サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

何故、こんなに長い間、私は食べる事への執着に苦しんだのか?やっとその答えが分かったような。

こんにちは!サナブリ真木です。

最近とっても寒いですね。皆様いかがお過ごしでしょうか?

わたくし、最近、自分のパソコンを買いまして、やっとパソコンでブログが書けるようになりました!

なんと!わたくし、今まで3000文字のブログ携帯で書いてたんですよ(*_*)

これから、どんどんPCならではのテクニックを使っていきますのでお楽しみに!☚どういうこと?

 

現在、私は、毎日サナブリのリニューアルの事を考え過ごしています。

そこで日々感じることが、創造するってめっちゃ楽しいなぁ(*^^*)ということです。

時代は変わっていくし、人間は必ず成長していくので、きっと変化の時というのが必要なんですね。

私は何故か、ものすごくノリノリで今の自分に必要なものを選び直し、それ以外のものを手放す準備を進めております。

ついでに断捨離をしようと思い、家にあるもので必要なくなっているものを探しては、捨てるということを繰り返しています。

私の場合、身の回りにものがごちゃごちゃしている時は、必ずと言っていいほど、頭の中がごちゃごちゃしています。

とにかくスッキリ身軽が一番だと思い、入れない!溜めない!を頑張っています。

 

後は身体に溜まった毒素や脂肪を断捨離出来たらホンマ最高やなぁと思う毎日です。

 

そこで今日は、

何故私がこんなにも、毒素と脂肪を溜め込むことになったか

について書きたいと思います。

いや!真木さん、それはどうでもいいわ!と思われた方も多いと思いますが、これは本当にとても大切なエッセンスが詰まった話ですので、ぜひとも最後まで読んでいただけたらと思います。

 

私は5人兄弟の2番目として生まれ、兄弟の中でも食べる事への執着が何とも異様な子供でした。

いつもいつも、冷蔵庫を開けて母に「何か美味しいものない~?」と聞いていました。

私の母は、その時期、特に自然食品や、身体に負担をかけない食べ物を選択していて、

「はい、美味しいもの」と言って、梅干しの赤ジソをご飯に少しのせて差し出してきました。

 

子供の私が求めていた甘いものや、カラフルなお菓子などは、全く家にはありませんでした。

 

食事は玄米と、野菜が中心で、少しの肉と魚、おやつには、母がさつまいも入りの蒸したまんじゅうや、はったい粉を練ったもの、たぬきドーナッツなる謎のお菓子をよく作ってくれました。

 

ケーキやパンやレストランで食べるようなスパゲッティやグラタンに、私は憧れ、その想いは日に日に強くなっていきました。

5歳になった頃、私は「もうこれは自分で作るしかない!」という並々ならぬ決意をし、料理人生が始まったのでした。

その後、お小遣いをもらうようになると、母に隠れてお菓子やジャンクフードを買うようになりました。

高校生になると、アルバイトして稼いだお金で、すごく外食するようになりました。

 

どれだけ食べても満たされず、いつも食べる事ばかり考えていました。

 

高校生の時初めて彼氏が出来たこともあり、その頃から、太ることへの恐怖心と、母に内緒で粗悪なものを食べている後ろめたさから、食べる事に罪悪感が付きまとうようになりました。

 

罪悪感を感じれば感じるほど、私の食べる事への執着は抑えられなくなっていったのです。

社会に出て、働くようになると、様々なダイエット、食習慣の改善、食事療法などにも挑戦しました。

何十種類も試したと思います。

一定の結果は出るのですが、その後、必ず反動でリバウンドが起こり、罪悪感はどんどん私を蝕んでいったのでした。

私はとにかく太ることが怖くて仕方なかったので、長い間、痩せさえすればきっと満たされて幸せになれるだろうと思ってきました。

ですが、今考えると私の悩みの原因は、太っていることではなかったのです。

私が苦しかった一番の原因は、自分の身体に一致感が無かった事だと思います。

要するに、

今の自分が本当の自分ではないこと

が苦しくて仕方なかったのです。

太っていようがガリガリだろうが、本当の自分を表す身体ならば、必ずそこには一致感があると思うのです。実際にどんな体型でも自分の身体が好きな人も沢山いると思います。

 

顔や声や仕事や役割もそうだと思います。

どんなものであっても、本当の自分のそれならば、やっぱり一致感があるのです。

 

何か違和感がある。好きになれない。どうしても許せない。

 

そう感じるとしたら、それはきっと何らかの魂からのメッセージなのではないでしょうか?

 

 

私はとうとう、食べても食べても、どうしても満たされなかった、その理由を知り、そのことを心底理解し、満たされるという体験をし始めることになりました。

 

その理由とは、食べ物を物質として食べていたことによるものでした。

私にとっての食べ物は、口を喜ばせるものであり、カロリーであり、栄養であり、私を焦らせ苦しめるものでした。

 

でも私が本当に欲しかったのは、

物質としてのエネルギーでは無く、愛としてのエネルギー

だったのです。

 

私は愛のエネルギーを全身全霊で欲していたので、とにかく食べて食べて食べまくりましたが、愛として身体に入っていないので、足りない!足りない!といつまでたっても心が叫んでいたのです。

 

私がこのことを実感できたのにはいくつか理由があるのですが、ひとつは、

身体に良いものでは無く、愛のあるもの(心を込めて丁寧に作られているもの)だけを食べようと決めたことです。

それを感謝して味わって食べるようにしていると、顕著に満たされ具合が変わるなぁとはっきりと分かってきたのです。(今更何を言っとんねんという感じですが( ;∀;))

どうしても、どうしても、自分の食事には、手間暇をかけられず意識的になれなかった私は、ここまで来てやっと「何をどのように食べるか?」という食べ方は、生き方そのものだということを理解したのでした。

 

そして、もうひとつ、大切なことを思い出したのです。

母がよく作ってくれたおにぎりの事です。

小1の時、私は熊本の山奥の小学校に通っていました。

徒歩で50分ほどかかるため、土曜日だけ母がおにぎりを持たせてくれました。

それは、す~っぱい梅干しが入った特大の丸いおにぎりで、紫色の海苔がガバーっと巻いてあり、いつもアルミホイルにぎゅうぎゅうに包まれていました。

 

そのおにぎりの美味しいこと!

