サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

揺るがない、動じないと思っていたのに、思いっきり揺らいで、動じて、なるほどと分かった事。

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

一年で、1番忙しいクリスマスシーズンが、終わりました(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

サナブリのクリスマスケーキ

f:id:makis-kitchen:20161225235650j:image

f:id:makis-kitchen:20161226014649j:image

f:id:makis-kitchen:20161225235718j:image

f:id:makis-kitchen:20161225235805j:image

f:id:makis-kitchen:20161225235730j:image

 

 f:id:makis-kitchen:20161225235849j:image

 

今年は、昨年までと違ってフラフラのヘトヘトになる事無く、クリスマス期間を終える事が出来ました!

 

これも、やはりコントロールしようとせずに、ただ真剣に今に向き合う事を意識した結果だと思います。

 

そして、スタッフが、本気で

「良い仕事をしよう」

と真剣になってくれたからこそ、店が成長出来たのだと思います。

 

ご来店、ご利用いただいた皆様、誠にありがとうございました!

今後とも、cafe sanaburiをよろしくお願いいたします。

 

今日は、私が、

反応しない!

動じない!

揺るがない!

 

を目指して修行をしてきたのに、思いっきり、揺らいでしまった話を書きたいと思います!

 

それは、私の誕生日の日の事でした。

 

サナブリでは、スタッフの誕生日にケーキと、みんなで書いた、メッセージカードを渡しています。

 

私の誕生日にも、スタッフが毎年ケーキを買ってきてくれたり、嬉しいサプライズを用意してくれたりしていました。

 

今年も、深く考えてはいませんでしたが、何かもらえるだろうと漠然と期待していたのです。

 

ですが、誕生日当日に、サナブリのケーキをもらったものの、そこにカードもついておらず、誰もそんなに気にしてくれている感が無かったのです!!

 

私は、

「あれ?こんな事ってある??」

と思い、ケーキの箱にカードが入っていないかを隅々まで探し、

「忘れてる?

これは、どう捉えたらいいのか?」

と思いっきりこの現象に反応してしまったのでした。

 

すると、不思議なもので、その日に限って誰もが素っ気なく、家族は祝ってくれるだろうと思っていたのに、誰からも、声をかけられる事無く、子供さえも、

「お母ちゃん、ごめんな〜〜。プレゼント買えなかったわ〜〜。また来年な〜〜。」

と言ってきたのです。

 

自分を大切にされずに、誕生日が終わるのが無性に腹立たしくなった私は、もらったケーキを食べようと、弟の家にあがり込みました。

 

風邪ぎみの姪っ子を早く寝かしたい義妹と夕ご飯を食べ、頼んで撮ってもらった写真がこちらです。↓↓

f:id:makis-kitchen:20161225234621j:image

 ↑その辺の子供達を集めて必死に祝ってもらっている真木さん

 (私と私の子供以外の表情が異様に冷めている)

 

後でこの写真を見て、私は、無性に可笑しくなってきました。

 

人間、簡単にエゴを捨てられるものでは無いなと思いました。

 

私は、自分の役割に集中し、必要ならば命をかけてやってやる!!

 

という覚悟で生きているつもりでした。

 

理想や、期待を捨て、愛着、執着を手放し、貰う事から、与える事へ喜びの源を変えていっているつもりでした。

 

ですが、誕生日にカードがもらえなかっただけで、39歳にもなって、完全に拗ねてしまったのです!

 

私は、この時に本当に必要な事が必要な時に起こっていくのだなと思いました。

 

私にとって、気付くべき事が、気付くべき時に起こるという事です。

 

今まで、積み重ねてきた、期待や執着というのは、何層にも折り重なって細胞に組み込まれています。

 

そんなつもりは無くても、 やはり、細胞が反応してしまうのですね。

 

人間の癖というのは、なかなか抜けるものではありません。

 

私には、

期待する癖

要求する癖

コントロールしようとする癖

が思いっきり染み付いているのだなと感じたのでした。

 

