サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今日は、わたくしサナブリ真木の誕生日です。

お陰様なのか、残念ながらなのか分かりませんが、今日で39歳になりました(*´∀`*)

30代最後の年を、最高に楽しみたいと思います。

 

誕生日を迎えて、フッと頭をよぎる事がありました。

 

それは、私の母方の祖父母の事です。

私の祖父母は、熊本に住んでいて、二人共90代にして健在です。

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最近は、体調を崩していますが、少し前まで、車を運転していたような元気な農家のおじいちゃん、おばあちゃんです。

 

2人は、何とも言葉では表せないような、あたたかい雰囲気の持ち主なのです。

 

この、おじいちゃん、おばあちゃんは、私達兄弟にとって、とても大きな存在でした。

 

私が、物心ついてからは、たま〜に会うくらいでしたが、子供心に只者では無い感をビシビシと感じていたのだと思います。

 

おじいちゃんは、私に会うたびにニコニコしながら、

「真木ちゃんは、太かね〜。」

と熊本弁で言うので、

「えーー!?それ言う!?」と子供心にやや傷ついてはいましたが、

母は「大きいっていう意味だから!」とフォローしてくれていました(涙)

 

 

笑っていない所を想像するのが難しいくらい、2人は、いつもいつもニコニコと笑っていました。

 

私の結婚式の時も、おじいちゃんが体調を崩していたのですが、それでも2人で無理して結婚式に来てくれたので、

「これで会えるのは、最後かもしれない」

と涙を堪えて、

「来てくれて本当にありがとう!」

と固く握手をしたのを覚えています。

 

それから14年経ちますが、その間も、何度も何度も、おじいちゃん、おばあちゃんに会うことが出来てしまい、会う度に、今度こそこれで最後とばかりに「ありがとう」と固く握手を交わしているのです。

 

この、おじいちゃんとおばあちゃんの事が頭をよぎったのには、理由があります。

 

私が最近、

「何をするか?何をしたか?」doing

では無く

「どう在るか?どう在ったか?」being

こそが大切

だと日々感じていたからだと思います。

おじいちゃんとおばあちゃんは、まさに存在そのものだなと思ったのです。

 

私はこれまで、

「何をするか?」doing

をとても大切にしてきました。それこそが結果を作り、価値を決めると信じていたからです。

 

ハッキリ言ってしまえば、面接をする時も、スタッフを育てる時も、子供を見る時も

その人が

「何が出来るのか?」

という事を一生懸命みて、探していたました。

自分に対しても、

何が出来るのか?

何をすればいいのか?

を常に問いかけていました。

 

このdoing重視により、

私は、長い間、矛盾を解消出来ずにいました。

 

結果を出す為には、正確に、スピーディに、質の高い仕事をしなければならない。

だが、心が満たされる為には、そのままの自分を受け入れなければならない。

それは、質が高い仕事が出来なかったとしてもそのままを受け入れるということである。

だが、そうしていると結果は出ないのではないか?

 

 

という事です。

この矛盾は、人を育てようとする時に、顕著に現れてきました。

doingを大切にしてながら、beingを受け入れようとしていたので、どうしても無理が出て、バランスが取れなくなっていたのです。

完全に言っている事とやっている事が違う人になっていました。残念(^_^;)!

 

私は、「ではどうすればいいのか?」

が分からず、とても、もがいていたのです。

 

今、ハッキリと理解した事は、

多くの企業がそうであるように、

私が、ビジネスの目的を

「利益を出す事」

と捉えていた事でその矛盾を解消出来なかったように思います。

 

「利益を出す事」

は結果であり、目的では無いのだと今は思っています。

私は、

「人を幸せにする」「利益を出す」

という2つの、本来、結果であるものを、目的として追いかけていた為、行動に縛られ、動きが取れなくなっていったのでした。

 

これが分かってからは、

 

何をするか?では無い!どう在るか?だ!

 

と、自分自身の在り方を徹底的に変えていきました。

 

すると、今まで分からなかった、困った時の対処法が、迷う事無く、明確に分かるようになって来たのです。

 

何が起こっても、本当に揺らがなくなって来ました。ドーンと構えて

「どすこい!どすこい!」

と言っていられるようになりました。

 

これを言葉で表現するのは、とても難しいのですが、

どう在るか?とは、源は何か?と言い変える事が出来るかもしれません。

 

この事が分かってくると、

母や祖父母の在り方

がハッキリと見えるようになってきたのです。

 

うちの、母にしても、

祖父母にしても、何をした人か?

と聞かれれば、

「農業?」

と言うしかありません。

これと言う肩書きや、偉業を語る事は、ほとんど出来ないのです。

 

ですが、間違いなく

「愛を源に行動している人である。」

とは言えると思います。

 

そうでなければ、あのようには笑えないはずです。本当に90代であっても、目が純粋な子供のようにキラキラと輝いているのです。

 

私は、肩書きは何だかよく分からないけれど、

「存在そのものが愛である」

人が近くにいて、すごく幸せだなぁと思いました。

 今の世の中は、

「何が出来るか?」

を大切にするあまり、

体力や、記憶力がある、働き盛りの人達により作られています。

 

ですが、どう在るか?こそが大切だと分かれば、今まで見過ごしてきた、お年寄りのその、圧倒的な存在感に驚いてしまいます。

 

これからの少子高齢化の日本において、

お年寄りを、働けなくなった人として社会の片隅に追いやるのではなく、

その存在そのものの力により、

知恵を授けてもらったり、

子供達に愛をもって関わってもらう事を通して地域の中心にいてもらう必要があるのかもしれません。

 

両親、祖父母、祖先の、愛のバトンを受け継いで、今、私がここに在るのだという事を心に留め、しっかりと愛のバトンを繋いでいきたいと思います。

 

自分がどう在るかを決めれば、

結果は、後から必ずついてきます。

 

おじいちゃんとおばあちゃんに感謝しつつ、

私は存在そのものを持って、それを伝えていきたいと日々感じているのです。

 

39歳の、太か〜サナブリ真木のサンキュー!な活躍にご期待くださいませ(^-^)v

 

今日も読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

 

私は「人のブログを読む暇などない!」と思い込んでいた、エセ忙しい人間だったので、こうして読んでくださる方々の事を本当に尊敬してしまいます。

 

やはり、私の目の前には愛と豊かさが溢れていたんだな!と実感する日々でございます。

 

今後とも、どすこい真木、サナブリ、スタッフ、クサヤのせられ主人、声デカ娘、はらぺこあおむし、バケモノ美和子、賢ブラック父、多すぎる兄弟達とその配偶者、姪っ子甥っ子共々、よろしくお願いいたしま〜〜す!

 

ありがとうございました〜!

また、お会いしましょう(*´∀`*)