私にとっては、世界一美味しいおにぎりでした。

あれよりも美味しいものがあるだろうか?と最近よく思うのです。

きっと母が、私のために愛を込めて作ってくれたからだと思います。

山道を歩きながら母の愛情たっぷりのおにぎりを食べた時、私は本当に心から満たされていた・・・・。

 

あれこそが愛のエネルギーを身体に入れるという事ではないかと思ったのです。

 

食べ物だけではありません。私達は本当に多くのものを欲しています。

お金、もの、刺激、人間関係・・・。

でも本当に心や身体が求めているのは、愛。

愛があるものでなければ、どれだけたくさん所有してもやっぱり満たされないのです。

 

なので私は、心も身体も満たされる、おかんのおにぎりのようなものを提供できる店が出来ないかと思っています。

 

働きながら子育てしているお母さん達が、本当に疲れていたり、時間が無かったりする時に、子供に安心して食べさせられる、イノチが喜ぶごはんを提供出来ないかと思っているのです。

店で食べるだけではなく、

お母さんの代わりに、真木さんが愛を込めときましたよ!

というお惣菜やお弁当が販売出来ないかと現在、試行錯誤しています。

これからは、本当に食べものを通して愛を発信していきたいと思っています。

 

最後に、結論です。

私が何でこんなに、毒素や脂肪を溜め込むことになったのか?

 

今の私の答えはこうなります。

 

私が、食べ物から愛をいただいているということを知り、その事を体験する為

 

私の周りには愛のある食べ物(答え)があったのに、私はず〜〜っと違う場所を探していたという事です。

私はイノチが喜ぶ本物の食べ物を作る(自分の役割を生きる)為に、本物の食べ物とは何か?を知るという私にしか出来ない体験をさせてもらったのでは無いかと思うのです。

 

本物を知る為には、

本物では無いものを知る必要があった

ということです。

 

悩みの真っただ中にいる時は、本当に苦しいし「なんで私はこんな事も出来ないの?」と思います。

でも、きっと自分ならではの役割を生きた時、「なるほど。私はこのことを知る為に、必要な体験をさせてもらったのだなぁ」と妙に腑に落ちるのではないでしょうか?

 

思いっきり痩せて別人になってから書きたかった内容ですが、頭をよぎったらすぐに言いたい私・・・。残念。

 

ホンマに別人になったら、本でも出します。

 

「サナブリ真木のこれで最後のダイエット!心が満たされれば身体は変わる!~恐るべしおかんのおにぎりのパワー~」(はらぺこあおむにていつか発売)

 

今週の26日は、aweakning cafe  を開催します。まだまだデッカちゃんな真木さんですが、よろしければ会いに来て下さいませ!

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では、皆様、最後まで読んで下さってありがとうございました!

またお会いしましょう!(^^)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年春 サナブリのリニューアルを考えています。

明けましておめでとうございます。サナブリ真木です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

いつの間にか、ドイツから帰って来て、1か月も経ってしましました(;''∀'')

「帰って来たら報告しま~す」とか言いながら、音沙汰無しで申し訳ありません!

 

「真木さんドイツで何かあったん?」と思われた方もおられるかもしれません。

何かあった事は間違い無いのですが、何をどう話せば良いか分らぬまま、年末の忙しさに埋没しておりました( ;∀;)

思い切って飛び込んだドイツでの学びの旅でしたが、本当に素晴らしい体験をさせていただいたと思います。

とにかく沢山の気付きをいただきました。

様々な学びの中で、ひとつピックアップしてシェアさせていただきますと、ドイツでいただいた食事は、飲食店を経営する私にとって、大きな衝撃を受けるものでした。

滞在中は、ずっと、ラクベジタリアン用のオーガニック食を1日3食、アシュラムの中にあるダイナーズでいただいていました。

毎度、本当にシンプルで、サラダなんかは、1種類の葉物に自分好みで、醤油と塩、オリーブオイルをかけるだけのものだったり、ある日のランチは、野菜のハーブ煮込みとクスクスだけだったりと、全く彩や飾り気など無いのですが、食べると感謝が湧いてきて、じんわり満足するという不思議な食事でした。心も身体も満たされ幸せを感じる・・・。

何故そのような食事が用意出来るのか?私は、

「これは、決して作る人の技術や知識のなせる業では無いなぁ」

と感じました。

食べた人が美味しく感じることや、やみつきになることを目的に作られた料理ではないからです。

そして、もちろん、自分の技術やセンスを認めてもらうために作られたものでもありません。ですから本当に素朴なのです。

きっと、神様に、それから食べてくれる目の前の人に、そして食材達のイノチに感謝して、ただ捧げる事を目的として、祈りと共に作られているのだなぁと感じる...そんな料理ばかりだったように思います。

写真はカフェのスイーツです。

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私には、ダイナーズで働く人達が、一人残らず、とにかく素で、効率の良さや、生産性を価値基準とした、優劣や正誤の判断の中にはいないように見えたのです。

 

やはり、どうやって行うのかよりも、

 

何の為に行うのか?

