読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サナブリ真木のなるほど!ブログ

カフェを経営したり、子育てしたりする中で、気付いた事を発信していきます!

誰かに責められたり、分かってもらえなかったらどうしますか?私が辿り着いた問題自体が無くなる方法

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

あっという間にもうバレンタインシーズンですね(*^▽^*)

子供の頃からお菓子作りが大好きだった私は、毎年チョコレートを手作りするのをすごく楽しみにしていました。

 

とにかく誰かにプレゼントして喜んでもらうのが嬉しくてたまらなかったんですね。

 

いつの時代も、大切な人に、超力作をプレゼントするのは、ワクワクするものです。

 

サナブリでは、そんな心の込もった手作りを応援すべく、 バレンタイン料理教室を企画しました!

f:id:makis-kitchen:20170113191446j:image

彼やご主人、子供さんが喜ぶ、とっておきのお料理と、本格派のチョコレートケーキのレッスンです!

ご希望の方は、お早めにご予約下さいませ(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

さて今日は、私達が日々生活する中で、問題に直面した時にどのように対処すれば良いのか?について書きたいと思います。

 

特に、私達が抱える悩みの圧倒的大多数は対人関係の悩みと言われています。

 

お金がない

自信が無い

仕事が無い

夢が無い

 

などの自分に対する悩みも、何故それが悩みなのか?と紐解いていくと、最終的には、

「愛されない不安」

にたどり着く場合がとても多いのです。

 

そして、この

「愛されない不安」

を作り出しているのは、もちろん、

自分自身の不足の幻想

なのですが、この

不足の幻想が対人関係の悩みとして現れる事が多いということです。

 

例えば

子供が言う事を聞かない

旦那さん、奥さんと心が通じない

お姑さんが分かってくれない

ママ友との関係が疲れる

部下が受け身で成長してくれない

上司が裏表があり尊敬出来ない

同僚と馬が合わない

不機嫌な人が周りにいる

 

などなど、私達の頭は毎日、何かしら人に対して判断し、不満をもってしまいます。

 

もっとこうしてくれたらいいのに!

 

と、人に対して求めてしまうのです。

でも、頭のどこかでは、結局は自分次第だと分かっているので、うまくいかない事が続けば、最終的には自分を責めてしまいます。

 

では、問題に対して、私達はどのように対峙すれば良いのでしょうか?

 

例えば、人に責められたり、攻撃された時、どのような在り方をすればいいのでしょうか?

 

例えば、どれだけ一生懸命説明しても、伝わらなかった時、分かってもらえなかった時、どのような在り方をすればいいのでしょうか?

 

私はこれまでずっと、その答えが知りたかったように思うのです。

 

これまでの、私の価値観からくる正しい在り方はこうでした。

 

誰かにに責められたら、その人が納得するまで話を聞いて、しっかり受け止める。その人が安心出来るまで聞いて受け入れてるよと表現する。

聖書の中の

「右の頬を打たれたら左の頬を出せ。」

という言葉が、ずっと頭にありましたので、

例えば「ガサツなのを何とかして欲しい」

と言われたら

「ガサツな上に太っているのも問題だよね?」

とわざわざ、自分の痛い所を差し出していました。

(今考えると、バカじゃないだろうか?:(;゙゚'ω゚'):と思いますが)

 

誰かに自分の思いが伝わらなかったら、相手の立場に立って考え、相手の為に伝え方を工夫し、誠心誠意、何度でもあきらめずにチャレンジして伝える。

弱った振りをしてみたり、褒めまくりながら言ってみたり、途中から、劇場型になっていました。

(ドンマイ!真木!)

 

私は、このようにして一生懸命、問題と向き合ってきました。

 

ですが、どれだけ誠心誠意、頑張った所で、問題が好転するという兆しは見えませんでした。

 

それどころか、自分の気持ちを無理に抑える必要が出てきて、正しくある為に色々と我慢する羽目になりました。

 

我慢していると、だんだん責めてくる人や、分かってくれない人に腹が立ってきました。

 

そして最終的には、自分を責め、人も責めるようになっていきました。

 

そんな私が、本当の意味でどう在ればいいのかを学ぶ機会を与えられました。

 

その答えとは、

 

愛そのもので在れば良い

 

という事です。

 

