サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

私の人生がひっくり返った、知れてよかった!うまくいく秘訣を分かりやすくまとめました!

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今年もあとわずかですね(´∀`)

 

私にとって、2016年は、人生が大きく動いた年でした。

 

いえ、もはや、ひっくり返ったと言ってもいいかもしれません。

 

これを知らずに生きていても仕方無かった!という真理と出会いました。

 

それは、簡単に言うとこういうことです。

 

①意識状態が呼吸や、行動、言葉を作る

 ↓

②呼吸や、行動、言葉が、現象を作る

 ↓

③現象が、意識状態を作る

 

これを分かりやすく言うとこうなります。

 

①お金が無いな〜〜と思っていると、お金が欲しい!と思い、お金を節約したり、お金を稼ぐ努力をし、「お金が無い!」とよく言うことになる。

 

②お金が無いという事が全身から、発振され、お金が無いという現象が現れる。

 

③お金が無いので、お金が無いな〜〜と思う。

 

 

また、私ってダメ!というパターンでは、

 

①私ってダメだな〜〜。と思っていると、自信が無い声になり、控えめで遠慮だらけの行動、傷付かない為の我慢、無理、人に合わせる努力をし、自分で無いものになろうとする。

 

②自分はダメな人間であると全身から発振され、人から軽く扱われたり、嫌われたり、価値が無いという証拠が集まってくる。

 

③人から、言われた事や、された事を見て、やっぱり私はダメなんだと確信する。

 

 

 

このように、私達は、ずっとグルグル回っているのです。

 

では、どうしたらいいのか?

 

それは①の意識状態を変えるしかありません。

ですが、ここでひとつ大きな問題が出てくるわけです。

 

意識状態を変えたいけど、

「無いものをあるとは思えないよ!問題」

です。

 

「自分をダメだと思わないようにしているけど、どうしても、思ってしまうんだもん!」

 

という思考が、また意識状態にバームクーヘンのように重なっていき、ダメな自分という意識が特大バームクーヘンになっていってしまうのです。

 

では、どうすればいいのか?

 

まず③から行く事です。

 

意識状態が現象を作っている事は絶対1000%間違いありません。

 

ならば、現象から意識状態を作るのをやめるという事です。

 

今、目の前で起こっている事は、私の意識状態が作り出したのだと知り抜いた上で、特大バームクーヘンを食べてしまうという事です。

 

この特大バームクーヘンはどこから来たのか?

 

私達の価値観です。

「こうでなければ価値が無い」

という固定観念からくる

「不足の幻想」が作っているのです。

 

 

ネガティヴなバームクーヘンは、この不足の幻想からこんがり焼き上がってきています。

 

 

固定観念というのは、人それぞれのものですから、絶対的正義でも何でも無く、自分の思考が作った、ただの妄想であると知らなければなりません。

 

「今まで積み上げて来た価値観を手放してしまったら、何をベースに意識状態を作ればいいの?」

「今までの人生は何だったの??ひどすぎる!」

という道を一回は通らなければなりませんが、

 

今まで、やって来た事が無駄になる事など、ひとつもありません。

 

見事なまでに、今までの経験が、余すことなく使われ出すので絶対に大丈夫です。

 

価値観を手放して、何をベースに意識状態を作ればいいか?

それは、

自分の中の普遍意識と繋がる事です。

この普遍意識は、大いなる生命である宇宙と繋がっています。

 

そして、

大いなる生命である宇宙とは、神とも、愛そのものとも言うことが出来るのです。

 

ですから、

普遍意識と繋がれば、

思考から来ていた、

固定観念による自分への制限が、

木っ端微塵に飛び散ります。

 

文字通り殻を破って身軽になると、

すべてのエネルギーが愛そのものから直接供給され始め、本当の自分の才能、能力が開花していくのです。

 

どうしたら、繋がれるのかというところで、やはり、細胞を生まれ変わらせる覚悟が必要にはなるんですが、要するに、

思考を止めるという事

が必要なわけです。

 

以前の私のように、頭が思考や、感情で埋め尽くされている人は、まず自分の普遍意識と繋がる事は出来ません。

 

私が日々書いてきた、自分のワクワクの音

すなわち、魂の声が聞こえ無いのです。

 

 

酷い場合は、頭が割れそうなくらい、

「お前は最低だ!生きている価値など無い!」

という幻想から来る声が頭の中で、さも真実であるように鳴り響いていたり、

「成功しなければ、自分には価値が無い!絶対に負けるものか!自分は絶対に勝ち組のはずだ!」

と、全てを勝ち負けで判断してしまったりします。

 

 

この思考というものの正体を知った事で、私の人生は、大きく動き出しました。

 

本物っぽく出回っている、本や、真理や、人が言っていた事に耳を傾けるのでは無く、

 

頭の中を静かにし、自分のワクワクに従っていけばいいんです。

 

ワクワクに従おうとした時に問題になる事は何か?

お金?時間?子供?親?旦那?世間体?常識?

 

この問題はすべて、現象であるという事を知っておく事です。

 

現象を見て意識状態を作ったら〜??

 

そう!ダメ〜〜🙅

 

という事なんですね!