どんな存在として行うのか?

 

そのことを大切にしたいと強く思ったのでした。

 

今月もaweakning cafeを行います。

2か月ぶりの開催になります。ドイツでの気付きや、最近また新たに要らなくなって自然と落ちていったこと、決意して手放したこと、などなど、等身大のわたくしの素の状態でお話しさせていただけたらと思っています。

この手放すというのは、本当に奥が深いですね。でも執着を手放せば、必ずそのことから自由になれる。この体験は本当に私の生き方を大きく変えてくれました。

ぜひ初めての方も気軽に聞きに来てください!

テーマ:苦しみが平和に変わる【手放して自由になる】

日時:1月26日(金)15:00~17:00

場所:cafe sanaburi

料金:2500円

ケーキセット付になりますので参加される方はご予約をお願いいたします。

皆さんにお会い出来るのを楽しみにしております!

 

さてさて、タイトルにもありますように、わたくしサナブリ真木は、現在cafe sanaburiをリニューアルしようと考えています。

理由は、自分自身が次のステージに進みたいと思ったからです。

元々、サナブリのコンセプトは、

地元の良いものを紹介し、地元のより多くの方に喜んでいただく。

感謝を通して、地元を元気にする。

というものでした。

そのコンセプトに沿った店を作る為、手作りにこだわりながらもスピードや効率も重視し、薄利多売で回る仕組みを作る為の営業時間、メニュー、スタッフ構成を考えていました。

ですが、昨年、経営方針を、

すべてのものに愛を込める

に変更することを決めました。

 

それからは、どうしたら愛が込められるのか?

どうしたら本当に身体も心も元気になれる商品やサービスが提供出来るのか?

そのことばかり考えてきました。

そして、今あるものをそのままにして、コンセプトを変えるのは不可能だという結論に辿り着きました。

 

どう考えても、コンセプトから切ってすべてを決めていかなければ、何もかもがチグハグになってしまいます。

チグハグは、本当に迷いを生み、無駄なエネルギーを使うことになるなと感じたのです。

よくあることだと思いますが、目の前にある現象的なことに囚われていると、いつの間にかここはどこ?という場所に辿り着いてしまったりするものですよね。

 

以前私にはこんな事がよくありました。
「今日こそは、やせる為に8:00には家を出てウォーキングするぞ!」と決めていたのに、子供がなかなか起きてくれず、バタバタしているうちにだんだんイライラしてきて、何とか学校に行かせたものの、子供が時間切れで残した朝ごはんのホットケーキが無償に気になってしまい、どうせ食べるならより美味しく!と冷蔵庫に蜂蜜を取りに行ったら、昨日もらったお饅頭のことを思い出してしまい、いつの間にかワイドショーを見ながら神妙な顔でお茶とお饅頭を食べていたりしたのです!

 

もし、私が

「愛を込めるとは言ってもな、、、今の店の家賃と今の従業員の給与を払わなあかんから、まずは売上を上げないと話にならへんし、せっかくここまでやったんやから、今あるものを使わな勿体ないしな、そうなると、やっぱり、利益率を上げんといかんな。何か安く出来て、早く出せて、うまい!ものは無いもんかいなぁ~。」

などとい言っていると、最終的に余った時間で愛を込めようとしたり、いかに効率よく愛を込めるかを練習し出したりというような、「ところで一体何がしたいの?」という状態になってしまうのです。

 

結局、何がしたいのか?

そのためならどこまで手放せるのか?

これこそが結果を決める1番の要因だと思うのです。

 

このことが、明確に強く決まっていればいる程、そこに力強く近づいて行けるのではないでしょうか?

ですから、私は、サナブリを1度壊してコンセプトから作り直したいと思っています。

人は創造を繰り返して成長すると言いますが、創造するためには、必ず破壊が必要です。

 

一流の陶芸家の方が、十分高値で売れると分っていても、今の自分が納得しなければ、すぐさまその作品を割ってしまうように、昨日の自分を超えていく為なら、躊躇無く他のものを捨てなければならないなという思いが、だんだん湧いてきたのです。

 

安定や保証を求めて流れる水をせき止めると、たちまち水は澱んで濁ってしまいます。何にしてもサラサラと溜めこまない体質を目指したいと思っています。

 

これは、本当にまだまだですが"(-""-)"

 

今の私が本当にやりたい店は、

 

食ベてくれる人が

心から安心できますように。

笑顔になれますように。

元気になれますように。

幸せになれますように。

と祈りながら作ったものを、祈りと共に提供できる。そんなレストランです。

 

今は、そのことが何よりも大切ではないかと思っているのです。

 

食べる事は生きること。

イノチをいただくということ。

それは、愛をいただくということ。

その食事を作らせていただくのに、祈らずに行って良い筈がない。

 

その為にどこまで手放せるか、これから挑戦したいと思っています。

自由に、伸び伸びと、楽しんで、サナブリシーズン2を創造していきたいと思っています。

今の目標は4月中旬頃ですが、また何か決まりましたらお知らせさせていただきます!

 

(もし、リニューアル後にサナブリがあんまり変わってなかったら、私の肩をポンポンと2回叩いた後、私の目を見て頷いて、「ドンマイ」と言って励まして下さい( T_T)\(^-^ ))

 

では、皆様2018年もサナブリを西木家ともども、どうぞよろしくお願いいたします!

ありがとうございました~!

 

またお会いしましょう(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日からドイツのフランクフルトに行ってきます!

