愛猫ミルクの命の授業
こんにちは!
サナブリ真木です。
FBにもあげたのですが、最近、かなり大きな衝撃を受ける事がありました。
家族の一員である、愛猫ミルクが、車に轢かれて天国に行ってしまったのです。
突然の事で、もちろん心の準備など全く出来ておらず、
「何で、もっとちゃんと見てあげなかったんだろう」
と色々な後悔があがってきて、悲しくて、申し訳なくて、最近は毎日泣き暮らしていました。
頭では、
魂は死なない
ミルクは自分の魂の選択により旅立った
と分かっていました。
でも、日が経つごとにその衝撃が大きくなり、1人になると、
「ミルク〜!悲しいよ〜!」
「ミルク〜!会いたいよ〜!」
と言いながら泣かずにはいられませんでした。
ミルクとは、2年半前に出会いました。
本来の自分に戻る為の魂の学びの合宿に参加し、心静かに帰ってきた日、サナブリの前にミルクはちょこんと座っていました。
ミルクはその時、子猫で、目ヤニで目が開かなくなり、ガリガリに痩せていて、力の無い声で、
「にゃー」
と私に話しかけてきました。
私が近づいても、一切逃げずに、一生懸命こちらを見ているように見えました。
私は始め、
「このままだと死んじゃう?」
と思いました。
そして、ご飯を食べさせ、じーっと見ているうちに、
「この子は、うちの家族になる子なんだ」
と分かりました。
連れて帰ったその日のうちに、ミルクは私の膝の上に座ってきました。
初めて猫を飼った私は、猫ってこんなに、人なっっこいのかな?と不思議に思っていました。
そして、ミルクは私達家族のアイドルになりました。とにかく、誰が来ても人なっっこくて、人間を警戒する事がありませんでした。
私達が外から帰ってきたら、必ず寄ってきて癒してくれていました。
そんな家族が突然いなくなる衝撃は、私の人生を振り返っても、他に記憶が無いくらいでした。
そして、だんだん、ミルクがこのタイミングを選んだ事の意味を知りたいと思うようになりました。
最近のブログにも書きましたが、私はその時期、浄化の真っ最中でした。
自分では気付かないくらいしっかりこびりついていた、ブロックが外れ、次から次へと色々な感情が上がってきていたのです。
それは、受け取る準備が出来たからこそ、起こっている事だと感じていたので、嬉しくもあり、ただ粛々とあがってくる感情を感じ、
自分を許すというプロセス
をある意味、楽しんでいました。
主人を許せない自分を許す事にした私は、こんな言葉を耳にしました。
人間には、満たされたい2つの欲求がある。
一つは安全安心で生命の危機脅かされないこと。
もう一つは、他者から承認を受けること。
一つ目は3歳までに、多くの場合、母親によって満たされ、
二つ目は、3歳から15歳までに、多くの場合、父親からありのままを認めてもらったという経験により満たされる。
これが、満たされていないと、強い承認欲求という荷物を背負い、苦しい旅に出ることになる。
私は、それを聞いた時、とてもドキッとしました。
何故ならば、私は父から、自分のありのままを認めてもらったとは感じていなかったからです。
父は、冗談でよく私に
「お前が男の子だったら良かった」
と言っていました。
それだけではなく、私にとっての父は、いつも何かを考えていて、怒っている、というイメージでした。
私には、喜び、楽しんでいる父の姿を見たという記憶がありません。
父は頭がとても良い人で、成績の良い姉を誇りに思っているように私には見えていました。
そして、父は何かあれば、直接私には言わず、母に伝え、私は母との会話の中で父の考えを知ってきました。
私が一番閉じ込めていた大きな怒りとして、
本気で向き合ってもらっていない
というものがあるのだと気が付きました。
という事は、
私が主人をこんなに許せなかったのは、
私が父を許していなかったからなのかなと気が付いたのです。
私は、主人が何かと引き受けていない(責任を取っていない)ように見える事にいつも怒っていました。
特に、
子供と本気で向き合っていないように見える事
に対して怒っていました。
それは、きっと私の中の男性の象徴である父を、次は主人に変えて、
本気で向き合わないとは、なんたる事や!
と怒っていたのではないか?と気がついたのでした。
私にとってこの気付きは、
まさに
心の岩戸を開ける
そんな、大きな出来事でした。
そこから、やたらめったら涙が出てくるようになり、毎日が浄化のプロセスになっていました。
そして、その事が分かった数日後にミルクが、旅立って行ったのです。
私は、ミルクの事を想って泣きながら、自分の押し込めてきた想いも更にのっけて泣いていました。
ミルクは、私を思う存分泣かす為に天国に行ったのかなと思うほど、私はわんわん子供のように泣いていました。
そんな時、友人の友人に動物の言葉や気持ちを波動で感じられる方がいて、その方がこう教えてくれました。
「ミルクちゃんは、真木さん家族が、命の大切さ、重みを知る為に、命の授業をしてくれたようですね。」
私は、それを聞いて、
「ああやっぱりか!」
と思いました。
そうじゃないかなと思っていましたが、私はある事を思い出していました。
それは、小学校1年生の時、母の実家の熊本に住んでいた時の事です。
はっきりは覚えていないのですが、病気の子猫を預かった事がありました。
すごく短い期間だったのですが、その子猫が、とても苦しそうにしていて、だんだん力が無くなって私と姉の目の前で死んでしまったのです。
私は、悲しくて悲しく、信じられないくらい悲しくて、ずっとずっと泣いていました。
死ぬという事が怖くて、残された人の苦しみというものが怖くて、もう二度とこんな思いをしたくないと思っていました。
私は、もしかしてあの時から、
死ぬということに目を背けて生きてきたのかもしれない
と思いました。
それは、生命というものに、目を背けてきたとも言えるかもしれません。
ドライに淡白に、あまり深入りしすぎないように、傷付かないように、悲しまないように。
昨年、すごくお世話になった、おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなった時も、私はとても、ドライでした。
その事にすら、自分では気が付いていなかったのです。
色々な重荷を手放し、心がフカフカ柔らかくなってきた今だからこそ、やっとその事を分からせてもらえたのかもしれません。
本当に、ミルクが、自分の命を使って、命の授業をしてくれたのだと思います。
そして、昨日の朝、何故か急に、ある動画を見ることになりました。
それは、
「イラクに行っていた兵士が、突然帰国して家族に会ってみた」
というサプライズ動画です。
アメリカ兵が、戦争からの帰国を家族に伝えず会いに行くというものです。
何故か急に目に飛び込んできたので、気になって見てみたところ、
突然帰ってきた、お父さんの顔を見た瞬間の子供達の表情に、私はとても魂が揺さぶられました。
みんながみんな、とても驚いた顔をし、その後、泣き崩れて抱きしめる。
小さい子も、大きい子も、おばあちゃんもおじいちゃんも、みんなみんな、同じでした。
私は、それを見て、
私は、
こんなに純粋に命と向き合っているだろうか?
と自分に問いかけました。
私は、家族が突然、戦争から帰ってきたとして、こんなに素直に表現出来るだろうか?
それから、
「お父さんを許します。」
と何度も言って、また泣きました。
私の心の氷が、明らか溶け始めた瞬間でした。
ミルクのイノチの授業のおかげです。
ミルクの授業のおかげで、私は、また一つ大きく重たい荷物を下ろすことが出来るのだと思います。
ミルク!
本当にありがとう。
また、帰ってきてね!
イラク兵士の動画、良かったら見てみてください。