何故、こんなに長い間、私は食べる事への執着に苦しんだのか?やっとその答えが分かったような。
こんにちは!サナブリ真木です。
最近とっても寒いですね。皆様いかがお過ごしでしょうか?
わたくし、最近、自分のパソコンを買いまして、やっとパソコンでブログが書けるようになりました!
なんと!わたくし、今まで3000文字のブログ携帯で書いてたんですよ(*_*)
これから、どんどんPCならではのテクニックを使っていきますのでお楽しみに!☚どういうこと?
現在、私は、毎日サナブリのリニューアルの事を考え過ごしています。
そこで日々感じることが、創造するってめっちゃ楽しいなぁ(*^^*)ということです。
時代は変わっていくし、人間は必ず成長していくので、きっと変化の時というのが必要なんですね。
私は何故か、ものすごくノリノリで今の自分に必要なものを選び直し、それ以外のものを手放す準備を進めております。
ついでに断捨離をしようと思い、家にあるもので必要なくなっているものを探しては、捨てるということを繰り返しています。
私の場合、身の回りにものがごちゃごちゃしている時は、必ずと言っていいほど、頭の中がごちゃごちゃしています。
とにかくスッキリ身軽が一番だと思い、入れない!溜めない!を頑張っています。
後は身体に溜まった毒素や脂肪を断捨離出来たらホンマ最高やなぁと思う毎日です。
そこで今日は、
何故私がこんなにも、毒素と脂肪を溜め込むことになったか
について書きたいと思います。
いや!真木さん、それはどうでもいいわ!と思われた方も多いと思いますが、これは本当にとても大切なエッセンスが詰まった話ですので、ぜひとも最後まで読んでいただけたらと思います。
私は5人兄弟の2番目として生まれ、兄弟の中でも食べる事への執着が何とも異様な子供でした。
いつもいつも、冷蔵庫を開けて母に「何か美味しいものない~?」と聞いていました。
私の母は、その時期、特に自然食品や、身体に負担をかけない食べ物を選択していて、
「はい、美味しいもの」と言って、梅干しの赤ジソをご飯に少しのせて差し出してきました。
子供の私が求めていた甘いものや、カラフルなお菓子などは、全く家にはありませんでした。
食事は玄米と、野菜が中心で、少しの肉と魚、おやつには、母がさつまいも入りの蒸したまんじゅうや、はったい粉を練ったもの、たぬきドーナッツなる謎のお菓子をよく作ってくれました。
ケーキやパンやレストランで食べるようなスパゲッティやグラタンに、私は憧れ、その想いは日に日に強くなっていきました。
5歳になった頃、私は「もうこれは自分で作るしかない!」という並々ならぬ決意をし、料理人生が始まったのでした。
その後、お小遣いをもらうようになると、母に隠れてお菓子やジャンクフードを買うようになりました。
高校生になると、アルバイトして稼いだお金で、すごく外食するようになりました。
どれだけ食べても満たされず、いつも食べる事ばかり考えていました。
高校生の時初めて彼氏が出来たこともあり、その頃から、太ることへの恐怖心と、母に内緒で粗悪なものを食べている後ろめたさから、食べる事に罪悪感が付きまとうようになりました。
罪悪感を感じれば感じるほど、私の食べる事への執着は抑えられなくなっていったのです。
社会に出て、働くようになると、様々なダイエット、食習慣の改善、食事療法などにも挑戦しました。
何十種類も試したと思います。
一定の結果は出るのですが、その後、必ず反動でリバウンドが起こり、罪悪感はどんどん私を蝕んでいったのでした。
私はとにかく太ることが怖くて仕方なかったので、長い間、痩せさえすればきっと満たされて幸せになれるだろうと思ってきました。
ですが、今考えると私の悩みの原因は、太っていることではなかったのです。
私が苦しかった一番の原因は、自分の身体に一致感が無かった事だと思います。
要するに、
今の自分が本当の自分ではないこと
が苦しくて仕方なかったのです。
太っていようがガリガリだろうが、本当の自分を表す身体ならば、必ずそこには一致感があると思うのです。実際にどんな体型でも自分の身体が好きな人も沢山いると思います。
顔や声や仕事や役割もそうだと思います。
どんなものであっても、本当の自分のそれならば、やっぱり一致感があるのです。
何か違和感がある。好きになれない。どうしても許せない。
そう感じるとしたら、それはきっと何らかの魂からのメッセージなのではないでしょうか?