 

頭の中のバームクーヘンを意識しておきましょう。

 

夜寝る時に、頭の中のバームクーヘンを食べて、頭を空にしていきましょう。

 

スーパーで、バームクーヘンを買ってきて、

「覚えとけよ〜〜!ちょっと美味しいからって調子に乗りやがって〜〜(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾お前なんかこうしてやる!!」

 

とフォークでぶっ刺して食べてしまいましょう。

 

毎日、そのようにバームクーヘンを意識していけば、必ず何か変わり始めます!

 

やはり、人は、体験しない事には分からない生き物です。

 

ぜひ、ワクワクにダイブしてみて下さい。

何か困った事が起こっても、無視です、無視!

 

そこで、パワー!!!と叫ぶのです。

パワー!は、ここで、使うのですよ!

  

私達、1人1人が、ものすごい大きな役割をいただいています。

 

その役割に沿ってただ、純粋に生きる事

 

迷いのある人が、一目見て、「ああ!このように生きればいいのだな」と分かる自分になる事

 

自分の才能を発揮して、多くの人の役に立てること

 

これ以上に嬉しい生き方があるでしょうか?

これ以上の成功があるでしょうか?

 

あんなに欲しかった、

お金、綺麗な自分、いけている自分、成功している自分、愛される自分

に対するこだわりを捨てれば、オマケが1000個ついて叶っていくという信じらないシステムになっているんですね!

 

私は来年も、更なる飛躍の年にしたいと思っています!

 

今年のうちに、まだ、ブログを書くとは思いますが、皆様いつもありがとうございます。

 

今日も、素敵な1日にしてください!

呼んで下さってありがとうございました〜〜(´∀`)

 

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、天命を生きるということになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

揺るがない、動じないと思っていたのに、思いっきり揺らいで、動じて、なるほどと分かった事。

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

一年で、1番忙しいクリスマスシーズンが、終わりました(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

サナブリのクリスマスケーキ

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今年は、昨年までと違ってフラフラのヘトヘトになる事無く、クリスマス期間を終える事が出来ました!

 

これも、やはりコントロールしようとせずに、ただ真剣に今に向き合う事を意識した結果だと思います。

 

そして、スタッフが、本気で

「良い仕事をしよう」

と真剣になってくれたからこそ、店が成長出来たのだと思います。

 

ご来店、ご利用いただいた皆様、誠にありがとうございました!

今後とも、cafe sanaburiをよろしくお願いいたします。

 

今日は、私が、

反応しない!

動じない!

揺るがない!

 

を目指して修行をしてきたのに、思いっきり、揺らいでしまった話を書きたいと思います!

 

それは、私の誕生日の日の事でした。

 

サナブリでは、スタッフの誕生日にケーキと、みんなで書いた、メッセージカードを渡しています。

 

私の誕生日にも、スタッフが毎年ケーキを買ってきてくれたり、嬉しいサプライズを用意してくれたりしていました。

 

今年も、深く考えてはいませんでしたが、何かもらえるだろうと漠然と期待していたのです。

 

ですが、誕生日当日に、サナブリのケーキをもらったものの、そこにカードもついておらず、誰もそんなに気にしてくれている感が無かったのです!!

 

私は、

「あれ?こんな事ってある??」

と思い、ケーキの箱にカードが入っていないかを隅々まで探し、

「忘れてる?

これは、どう捉えたらいいのか?」

と思いっきりこの現象に反応してしまったのでした。

 

すると、不思議なもので、その日に限って誰もが素っ気なく、家族は祝ってくれるだろうと思っていたのに、誰からも、声をかけられる事無く、子供さえも、

「お母ちゃん、ごめんな〜〜。プレゼント買えなかったわ〜〜。また来年な〜〜。」

と言ってきたのです。

 

自分を大切にされずに、誕生日が終わるのが無性に腹立たしくなった私は、もらったケーキを食べようと、弟の家にあがり込みました。

 

風邪ぎみの姪っ子を早く寝かしたい義妹と夕ご飯を食べ、頼んで撮ってもらった写真がこちらです。↓↓

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 ↑その辺の子供達を集めて必死に祝ってもらっている真木さん

 (私と私の子供以外の表情が異様に冷めている)

 

後でこの写真を見て、私は、無性に可笑しくなってきました。

 

人間、簡単にエゴを捨てられるものでは無いなと思いました。

 

私は、自分の役割に集中し、必要ならば命をかけてやってやる!!

 

という覚悟で生きているつもりでした。

 

理想や、期待を捨て、愛着、執着を手放し、貰う事から、与える事へ喜びの源を変えていっているつもりでした。

 

ですが、誕生日にカードがもらえなかっただけで、39歳にもなって、完全に拗ねてしまったのです!

