主人がインドに行って1週間がたちました。私にも色々と変化があります。
こんにちは!
サナブリ真木です。
主人が日本を発って1週間が過ぎました。本人が10日間の旅だと言っていたので、そう思い込んでいましたが、よく数えてみたら12日でした!!
結構行くのね(*゚∀゚*)
主人はインドの田舎にいる為、ネットがあまり繋がらないようですが、ちょこちょこラインで日記のようなものを送ってきます。
一部を抜粋するとこんな感じです。
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11月1日の出来事
午前中、同じ宿泊客であるオーストラリア人ファミリーと近くの集落を散策に出かける。村を抜けて田んぼの畦道を歩くこと2時間半。
午後は原始的なマーケットに連れて言ってもらい、サンダルを買う。そしてサリーは買わされる。
カレー三昧と覚悟していたが、未だ食べていない。
2日の朝、乗るはずの列車は、大幅に遅れており、着く頃には7時間くらいの遅れになると宿のオーナーが断言している。今日はどんなガイドがサポートしてくれるのやら。
11月2日の出来事
宿の送迎車とバスでなんとか夕方にバスター県のホテルに到着。危ないから出歩くなとガイドブックには書いてあるが、夕飯探しに出かけてみる。親切な若者が店まで送ってくれると言うので乗ったバイクは、人生初のノーヘル3ケツ。でもインドでは4ケツすら驚かない。
スマホは宿でしか使えない。
英語も上手ではない。
いろんなものが削がれて行くことに不安だったが、常にちゃんとサポートがあることは感じている。
11月3日の出来事
ホテルに頼んだタクシーで、午前中は地元では有名な滝へ、午後は民族博物館とバスター村へ行く。バスター村については、みんなから散々行く意味がないと反対されてなかなか行かせてくれない。
でも午前も午後も、頼んでないのにドライバーが寄ってくれた場所に運命を感じた。そして旅で初めてメッセージもあった。やはりここに来ることになっていたのだと、恩恵を感じる。
11月4日の出来事
午前中はヒンドゥー寺院へ、午後はビーチへ行く。夕方からはもう一度スマホのネット接続に挑戦しに店に行き、3時間かけて繋いでもらえた。これでかなり旅がしやすくなった。
早速今夜のコルカタ泊の安宿をネット予約。700円の宿は想像以上に酷くて絶句したまま床に着く。まあ普通の宿よりは話のネタになると思うことにする。
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みのっさんが、インド人とノーヘル3けつ!!
想像すると少し笑える(´∀`*)
無事に、旅を満喫しているようです。
このインドへの1人旅は、主人にとって、計り知れない価値があるに違いないと感じます。
何故ならば、きっと、主人にとってインドは、要らないものが削ぎ落とされる最高の場所だろうと思うからです。
自分の人生を生きる為に必要な事は、そんなに多くないのに、いつの間にか、私達は、沢山のものを握りしめていました。
手放せないものだらけになっていました。
これを認めたら、これが無くなったら、私が私では無くなってしまうんではないか?
無性にそんな気がして必死でもがいていました。
でも、意外にも、
足し算の生き方から、引き算の生き方に変えた途端、私も主人も本当の自分に出会い始めたのです。
主人はきっとインドの田舎の畦道を歩きながら、生きている事とその事に対する喜びを実感していることと思います。
私もつい最近、まだまだ握りしめているものが沢山あるのだなぁという体験をしました。
それは、何故私がこんなに「愛」にこだわっていたのかに気付く良い機会になりました。
その体験とは、実は、私自身が
「条件無しの愛にすごく飢えている」
という事を知るという体験でした。
私の両親はとても真面目で誠実な人です。
特に母は、エゴがとても少ない人です。
なので、私は兄弟全員が絶対的な母性により受容されて育ったと思っていました。
惜しみなく愛された事は間違い無いのですが、そのようにして育つ過程で5人兄弟という事もあってか、幼かった私は何かの勘違いをしたようで、足りない、もっと愛されたいと魂に刻み込んだようなのです。
もっともっと!
まだまだ!
頑張れば、必ず特別に愛される私になれる!
と信じて走り続けてみて、
その不自然さに気付き、手放す事にフォーカスしている今も尚、絶対的な受容を求めて止まない、強くて脆い私がいる事が分かったのです。
何故、私がこんなに、愛になりたかったか?
それは、
私自身が愛されたかったから
という事です。
この事を私は認識していませんでした。
愛への渇望をハートで理解した時、急に涙が溢れ、本当に子供のように泣けてきたのでした。
それから、また一段、自由になる事が出来ました。
愛に飢えていた事で、
意識的に集中して食べる事が出来なかったり、
言うべき事が言えなかったり、
また言わないでいい事を言ってしまったり、
深く内側にアクセスせずに動いてしまったり、
そんな浅はかな自分を責めていた私は、また少しずつ変化し始める事が出来たのでした。
こうして、もうこだわりも理想も、本当に無くなってきたな〜〜。と思っていても、更にまだ握りしめているものが後から後から出て来ます。
まだまだ、これこらも、どんどん、身軽になっていくのだな〜と感じたのでした。
この事を分からせてもらえたのは、間違い無く、主人の変化による恩恵です。
主人の準備が出来たどころか、私を追い越して行ったので、私もまた子供に戻って大きな荷物を下ろす事が出来たのだと思います。
嫌われない為では無く、
愛される為でも無く、
私は私を生きたいと思います。
それは、自分と宇宙との一対一の関係に、どこまでも誠実に、どこまでも真剣に生きるという事です。
それだけが、いただいこのイノチを燃やす唯一の方法だと私は思っているのです。
主人が帰って来たら、また報告させていただきます。
今日も読んで下さってありがとうございました。
また、お会いしましょう!
ナマステ〜〜!