私はとうとう、食べても食べても、どうしても満たされなかった、その理由を知り、そのことを心底理解し、満たされるという体験をし始めることになりました。
その理由とは、食べ物を物質として食べていたことによるものでした。
私にとっての食べ物は、口を喜ばせるものであり、カロリーであり、栄養であり、私を焦らせ苦しめるものでした。
でも私が本当に欲しかったのは、
物質としてのエネルギーでは無く、愛としてのエネルギー
だったのです。
私は愛のエネルギーを全身全霊で欲していたので、とにかく食べて食べて食べまくりましたが、愛として身体に入っていないので、足りない!足りない!といつまでたっても心が叫んでいたのです。
私がこのことを実感できたのにはいくつか理由があるのですが、ひとつは、
身体に良いものでは無く、愛のあるもの(心を込めて丁寧に作られているもの)だけを食べようと決めたことです。
それを感謝して味わって食べるようにしていると、顕著に満たされ具合が変わるなぁとはっきりと分かってきたのです。(今更何を言っとんねんという感じですが( ;∀;))
どうしても、どうしても、自分の食事には、手間暇をかけられず意識的になれなかった私は、ここまで来てやっと「何をどのように食べるか?」という食べ方は、生き方そのものだということを理解したのでした。
そして、もうひとつ、大切なことを思い出したのです。
母がよく作ってくれたおにぎりの事です。
小1の時、私は熊本の山奥の小学校に通っていました。
徒歩で50分ほどかかるため、土曜日だけ母がおにぎりを持たせてくれました。
それは、す~っぱい梅干しが入った特大の丸いおにぎりで、紫色の海苔がガバーっと巻いてあり、いつもアルミホイルにぎゅうぎゅうに包まれていました。
そのおにぎりの美味しいこと!
私にとっては、世界一美味しいおにぎりでした。
あれよりも美味しいものがあるだろうか?と最近よく思うのです。
きっと母が、私のために愛を込めて作ってくれたからだと思います。
山道を歩きながら母の愛情たっぷりのおにぎりを食べた時、私は本当に心から満たされていた・・・・。
あれこそが愛のエネルギーを身体に入れるという事ではないかと思ったのです。
食べ物だけではありません。私達は本当に多くのものを欲しています。
お金、もの、刺激、人間関係・・・。
でも本当に心や身体が求めているのは、愛。
愛があるものでなければ、どれだけたくさん所有してもやっぱり満たされないのです。
なので私は、心も身体も満たされる、おかんのおにぎりのようなものを提供できる店が出来ないかと思っています。
働きながら子育てしているお母さん達が、本当に疲れていたり、時間が無かったりする時に、子供に安心して食べさせられる、イノチが喜ぶごはんを提供出来ないかと思っているのです。
店で食べるだけではなく、
お母さんの代わりに、真木さんが愛を込めときましたよ!
というお惣菜やお弁当が販売出来ないかと現在、試行錯誤しています。
これからは、本当に食べものを通して愛を発信していきたいと思っています。
最後に、結論です。
私が何でこんなに、毒素や脂肪を溜め込むことになったのか?
今の私の答えはこうなります。
私が、食べ物から愛をいただいているということを知り、その事を体験する為
私の周りには愛のある食べ物(答え)があったのに、私はず〜〜っと違う場所を探していたという事です。
私はイノチが喜ぶ本物の食べ物を作る(自分の役割を生きる)為に、本物の食べ物とは何か?を知るという私にしか出来ない体験をさせてもらったのでは無いかと思うのです。
本物を知る為には、
本物では無いものを知る必要があった
ということです。
悩みの真っただ中にいる時は、本当に苦しいし「なんで私はこんな事も出来ないの?」と思います。
でも、きっと自分ならではの役割を生きた時、「なるほど。私はこのことを知る為に、必要な体験をさせてもらったのだなぁ」と妙に腑に落ちるのではないでしょうか?
思いっきり痩せて別人になってから書きたかった内容ですが、頭をよぎったらすぐに言いたい私・・・。残念。
ホンマに別人になったら、本でも出します。
「サナブリ真木のこれで最後のダイエット!心が満たされれば身体は変わる!~恐るべしおかんのおにぎりのパワー~」(はらぺこあおむにていつか発売)
今週の26日は、aweakning cafe を開催します。まだまだデッカちゃんな真木さんですが、よろしければ会いに来て下さいませ!
では、皆様、最後まで読んで下さってありがとうございました!
またお会いしましょう!(^^)!