 

私は、この時に本当に必要な事が必要な時に起こっていくのだなと思いました。

 

私にとって、気付くべき事が、気付くべき時に起こるという事です。

 

今まで、積み重ねてきた、期待や執着というのは、何層にも折り重なって細胞に組み込まれています。

 

そんなつもりは無くても、 やはり、細胞が反応してしまうのですね。

 

人間の癖というのは、なかなか抜けるものではありません。

 

私には、

期待する癖

要求する癖

コントロールしようとする癖

が思いっきり染み付いているのだなと感じたのでした。

 

つい先日、スタッフから

「遅くなりましたー。」

と誕生日カードをもらった私は、

「こういうもんはな〜!当日渡さなあかんで〜〜!!喜んでもらいたいなら、そこは真剣にやらないと!手を抜いたらあかん!!」

 

とプリプリしていたのでした。

(可哀想な真木さん)

 

私達は、自分の価値観を信じて生きています。

 

こうした方がいい。

こうしなければならない。

これは間違っている。

あの人とは、合わない。

これこそが幸せ。

こうなったら不幸。

 

その考え方の癖や、強さや深さによって、たくさんの悩みを抱えます。

 

多くの人がストレスを抱え、体調不良になったり、何かに依存したりして生きています。

 

そして、そのほとんどの不調和は、「迷い」が連れてくるそうです。

 

進むべき自分の道が分からない事ほど不安な事があるでしょうか?

 

昔は、選択肢が少なく、時代によっては、

最優先事項が明らかに「生きる」だった時代もあると思います。

 

ですが、私達が生きるこの時代は、常に選択肢が無限にあるように見え、これをしていたら、あっちが気になり、あれをしたらこっちが気になってしまうという

「何していても迷っちゃう時代」

です。

しかも、日本は世界でも有数の裕福な国であり、それがまた迷いを生み出していると思うのです。

日本は、裕福でありながら、迷いと不安が多く、とても自殺が多い国です。

 

その中で、私達は、人生をかけてやるべき事を見つけていかなければなりません。

 

選択肢が無限にあるように見える上に、私達の頭は、常に思考で占められています。

 

自分の価値観で判断しているので、もちろん、うまくいかない事の方が多い訳です。

 

そこで、また、不安になり迷う。

 

「私はこの人生においてこれをするのだ!」

と一点集中出来る、

仕事や、お仕えする人や、役割を見つけていかなければ、ずっと何をしていても迷いの中にいることになります。

 

その迷いとは、

 

少しも間違いたくない

少しも失敗したくない

少しでも得したい

少しでも楽したい

少しでも好かれたい

少しでもすごいと思われたい

少しでも美味しいとこどりしたい

 

という不安を源にした、欲求からやってきます。

 

ですから、

「自分に起こる事は最善であり、自分の道につながっている最短ルートである」

と知り抜いておく事、そして捧げ切る覚悟が必要です。

 

何を選んだとしても、体験を通しての学びがあります。

 

逆に言うと、自分の中にプログラムがない事とは、決してご縁が無いから、安心していいのです。

 

それは、アドレナリンを出しまくって、モーレツに熱くなった勢いで起こってくる覚悟ではありません。

 

静かで、柔らかく、超リラックスしている状態で起こってくる、

「これに献身して生きよう!」

という優しい覚悟です。

 

その覚悟が本当に芽生えた時、

 

他の事をやったらどうなるのか?

人がどう思うか?

自分は果たして何点なのか?

 

は、本当にどうでも良いのだなという事が分かってくるのだと思います。

 

その時こそ、例え自分の誕生日であっても、貰う事から解放され、与えて与えて与え尽くす事にのみ集中していけるのだなという事を、私はこの体験から学びました。

 

誕生日が近い方は、こちらからは求めていないけど、一応純粋な気持ちを周りの人に、伝えておきましょう!

 

「オッス!

オラ本当は、バッグが欲しいけど、無かったら無かったで大丈夫だぞ!

オラは、貰いたいんじゃ無くて、与えたいんだ!

でも、もらえるんなら遠慮無くもらってやるぞ!

なるべくいいヤツにしてくれよな。」

 

と念のために、悟空風に旦那さんに言っておきましょう!

 

私達、愛されているし、すでに高い価値があります。

ですから、自分の価値を証明する事に、エネルギーを使う必要はないのです。

頭を静かにして本当の自分の声に耳を傾けましょう!

自分の静かな内側からやってくる

 

ワクワクする事、

喜びが溢れてくる事、

愛を伝えられる事、

 

を真剣にやっていきましょう!

 

今日も読んで下さってありがとうございました〜〜!

年末お忙しいとは思いますが、ご自愛くださいませ!

またお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月1回のスタッフミーティングで話した、これから私が目指す店の話

こんにちは!

サナブリ真木です(*´∀`*)

 

クリスマスシーズン真っ只中で忙しい日々ではありますが、今の私の心境として、

「コントロールしようとしない事」

「出し惜しまない事」

という2つ事を大切にしている為、隙間をぬってブログを書きたいと思います。

 

今日は、今年最後の里の市です!

サナブリの家具を作って下さった、DelSol家具のナカマさんが、可愛すぎる子供椅子を作るワークショップをしてくれます。

寒いと思いますが、モーレツに燃えて作ってみませんか?

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な、なんと2000円だそうですよ!

美味しいものも沢山ありますので、ぜひご来場下さいませ!

 

 

昨日は、月に1度のサナブリミーティングの日でした。

サナブリでは、毎月第3火曜日のアイドルタイムにお店を閉めて、スタッフミーティングを行っています。

 

意識の向上

情報の共有

を目的としていて、今後の店の在り方の「方向性」を伝えたり、みんなで意見を出し合ったりしています!

 

昨日のミーティングで、私がスタッフに話した事を紹介させていただきます。

 

 

起業しても10年後には9割の会社や個人事業が倒産していきます。

その残る1割と、つぶれる9割の違いは何か?