こんにちはサナブリ真木です。

わたくしサナブリ真木は、明日11月28日の早朝から、8日間、ドイツのフランクフルトにあるアシュラムに行って来ます。

 

主人がインドに行くと言う2、3日前に、馬渕さんを通してメッセージをいただき、私がドイツに行かせていただく事が決まりました。

 

店をそんなに長い期間あけた事が無く、子供と2日以上離れた事が無かった私にとっては、ドイツ行きは少し勇気がいる決断でした。

 

ですが、私は、今に在るという生き方を目指すようになってから、準備が整ったら行動するのでは無く、例え足場が見えなくても、流れが来たら、一歩を踏み出すようにしてきました。

 

その結果、当たり前の事かもしれませんが、全く想像しなかった今が展開されています。

 

2017年11月は、私達西木家にとって忘れられない月になりそうです。

 

主人がインドから帰ってきて、数日たった時、娘が2人とも体調を崩しました。

 

主人も疲れが出たのか、発熱を繰り返していたし、私も色々と変化の時で、私達家族は多少疲れていました。

 

その中でも長女の夢乃は、喘息発作が重症化し、入院する事になりました。

喘息の発作がハッキリと出たのはこれが初めてでした。

 

今は、すっかり回復し、3日前に退院することが出来ましたが、子供の入院は24時間保護者による付き添いが必要だった為、私は主人と交代で病院と店を往復する事になりました。

 

不思議なもので、そんな生活の中でこそ気付かせていただく事がたくさんあり、これも全ては宇宙の恩恵なのだなという確信と共に感謝の気持ちが育っていくのでした。

 

私は今まで、嬉しい事、楽しい事、成長できた事には、素直に感謝出来ていました。

でも、思い通りにならない事、悔しい事、悲しい事、許せない事には、どうしても、何とか無理してでもポジティブに捉えようとする癖が染み付いているという事に気付かせていただいたのでした。

 

今回のこの経験により、自分に起こった事、自分に起こってくる感情を、良いとか悪いとか判断せずに、無理してコントロールしようとせずに、ただ眺めておくということの意味が少し分かったような気がしました。

 

怒っている自分、痛がっている自分を、ただ眺めておく。

 

今、起こっている事は、自分が他でもない自分の意識状態により作り出した現象である。

そして、この現象は、現れた事で終わって行くのだという確信と共にただただ、眺めておく。

 

判断せずに…。

 

この事を心掛けているうちに、だんだん、

本当に何とかしなくていいんだなぁ

という事が感じられるようになってきました。

 

本当に、全ての事に意味があり、全ての事が恩恵なんだと思います。

 

何をどう受け取るか?

それは、その人の意識状態にかかっています。

 

そのままを受け取れる自分でありたい、

何があっても宇宙の愛だけを受け取れる自分でありたい

そう強く思った1ヶ月でした。

 

このタイミングでドイツに行く事は、私の生涯の中でもきっと大きな意味のある、忘れられない体験になるだろうと思います。

 

店は主人とスタッフにお任せし、子供は子供自身と家族ににも協力してもらって、ドイツで最高の体験をしてきます。

 

また、帰ってきたら報告させていただきます。

それでは、皆様、行ってきま〜〜す!

またお会いしましょう!

グーテンターク(´∀`)! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで来てやっと気付かせてもらった、私の大部分を占めていたエゴ

おはようございます!

サナブリ真木です。

 

今日は、これまで、いらない荷物をおろして、軽くなったな〜!と思って生きていた私が、自分の認識していない所で、思いっきり握りしめていたエゴについて書きたいと思います。

 

それは、前回も書きましたが、

「母から無条件にもっと愛されたい」

と願う、愛への渇望に起因するものでした。

 

その事に気が付いた私は、毎日毎日、驚くくらい自分の言動が純粋な発露ではなかった事に気付かされています。

 

私が、これこそ愛だと思っていたもの。

それは、実は

人を喜ばせたい

という愛とは何の関係の無い、エゴそのものだったのです。

 

一見この、人としてノーマルにも思える感情は一体どこから来ているのかということです。

 

それは、私自身が愛されたいという飢えからきていました。

 

これこそ私の長所だと思っていた、

サービス精神、

スピーディなレスポンス、

人を笑わせる事

責任感

 

沢山の事が、人を喜ばせたい一心で行われてきたということです。

これは本来、とても不健全な事です。

本来の自分の純粋な発露に蓋をして、人の為に、自分を殺して行われてきたこととも言えるでしょう。

 

私は、明らかに人の顔色を見て、好かれる為の行動、自分が傷付かない為の行動をしている人を見て、

「この人は、自分の人生を生きていない。自分の発露こそを大切にしないと。」

と思っていました。

 

それなのに!正にそれは私自身の事だったと分かったのです。

 

これを知った時には、結構な衝撃がありました。

不安を源にして生きる事をすっぱり止めたつもりでいたのに、大きな爆弾を抱えていた事が分かったのです。

面白い事に、その事が分かってから、私は色んな事が急に出来なくなりました。 

 

サービスの仕方や、スピーディなレスポンス、楽しいおしゃべり、責任感のある行動を取ることが怖くなりました。

 

自分がやっている行動、言動、一つ一つに疑いが生じたからだと思います。

 

私のパワーの源であった、

喜ばせたい

という気持ちが萎れてくると、脆く、疲れやすく、怒りっぽい、蓋をしてきた自分が顔を出したのでした。

 

私は、急にイライラし始めました。

そして、急に、私の言葉は人に伝わりにくくなり、更にイライラは募りました。

 

自己信頼が減り、何が何だか分からないと言った心境でした。

 

何とも、ダイナミックにぶっ壊れたという感覚でした。あまりにも早く現象化していく事に、得体の知れない怖さも存分に味わいました。

 