つい先日、スタッフから

「遅くなりましたー。」

と誕生日カードをもらった私は、

「こういうもんはな〜!当日渡さなあかんで〜〜!!喜んでもらいたいなら、そこは真剣にやらないと!手を抜いたらあかん!!」

 

とプリプリしていたのでした。

(可哀想な真木さん)

 

私達は、自分の価値観を信じて生きています。

 

こうした方がいい。

こうしなければならない。

これは間違っている。

あの人とは、合わない。

これこそが幸せ。

こうなったら不幸。

 

その考え方の癖や、強さや深さによって、たくさんの悩みを抱えます。

 

多くの人がストレスを抱え、体調不良になったり、何かに依存したりして生きています。

 

そして、そのほとんどの不調和は、「迷い」が連れてくるそうです。

 

進むべき自分の道が分からない事ほど不安な事があるでしょうか?

 

昔は、選択肢が少なく、時代によっては、

最優先事項が明らかに「生きる」だった時代もあると思います。

 

ですが、私達が生きるこの時代は、常に選択肢が無限にあるように見え、これをしていたら、あっちが気になり、あれをしたらこっちが気になってしまうという

「何していても迷っちゃう時代」

です。

しかも、日本は世界でも有数の裕福な国であり、それがまた迷いを生み出していると思うのです。

日本は、裕福でありながら、迷いと不安が多く、とても自殺が多い国です。

 

その中で、私達は、人生をかけてやるべき事を見つけていかなければなりません。

 

選択肢が無限にあるように見える上に、私達の頭は、常に思考で占められています。

 

自分の価値観で判断しているので、もちろん、うまくいかない事の方が多い訳です。

 

そこで、また、不安になり迷う。

 

「私はこの人生においてこれをするのだ!」

と一点集中出来る、

仕事や、お仕えする人や、役割を見つけていかなければ、ずっと何をしていても迷いの中にいることになります。

 

その迷いとは、

 

少しも間違いたくない

少しも失敗したくない

少しでも得したい

少しでも楽したい

少しでも好かれたい

少しでもすごいと思われたい

少しでも美味しいとこどりしたい

 

という不安を源にした、欲求からやってきます。

 

ですから、

「自分に起こる事は最善であり、自分の道につながっている最短ルートである」

と知り抜いておく事、そして捧げ切る覚悟が必要です。

 

何を選んだとしても、体験を通しての学びがあります。

 

逆に言うと、自分の中にプログラムがない事とは、決してご縁が無いから、安心していいのです。

 

それは、アドレナリンを出しまくって、モーレツに熱くなった勢いで起こってくる覚悟ではありません。

 

静かで、柔らかく、超リラックスしている状態で起こってくる、

「これに献身して生きよう!」

という優しい覚悟です。

 

その覚悟が本当に芽生えた時、

 

他の事をやったらどうなるのか?

人がどう思うか?

自分は果たして何点なのか?

 

は、本当にどうでも良いのだなという事が分かってくるのだと思います。

 

その時こそ、例え自分の誕生日であっても、貰う事から解放され、与えて与えて与え尽くす事にのみ集中していけるのだなという事を、私はこの体験から学びました。

 

誕生日が近い方は、こちらからは求めていないけど、一応純粋な気持ちを周りの人に、伝えておきましょう!

 

「オッス!

オラ本当は、バッグが欲しいけど、無かったら無かったで大丈夫だぞ!

オラは、貰いたいんじゃ無くて、与えたいんだ!

でも、もらえるんなら遠慮無くもらってやるぞ!

なるべくいいヤツにしてくれよな。」

 

と念のために、悟空風に旦那さんに言っておきましょう!

 

私達、愛されているし、すでに高い価値があります。

ですから、自分の価値を証明する事に、エネルギーを使う必要はないのです。

頭を静かにして本当の自分の声に耳を傾けましょう!

自分の静かな内側からやってくる

 

ワクワクする事、

喜びが溢れてくる事、

愛を伝えられる事、

 

を真剣にやっていきましょう!

 

今日も読んで下さってありがとうございました〜〜!

年末お忙しいとは思いますが、ご自愛くださいませ!

またお会いしましょう!