 

私は、今まで、

「人に喜んでもらいたいのか?」

「自分が喜びたいのか?」

の違いだと思っていました。

 

自分が、儲けて、良い車に乗るためにどれだけガムシャラにやっても、だんだんお客さんはシラけてきて離れていく。

 

本当に喜んでもらおう!という気持ちが伝わるからこそ、また来ていただけるんだ!と思っていたのです。

 

ですが、今は、それもちょっと違うなと思っています。

この2つは、どちらも大きな意味では、違いがあまり無いんです。

 

どういう違いかと言うと、ステージの違いです。

人を喜ばせたいのも、

自分を喜ばせたいのも

どちらも同じ

「自分てどうなの?ステージです。」

このステージの特徴は、

私ってイケてるの?

私って何点なん?

私の価値ってどのくらい?

私の才能って何?

私は人から見てどうなん?

私って愛されてるん?

 

という事が原動力になっているステージです。

要するに不安が原動力になっているのです。

このステージが、悪いという話ではありません。

 

多くの人がのっているステージであり、私もつい最近まで、しっかりのっていました。

そこでしか体験出来ない事もあります。

 

ですが、このステージにいる限り、ベテランにはなれても、本当のプロフェッショナルになる事は出来ません。

 

ベテランは世の中にいっぱいいます。

「慣れている人、上手い人、早い人」

の事です。

 

長くやれば、大抵そうなっていきます。

ですが、本当のプロフェッショナルは、ベテランの事ではありません。

本当のプロは、人の心を揺さぶります。

 

本当の料理のプロは、一口食べただけで、衝撃を与えたり、その素材の故郷まで一瞬でワープさせたりします。

中には涙が溢れてくるという体験をさせるプロもいます。

 

また、本当のサービスのプロは、

「こんにちは!いらっしゃいませ。」

の一言で、言われた人の心を揺さぶります。

その笑顔が焼き付いて離れなくなったり、その人と会えた事を幸せに感じさせたりするのです。

 

この本当のプロフェッショナル達は、

「自分ってどう?いけているでしょ?」

という発露で仕事をしてはいないのです。

 

皆さんも、好きなミュージシャンや音楽家がいますよね?

どうしようもなく、心が震える声、音、歌詞がありますよね?

その人は、

「自分ってどうですか?何点ですか?」

と音を通して語っていますか?

音から何が伝わって来ますか?

 

本物のプロフェッショナルは、そのステージはもう卒業しているんです。

 

次のステージ

目の前の今という瞬間に魂を打ち込むステージ

にいるのだと思います。

 

私は、これから、

自分てどうなの?ステージを卒業し、魂を打ち込むステージ、別名、超真剣ステージ進みます。

 

このステージでは、目には見えない世の中の流れや気を読むという事がとても大切になります。

 

自分の価値感を握り締めていると、その大切な流れが見えないのです。

 

ですから、コントロールしようとするのを一切やめて、流れを読み、命がけで飛び込む事に専念します。

 

スタッフの皆さんにお願いです。

これからサナブリは、

自分てどうなの?ステージを卒業し超真剣ステージに進む店

になっていきます。

 

トイレを磨く時、

洗い物をする時、

クッキーを袋に入れる時、

人参を切る時、

 

全ての仕事において心を込めて、超真剣にやってください。

 

自分がどう思われるのか?

自分は何点なのか?

を気にしているうちは、大した仕事は出来ません。

自分に制限がかかるからです。

 

そんなことは、本当にどうだっていいんです。

 

目の前の素材、事柄、人、ありとあらゆるものに心を込めて向き合いましょう。

 

ただ、コツコツとそうしていれば、全く予想もしなかった大きな役割が与えられ、点数などつけられない自分に出会うことになるでしょう。

 

これからのサナブリは、

超真剣ステージです。

どんなお店ですか?と聞かれたら、私は

「超真剣な店です。」と答えることにします。

 

そうする事で、スタッフの皆さんの役割、輝き、本当の魅力を引き出していきます。

 

今、ここに皆さんがいるのは、偶然でもラッキーでも何でもなく、それを本当の自分が選択していたからだと、私は思っています。

 

超真剣ですから、遠慮は出来ません。

そして皆さんも遠慮する必要はありません。

 

自分を見くびらない事です。

自分が与えられるものの価値を甘く見ない事です。

 

超真剣に仕事を楽しみましょう!

喜んでやりましょう!

 

本当の自分との出会いに感謝して進みましょう!

よろしくお願いしますね!アハ!

 

 

 

 

 

ミーティングの話をワザワザ、公表するのも変な話ですが、私達サナブリは、このように進んでいきたいと思います!

 

2016年も後わずか!超真剣なサナブリにぜひ、ご来店下さいませ!

 

こう語っている私が意外に一番ボケッとしていたりしますが、スタッフはみんな真剣です。

 

私のボケやミスの尻拭いを、超真剣な顔で行っています。

 

そんな状況なのに、私は

「皆さん、超真剣にやって下さい。」

と超真剣に言っているのです。

 

これこそが、私が

「自分てどうなの?ステージ」を卒業している証拠なのですよ!(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

本当に素晴らしい最高のスタッフに巡り会えた事に感謝です(*´∀`*)

 

みんなを誇りに思います。

 

ミーティング出てないスタッフもしっかり、読んでおいてや〜〜!

