サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

娘の「知ってるから教えなくていい」は案外深かった。

 

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

秋ですね。

ブロックが外れると、何かしら上がってきますね〜。やっぱり秋分て、すごい変容の時なんですね。

次から次へと、何かしら感じる今日この頃です。

 

それにしても、素直に、子供みたいに生きるって、意外と難しいですよね。

 

昨日のことです。

私は、自分がいかに無理して大人になろうとしていたかを、またまた知ることになりました。

 

未熟でも自分らしさを大切に、等身大の自分で生きようって思ってたんですが、やっぱりまあ、癖がすごい。

 

 

何でも分かってて、

何でも笑い飛ばせる。

 

そんな自分になろうとまだまだ、どっかで頑張っている事に気が付きました。

 

娘のはるのが、少し前から

何を言っても、強めに

「知ってる!」

って言ってくるようになりました。

 

はるの     「この字なんて読むの?」

私             「焼酎ーしょうちゅう」

はるの      「知ってる!」

私             「自分で聞いたんやろが!」

 

こんな事がしょっちゅうあり、私は、ちょっとイラっとしていました。

 

そんな中、前回も書きましたが、なんやかんや言って、主人に腹を立てていた私は、

主人を許せない自分を許す

ことにしました。

 

自分の中にあるものを投影しているだけなので、主人に怒っても仕方がない。

でも、最近は、そんなに深く考えず、感じるままに素直でいたらいいのかなと思うようになっていました。

 

その割には、誰が見ても分かるくらいに、私からは怒りが漏れ出ていたんでしょうね(´;Д;`)

 

「みのっさんてすごい人やで。みのっさんの事をもっと認めた方がいいよ。」

 

というアドバイスをちょこちょこもらっていました。

 

しまいには主人まで

「俺をもっと認めた方がいいよ。」

とアドバイスしてきました。

(殺したろか!\\٩(๑`^´๑)۶////)

 

私が、主人を恨む事になった理由は、ざっと数えても150個くらいあります。

 

でも、昨日、何故自分がこんなに怒っているのか、やっと自分の本当の気持ちが少し見えてきました。

 

それは、とにかく私のハートが傷付いていたからなのです。

 

主人から言わせれば、

「俺の方が傷付いてるわ!」

となると思いますが(⌒-⌒; )

 

 

もちろん、これは、私のストーリーですので、主人が、

「真木にされた事」を書いたら、涙無しでは読めない前後編の分厚い本になる事でしょう。

 

分かる人には分かっていただけると思うのですが、人によっては、思いっきり自分にストレスをかけて圧縮して、一気に爆発させて進化成長するタイプの人もいるみたいなんですね。

 

主人は器が大きいので、どこまでいっても辛抱強く、なかなか爆発しないのです。

ですから、圧縮中は、闇が深く、嫌なオーラが出ていますので、私はそれに耐えられず、色々勘違いしては、傷付いていたのです。

そして、それは、今も進行中です。

 

(今の時代、圧縮しないで、目覚めることも出来るのでは無いかと、私は思ってしまいますが、主人はドMグセがあるようですね。こればかりは魂の選択ですから、私が決められることではありませんからね( ˘ω˘ )) 

 

私は横で、

「オイオイ!どこまで行くねん!」

とオロオロしながら、自分のおちょこサイズの器をすぐに満たしては、2週間くらいの周期で溢れさせ、ぎゃあぎゃあと、暴れまわっていたという感じでした。

 

主人にしたら、2週間ごとに、嫁に謎の決断を迫られ、いったい何を決めたらいいのかよく分からず、たまったものではなかったと思います。

 

そして、私が昨日気付いたこと。

それは、

私は傷付いていた

ということです。

 

ただ、私は私で、自分が出した波動を体験しているだけなのですが、大きな勘違いをし、とても傷付いていたのに、その事にかなり長い間、蓋をしてきたのだなと思ったのです。

 

何故、怒っているのか?

何故、怒りが収まらないのか?

