サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

「ありのままで大丈夫」だけど「変わらなければならない」これは、どう捉えたらいいのか?

こんにちは!
サナブリ真木です。
暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか?

 今日は最近、より深まってきた!と感じている

私達はありのままで価値がある

という考え方について書きたいと思います。
ブログを始めた時に、私が一番書きたいと思っていたのは、正にこの事でした。


私は、みんな

「ありのままで価値がある

という事を信じて生きてきました。

 

みんなそれぞれに役割があって、何が出来なくとも、存在そのものが素晴らしいのだと、母から聞いて育ったからです。

 

私の母は、普通の事が出来ません。
整理整頓したり、
自分のスケジュールを管理したり、
言い訳せずに料理を出したり、
最後まで話を聞いてから電話を切ったり、
そういう事が本当に出来ないのです。

 

そんな突っ込みどころ満載の母ですが、不思議な事に、母は、私が小さい頃から、人が愛されるのに、条件や理由はいらないという事をよく知っていたようです。

 

ですから、私達子供の疑問に対しても母は、ブレずに見事に答えていました。

 

「お母さん、何で家には、こんなにお金がないの?お金が無いのに、何でこんなに子供が多いの?せめて、もっと美人に産んでくれたらよかったのに。」

と私が言うと、
「お金なら暮らせるだけ十分あるよ。

お母さんが子供の頃はお金が全く無くてサツマイモばっかり食べてたよ。

食べものを買えなくても、神様がいつもお母さん達を守ってくれてた。
お母さんは、本当は子供を産んだり育てたりするより、畑にいる方が得意だけど、こんなお母さんに神様が沢山子供を授けてくれたから、これ以上ありがたいことはないね。

こんなに素晴らしいイノチをもらってるのに、不満を持ったらもったいないよ。
神様に任せて安心してたらいい。

必要な時は全て与えてくれるから。」

と、いつも、その答えの土台には、神への絶対的な信頼がありました。

 

子供の私は、

「ホンマに、そんな美味しい話あるんかいな?

真木は、芋とかじゃなくて、ケーキとかアイスとか美味しいものを与えられたいんやで?」

 

と母の言う事を信じきれていませんでした。

 

母は、自分が神に既に愛され、与えらていることを知っていたので、子供達に対しても同じように、こうなったら素晴らしい、こうであれば価値があるというような、条件無しに、無限の愛を注ぐ事が出来たのでは無いかと思います。

 

その後、私は20歳の時に尊敬する牧師さんに、

doingではなくbeingが大切

と教えてもらいました。

それから、この事が私の信念になっていました。

 

ですが、度々、こういう場合はどうしたらいいのかな?という事が起こり始めました。


開業して、スタッフを雇い始めると、
「みんなそのままで素晴らしいから、自分らしく得意な事で力を発揮してね!」
と口では言いながら、
意識が低い人、仕事が遅い人、ネガティヴな人が何とか変わってくれないものか?と考えるようになっていきました。


本物の商品と、本物のサービスは、本物の人から生まれるはずだから、まずは、スタッフを本物のプロにしなければ!と思い込んでいたのです。
ですが、この事を伝えれば伝えるほど、スタッフは、自信を無くしていきました。

私は、だんだん疑問が出てきました。

 

本質的な生き方

ビジネスでの成功

このふたつは、バッティングを起こすのか?

でも、きっと、本質的なビジネスというものがあるはず。
人に求めずに生産性を上げる事は可能なのか?
誰か〜!この矛盾をどう捉えたらいいのか教えて!
私は、その答えをかなり長い間、探していたような気がします。
そして、なるほど!そうか!という答えにめぐり合いました。
それは、
ありのままで価値がある

変わらなければならない

は、

実はしっかり両立している

ということです。


まず、私が知った事はこういうことでした。

私達は、条件も理由も全く持ち合わせていなくても、既にパーフェクトに与えられている存在で、ありのままで完璧である。
私達はみんな繋がっていて、実はみんなひとつで、宇宙が私達一人一人を通して、ありとあらゆる体験をしたがっている為、私達は、色々な体験をするが、どの体験も全て、損得、良悪、正誤、は全く無く、その魂にとっては必要で貴重で美しいものである。


そして、その事が本当に実感を伴いながら、分かってくると、何も変わらなくても、何も成し遂げ無くても、存在そのものは、やはり元々完璧なのだと感じられるようになりました。


では、私達は、何のために必要な体験をしていると思いますか?

 

それは、
変わる為に必要な体験
なのです。
変わるといっても、個人的な目標を達成する為や、自分の価値を証明する為に、自分の理想の自分に変わるという事ではありません。

 

自分の本質に回帰する

 

という意味での変わるです。

正に、

ありのままで生きる為に変わる

という事です。

私達は、本当の自分を思い出す為に必要な体験を続けているのです。

ですから、ネガティヴな体験が続く場合は、「そちらに行っても、本当の自分に出会えませんよ」という合図である事もあれば、そのネガティヴな体験こそが自己への回帰の鍵になる事もあるのです。


私はこの事がストンと身体に入った瞬間から、自分と自分の周りの人に対して、
そのままで完璧で価値があるから大丈夫という絶対的な大安心のもと、本気で真剣に、自分や人に対して、必要であれば、
「変わらなければならないよ。」
というメッセージを伝えられるようになりました。

それは、仕事においても子育てにおいても同じことです。

本当の自分を覆っているものが、多くの問題を引き起こしているのです。


これまでも私は、同じような事を言ってはいました。
でも土台が変わった事で、全く違うメッセージに変わりました。

 

それは、変わらなくても価値があり、何も心配ない事を私が本当に分かったからだと思います。
その上で、
「あなたは、あなたの本質に出会わなければならないよ。」
という意味で言っているのです。


その事をどう受け取るかは、もちろんそれぞれの自由です。
変わる、変わらないも、もちろん自由です。



結局、それぞれの魂がどういう体験をしたがっているかによって、必要な体験が違うので、私の個人的な価値感で、それは違う!こうすべきなのに!などと判断しても何の意味もないのですね。

それどころか、ただただ、人間関係はこじれる事になります。
人は、本当の自分では無いものになる努力をさせられ続けると、恨みを持つようになるそうです。

ですから、今、この世の中で、私が一番必要だと感じる事は、

 

私達は、ありのままでパーフェクトで、既に愛され、受け入れられている事を知る必要がある。その事を知って、心から安心して、今こそ、変わらなければならないのではないか?

 

という事です。

これから、悟りの時代が来ると言われています。
このままの、私達の意識状態では、きっと地球が保たないのだと思います。

 

何故こうなったかというと、私達、人間の不安がどんどん勘違いを生み、何とかコントロールしようとしてきたからでは無いでしょうか?

 

不安が源の行動は、必ず不安になる現象を生み出します。

ですから、今こそ、私達は本当に心から安心しなければならないのでは無いかと思います。

 

「私は、ありのままでも本当に大丈夫なんだ!」という事が心底分かって初めて、人は変われるのではないでしょうか?

 

 

なかなか、私自身もしぶとく以前の癖が出てきたり、グルグル回るなぁとガッカリする事も、ありますが、それもまた必要な体験という事だと思います。

 

やっぱり、安心が人を自由にするのですね!

 

今日も読んで下さってありがとうございました〜〜!

 どうぞ素敵な1日をお過ごし下さい!

 また、お会いしましょう〜〜^_^