 

スタッフのみんな〜〜!やったろやないか〜〜い!

 

皆様にとって、今日1日が超真剣な1日となりますように!

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良い人」の壁を超えてこそ出来る仕事があるんですね!

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

これから、クリスマスウィークが始まります(๑˃̵ᴗ˂̵)

サナブリでは今日から一週間

クリスマスランチセット

クリスマスディナーセット

を販売します。

 

クリスマスケーキも、あと少しならご予約いただけますので、ご希望があれば、また、お早めに連絡下さいませ!

 

今日は、「善人の壁」について書きたいと思います。

私達日本人は、とても「良い人」が多いとされています。

学校でも、会社でも、

「みんなの為に!」

「人の気持ちを考えて!」

と教えられてきました。

 

そのせいか、私達には

「我が強い人は迷惑」

「自己中心的な人は嫌われる」

というイメージが強くあり、そうなる事をとても不安に思っている人が多いと思うのです。

 

ですから、自分は、控えめにしゃしゃり出ず、場の空気を読んで行動するという体質の人が、たくさんいます。

 

こういう人は、基本的に優しく、人当たりが良いので、敵が出来にくく、気が弱い人も安心して接する事が出来ます。

 

私は、気が強いのか弱いのかどっちやねん!という性格で、

ハッキリ自分の意見をズバッと言ったかと思うと、その後、みんなの顔色を見て必死にフォローしたりする、ずっと、引っ込み思案なジャイアンのような子でした。

もはや、それは、ジャイ子とも言いますが。

 

ですから、どちらかというと、控えめな人とは話しやすく、我が我がタイプの人は苦手だな〜と常々思っていました。

 

ですが、最近学んだ事で、

「天命を生きるなら、善人を超えなければならない」

という話がありました。

 

というのも、

全てにとっての最善を選択する時、

その場にいる全員にとって嬉しい事であるとは限らないからです。

 

傷つく人がいたとしても、

その場の空気が凍りつくとしても、

必要であれば、

迷い無く選択出来なければならない。

 

そのように、常に、命懸けで臨まなければ、本当に自分がするべき事は見えてこないという事でした。

 

これは

「善人の壁を超える」

という事だと思います。

 

多くの人が、

良い人になりたくて、

良い人になって好かれたくて、

日頃から自分を押し殺し、

無理に我慢して

人や、その場に合わせようと努力しています。

 

そして、多くの人が頑張って良い人になった結果、多くの悩みを抱えています。

 

「良い人すぎる」

と言って振られたり

「あなたはいいよね」

と、ないがしろにされたり、

自分の意思と反する事を引き受ける羽目になったりする事です。

 

この事実を考えると、

「良い人になる」

という事は、私達が目指すべきゴールでは無いという事では無いでしょうか?

 

私も、

「心から優しくて、みんなに好かれる、良い人になりたい!」

と強く願っていました。

 

そうなろうとすればするほど、鬼軍曹である、ブラック真木がチョコチョコと顔を出し、これは、バレたらマズイぞ:(;゙゚'ω゚'):と、すごく取り繕う羽目になっていったのです。

 

この、裏と表がある状態って

本当にしんどいですよね!!

 

私は地元で商売をしている為、関わる人のほとんどが、お客様、スタッフ、生産者という関係で、とにかく、ずーっと表の顔でいなければならず、なんかとても苦しかったのです。

 

 

誰かに私の話を聞いて欲しい!

 

苦しくて、苦しくて、母と妹がにだけは、頻繁に愚痴をこぼしていました。

 

私の母は、驚くべき事に、そんな苦しそうな私の話を聞くだけ聞いて、何のアドバイスもしませんでした。

 

これが、美和子の恐るべき所ですが、私が何故苦しんでいるか、多分、分かっていたと思うのです。

 

娘がとても苦しんでいて、自分はその理由が分かっていて、どうすれば良いかも知っていたとして、それを言わないという事が、果たして私に出来るだろうか?と考えます。

 

これこそが

「全ては天の采配である」

と信じ切って生きている証拠です。

 

多分、すごく祈ってはいたと思います。

 

もしくは、意外と私の話を聞いている振りして、全く聞いていなかったか?

(母の事ですから、結構ありえます。)

 

母は、私に、

「これ行ってみたらどうかな?」

と今私が学んでいる、スピリチュアルな生き方「宇宙の真理」を教えて下さる先生の個人セッションのチラシを渡して来ました。

 

母は、本当にお金など無いのに、

 

「真木ちゃん、すごく頑張ったから、これお母さんがプレゼントするわ。」

 

とクシャクシャのお金と一緒にチラシを渡してきたのです。

 

しかも勝手に個人セッションを予約して、

 

「真木ちゃんが行かないなら、お母さんが行くから」

 

と、何ひとつ悩んでいない癖に、私が行かなければ、自分が個人セッションを受けようとしていたのです!