それは、もちろん、相手が悪いからでも、相手が変わらないからでもありません。

 

自分が、その傷を無いもののようにしてきたからなんだと思うのです。

 

大人の都合で正しい枠に当てはめて、納得させようとされたので、

私の中の子供の私(インナーチャイルド)が怒っていたのです。

 

宇宙の法則を知って、こんな問題を抱えるはずはないという、勝手な思い込みにより、自分の痛みに気付かなかったのです。

 

昨日、シャワーを浴びていた時、ブロックが外れて色んなものが流れていったのか、自分の中にいる、分厚いオカッパの子供が、三角座りして、悲しそうな顔をしているのが見えました。

 

うんざりしたような、なんとも面白くなさそうな顔でした。

 

私は、こういう場合どうしたらいいんやったかな?と考えを巡らせました。

 

でも、頭で考えて、解決法を探したり、無理にネガティブを抑え込んで、無理やりポジティブな気持ちに持っていこうと散々してきたからこそ、その分厚いオカッパの子供が怒っているんやなと感じました。

 

その分厚いオカッパの子供の顔を見ていると、なんか涙がでてきて、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

 

とりあえず、

解決しようとしないことも大切やな 

と思い、

ただ、その痛みを感じてみました。

 

しばらくあるがままにしていると、次第にスッキリし、

優しい気持ちになれたのです。

 

そして、この体験は宝物やなと思いました。

 

私は、何でもすぐに解決しようとして、あの手この手を考えてしまいますが、

本来、

解決しなければならない問題など無い

のだなと感じることが出来たのです。

 

在るのは、自分が感じた事だけ。

 

その感情を良いとか、悪いとか、正しいとか、間違ってると、判断する事で、複雑にしているなと。

 

私は、いつも、苦しんでいる人を見たら、何か良い事を伝えようとしていました。

 

何か、クリアになるお手伝いが出来ないか?と頭を働かせていました。

 

これは、正に、自分が自分にしてきたことです。自分にしているようにしか、人にも出来ないんですもんね。

 

でも、本当は感情に良いも悪いも無いのですから、教えることなんて本来何も無いのです。

 

ただ、一緒にいて寄り添えばいい。

感じたいことを感じればいい。

それを自分に許すこと。

 

そうすれば、また立ち上がりたくなるし、起こるべき時に起こるべきことが起こるのかなと。

 

なるほど〜。だから

娘のはるのが、私に

「知ってる!」

ってしきりに言ってたんやなと思いました。

「私は自分の事を知ってる。だから、教えなくていい。」

って伝えてきていたのです。

 

それから、私も、

もう自分に教えなくていい。

無理やり学ばなくていい。

私は知ってるから。

シンプルに、自分だけ見てたら、早いのかなと感じました。 

 

そして、未熟でいいかなと。

私には、色々と発信する人になるという願いがあるので、自分がもっと成長し影響力のある人になりたいと思っていました。

 

すぐに完璧を目指してしまいますが、でも、

未熟だからいいんじゃないか!

と思いました。

 

完璧な人を見て、人は、はたして、勇気が湧くだろうか?

未熟でも、デコボコでも、楽しんでチャレンジしているからこそ、

失敗しても、元気よく立ち上がるからこそ、

人の心に届く場合もあると思ったのです。

 

何をやるにしても、下手くそでも、不器用でも、突っ込みどころが満載でも、

魂の声、魂の叫びのバイブレーションは、必ず届くべき人には届くのではないかと思ったのです。

 

 

自分が出来る事、自分にしか出来ない事は、人と比べていてはきっと、分からない。

 

なので、そろそろ、勇気を出して、サナブリ真木第2章(第3章?)をスタートさせたいなと思っています。

 

それは、

もっとシンプルステージです。

 

デコボコ真木のお話会など、また企画して、やりたいことにチャレンジしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします!

 

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↑何でも知ってるはるのさん

 

 

 

真木さんならできるよ!

 

うん!知ってる!