ですが、

やはりこれこそが、

神様からのプレゼント

だったのです。

 

私は、自分の力ではどうにもこうにもならないくらい、八方塞いでももらった事で、本気で祈る事を始める事が出来ました。

 

「神様、どうか私をお使い下さい。私が神様に本当に使ってもらえるように、痛みを終わらせられるよう見守っていて下さい。」

 

と強く願うようになりました。

 

私は、きっとこのブログをサービス精神により書いてきたのだと思います。

 

読んでくれる人の期待に応えたくて、間口を広げたくて、なるべく、誰からも受け入れられたくて不純物も、きっと沢山混ざっていた事だと思います。

 

私の毎日の暮らしの中にも、不純なものが沢山あり、スイッチがONの時とOFFの時の差は、私を潜在的に苦しめていました。

 

 宇宙の一体性を学びながら、この世の中でこそうまくやる、そんな良いとこ取り出来ないものかと心のどこかで思っていました。

 

人の世でこそ成功したいという、強い思いがあったのです。

みんなに認められてこそ、本物だという思い込みもあったと思います。

 

ですが、この体験により、「私が愛されたい」という発露を捨て、本当に普遍意識の通り道にならなければ、本当の仕事など出来ないのだという事を改めて教えていただいたのでした。

 

私が学んでいる事は、宇宙から価値を得ましょうという話ではありません。

ただ宇宙に捧げましょう。

という話なのです。

 

これからは、

人にサービスする為ではなく、

人を喜ばせる為でも無く、

ただ、神様を喜ばせる仕事をしていきたいと思います。

 

その為に変えなければならないことは、沢山あります。

やめなければならない癖も沢山あります。

傷付けること、壊れること、まだまだ怖い事も沢山あります。

日々、どの瞬間も選択を迫られると思います。

 

それでも、私はやはりこの道しか無いと思っています。

今、きっと人類は変容の時にあるのでは無いかと思っているのです。

気付いた人から変わらなければ、地球が保たないのでは無いかと思っているのです。

 

今、私の激しい壊れっぷりを、主人が大きな愛で、眺めてサポートしてくれています。

 

これまでは、私達夫婦は、肝っ玉母さんと出来の悪い息子のように現れていましたが、今は私が激しく脆い子供のようになり、主人は男らしく頼り甲斐が出て来て別人のようです。

本来の私達の形に戻りつつあるようです。

 

これからも、一歩一歩、丁寧に進んでいきたいと思います。

 

11月24日は、サナブリでaweakning cafeを行います。

 今回のテーマは、

今に在るという生き方

です。

今回は、正に今に在るを体験しに行った主人にインドの話をしてもらおうかと思っています。

 

私からも、このぶっ壊れ体験を通して見えてきた、本当に今に在るとはどういう事なのか?

ということを皆様と共有させていただきたいと思います。

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サナブリのスイーツを食べながら、本気で自分と向き合い、本当の自分と出会う、そして、それは自分ではなく神の一部としての自分なのだと気付くという、宇宙の真理を共に学びましょう。

 

ピンときた方は、ぜひご参加下さい。

 

今日も1日感謝して過ごしたいと思います。

またお会いしましょう。

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人がインドに行って1週間がたちました。私にも色々と変化があります。

こんにちは!
サナブリ真木です。
主人が日本を発って1週間が過ぎました。本人が10日間の旅だと言っていたので、そう思い込んでいましたが、よく数えてみたら12日でした!!
結構行くのね(*゚∀゚*)

主人はインドの田舎にいる為、ネットがあまり繋がらないようですが、ちょこちょこラインで日記のようなものを送ってきます。

一部を抜粋するとこんな感じです。

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11月1日の出来事
午前中、同じ宿泊客であるオーストラリア人ファミリーと近くの集落を散策に出かける。村を抜けて田んぼの畦道を歩くこと2時間半。
午後は原始的なマーケットに連れて言ってもらい、サンダルを買う。そしてサリーは買わされる。
カレー三昧と覚悟していたが、未だ食べていない。
2日の朝、乗るはずの列車は、大幅に遅れており、着く頃には7時間くらいの遅れになると宿のオーナーが断言している。今日はどんなガイドがサポートしてくれるのやら。

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11月2日の出来事
宿の送迎車とバスでなんとか夕方にバスター県のホテルに到着。危ないから出歩くなとガイドブックには書いてあるが、夕飯探しに出かけてみる。親切な若者が店まで送ってくれると言うので乗ったバイクは、人生初のノーヘル3ケツ。でもインドでは4ケツすら驚かない。
スマホは宿でしか使えない。
英語も上手ではない。
いろんなものが削がれて行くことに不安だったが、常にちゃんとサポートがあることは感じている。
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11月3日の出来事
ホテルに頼んだタクシーで、午前中は地元では有名な滝へ、午後は民族博物館とバスター村へ行く。バスター村については、みんなから散々行く意味がないと反対されてなかなか行かせてくれない。
でも午前も午後も、頼んでないのにドライバーが寄ってくれた場所に運命を感じた。そして旅で初めてメッセージもあった。やはりここに来ることになっていたのだと、恩恵を感じる。
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11月4日の出来事
午前中はヒンドゥー寺院へ、午後はビーチへ行く。夕方からはもう一度スマホのネット接続に挑戦しに店に行き、3時間かけて繋いでもらえた。これでかなり旅がしやすくなった。
早速今夜のコルカタ泊の安宿をネット予約。700円の宿は想像以上に酷くて絶句したまま床に着く。まあ普通の宿よりは話のネタになると思うことにする。


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みのっさんが、インド人とノーヘル3けつ!!
想像すると少し笑える(´∀`*)