 

私は、

「お金は大丈夫やから、行ってみるわ。」

と言って、先生の所へ出かけて行きました。

 

自分の裏も表も出していいのだと思うと、部屋に入った瞬間から涙が溢れ出し、最初から最後まで、ず〜っと泣いていました。

 

その時、教えていただいた事は、握りしめているものが多すぎた私には、スコーンとは落ちて来なかったのですが、その半年後に

「そういう事だったのか!!」

と急に理解することになるのでした。

 

そして、今、ようやく私は、善人の壁を超えようとしています。

 

確かに、みんなが嬉しくて、笑っていられたら一番良いに決まっています。

 

でも、その為に一番大切な事は、

「全てにとっての最善の選択をする」

という事です。

 

これを選択した時、握りしめている価値観によっては、傷付く人、怒る人もいるでしょう。

 

「私の事を尊重してくれないんですか?」

ともっともらしく裁いてくる人もいるかもしれません。

 

ですが、

自分の価値は、人がどう思ったかで決まるものではありません。

そして、好かれようとして、人に合わせるという事は、本当の愛がする事では無いのです。

 

天命を生きる為には、

「必要ならば、やってやる!」

という強い覚悟が必要です。

 

それでも、自分の価値観の中で小さい幸せを追いかけるよりは、心はとても平安で、安心しきっていられるのだなと感じます。

 

良い人では、出来る事がかなり小さくまとまってしまいます。

 

「善人の壁」を超えてこそ、必要な事が必要な時に展開されていくのだと思います。

 

私はこれから、良い人も悪い人も卒業し、「ブッこむ人」を目指していきたいと思っています。

 

今日も、武器を持たずに、丸腰で、子供のように、本当の自分で過ごしましょう!

裏も表も全部合わせて、自分の最高のパーツであり魅力です。

誰かの目を気にせずに、場を波立てることを、良しとしてみましょう!

 

「良い人とは、どうでも良い人」

とはよく言ったものですね!

 

自分の制限を外し、

自分に与えられた役割を爆発させながら生きましょう!

 

読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人に対しての責任はどこまで取らなければならないのか?

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

今日は、

「責任を取る」

事こそ自分の人生を生きる事だと思っていた私が、「責任を取ろうとしすぎる病」にかかった話を書きたいと思います。

 

私は、

自分の考え、言葉、行動、を絶対に人のせいにしてはならないと考えていました。

 

自分の人生に対して、自分が責任を追わない限り、何も始まらないのだと強く信じていたからです。

 

なので、誰に何を言われても、最後は自分が覚悟を持って決めるのだと自分に、言い聞かせていました。

 

そしてその延長なのか、周りの人、主人や子供やスタッフの事も、だんだん、自分の責任であると思うようになってきました。

 

私が雇ったスタッフ、

私が産んだ子供、

私が決めたパートナー、

私が始めた店、

私が決めたルール

 

全てにおいて、私に責任があると思っていました。

 

ですから、常に私にかかっているという感覚があったのです。

 

すると、何か重た〜〜いのです。

 

重たいものを、四六時中持っているという事は、意外と疲れるんですね!

 

今考えると、いつも、パンパンのリュックを背負って歩いているような、肩がカチカチに凝るようなしんどさがありました。

 

それは、割と子供の頃からずーっと続いていた感覚だったのです。

 

ですが、私は本当の意味でこのリュックを下ろす時がやってきたのです。

 

実は、これまでの間に2回ほど、私は、荷物を下ろすという感覚を味わった事がありました。

 

1度目は何と、中学1年生の時です。

私は、以前住んでいた神奈川県へ、よく面倒をみてくれたおばちゃんを訪ねる為に旅行しようと、お年玉やお小遣いを貯めていました。

 

その大切な全財産が入ったお財布を失くしてしまったのです。

 

寝ても冷めても、ずっとそのお財布の事が頭から離れず、必死になって探していました。

 

私の両親は、クリスチャンである為、私達兄弟は、子供の頃から祈るという習慣がありました。

 

「神様!どうか、どうか、私のお財布が見つかりますように!!お願いします!!何でもします!どうか私を助けて下さい」

 

と必死になって祈っていました。

 

すると、その時に礼拝で歌ったある賛美歌が、

ズドーンと私の中に降りてきたのです。

 

それは、結婚式やお葬式でも歌われる、とても有名な賛美歌321番「慈しみ深き」です。

 

1番の歌詞はこうです。

 

慈しみ深き友なるイエスは、罪、咎、憂いを取り去りたもう。
心の嘆きをつつまず述べて、などかは下さぬ、負える重荷を。

 

意味は簡単に言うとこんな感じです。

 

愛に溢れているイエスキリストは、

罪、心の迷い、心配事を取り去ってくれます。

心にある悩みを全て打ちあけて、何故、重荷をおろさないのですか?

 

私はこの

何故、重荷を下ろさないのですか?

の歌詞に、中1にして、ものすごい衝撃を受けたのです。

 

そうだ!全て、神様がいいようにしてくれているんだ。

これを分かるために、財布が無くなったんだな。だから、思い悩まなくてもいいんだ!

神様ありがとうございます!

 

と分かってしまい、財布の事から解放され、とても身軽になったという体験をしたのでした。

 

変な中1ですよね(^_^;)

そりゃおばちゃんみたいな子供になるわ。

 

そして2回目は、20歳の時です。

やたらと先の事が不安になってしまうという、ネガティヴに心配ばかりしてしまう時期がありました。

 

その時に、母の紹介で、米沢の牧師さんが行なっている、

「トータルカウンセリングスクール」

という、自己受容の勉強をするというセミナーに行った事がありました。

 

その時学んだことは、

「一元に生きる」

という事でした。

出来たら素晴らしい、

出来なかったら素晴らしく無い

という二元では無く、

何も出来なくても、

どんな事があっても、神の采配により、

「全ては最善の為に起こる」

という事を知り抜いて生きましょう!

