一度信じた事は、だいたいやり過ぎる!やり過ぎて気付いた事。これだから、人生は面白い!
皆さん、こんにちは!
サナブリ真木です。
少し前になりますが、凄く考えた事がありました。
もし、人生が後わずかしか無いと分かったとしたら、私は今日、何をするだろう?
皆さんならどうですか?
私は、人生がずっと続くと、どこかで勘違いしていているなと思ったんです。
まだまだ先は長いと思っているから、やっている事ってあるのかな?
まずは、生産する事より、味わう為に時間を使うだろうな。
未来の成功を追いかけて、今日を生きることはしないだろうな。
果たして、今の自分以上になろうとするのかな?
もっと痩せて綺麗になりたい。
もっとお金を稼ぎたい。
もっと凄いと言われたい。
そんな欲求、起こるのかな?
自分が生きた証を残したいとかは思うのかな?
自分が進化することより、周りの人に感謝を伝えようという気になるのかな?
こうして、考えていると、面白い事が分かってきました。
私達は、生きることにフォーカスすると、未来の為に今の使い方を考えるんですね。
そして、死ぬことにフォーカスしだすと、途端に、今を味わう事を考え始める。
まさに、意識の反転が起こるんですね。
本当にやりたい事は、死を意識すると見えてくるということですから、
私達はやはり、今を味わいたいのですね。
家にいて、この空間を味わい尽くしたいと思う人もいるでしょう。
大好きなベッドや、テーブルや、ポットや炊飯器に、ありがとうと伝えて過ごす人もいるでしょう。
私達は、生まれた瞬間から、死に向かって生きています。
私は、長い間、死を含め、ネガティブとされるものを見るのが得意ではありませんでした。
その分、楽しいこと、ワクワクすることをたくさんやって生きてきました。
いつ死ぬか分からんから、やりたい事は先やっとこうと思っていました。
そして、自分の中のポジティブを拡大することに力を入れてきました。
自分を信じ、
もっと自分を好きになる事。
楽しむ事。
喜ぶ事。
面白がる事。
ありのままの自分を表現すること。
これが大事だと思ってきました。
そして、とうとう、
新たな気付きがやってきたのです。
それは、自分の世界に風穴があく瞬間でした。
現時点の自分の真実を、疑ったからです。
何故疑ったかというと、もちろん、煮詰まったからです。
おかしい、何かが違うと確信したわけです。
そこで分かった事がひとつ。
だいたい、私達は、
強く信じた事は、やりすぎる傾向にあるのですね。
私の場合、
何事も思い通りにコントロールしたいと頑張ったら、
やりすぎて、
コントロールに疲れて、
全部任せたくなって、、(;o;)
どこまでも自分を信じたいと思って頑張ったら、
やりすぎて、
自分以外が信じられなくなって、、、(;o;)
自分の中の矛盾を無くそうと思って頑張ったら、
やりすぎて、
周りの矛盾を抱えてる人が許せ無くなって、、、、、(;o;)
やりたい事だけをやろうと頑張ったら、
やり過ぎて、
子供もやりたい事しかやらないと言い出して、、、、(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
私達は、なかなかちょうど良いところで、止まれないのですね。
それを繰り返し、度々、ブレイクスルーし、
意識を拡大させているのでしょうね。
今回、私は色々やり過ぎた結果、煮詰まっていました。
ようやく、自分がどうしても見たくなかった、自分の中のネガティブを直視する所までやってきたのでした。
それが、死ぬ事を意識してみた理由です。
これは私にとって、とても大きな変化でした。
私の1番見たくないもの。
それは主人でした。
正確に言うと、
主人という鏡に映る自分自身でした。
主人は、私の前では、この世の不幸を背負い込んだかのように暗い顔をしていました。
それこそが、私の心の中に抑圧されてきたものだったのです。
知識では、知っていたけれど、
それを認めるのは、やっぱり辛かった。
それでも、自分の見たくなかった感情をまずは、見て、受け入れた事で、心はとても軽くなり、
これまで長年かけて溜め込み、自分ではどうすることもできなかった、
主人への怒りがスッと治るのを感じました。
そして、かなり素直になる事が出来たのでした。
この変化は、自分の怒りに長く苦しんできた私にとって、かなりの感動を伴うものでした。
私が、何かを成し遂げたからとか、
あの時、何かを頑張ったから、
だから、変化したというのではありません。
ありとあらゆるものの繋がりと、
私のこれまでの全ての人生経験の結果、必然として、このタイミングで起こった事なのです。
ですから、やっぱりそうかと思いましたね。
起こる事は必ず起こる!
起こらない事は起こらない!
散々、苦しみもがいたけれど、
みんながみんな、その時出来る、最善をやって生きているとつくづく思いますね。
だから、その時が来るのですね。
以前の私に言いたいです。
安心して怒ったらいい。
安心してもがいたらいい。
いつか、その時がくるからさ。
この度、私は、本気で死ぬという事について考えました。
後1週間の命なら、私は、何をするだろうかと考えました。
そして、
みのっさんの好きな物をお弁当に詰めて、家族でどこかに出かけるかもな。と思いました。
そこで、ちょうどこれから一人小旅行に出るという主人に、
全てを一から手作りし、お弁当を作ることにしました。
これは、とても久しぶりの行動でした。
お客さんの為、
スタッフの為、
子供の為には、
散々作ってきましたが、
主人の為だけに、、というのが、どうしても出来なくなっていたのです。
料理は、私達夫婦の中で象徴のようなものでした。
心を動かす料理というのは、
簡単なようで、とても難しい。
分かって欲しいという気持ちや、
怒りがあると出来ないのですね。
心を込めて料理を作るとは、
無条件の愛でないと出来ない事なのだなと改めて感じました。
やっぱり、家族にとって料理って大事ですね。
これからは、自分の分かって欲しいと思う気持ちとしっかり寄り添いながら、
無条件の愛で家族に料理を作っていきたいなと思います。
そして、一歩ずつではありますが、また、新たなパートナーシップの形を模索していきたいと思います。
結局、怒りが出るのは、
相手の事が大切だからなのですね。
どんなに許せなくても、
本当は許したいのですね。
私の奥底にあったのは、やはり純粋な想いでした。
パートナーシップの問題はよくある事かもしれませんが、どんなに傷付いても、とにかく諦めなかった私達を、私は誇りに思います。
色々あるけど、生きるってやっぱり面白い!
起こる事は必ず起こるから、
今日も安心して苦しみましょう!
読んでくださりありがとうございました!
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