サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

悪口を言ってはいけないって本当?自分の正しさを疑ってみると、自分の世界が一回り大きくなった話

おはようございます!

サナブリ真木です。

 

前回書きましたように、愚痴、泣き言、悪口を言わないとことを心に決めて、日々自分と向き合っていたところ、急展開があり、自分が握りしめてカチカチの固定観念に気付くことが出来ました。

 

私の世界はまた少し大きくなりました。

 

今日は、そのことを書かせてもらいます。

 

悪口を言わないと決めると、

自分の中にネガティブな感情が上がってきた時、

この気持ちは、どこから来たのだろう?

と考えるようになりました。

 

相手や環境のせいにできないので、

 

私は何を分かって欲しいんだろう?

どう満たされたいんだろう?

 

自分の心の奥にあるものを覗きこむようになっていきました。

 

それを積み重ねるうちに、

 

自分の本音に気付いては、

自分を許したり、

古い観念を手放したり

 

出来ていたので、これは、めっちゃ手っ取り早いぞ!とノリノリになっていたのです。

 

ですが!

友人の杏ちゃんが、真剣にこう、教えてくれました。

 

真木さん、ケースバイケースだけど、私は、愚痴、泣き言、悪口は言ってもいいと思うよ。

 

私は、頭の中がハテナでいっぱいになりました。

 

どう考えても、100%自分の責任で生きた方が手っ取り早くない??

 

人の悪口言ってる暇があったら、自分の内面と向き合った方がさ、その方が早く本来の自分に戻れるんとちゃうの?

 

もちろん、ケースバイケースだと思います。

 

逆に、なんでも自分のせいにして苦しんでいる人もいると思いますので、

まずは、

親のせいにしてみる

ご主人のせいにしてみる

本音を爆発させる

 

そんな体験が必要な時だって必ずあると思います。

人によるし、タイミングにもよるし、一概には言えない。

 

でもさ、今の私が、

「人の悪口を言わない」

って決めることに、なんの問題があるの??

 

私が、これまで読んできた本、出会ってきたメンター、聖者、覚者、

 

みんながみんな、

「人を判断したり、裁いても何の意味もない。それはやめた方がいい。」

 

と言っていると私は感じていたので、何故、宇宙意識とつながっている杏ちゃんが、こんなにハッキリと、

 

「悪口は、時には言ってもいい!」

 

と言い切ってくるのか、謎すぎて心がとてもザワザワしました。

 

そして、思い出しました。

杏ちゃんが紹介してくれた、さとうみつろうさんの「大天使ワラエル」の動画に、

 

全ての正しさを超えて

 

と書いてあったなと。

 

私はこの言葉が妙に気になっていました。

全ての正しさを超えるってどういうことなんだろう?

 

その日のうちに、本屋さんで、さとうみつろうさんの本「悪魔とのおしゃべり」を買いました。

 

もちろん、これまでもみつろうさんの本を読んだことはありました。

私がファスティング合宿に行くことになった、最初のきっかけも、みつろうさんと二人の先生による食べ物と食べ方の講演会動画を見た事でした。

 

ですが、この「悪魔とのおしゃべり」だけは、悪魔という言葉が、なんとも私を避けたい気持ちにさせていて、どうしても手に取る事が出来なかったのです。

 

ですが、

正しさを超える

ことへの興味が抑えられなくなった私は、早速買って夢中で読みました。

 

内容はというと、とても読みやすく、面白く、心から笑える本でした。

 

その中に悪魔に化けた神様の、こんな言葉がありました。

 

「苦しみ」は、「正しさ」の副作用

人間は、正しさ以外の方法で、苦しむことなど出来ない。

苦しいのなら、必ず「正しさ」を抱えている。

世界には「正しさ」が多すぎるのだ!

疑え!

全ての「正しい」とされていることを疑ってみるのだ。

 

私は、自分が正しいと思っていた事に気付かされました。

 

人の悪口を言ってはいけない

 

このことだけは、どう考えても正しい!

だから、悪口を言っている人は間違っている!

 

私は、正しさという固定観念を手放し、正誤という判断基準から、好き嫌いへと移行したつもりでいました。

 

でも、実際は、

 

また、新たな正しさを握りしめていたのです!

 

この相対性の世界では、善悪、正誤、陰陽、高い低い、軽い重いのように比べる為の両極があり、それゆえコントラストがある。

 

だからこそ出来る体験がある。

 

私達は、それをただ楽しめばいい。

 

私は、また、一つ荷物をおろし、軽くなった気がしました。

 

物事には、色んな面があるのです。

 

色んな見方があり、捉え方があり、常に裏と表

がある。

 

だから、

その一点を捉えて、どうこう言っても、全体を捉える事は出来ないのだなということがよく分かりました。

 

最終的な私の結論としては、

 

悪口は言ってもいいし、

言わなくてもいい。どっちでもいい。

 

好きにしたらいい。

 

決めなくていい。

悪口言う時も、軽やかに縛られず、楽しんで。

そしたら、

言われた人も、聞いた人も、自分も、笑えるようになってくるのかなと。

 

私は、そんな感じがいいなと思いました。

 

これからも、自分を許し続けて

これでいいのだ!

と既にあるものにいっぱい、気付いていきたいと思います。

 

幸せになるとは、既に幸せだと気付く事なのかな。

 

 

まだまだ小さな穴から覗くように世界を見ている私ですが、どんどん見えるものが多くなり、今、自分の世界が広がってきているのを全身で感じています。

 

それは、とてつもなく、楽しいことです。

ワクワクして、ウキウキして、顔が自然にほころんでくるほどです。

自由に、楽しんで、この人生を体験しつくしたいと思います。

 

私のブログも、きっと読み返すと、あっち行ったり、こっち行ったり、深刻になったり、フワフワしたりと、きっとコントラストを思いっきり堪能している感じになっていると思いますが、それもまた良いかなと思っています。

振り返ってみれば、全てが宝物というやつですね。

 

あわただしく、情緒不安定な私ですが、いつも、お付き合いいただきありがとうございます。

 

 

また、お会いしましょう!