という事を教えていただきました。

 

そこでまた、重たかった自分の荷物を下ろす事ができたのでした。

 

そこからは、とにかく明るく前向きに人生が展開されていきました。

 

なんてったって、20歳にして

「全ては最善の為に起こる」

という事を感覚的に理解したのです。

 

怖い事があまり、ありませんでした。

 

ですが本当の意味では、分かりきっていなかった様で、

実力主義、結果がすべての環境で働く中で、

だんだん、

自分次第で全てが変わると思い込むようになっていきました。

 

すると、1つまた1つと、背負っている荷物が増えていったのでした。

 

そして、とうとう、私はこの相対性の世界の仕組みを知る時が来ました。

 

そして、

 

「なるほど!自分が人生の最高責任者では無いのか!むしろ逆!コントロールしようとせずに、全て委ねて、お任せして、自分の天命を全う出来るように、身軽に自由になっておけばよかったんだ!」

 

という事を理解しました。

 

それが分かってしまうと、もう本当に楽チンです。何故ならコントロールしなくていいのです。ただ、手ブラで流れに乗っかって流されたらいいのです。

もちろん、メチャクチャ覚悟と勇気は入りますが!

 

そして、今まで、

考えた事、

学んだ事、

体験した事、

太った事、

ドブに落ちた事、

旦那の顔の上にクサヤを乗せ続けた事、

 

全てに、ホンノ1ミリさえも無駄が無かったのだなとハッキリと理解する事が出来たのです。

 

そうしていると、今まで

「私の責任」

と思っていた事がすごくおこがましかったのだと分かってきました。

 

何故なら、私と同じように、みんなにも天命があるからです。

その人だけの役割があり、その人にしか出来ない体験をする為に生きているのです。

全て、その人にとって必要だから起こっているのです。

 

その人にとってのその体験は必要な事なのです。

 

それを、私のせいで!としゃしゃり出て勝手に背負って、

「重い重い!」

と私は怒っていたのです。

ホンマにすんませ〜〜ん!

 

本当に、

「責任を取ろうとしすぎる」

という病気にかかったのだと思います。

 

何故、病気にかかるのか?

それは、自分の存在そのものの価値を知らなかったからです。

 

だから価値を証明しなければならず、不安になったんですね。

 

皆さんは、どう思うか分かりませんが、私はこの世は、神様が作ったのだと思っています。

 

ですから、間違い無く愛されているし、全てのものに価値があるのだと思っているのです。

 

どう捉えるかは、もちろん自由ですが、

私は、私だと思っていた私を手放したその瞬間から、本当の私の役割が目の前にバーンと現れ、細胞に組み込まれていた、プログラムが一気に起動し出したのを確かに感じています。

 

ですから、責任を取るべきは、

「自分の役割に対してのみ」

だと言い切れる思います。

 

そこにさえ、命がけでいればそれでいいのだと、氣太く天命を生きている方から教わりました。

 

それ以外は、自分の領域では無いのです。

責任を取る事で自分の価値を確認してはうまくいきません。

 

自分が目の前にある事に、心を込めて、全身全霊で進むという事にだけ、責任を取ればいいのです。

 

今日も、目の前にいる人を愛を持って見守りましょう!

すべて、その人にとって必要だから、起こっているのです。

決して自分のせいで起こっているのでは無いのです。

子供たちも、必要があって親を選んで産まれて来ているのだと思います。

だから

「こんな母親でごめんね」

なんて言わなくていいんですよ。

「そっちが勝手にお母ちゃんを選んだんやろ〜!とか言って、私も本当は貴方を選んだんやけどな(*゚▽゚*)我ながらナイスチョイスやったわ!」

と言っておきましょう!

 

読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人を幸せにしているあの人は何故人を幸せに出来るのか?&料理教室のご報告

こんにちは!

サナブリ真木です。

昨日は12月二回目のお料理教室でした!

ブッシュドノエル↓

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シュトーレン&リースパン↓

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クリスマスディナー↓

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 12月のお忙しい中、そして風邪がメチャクチャ流行っている中、参加して下さった方、本当にありがとうございました(*´∀`*)

次は2月10日に

バレンタインチョコ教室&チョコデザート付き料理教室を予定しています!

また、詳しく決まりましたら連絡させていただきますので、よろしくお願いいたします。

 

さてさて、今日は周りの人を幸せにしたいな〜と常々思っていた私が最近気付いた、

「明らかに人を幸せにしているある人物」について書きたいと思います!

 

私は、今まで

「人を幸せにしたい!」

という思いを握りしめて生きてきました。

なので、自分の周りの人が

嬉しそうにしているか?

笑っているか?

悲しんでいないか?