無事に、旅を満喫しているようです。
このインドへの1人旅は、主人にとって、計り知れない価値があるに違いないと感じます。

何故ならば、きっと、主人にとってインドは、要らないものが削ぎ落とされる最高の場所だろうと思うからです。

自分の人生を生きる為に必要な事は、そんなに多くないのに、いつの間にか、私達は、沢山のものを握りしめていました。

手放せないものだらけになっていました。

これを認めたら、これが無くなったら、私が私では無くなってしまうんではないか?
無性にそんな気がして必死でもがいていました。

でも、意外にも、
足し算の生き方から、引き算の生き方に変えた途端、私も主人も本当の自分に出会い始めたのです。

主人はきっとインドの田舎の畦道を歩きながら、生きている事とその事に対する喜びを実感していることと思います。

私もつい最近、まだまだ握りしめているものが沢山あるのだなぁという体験をしました。

それは、何故私がこんなに「愛」にこだわっていたのかに気付く良い機会になりました。

その体験とは、実は、私自身が
「条件無しの愛にすごく飢えている」
という事を知るという体験でした。

私の両親はとても真面目で誠実な人です。
特に母は、エゴがとても少ない人です。

なので、私は兄弟全員が絶対的な母性により受容されて育ったと思っていました。

惜しみなく愛された事は間違い無いのですが、そのようにして育つ過程で5人兄弟という事もあってか、幼かった私は何かの勘違いをしたようで、足りない、もっと愛されたいと魂に刻み込んだようなのです。

もっともっと!
まだまだ!
頑張れば、必ず特別に愛される私になれる!


と信じて走り続けてみて、

その不自然さに気付き、手放す事にフォーカスしている今も尚、絶対的な受容を求めて止まない、強くて脆い私がいる事が分かったのです。

何故、私がこんなに、愛になりたかったか?
それは、


私自身が愛されたかったから

という事です。

この事を私は認識していませんでした。

愛への渇望をハートで理解した時、急に涙が溢れ、本当に子供のように泣けてきたのでした。

それから、また一段、自由になる事が出来ました。

愛に飢えていた事で、
意識的に集中して食べる事が出来なかったり、
言うべき事が言えなかったり、
また言わないでいい事を言ってしまったり、
深く内側にアクセスせずに動いてしまったり、
そんな浅はかな自分を責めていた私は、また少しずつ変化し始める事が出来たのでした。

こうして、もうこだわりも理想も、本当に無くなってきたな〜〜。と思っていても、更にまだ握りしめているものが後から後から出て来ます。
まだまだ、これこらも、どんどん、身軽になっていくのだな〜と感じたのでした。

この事を分からせてもらえたのは、間違い無く、主人の変化による恩恵です。

主人の準備が出来たどころか、私を追い越して行ったので、私もまた子供に戻って大きな荷物を下ろす事が出来たのだと思います。

嫌われない為では無く、
愛される為でも無く、

私は私を生きたいと思います。


それは、自分と宇宙との一対一の関係に、どこまでも誠実に、どこまでも真剣に生きるという事です。

それだけが、いただいこのイノチを燃やす唯一の方法だと私は思っているのです。

主人が帰って来たら、また報告させていただきます。

今日も読んで下さってありがとうございました。
また、お会いしましょう!

ナマステ〜〜!

旦那が急に「インドに行く」と言い出した!

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

人生は、何があるか分からないと言いますが、最近、なかなか驚くことがありました。

 

それは、主人が、急に「インドに行く」と言い出した事です。

 

それは、突然やってきました。

最近、主人は急激に不安を手放して、すごい勢いで自由になっていました。

 

そして、一気に頭が静かになり、普遍意識からのメッセージをダイレクトに受け取るまでになっていたのです。

 

思考に思考を重ねて、慎重に物事を決めてきた主人が、半信半疑ながらも、内側から溢れるものを発露とし始めたのは、本当に感動でした。

 

人ってこんなに変わるんだなと笑ってしまうほどでした。

 

そんなある日、夜中に帰ってきた主人が言いました。

「インドのバスタールって知ってる?」

私は答えました。

「知らん」

主人は、言いました。

「今日、急に背中が暖かくなって、ハッキリとメッセージが浮かんできた。インド、バスタール、10月25日、時代を変えろ。時をかけよ。」

私は、

「えー!!」

と思いました。

私にはそんな事、一度も起こった事が無かったからです。

主人は言いました。

「腹が減ってる時に、こういう事がよく起こる。」

私は、「だから私には起こらんのか!」と思いました。

 

主人は、

「バスタールなんて、聞いた事なかったから、ネットで調べてみたら、ホンマにあって、ビックリした!コワ〜〜!と思った。俺、インド行くのかな?」

 

私は、

「でも、まさか本当に行く気では無いよね?(;゙゚'ω゚'):」

と思っていました。

私には、主人が何かを決めるのに、とても時間がかかるイメージがあったからです。

 

その時は、5年くらい悩みに悩んだ結果、「やっぱりやめとく」とでも言うだろうと思っていました。

 

ですが、主人は次の日に、この今に生きるという生き方を教えて下さった先生に相談し、その次の日にはパスポートを更新する為に動き始めていました。

 

「この人は、本当に私の旦那か?」

と疑いたくなるような行動力で、インドに詳しい人、何人かに話を聞きに行き、正直に自分に起こった事を説明した上で、アドバイスをもらい、インドへの一人旅を計画し始めたのです。

 

私の心境は複雑でした。

それまでは、

「頭の中から出てきて、今を生きたらいいんや!

今にだけ答えがあるんや!

溢れる発露に従って進むんや〜〜!

