サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

何故あの事が気になるのか?何故執着が終わらないのか?必要な気付きと学びがありました!

こんにちは!

サナブリ真木です。

明日は、水曜日、里の市です。5月17日、明日の里の市に、三重テレビさんが取材に来てくれることになりました!ゲンキ!みえ!~生き活きリポート~ | 三重テレビ放送

この機会に、環境に配慮して、ものを生産、販売している人から、地域の皆様が直接ものを買える、人と人がつながる場所を作ることで、地域の愛を育つという事を紹介出来ればと思っています。

食に対する意識の高い消費者が多く、有機的な取り組みをしている生産者が多い伊賀名張のひとつの特徴的なイベントだと思っています。

 

せっかくなんで、賑やかにならないかな〜〜と思っております!

皆様、ちょっとオシャレしてみたり、ちょっとお化粧濃いめになってみたり、子供の鼻水をふいてみたりして、ご家族、お友達をお誘い合せの上ご来場下さいませ!

皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。

 

さて、自分を許すということに関して、大きな学びがありましたので、紹介させていただきます。

 

私には、双子の娘の行動で、どうしても、ものすごく気になる事がありました。

 

それは、2人ともとても声が大きいという事です。

いつでもどこでも、大音量で話すので、

「シー!大きな声ダメよ。」と注意し続けてきました。電車に乗る時や、映画館に行った時、静かなお店に入る時、いつもいつも声の事が気になって、「大きい声出さないって約束ね!」と言ってから行くようにしていました。

時には「大きい声出したらお母ちゃん怒るからな!」と既に怒ってしまっている事もありました。

 

ですが、子供の声のボリュームは、下がるどころか、どんどん上がっていきました。

 

だんだん私は反射的に「うるさい!」などという言葉が口をついて出てきてしまうようになっていき、心がとてもザワザワするのでした。

 

ある日突然、私はハッとしました。

私の今のやり方で、治るわけないと気が付いたのです。

 

私が「問題だ!」と思っていた事のその一番の理由が分かったのです。

 

それは、私自身が「声が大きい!」と言われ続けて生きてきた為、大きい声を出さないようにいつも気を付けていたという事です。

 

どういう事かと言いますと、私自身が自分の声、自分のボリュームを、制限していた為、自由に大きい声で話している娘たちの声が気になって仕方なかったのです。

 

自分が問題だと思う事の根っこには、自分自身の我慢や制限があるという事はよく知っているつもりでした。

ですから、いつも子供は、私の鏡で色々な事を教えてくれるな〜〜!などと思っていたのです。

 

なのに!私は何故か、子供の声を小さくしようと頑張っていたのでした。

 

娘に

「何でそんなに声が大きいの?」

と聞いた時、娘は必ず

「元気だから」

と言っていました。

その通りなんです。ただ元気なんです。

ただ、自分のボリュームで話していただけなんです。

私は、娘に申し訳ない事をしたと思い、このように言いました。

「ゆめ、はる、ごめんな。お母ちゃん、間違ってたわ。自分の声と自分の声の大きさは大事やな。これからは、大きい声で話してもいいよ。

でも、周りの人の事も考えてな。ゆめとはるみたいにお母ちゃんも、もっと大きい声で話すわ。」

すると、娘達は

「大きい声やと、みんなに迷惑やから、お母ちゃんは、大きい声はあんまりやめた方がいいよ。」

と急に小さい声で話し始めたのです。

 

私は、いつでもどんな時も、まずは自分を許し受け入れる事から、始まるのだと再認識しました。

自分を制限している限り、必ず目の前に気になる人、気になる現象が現れてきます。

それは、私達に自分が握りしめているものを教え、大きな気付きを与えてくれます。

目の前にある問題は、目の前の人や現象のものではなく、100%自分が作り出していると完全に分かった時、本当の自分の道が始まるのだと改めて感じたのでした。

 

ですから、いつもいつも私達の目の前にいるのは、メッセンジャーです。

 

感謝してそのメッセージを受け取りたいと、つくづく思う今日この頃です。

 

そして、もうひとつ、私は昨日、大きな体験をしました。それは、生まれてこれまで、私の長年の悩みであった、食べる事への執着との別れを予感させる大きな出来事でした。

 

私は、食べ過ぎてしまう自分を、そしてそこから抜け出せない自分を、許し切れていませんでした。

 

先日も書きましたが、何とかして自分の意識をコントロールしようとして、自分を奮い立たせ、結局コントロール出来ない自分を心の奥底では責めてしまい、自分を責めている自分も責めていました。

 

先月、私の先生である鶴飼さんに、食べすぎる自分との向き合い方を、このように教えていただきました。

 

「あなたの中には、飢えて飢えてとてもお腹が空いている子供の記憶があります。もし、あなたの目の前に、その子供がいたらどうしますか?こうしなければいけないよ!とコントロールしようとしますか?抱きしめて、もう大丈夫だよって、愛を持って労ってあげるのでは無いですか?そのように自分と関わる事です。」

 

私は、それを聞いて、魂が震えるのを感じました。涙がポロポロと流れてきました。

 

そして、自分を責めるのをもうやめようと、心に誓いました。

 

ですが、なかなか、どうしたら自分の中の飢えている自分を愛する事が出来るのかが分からず、過ごしていました。

 

そして、昨日「もしかして!これ?」というイメージが飛び込んできたのです。

 

自分の中にいる、飢えてお腹が空いている子供と一緒にご飯を食べようと思ったのです。

 

一口ずつ、噛み締めて味わって、

「美味しいね。嬉しいね。良かったね。もう大丈夫だね。」

と、自分の中の飢えている子供と会話をしながら、目を瞑ってゆっくりと食べました。

 

また、涙が溢れてきました。

涙でグチャグチャになりながら、最後まで良く噛んで食べました。

どんどん心が満たされ、胸がいっぱいになりました。そして、何年振りでしょうか?

 

気が付くと、心もお腹も、とても満足していたのです。

 

今までどれだけ食べても、私が満足出来なかったその理由は、食べ物を物質として食べていたからだそうです。

食べ物も、お金も、時間も、全ては、エネルギーなので、そのエネルギーを感謝して身体に入れることが出来た時、やはり本当の満足が生まれるのです。

 

私は、いつも自分の本当の声に気付いた時、涙が溢れてきます。本当の私からの「分かってくれた!良かった!ありがとう!」のサインは涙としてやってくるのです。

 

ですから、これが明確な自分からのメッセージだという事が分かりました。

 

これからそのように、食べるという事を真剣にやっていきたいと思います。

 

最後にもうひとつ、私は自分の課題でありテーマである食べることに関して、先日、ブログに書きました。

それは、とても勇気のいる事でした。

何故なら、まだ完全には解決していなかったし、結局の所、とても気にしていたからです。

それでも、この事を問題として扱うことを終わりにしようと、恐れの中に入っていく感覚で、ブログに書きました。

頭の中で問題として扱っている限り、この問題は終わらないと思ったからです。

お手上げして、アウトプットしました。

 

すると、不思議なことに、私にとって一番必要な事が、頭にポーンと浮かんできたのです。

 

これは、正に

手放せば与えられる

という体験だったように思います。

 

いつも変化の時に必要なのは、覚悟と勇気であると教えてもらったように思います。

 

今日は、出来たてホヤホヤの、まだ湯気が出ている、私の「手放し体験」を、鼻息あらめでお届けいたしました。

 

皆様も、気になる自分、執着がある自分と出会った時は、どうか大切に労ってあげて下さい。

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう\(^-^)/