出来る前提でやっているか、出来ない前提でやっているか。それによって結果が違うだけかも!
こんにちは!サナブリ真木です。
すでに、春の陽気。
気持ちが良いですね!
今日は、お花見の季節にと、春の行楽弁当の料理教室を行いました。
来て下さる方が本当に良い方ばかりで、とても楽しくさせていただいています。
ありがとうございます。
さて、わたくし、昨年の12月から、主人と数人の目覚める事を選択している友人達と一緒に、毎月、スピリチュアルカウンセラーの並木良和さんの統合のワークショップに参加する為、東京に行くようになりました。
参加しだしてからというもの、観念が外れ、周波数が変わるスピードがものすごく早くなっているのを感じています。
申し込み受付開始後5分でソールドアウトという大人気のワークショップなんですが、ワークの意味が分かっていても、いなくても、いつの間にか、大きな意識の変容が起きるのです。
はじめに私が、なるほどな!と思ったのは、
並木先生が、
「ハイヤーセルフとつながる事や、サイキックな能力を発揮する事は、全く特別な事ではないんだよ。人間誰もが備わっている能力だから、誰でも絶対に出来ること。それが特別な事だと思っているから遠ざけてしまうだけ。」
とおっしゃった事でした。
私はその言葉を聞いてからというもの、自分の本質とつながって生きるという事は、そんなに難しく無いのではないかと思うようになりました。
それまでは、心のどこかで、生まれつき霊感の強い人や、特別な才能がある人、もしくは山奥にこもって断食し、滝に打たれ続けた仙人だけが到達出来る特別なもののようなイメージを持っていたのです。
ですが、並木先生は、
「これは、自然な事だからね!」
「これは、普通のことだからね!」
「簡単でしょ?ねえ、分かる〜?うけるよね〜!」
といつも軽やかにおっしゃるので、そうか!特別では無いのか!ならば私にも出来るかも!?という気がしてきたのです。
ある日、私は、スピリチュアル本の中にこんな事が書いてあるのを見つけました。
スプーン曲げは、テコの原理で曲げているだけなので誰にでも出来る。でも、あえて言うなら、曲げてやろうと思わず、意識を、スプーンから外して自分の腕に持ってくる事が大切。
特別な事で無いなら、私にも出来るかも!と思い、家の中で一番曲がりそうなスプーンを出してきて、そこに書いてある要領で、曲げようとしてみました。
結果はというと、、、、
なんと!
全く曲がりませんでした!
何度も何度もトライしましたが、惜しい感じも無く、あれ〜?おかしいなぁ?と思った私は、YouTubeでスプーンの曲げ方について調べてみました。
すると、チャラい手品師のお兄さんが、スプーン曲げのコツを説明している動画を見つけました。
それを見た、私は、なるほど、やっぱりテコの原理やから、ホンマに誰にでも出来るんやな〜。と思い、もう一度同じようにフッと息を吐きながら曲げてみたのです。
すると、不思議な事に、
フニャッとスプーンが曲がったではありませんか!!
さっきまでと同じような持ち方で、同じような力でやったのです。
私はこれは、どう捉えたらいいのか?と驚きました。
チャラいお兄さんの教え方がうまかった?
でも、そんなにやり方を変えて無い。変わったのは、私の意識?
私は、チャラいお兄さんが曲げる動画を見て、やっぱり誰にでも出来るんやな。だったら私にも出来るはずと思った。
だから、曲がった。
これは、私の前提が、
出来るかも?
から
出来る!に変わったから・・・?
私は、その時、何かを掴みかけている気がしました。
そして、また別のある時、飼い猫のミルクが、外に出たきり帰って来ない日がありました。
子供と心配して探しまわっても見つけられず、次の日の朝、私の車に乗って閉じ込められているのを発見しました。
「あれ?いつの間に乗ったんやろ?ミルクごめんな〜。」
ひとしきり謝って、ご飯を食べさせようとしました。
ミルクは興奮気味にニャーニャーと私の周りをグルグルとまわり、何かを訴えかけてきました。
私はご飯?水?トイレ?構って欲しい?と色々試行錯誤しましたが、なかなか興奮が治りません。
「ミルク、どうしたん?私には、ミルクの言葉が分からないのよ〜。」
と言った瞬間、ふと、疑問がわいてきました。
本当に?
ミルクの言葉って分からんのかな?
動物の言葉が分かる人も沢山いるはず。
なら、私にも分かるんちゃう?
分からない前提で聞いてたら、絶対に分からない。
分かる前提で聞いてみよう。
私は、ミルクを両手で抱え、ミルクの目を覗き込みました。そして、
「ミルクの言いたいこと教えて。」と話しかけました。
じーっとミルクの目を見ていると、ポーンと言葉が浮かんできました。
「あー。焦ったー。出口がなくて、寒くて、お腹すいて、あー、びっくりしたー。」
私は、なるほど!と思いました。
私は、ミルクが、何かを訴えかけていたので、何かして欲しいのだと思い込み、必死に何かを与えようとしていました。
ですが、よく考えたら、人間でも同じシュチュエーションになったら、ただ、ただ、「焦ったー。」と繰り返しても不思議はありません。
私は、ミルクを抱き抱え、
「ミルク、焦ったなー。ごめんな〜。」
と何度も話しかけました。
すると、ミルクはさっきの興奮が嘘のように、スッと落ち着いてご飯を食べ始めたのです。
私は、分かる前提で聞けば、結構分かるものやな。と思いました。
それが合っていたのかは、分かりませんし、証明しようもありません。
ですが、何にしても、出来ない、分からない、を前提にしていると、いつまで経っても、その事は出来ないし、分からないけれど、
出来る、分かる、前提でいけば、スンナリと前進していくのだという事は、私にとっての真実だなと思いました。
私達は、本当に多くの事を、出来ない、分からないと思い込んでいます。
何故そう思うのか?
何度かやってみてうまくいかなかったから。
誰かが、難しいと言ったから。
周りの人が出来ていないから。
その理由の多くは、出来ない、もしくは、出来たらいいなという意識で行った結果を見て判断したものです。
出来たらいいなの前提は、出来ないなのです。
出来るという前提のもと行われる事は、やはり出来ていると思うのです。
ヘレンケラーが言葉を理解したのも、ハイジのクララが立ったのも、サリバン先生や、オンジがその人が持つ前提に影響を与えたから、出来る前提に変わった。
そう考えると、私達親が、子供をどういう前提で見ているかは、とても大切ですね。
多くの発明や世界新記録は、この必ず出来るという誰かの確信のもと、生み出されたものではないでしょうか?
やはり、前提が大切。
頑張るとうまくいかないということを良く聞きますが、何故ならば、前提に、
私は、頑張らなければ成果を出せない
私は、頑張らなければ価値が無い
私は、頑張らなければ愛されない
という、前提がある事が多いように思うのです。
ですから、肩の力を抜いて、リラックスし、
私は、
存在そのものに価値がある。
何をしても、しなくても、幸せだし完璧だ。
全ては、うまくいっているし、これからも必ずうまくいく。
そういう前提のもと生きていると、本当にそうなっていくような気がするのです。
前提とは、
信じているの上。
確信の更に上。
そうなる事を知っている状態の事。
知っている事は起こるのです。
人は出来ると知っている事を簡単には、諦めないですしね。
歩くことや、話す事を諦める人が殆どいないように、出来ると知っている事はいつかは出来るのです。
今日も、わたくし、出来る前提で色々チャレンジしたいと思います。
皆さまもステキな1日をお過ごしください。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
では、また、お会いしましょう(*^_^*)