エイエイ、オー!」

 

と主人を諭していた癖に、いざとなると、

「店は?子供は?お金は?どうするつもり?」

と私はオロオロするばかりでした。

 

ですが、私はふと思い出しました。

主人は、大学の卒論で、インドについて書いていたのです。主人は若い頃、インドが好きで、インドに憧れていました。

当時インドの事が無性に気になっている様子でした。

私は、そういえば、みのっさんて、ターバン巻いたらインド人みたいな顔してるなと思いました。

 

そして、これは、インドに何かあるぞ!と確信し、もうここまで来たら行ってもらうしか無い!と覚悟を決めたのでした。

 

啓示を受けてから2週間、準備が整い、10月30日から何とインドへ10日間、主人は一人旅をする事になったのです。

 

本来ならば、英語もヒンディー語も話せない主人が、知り合いもいない場所に1人で行くなんて、とてもハードルが高いことです。

病気やら、治安やら大丈夫かいな?と心配されても仕方ありません。

 

これまでの私なら、頭がおかしくなったと思われるのが嫌で、こっそり内密に、嘘で塗り固めて、この事を隠そうとしていたかもしれません。

 

ですが、主人は最近、事あるごとにこのように言っていました。

 

「俺、分かったんや。

自分の真実を語ること。

それが一番、自分を自由にする。」

 

この言葉は、とても奥が深いと思います。

私達は、人にどう思われるかをとても気にしています。その事が、私達の価値を決めるような錯覚があるからです。

 

そして、自分の真実では無く、こう思われたい、こう見られたいとう理由で、本当の自分の真実に蓋をしてして、嘘を語りがちです。

 

ですが、この自分の真実に蓋をするという事は、想像以上に、本当の自分を踏みにじる行為なのです。

自分のありのままを否定し、粗末にし、小さく凝り固まらせてしまいます。

例え、自分で見たくないような、ドロドロとした得体の知れない感情や不安だったとしても、そこに蓋をしてはいけないのです。

答えは外には無いのです。

そのドロドロとしたものをジッと見つめると見えてくるのです。

 

小さい事のように見えても、

自分に嘘を付く事、

背伸びする事、

知ったかぶりする事、

我慢する事、

自分を殺して人に合わせる事など

自分に対しての不誠実さは、必ず私達の中に歪みや詰まりを作ります。

 

私は、自分に対して、一点の曇りもなく誠実で無ければ、人に対して誠実に向き合うなんて、本当に出来ないのだなと学んだのでした。

 

ですから、この主人の驚くべき体験と行動をカミングアウトしておきます。

 

これが、今の西木家の真実です。

 

 

10日後、ほんのりカレー味になって帰ってくるであろう、主人の真実を聞くのが楽しみです。

 

また、シェアすべき何かがありましたら、報告させていただきます。

 

*「カレーが美味かった」という話が主人の真実だった場合は、割愛させていただきます。

サナブリがナンとカレーの店になっていたら、「よっぽど美味しかったんやな!」と思っておいて下さい。

 

そしてお知らせです。

10月30日(月)15:00から17:00、サナブリで5回目のawakning cafeを行います。

 

今回は、

知っているだけで心が軽くなる

「悩みの正体」

についてお話しします。

私や主人が学んでいる事は、スピリチュアルとは言っても、決してバーチャルな絵空事ではありません。

現実の社会をバリバリと自分の役割を爆発させながら生きる為の話です。

この事は、学べば学ぶほど明確になります。

私は、この事を知らなければ、何をやっても、いつかは歪みが出るのではないかと思っています。

それは、一般的に、行動と結果の法則は広く知られているのに、その行動の源こそが全てを握っているという事があまりにも、知られていないからです。

仕事、人間関係、子育て、恋愛、自己実現、何においても、全ての鍵はその人の意識状態が握っています。

ここには、絶対的な法則があり、私達が自分のイノチの形を生きる為には、この事を知り抜いている必要があります。

 

今回は、この意識状態と行動、結果のメカニズムを中心に、悩みの正体とそれ自体が無くなる方法について、分かりやすく、そして楽しく、お話しさせていただきます。

初めていらっしゃる方にも分かりやすい話でオススメです!

皆様にお会い出来るのを楽しみにしております(^∇^)

 

では、またお会いしましょう!

ありがとうございました!

ナマステ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束を守ろうとすると、いつの間にか自由ではなくなってしまうんですね。私にとっての成功とは何か?

こんにちは!

サナブリ真木です。

早速なんですが、事情により、10月のawekning cafeの日程を変更させていただく事になりました。

 

調整して下さっていた方には本当に申し訳ないのですが、

10月27日(金)から10月30日(月)に変更させていただきます。

時間は変わらず15:00〜17:00で、会場はサナブリです。

10月のお話は、

「悩みの正体」

についてです。悩みは自分が作り出しているという事は薄々分かっていても、本気でそんな自分にウンザリしない限り、なかなか手放せないものだと思います。

 

私は、

自分が抱えていた悩みが勘違いや思い込みだと本気で気付くという体験

そして

その悩みの仕組みや正体を知り抜くという体験

を通して握りしめていたものを手放す事が出来ました。

分かっちゃいるけどやめられない!といううちは、本当には分かっていなかったんですね。

 

知っておくだけできっと心が軽くなる、悩みが生まれるメカニズムと向き合い方について、分かりやすくお話させていただきます!

 

皆様のご来場を心よりお待ちしております。

 

さて今日は、私が最近、つくづく感じている、

成功とは何か?について書きたいと思います。

 

私はこれまで、自分らしくイキイキと生きるという目標を掲げて生きてきました。

自分がなれる最高の自分になって、沢山の人や地域の役に立ちたいという願いを強く握りしめてきたのです。

 

そして、昨年、それにしても、何でそんなに役に立ちたいのか?

