受け入れるって何?影響されないってどういう事?全てを受け入れながら影響されない生き方について書きました。
おはようございます!
サナブリ真木です。
今日は、
全てを受け入れながら、影響されない
という在り方について書きたいと思います。
私は、長い間、「人を受け入れる」という事にこだわってきました。
それこそが愛だと思っていたので、誰かの事を悪く言ったり、拒絶したりする事にとても罪悪感がありました。
子供の頃から、いじめっ子やいじめられっ子の事が気になり、誰もが関わりたがらない子も、持ち前の正義感から、放ってはおけず、自分はどう接するべきかと悩んだものでした。
私が18歳で初めて就職した飲食店に、やたらと私に話しかけてくる30歳くらいの男性の先輩がいました。
その人は、田舎から出てきた私に対して、
自分が若い時にいかに悪かったか
いかに恐れられていたか
いかにして、登りつめてか
みたいな話を延々としてきました。
「18歳で弟子入りした大工の仕事で2年で親方を抜かすとこまで登り詰めたった」
みたいな、明らかに「それは嘘やろう!」という武勇伝も多く、他のスタッフ達は全く相手にしていませんでした。
私は、まだ若く、誰に対しても、まず受け入れる事をモットーにしていた事もあり、一生懸命話を聞いていました。
でもだんだん腹が立ってきて、その先輩の事が嫌いになってきました。
イライラした態度を取るようになっていって、なるべく話さなくて済むように工夫して過ごしていました。
それでも、その先輩は、私に嘘だらけの自慢話をしようと追いかけまわしてきました。
そして、更に問題は悪化し、大学生のアルバイトの先輩も、自分の悩みや、彼女としたケンカの内容などを延々と話てくるようになり、その内容のあまりの女々しさに、私はもう、ストレスでいっぱいになっていきました。
その後も、5人くらいは、一番若い田舎者の私に話を聞いて貰おうとする先輩が出てきて、私は18歳にして、社員食堂のおばちゃん的存在になっていました。
私は、
受け入れるって何?
と思いました。
自分のキャパが足りていないうちから、何でもかんでも受け入れようとしたら大変な事になるなと思いました。
それからは、自分に嘘をつくのをなるべくやめました。
誰からも良く思われたいという思いを捨て、愛想笑いをやめ、ハッキリ、サッパリを目指すようになっていきました。
主人も、人を笑わせるのが得意で、よく面白話を聞かせてくれました。
私は、正直になりすぎて、面白くない時は、
「フリ長い。オチ弱い。」
と一刀両断で切り捨てるようになっていました。
そして、ようやく自分のアイデンティティを確立出来たかなと思った頃から、受け入れられるものが減ってきている事に気付きました。
全体的に、ほとんどの人や物事に距離を置いている自分に気付いたのです。
私は、自分がどう在るべきか考えました。
努力して色々な経験をして、自信はついたけど、どう考えても、私の心は狭くなってる。
これは、どう捉えたらいいのか?
本当にどうしたらいいのかを強く知りたいと思いました。
そして、とうとう、私にとって正に必要な学びをしました。
それは、いつも書いていますが、
受け入れるとは、自分の個人的な価値観で判断してするものでは無く、個人的な判断をせずにするもの
だという事です。
個人的な価値観が無くなってくると、不思議なくらい、色々なものと一体感が感じられるようになります。
自分のアイデンティティを確立するという事に意識がいっている時には全く見えなかった、全てのものはつながっていて、ひとつなのだという事が、身体で感じられるようになってきたのです。
正に先日、私の目の前にいた子猫もそうです。
ハッキリと一体感を感じ、この子は私の家族なんだなと分かりました。
そして、信じらないくらい、私達家族の全員にに懐いています。
そうなってくると、だんだん怖いものがなくなってきます。誰がどう思おうと、誰に何て言われようと、本当はひとつだから大丈夫なんだなという、あたたかい安心感から、リラックスしていられるようになってきたのです。
すると、何故、私が若い頃、やたらと自慢や悩みを聞く羽目になっていたかが、分かるようになってきました。
それは、
私が影響されていたからです。
多くの人は、人に影響を及ぼすという事にとても興味があります。
それこそが、自分の価値の証明につながっているように感じるからです。
子供が、泣き喚いてお母さんの反応を見たり
先輩が後輩にお説教したり
彼女が彼を困らせたり
みんな、自分がどこまで人に影響を及ぼせるかを知りたがります。
自分が何者なのかを知りたいのです。
私も正にそれが知りたくて、
人の役に立ちたいと強く願っていました。
子供は、純粋なので、影響が出るものに対しての関わりにとても敏感です。
例えば、水たまりや、泥んこ、砂場、虫、とれかけているゴムパッキンや、かさぶた、ボコボコと踏んだら音がする床、
「絶対に穴あけたらあかんよ」
と言われている障子
自分が触る事で影響が出るものは、どれどけでも触っていられます。
でも、いくら踏んでもビクともしない地面や壁を押し続けられる子はいないのです。
影響を与える事は、自分の存在を証明してくれるように見えるのです。
正に、私に影響が出ていたからこそ、わたしの周りの先輩方は、私を選んで話をしたのだと思います。
そして、
八つ当たりされやすい、
いじめられやすい、
怒られやすい、
お門違いのクレームを受けやすい、
なども同じです。
そういう事は、ビクともしないところには、やはり来ないのです。
私も、今まで、スタッフから色々な相談を受けてきましたし、人に色々な相談もしてきました。
ですが、今はただ、愚痴を聞いて欲しいとか、不安を共有したいというような、不毛な話は一切入ってきません。
ビクともしなくなってきたので、貴重な意見や、本当に力になれる時の相談しか入って来ないのです。
今、私は、
全てを受け入れながら、影響されなくなる
という事を、体験を通して実感しつつあります。
この体験は、
自分の証明はしなくても良い
と知った所から始まりました。
何故ならば、みんな本当はつながっていて、みんな愛から生まれているからです。
元々、私たちは愛そのものなので、元々価値があると私は感じています。
影響されないという事は、ドライでクールで人との関わり方が薄いという事ではなく、
正に愛そのものであるからこそ、一体感を持ちながら、密接に関わって、でも自分の在り方を変える必要が全く無い
という事だと感じます。
ですから、安心してリラックスしてお任せして、今という瞬間に関わっていきたいと思います。
今日1日が皆様にとって、安心に包まれたあたたかい日となりますように。
読んでいただいてありがとうございました!
また、お会いしましょう!