自分を大切にしなければ、人を大切に出来ないよ!と思っていた私が一番自分を粗末にしていました(。-_-。)
こんにちは!
サナブリ真木です。
昨日は、私の住んでいる伊賀市旧青山町では、急に雪が降り出して、あっという間に、結構積もりました!!
雪が降ると、
「アチャ〜〜せっかく仕込んだのに、売れ残るかな?これは、やば〜い!」とか
「明日、朝、車で来れるかな?どうしよう〜〜!」
などと言いながらも、顔は半笑いなのは、何故でしょうね??(*´∀`*)
子供の頃から、台風や、大雪は、何故かワクワクしてしまう性質でしたが、大人になってもそこはあんまり変わらない私です。
今日は、自分を粗末にすると、大変な目に会うんだなと思った話を書きたい思います。
私は、基本的には、自分の意見を言ったり、人に頼ったりする事は得意な方で、自分を価値あるものとして扱うという事が、とても重要であると思って生きてきました。
なので、「自分さえ我慢すれば」という考え方がとにかく嫌いでした。
子供に高い服を着せ、習い事を沢山させて、自分には何もお金をかけられないと嘆く、お母さんの話を聞くと、違和感を覚えて無性に気になっていました。
また、お姑さんや、会社の上司に、明らかな八つ当たりをされたり、意地悪をされても、何も言い返さずに、じっと耐えている人を 見ると、無性に腹が立つのでした。
人は、自分が無理して、我慢して守っているルールを、平気で破っている人を見ると心ザワザワします。
ですが、私は喜んで自分を大切にしていると思っていたので、何でこんなに、自己犠牲の精神
が気になっているのか分かりませんでした。
やっと最近になって理解した事があります。
それは、実際に私が私を縛っていた強い固定観念のひとつに、
「自己犠牲は、喜んでしなければならない」
というものがあったという事です。
なので、
自分を大切にしながら、喜んで人に奉仕しなければ何の意味も無い!
と、ちょっとこじらしていたのでした(^-^;
迷惑被った人すみません!
私は、結局、とても自分を粗末に扱っていたという事です。
何故ならば、本当の弱い自分、情けない自分に蓋をして、無理して喜んで、人の役に立とうとしていたからです。
この無理をしている時は、自分が無理をしているという事は、分からないんですね。
なので、喜んでやっているはずなのに、やたらと疲れます。
喜んでやっているはずなのに・・・
身体の声を聞かずに食べるものを選び、
味わい尽くす事なくムシャムシャと食べ続け、
鏡を見る事なく髪を束ね、
見たく無いのにテレビを見て、
寝ていたいのに起きて、
疲れているのに出かけ、
傷ついているのに笑い、
頼りたいのに背負い、
怒りたいのに感謝する
というように、本当の自分の声を無視し始める事になっていました。
これを、「自分を粗末にしている」意外何と表現すれば、良いのでしょうか?
このように正しさに拘っていると、内側から溢れてくる、本当の自分の声が聞こえなくなります。
すると、私達は自分の価値観から来る、正誤や善悪、損得で判断をするようになります。
この判断は、源をたどって行くと、やはり不安から来ている事が多いのです。
ですから、この不安からくる意識状態で、どれだけ愛のような行為を行った所で、目の前に現れる現象は、不安そのものという事になります。
私が体験した、
「あれ?こんなに人の為に頑張ってるのに、なんか報われないな?」
という体験は正にそれを証明しています。
愛のように見える行動と愛そのものの行動
とは、全く別のものです。
愛そのものの行動とは、愛そのものという在り方からやってきます。
ですから、自己犠牲という考え方自体が無いんだと私は思います。
愛そのものとは、喜びそのものです。
誰かの為に生きるのでは無く、
全ての為に生きる事なのだと私は思います。
これは、確信を持って言えますが、
本当は人も自分もひとつなんです。
だから、どっちかを大切にして、どっちかを粗末にする事は絶対に出来ないんですね。
私が握りしめていた
「自分を大切にしなければ人を大切にする事は出来ない!」
という理論は、一見そんな感じもしますが、自分と人とを分けて考えずに、全部同じで、全部同時でいいんだなという事が分かった今日この頃です。
だから、人も自分も大切にしましょう!
大切にするという事は、自分の心の声、身体の声を聞くという事です。
大切に丁寧に、愛を持って自分の肉体や精神と関わるという事です。
そして、同じように、周りの人、周りのもの、自然、地球、宇宙と関わる事が、愛を発振するという事なのではないかと思います。
今日も、目の前にある全てを大切にして過ごしましょう!
全てを大切にしている人は、必ず大切にされます。そして、心の底から感謝や喜びが溢れてくるんですね。
私のように、無理してやってみても、見事にバレるという事です(^-^;
チキショ〜〜!なんか、恥ずかしいぞ〜!
自分を粗末に扱っている人は、必ず粗末に扱われます。
自分の身体に鞭を打つのも、
自分が言いたい事を我慢するのも、
自分を卑下するのも、
自分に笑顔を強制するのも、
全部、自分を粗末にしている事になります。
粗末に扱うとは、使い捨てのように扱うという事です。
全てのものにイノチがあるのだと分かった今、私は、やっと心から自分とすべのものを大切にしたいなと思えるようになってきました。
勿論、選択は、それぞれの自由です。
正しい間違ってるは無いと思います。
ただ、自分にふさわしく無い体験は、みんなで終わらせていけたらいいなと思います!
そうして、未来の子供達に、イノチのバトンを渡していきたいなと思うのです!
愛のような発言をしてしまったと気づいたら、空を見上げて、
「とか言ってー!」
と、叫んでおきましょう!
それで、ギリギリセーフです!(多分)
今日も読んでくださってありがとうございました!
また、お会いしましょ〜(*´∀`*)