壁を超えようとしています。
確かに、みんなが嬉しくて、笑っていられたら一番良いに決まっています。
でも、その為に一番大切な事は、
「全てにとっての最善の選択をする」
という事です。
これを選択した時、握りしめている価値観によっては、傷付く人、怒る人もいるでしょう。
「私の事を尊重してくれないんですか?」
ともっともらしく裁いてくる人もいるかもしれません。
ですが、
自分の価値は、人がどう思ったかで決まるものではありません。
そして、好かれようとして、人に合わせるという事は、本当の愛がする事では無いのです。
天命を生きる為には、
「必要ならば、やってやる!」
という強い覚悟が必要です。
それでも、自分の価値観の中で小さい幸せを追いかけるよりは、心はとても平安で、安心しきっていられるのだなと感じます。
良い人では、出来る事がかなり小さくまとまってしまいます。
「善人の壁」を超えてこそ、必要な事が必要な時に展開されていくのだと思います。
私はこれから、良い人も悪い人も卒業し、「ブッこむ人」を目指していきたいと思っています。
今日も、武器を持たずに、丸腰で、子供のように、本当の自分で過ごしましょう!
裏も表も全部合わせて、自分の最高のパーツであり魅力です。
誰かの目を気にせずに、場を波立てることを、良しとしてみましょう!
「良い人とは、どうでも良い人」
とはよく言ったものですね!
自分の制限を外し、
自分に与えられた役割を爆発させながら生きましょう!
読んで下さってありがとうございました!
また、お会いしましょう(*´∀`*)