 

その願いの源にあったのが、自分の価値を証明して安心したいという裏を返せば不安であったということに気付きました。

 

それから、不安を手放すに連れ、私の考えていた成功の形は、全く違うものへと変わっていきました。

 

何が正しくて、何が間違っているとか、良い悪いの話ではありません。

魂によって何を体験したいかが違うので、人によって視点が違いますし、その基準も、様々です。

ただ、どこを見ているのか?という話ですが、今の私にとっての成功は、

完全に、自分が思い描く最高の自分になる事では無くなりました。

私が思い描いていた成功、それは、才能、人徳、人望、財産、などなど、

より多くを所有する

というものでした。

 

この強い願いこそが、私の沢山の問題と歪みを作り出し、結果として、周りに被害を与えてきたという事が分かったのです。

 

役に立ちたいと願いながら、全く反対の事が起きていた!!これは、ガーン!!∑(゚Д゚)としか言いようがありません。

これには、本当に驚きました。

 

ですが、このことはそこら中で起こっている事です。

何故そうなってしまうのか?

 

それを私は、神との対話Ⅲを読んだ時に、感覚的に理解しました。

抜粋して紹介させていただきます。

 

著者のニールが神様に、結婚の約束について質問します。

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ニール

結婚の約束をしても、その約束を守り続けるのは難しい。全てのものは変わる。変わらないものは何もないから、約束を守るのが難しいんですか?

 

約束を守るのが難しい理由のひとつは、誠実さとぶつかるからだ。

本当の自分はいつもこうだと言っても、その後に変わる。

だから深い葛藤が生じる。

どちらに従うべきか?

本当の自分か?

約束した自分か?

他人を裏切らない為に、自分を裏切る事、それも裏切りだ。それは最高の裏切りだ。

 

ニール

でも、それじゃあ、そこら中で約束が破られてしまいますよ!誰のどんな言葉も意味をもたなくなってしまう!

私達には、相手が約束を守ってくれると期待する権利も無いとおっしゃるんですか?

 

どうしてそんな権利が欲しい?

人に無理矢理、約束を守らせて、それで自分達は傷付かずにすむと思うか?

人があなたとの約束を破るたった一つの理由は、もう約束を守りたくないからだよ。

本人がしたくない事を強制すべきだと本当に思うか?

いいかね。

自由に好きなように行動している人よりも、静かな絶望の人生を送っている人

つまり、「しなければならない」事をしている人の方がずっと大きな被害を与えてきたのだよ。

 

相手を約束やコミットメントから解放してやれば、その時は、自分が傷付くと感じるだろう。

だが、長い目で見れば、決して被害は受けない。

相手に自由を与えれば、自分も自由になるのだから。

人に無理矢理、約束を守らせれば、必ず、自分の尊厳や自尊心が傷付く。

ビジネスでも、正気でやらうと思うなら、それが唯一の方法だ。

 

神聖な約束はただ一つしかない。

本当の自分を語り生きる事だ。

 

本当のあなたは自由だから、自由を失えば、自分自身を失う。

それは、神聖どころか冒涜なのだよ。

 

 

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要するに、私は、周りの人だけでなく、自分とした約束を守る為、しなければならない事を必死でしていたのです。

ですが、私達は絶えず変わっているので、どんどんその制約やコミットメントのくびきが重たくなり、終いには、ぐるぐる巻きになって、身動きが出来なくなりコケかけていたのでした。

 

私がしてきた約束で、真っ先に思い付くのが、「主人を幸せにする」

というものでした。どこでどうなったらそうなるのかは、謎ですが、この事は、いつのまにか私の中で大きくたくましく育ち、強烈なコミットになっていきました。

 

今考えると、元々、不幸でも無かった主人を、あの手この手で不幸せにして、そして自分が救おうと猛烈に頑張っていたようなものでした。

(ごめんごめん!その時は分からなかったんやもん (;  ; ))

 

そして、主人がどうにも幸せにならないのを腹に据えかねた私は、主人をヘッドロックしながら、

「幸せになった?誰のおかげかな?今すぐ言わんと、キメるで!」

と脅しているような状態になっていたのです。

 

この神の言葉により、私は何事も判断したり決め付けたりせず、もっと自由に、もっと好きなようにしていいんだ!と自らを縛っていた鎖をとく事が出来ました。

 

そして、今、

 

自分が約束を守って、相手にも守ってもらおう

自分が貰える分だけ相手に与えよう

 

という期待や願いは、本当に自分を重くするだけのものだと分かるようになりました。

 

とにかく、もらう事から解放される事は、私達をとても自由にしてくれます。

 

もらおうとするのをやめてから、ハッキリと分かった事は、もらおうとなんてしなくても、結局は出した分だけ入ってくるという事です。

 

だからそんなに心配しなくて良かったんですね!

 

今の私が考える成功は、

 

思いっきり自分の無限性を発揮する事です。

 

それは、変に聞こえるかもしれませんか、私が決める事ではありません。

 

私が私と思う私(エゴ)が無くなって、ただ純粋に、真っ直ぐに、出し惜しまずに、100%貢献して生きる事が、

私の自己実現であり、成功なのでは無いかと思っているのです。

 

それは、私がこれまで思い描いていたものとは全く逆で、

何も所有しておらず、何にも縛られず、想像を超えた自由さと身軽さの中で、喜んで生きるということです。

 

そのように在るため、今日も真剣に今に在りたいと思います!

 

今日も読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょう!