サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

与える経営、与える子育て、与える教育…。与える事について考えました。

こんにちわ!

サナブリ真木です( ´∀`)

 

今日は、与える事について書きたいと思います。

 

というのも、最近、私は本当に貰うことから解放されてきて、与える事にしか興味がいかなくなってきたのです。

 

きっと、貰おうとすればするほど渇いてきて、与えようとすればするほど潤ってくるという、仕組みが、頭だけでは無く、細胞で分かり始めたからだと思います。

 

私は、これまでずっと、心の広い人になりたいと願って生きてきました。

そして、損得で判断する人を心のどこかで軽蔑していたように思います。

 

あれは、忘れもしない真木23歳の夏でした。

私は主人と中華料理屋さんに行きました。

2人とも、お腹がペコペコで、やっと食べられる!とソワソワしながら、料理を待っていました。

そんな時に限って、主人が頼んだ料理が、何ともすごくおかしな味で、主人の口に全く合わなかったのです。

主人はこれ以上無いくらい、ガッカリして、とても不満を募らせていました。

 

私は「なんか違うの頼んだら?」と言いましたが、主人は、「勿体無いから食べる」と言って、溜息をつきながら食べていました。

 

そんな主人を見ていて私は、何故か、無性に腹が立ってきてました。

私は若い時から

「器が大きい人間になりたい」

という思いを握りしめて生きていた為、

「お腹ペコペコなのに、注文したものが不味かった事件」

がとても小さい事に感じたのです。

「ちょっと損したくらいで、ガタガタ言いなさんな。」

と私が、異様に大物ぶっていた為、もちろん喧嘩になりました。

 

そして、私は主人にこう言いました。

「お互いの絶対に直して欲しい所をひとつだけ言おう。そして、その言われた事は絶対直さなアカン事な!」

 

私は主人に、あろう事か

「もっと器の大きい男になって欲しい」

と身も蓋も無い事を言いました。

(主人は、私より3歳年上です)

 

主人は、これまた、あろう事か

「おばさんみたいな歩き方をやめて欲しい」

という、ささやかな抵抗に、この貴重な1回を使ってしまったのでした。

 

もちろん、ただただ主人が傷付いただけで、お互いの直して欲しい事が直る筈も無く、私の「自分の損得に拘る人は器が小さい」という思い込みは、更に強くなっていったのでした。

 

ですが、いつの頃からか、私は自分のエネルギーを出し惜しむようになっていました。

 

だんだん、貰える分だけ出そうというような、計算を頭で自然と行うようになっていったのです。

 

フと気付くと、貰えるものと出すもののバランスを取ろうとしている自分がいました。

 

そして、それこそ、私が一番軽蔑していた、損得感情から来ているのではないか?という事に気が付いたのでした。

 

私はそれから、とても大切な事を知りました。

 

お金も、労力も、時間も、愛も、全てはエネルギーなので、全て本当に循環しているという事です。

 

自分の中に溜めこもう溜めこもうとすると、本当に詰まってしまって、流れが悪くなるのです。

 

ちょうど、これは呼吸と全く同じだそうです。

息を吸ってばかりいると、呼吸が浅くなり、空気があまり入ってこなくなります。

あまりにそれが酷い場合は、過呼吸になります。

 

ですが、身体の中にある空気を、全部全部ぜ〜〜んぶ出すつもりで吐き出せば、勝手に必要なだけ空気が入ってくるのです。

 

私は、この循環を、呼吸と自分の労力やお金といったエネルギーで体験し、本当にそうなっている!!と分かったのです。

 

それからは、とにかく、吸う事にフォーカスするのをやめて、吐く事を中心にやってきました。

 

すなわち、貰う事では無く、与える事にフォーカスしてきたという事です。

与える事とは、言い換えれば、

自分が愛ならばどうするか?で行動する

という事です。

 

そのように、意識してみると、見事に循環が始まりました。

とにかく不思議な事に、あまり疲れないのです。

エネルギーを出し惜しんでた時の方が、何故かヘトヘトに疲れていました。

 

今考えると、出し過ぎない為に絞る事に莫大なエネルギーを使っていたのでは無いかと思う程です。

 

そして、与えるという事の本当の意味が、最近分かるようになってきました。

 

それは、馬渕さんに教えていただいたこの言葉がきっかけでした。

 

「本当の教育はね、ひとつしか無いんですよ。

それは、与える機会を与える事です。

親が子供の為にと、何から何まで世話をして、先回りして与え続けたら、どうなりますか?

子供の中に育つのは、恨みだけです。

でも、与える機会をたくさん貰った子供は、本当の喜びや感謝の心が育つんですよ。」

 

私は、この言葉にとても感動しました。

与える機会を与える

なんと、深い言葉でしょうか?

 

与えるとは、ただやってあげることでは無いんですね。

 

よく、先進国から発展途上国への支援の仕方が問題になっていますが、その国、その人の力を奪うような援助の仕方は、やはり与えているとは言えないという事です。

 

むしろ奪っていると言っていいでしょう。

結局の所、誰かを、助けることで、補助する事で、自分の力や価値を証明したいだけなのかもしれません。

ですから、私は、サナブリを経営する上で、「良い物を無理してでもなるべく安く」と考えるのをやめました。

そこに歪みを作る理由は、自分の自信の無さや不安が源で、自分の価値を証明したいだけだと気付いたからです。

 

そして、お客様を甘くみてはいけないと思ったからです。誰も恵んで欲しいなどと思ってはいないのです。

 

私は、生産者さんとお客様の架け橋になりたいと願っているからこそ、適正価格は大切だと感じたのでした。

 

経営者がスタッフに、

親が子供に、

すべき事はただひとつ、

与える機会を与えることだと、私は心から納得しました。

 

ですから、スタッフに、

「申し訳ないけど、ゴミ箱の掃除してきてくるる?ごめんな。臭いけど。」

と謝る必要は無いということです。

正に、ゴミ箱を掃除するなんて、最高に与えるチャンスそのものなのです。

そして、全ての瞬間、私達は、与えるチャンスをいただいています。

出し惜しんでる場合では、本当に無いんですね。

 

ですが、この与える機会を与える上で、絶対に必要不可欠な事があります。

 

それは、

自分自身が、心の底から溢れて、与えている存在である

という事です。

それが無ければ、スタッフは、

「ただ、臭くて面倒臭い仕事を押し付けられた」

と感じるでしょう。

 

与えるという喜びを、爆発させながら生きたいと思う今日この頃です。

 

今日も、自分が愛ならばどうするか?一瞬一瞬を大切に、与える喜びと共に過ごしたいと思います。

 

ブログを読んで下さる皆様、いつも本当にありがとうございます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

ではでは、また、お会いしましょう(*´∀`)♪