サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

最近、食べ過ぎて太ってきた自分にガッカリしていた私が気付いたこと

こんにちは!

サナブリ真木です。

今日は、最近あった、ひとつの気付きについて、書きたいと思います。

 

最近の私には悩みがありました。

それは、食べ過ぎにより、また太ったてきたという事です。

 

私は、子供の頃から食べる事にものすごい執着がありました。

いつもお腹が空いていて、寝ても覚めても、食べる事ばかり考えていました。

そして、食べたいという思いと同じくらい、食べすぎる事への罪悪感と共に過ごしてきました。

人生の半分くらいは、この食べる事に対する執着に振り回されてきたと言えるかもしれません。

 

昨年、私は、何故自分が、こんなに食べる事に執着していて、食べ過ぎて太っているのかを知りました。

私の師匠である馬渕さんに、神との対話(サンマーク出版)いう本を紹介してもらい、何度も何度も読んだからです。これは、人生に行き詰まった中年の男性が、なげやりになって神に恨み言を言っていたら、返事が返ってきて神と対話し、色々教えてもらった事をそのまま書いたという本です。

ものすごい密度で驚くべき真理が書かれています。

そこには、このように書いてありました。

 

あなたは、自分がこうだと思う人間になる。

否定的な考えをもつと、悪循環が起こる。あなたの現在の経験の多くは、今までの考え方がもとになっている。考えが経験につながり、経験が考えにつながり、それがまた、経験につながる。体験は支えとなる考えによりどんなものかが決まる。

 

私は、

「私は異常に食べ物に執着があり、いつも食べ過ぎてしまい、その結果、背が高いのに太っていてめちゃくちゃデカイ!」

 

という考えにより、そのままの体験をし、その体験により、また支えとなる考えを作っていたのでした(;ω;)

 

私はそのことを学んでから、支えとなる考えを変えていこうと努めました。

その方法として、この本に、このように書いてありました。

 

思考ー言葉ー行為

というパラダイムを逆転させる事だ。

考える前に行動しなさい。

根となっている考えを変えたいと思うなら、新しい考えに従って行動しなさい。

それを何度も繰り返せば、あなたは新しい考えを身につけるだろう。

 

私は、根となる考えを変えるべく、必死になって、根となる考えが浮かぶ前に行動する事を心掛けました。

 

そして、だんだん脅迫的な思考が治ってきて、食べ過ぎる自分と、やっとサヨナラ出来たかな?と思っていたのでした。

 

なのに!!最近また、食欲が治らなくなってきたのですಠ_ಠ

 

それは、私が

「これからは、しっかりと家でも料理をして、身体に良い、気エネルギーに溢れた食事をするように心掛けよう。」

と思い始めてからの事でした。

今まで私は、実を言うと自分が食べるものにどうしても、手間をかけられませんでした。

手当たり次第早く出来るものを、本を読んだり、テレビを見ながら食べるという、自分を粗末にした食べ方をなかなかやめられずにいたのです。

それをひとつずつ終わらせていこう、

本当に良いものを意識的に食べようと

意識し始めてから、

「ちゃんとした食事は、美味しすぎてやめられない!」

という、一周まわって何言ってんねん!という状態になってしまったのです(-_-;)

私は焦りました!

ヤバイ!!このままでは、また太ってしまう!

何とかしなければ!

 

分かっているのに、私の根となる思考がどんどん不安に侵されていったのです。何故ならば、行動の源が不安だったからです。

私はとてもガッカリしました。

まだ、この問題は終わっていなかったのか!

もう、いい加減にに卒業したい(;ω;)

ほとほとウンザリした気分になってきたのです。

 

ある日娘が、私を見て、必死な顔で言いました。

「お母さん、また太ってきたね。

ちゃんと運動しないからだよ。

神様、どうかお願いです。

どうかお母さんがおばあちゃんになる前に、痩せさせて下さい。

どうかお願いします。お願いですから、お願いします。」

 

私は、とても、いたたまれない気持ちになりました。

そして、あろうことか娘に、

「分かってるから、お母さんの事は、放っといてくれる?そんな事言われたらお母さん、悲しくなるわ。ほんで、早く宿題して。」

とやや、睨み気味に言ってしまったのです。

 

その後、私はすぐに、娘が何故そんな事を言ったのか分かりました。

 

それは、娘が、私のタイプレコーダーを生きているからです。

 

私が出している波動を、ただ娘は言葉にしただけなのです。

正に、娘の言葉は、私の心の声でした。

 

この事により、私には大きな気付きがありました。

 

それは、

「私はまだ、自分がなりたい自分にこだわっている。」

というものです。

愛そのものになって、全てに真剣に関わることにフォーカスしていた私ですが、

理想と違う事が起こると、たちまち不安になり、焦って、何とかしようとしてしまっていたのです。

 

私が学んでいる事は、

「自分の考える最高の自分になりましょう」

という事ではありません。

 

自分の理想や価値観によるジャッジを終わらせていけば、自分さえ認識していなかった本当の自分のエッセンスを思い出します。

そのエッセンスのままに生きた時、人は喜びや愛に溢れ、どこにいても、何をしていても、本当の献身が出来るようになります。

足りないという不足の幻想を終わらせ、今の自分の全てをあるがままを受け入れ、本当の自分に戻り、愛そのものとして生きましょう。

 

という事を学んでいるのです。

私は、然るべきタイミングで然るべき気付きをいただき、なるほどな!と思いました。

 

 

私は、これから自分がどうであっても自分を受け入れるという事を体得していきたいと思います。

人は、自分にしたようにしか、人にしてあげられないからです。

そのままの自分を受け入れ、愛を込めて大切に出来るからこそ、人も、ものも、そのままを受け入れ、本当に愛を持って大切に出来るのです。

 

本当にそのように生きる事が出来た時、そして、自分のこだわりを本当に捨てる事が出来た時、きっと私が必要としていたものは、勝手に成されていくのだと思います。

 

 ありがたい事に、気付き(認識)とは、本当に光そのものです。
何故なら、気付く事で、考えが終わっていくからです。
考えが終わるという事は、その考えに基づく体験が終わるという事です。
認識という光だけが、これまで溜め込んできた、勘違いを溶かし、そして終わらせる事が出来るのです。

私は、このガッカリするという体験を通して、新たな認識と出会いました。

この体験というのは、どんなものであってもその瞬間のその人にとっては、必要で、貴重で、素晴らしくありがたいものなのだと感じます。

何故ならば、内的体験は認識を生むからです。
 

今日も、認識という光の中で、ひとつひとつ終わらせながら、100%今を生きたいと思います。

 

今日も、読んで下さってありがとうございました(^-^)

また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)