具体的に言うと、責めてくる人、コントロールしようとしてくる人と対峙した時、

 

戦うのではなく、

制圧するのでも無く、

逃げるのでも無く、

負けた振りをするのでも無く、

無視するのでも無く

 

その人の全てを、そのまま抱きしめるということです。

 

自分の愛で、すべてを包みこむという事です。

 

相手を判断しないという事です。

 

ただ、その人の本質に目を向け、超真剣に中心から関わるという事です。

 

これは、相手の意見や価値観を受け入れるのとは、全く違う話なのです。

 

何が違うかと言うと、視点が違います。

 

今までの私は、その人のほんの一部を、私のフィルターという小さな穴を通して見て判断し、受け入れようとしといたのです。

 

ですが、人それぞれ、持って産まれた性分、環境、価値観、性別、年齢、親、すべてにおいて全く違うのです。

 

要するに受け入れようとしても、分かるわけがないのです。

 

判断した上で、受け入れる事自体に無理があるという事なのです。

 

ですが、自分が握っているものを手放して、ニュートラルな状態になれば、その人の本質が見えるようになります。

 

本質とは、本当は何を考えているか?という話ではありません。

 

その人の存在そのものがただただ素晴らしいという事です。

 

それが分かれば、ただただ必要な事が起こっているのだと分かるようになるのです。

ですから、責められたとしても、何の問題もない事が分かります。

 

そうして、自分が愛そのもので、大地に根を張って真っ直ぐに立つことだけを考えていれば、いつの間にか誰も、責めてくる人などいなくなっていきます。

 

もちろん、人に自分の思いを分かって貰う必要も、全くない事に気付かされます。

 

その次元に自分がいかない限り、問題は無くならないのだという事を学んだ私は、日々、愛そのものになること、真っ直ぐに立てるようになることを目指して過ごしています。

 

面白い事に、私の名前は、真木といいます。

聖書の中の

「私は真ことのぶどうの木。私の父は農夫である。」

という言葉から命名されました。

 

「真っ直ぐな木」とも読めるため、私は太くて、真っ直ぐな木を見ると、子供の頃からとても気になっていました。

 

今考えると、私は太くて、真っ直ぐな木になる為に生きてきたのではないかと思うのです。

 

自分の周りに起こる問題は、自分に何かを教える為に起こっています。

 

その何かとは、常に「在り方」です。

私達は、常に在り方を問われてるのです。

 

どう在ろうが自由ですし、自分が選んだ在り方の通りの人生が展開されていきます。

 

どういう在り方を選んだとしても、正しい、間違っているという事は無いそうです。

 

ですから私は

人がどうであっても、

「愛に溢れた人生を生きたい!」

と思うので、愛そのものという在り方を選択しようと頑張っているのです。

 

不安を手放すという事は、怖いものが無くなるという事です。

とても清々しく、喜びが溢れているという事です。

この喜びを持って、自分の役割を全うして生きたいと思います。

 

私がこれまで、多くの事を気付かせていただくきっかけになった「宇宙の真理」を学ぶ勉強会が今年も行われます。

 

私自身、エゴを握りしめている時は、ちんぷんかんぷんで、とても怪しく感じた勉強会ですが、(すみません汗)今は、本当にこの宇宙の真理と先生方との出会いとご縁に言葉では表せない感謝でいっぱいです。

 

学べば学ぶほど、揺るがなくなり、氣太くなり、自分の本質とつながっていきました。

 

もし興味をお持ちの方がおられましたら、青山のハーモニーフォレストと武道館交流館イキイキなどでやっているので、ぜひ参加してみてください!

 

私も最初は、よく分からなかったのですが、この勉強会に興味を持つということは、天命を生きる準備が整ってきているという事のようです。

参加されている方、皆さんが日に日に輝いていくのが、とても感動的です。

f:id:makis-kitchen:20170113220938j:image

f:id:makis-kitchen:20170113222218j:image

 *宗教ではありません。

*天命を生きたい方が集まって真理を学び交流する場となっています。

*瞑想なども取り入れています。

 

 

今日も、この混沌とした世の中の光になる事を目指して、大地にしっかりと根を張りたいと思います。

 

皆様にとって、今日という日が輝きと喜びに溢れている事を願っています。

 

読んでくださってありがとうございました!!

また、お会いしましょう(^-^)v