がとても気になっていました。

 

遡ると、小学校の頃から、友人の誕生日会に行く時は、その子にとびっきり喜んで貰おうと、全力で手紙と手作りのプレゼンを用意して渡していましたし、日頃から、人の良いところを見つけて褒めるという事を心掛けていました。

 

「褒める事でその人が自分自身の事を好きになってもらえたらいいな」

「私と話す事で喜んでもらえたらいいな」

と思って一生懸命褒めるようにしていました。

 

ですが、だんだん自分が

人を幸せにしようと頑張れば頑張るほど、周りの人の顔色が悪くなっていく事に気付き始めました。

主人の顔色はその時にはもう、土色になっていました。

「あらー!これは、さすがにヤバイかも(汗)」

と思い、更に一生懸命、主人を褒めようと努力したり、感謝を伝えようと工夫したりしていました。

ですが、私にも主人に対して、

「自分で無いものになる努力をさせられた」

という強い恨みが心の奥底にあった為、分かっていても、どうしても優しい言動が取れず、何で出来ないのか?と更に自分を責めるという悪循環が続いていました。

 

とにかく、このやり場の無い怒りや虚しさをどうしたらいいのか?を知りたい。

心から優しくなりたい。

どうしたら自分自身が満たされて、本当に人を幸せに出来るのかを知りたい!

 

と真剣に願っていました。

どれだけ取り繕ってみても、自分の意識状態は呼吸を司り、全身から発振されていきますので、私の意識にあるように

「人を幸せに出来ない」

という現象が淡々と現れていたのです。

 

私は、意識状態と現象の法則を理解し、思考で埋め尽くされていた頭をクリアにする事で、

自分自身を許す事、そして人を許すという事を体験しました。

 

これは、本当に感動の体験でした。

心が信じらないくらい軽くなりました。

 

その時から視界が一気にクリアになりました。

今まで見えてかなかった、景色や、命ある生き物や、人々、子供達の表情、目の奥にあるものがハッキリと見えるようになってきたのです。

 

すると、もしかして人を幸せにするってこういう事なのかな?

という1つのモデルを発見しました。

 

それは、産まれて間も無い「赤ちゃん」です。

笑っている赤ちゃんの前では、誰もが笑顔になってしまいます。

 

まあまあ不機嫌なおじさんでさえも、赤ちゃんに笑いかけられると、ニッコリ笑顔なってしまいますよね?

 

これは、赤ちゃんが超強力な武器を持っているからだと思います。

 

その武器とは

「判断出来ない」

という武器です。

 

赤ちゃんは、

「この人は、マイペースだな」

とか

「この人は、優柔不断だな」

とか

「この人は、眉毛がつながりかけてるな」

 

などと判断出来ません。

ただ、純粋に

「お腹が空いた〜〜!!」

とか

「オムツが気持ち悪い〜〜!!」

と感じて泣き喚いてているだけです。

 

「私のお母さんはこの人か。この人にはもう少し段取りを考えて育児をしてもらいたいものだね。そして、テレビばっかり見てないで、早く私に、もっと美味しいものを下さいよ。あらあら、もうちょっと栄養のバランス考えた方がいいんじゃないですか?」

 

とは考えていないのです。

 

私達はそれが分かっているので、

赤ちゃんの前では、

丸裸でいられますし、

自分のお肌のの調子が悪かろうが、

髪の毛がボサボサだろうが、

コミュニケーションスキルが無かろうが、

 

全く関係無く、赤ちゃんをぎゅーっと抱きしめる事が出来ます。

 

赤ちゃんの前では、本当の自分でいられるのです。

 

これこそが、人を幸せにするという事では無いでしょうか?

 

もちろん、赤ちゃんはとても可愛く、見ているだけで幸せな気持ちになれます。

 

ですが、決してそれだけでは無く、

 

赤ちゃんが持つ、「超純粋さ」こそ、赤ちゃんが人を幸せにする最強の武器のように思うのです。

 

私達大人には、赤ちゃんには無い知性があります。

 

この知性を持った上で尚、判断しないという赤ちゃんのような「超純粋さ」を持っていれば、その人の周りの人は、ありのままの自分でいられます。

 

ありのまま、そのままの自分でいられるという事は、本当に幸せな事です。

 

「判断しない人」の周りの人は、そのままの自分で受け入れられていると感じ、心から安心し、力が発揮出来て、いつの間にか幸せになってしまうのでは無いでしょうか?

 

私は、知性を持ちながらにして、自分がコントロールしようとせず、全てのありのままそのままを、マルッと受け入れられる、赤ちゃんのようになりたいなと思いました。

 

周りの人が、

知っているふり

出来るふり

大きいふり

頭が良いふり

テキパキしているふり

強いふり

優しいふり

自分では無いもののふり

をしなくて済むように、その人のイノチのカタチを大切に出来る人になりたいとおもうのです。

 

周りの人が、自分は、そのままで素晴らしく、そのままで十分に価値があるのだと、一緒にいるだけで分かるような在り方を目指して行きたいと思っています。

 

それこそが私の目指す、

愛そのものという在り方

 なのだろうと思うからです。

 

そして、最後に

「人を幸せにしたい」

という想いは、意外とエゴから来ている事が多いです。

赤ちゃんみたいに、

気がついたらいつの間にかみんなを幸せにしていた

というただの結果である所こそ、赤ちゃんから学ぶ所だなと感じる今日この頃なのです。

 

今日も、みなさんの周りにいる赤ちゃん達に

「ご苦労様です。」

と声をかけましょう!

赤ちゃん達は、大きな役割を果たしています。

そして、自分が自分の事を判断しない所から始めましょう!

そのままですでに十分足りているんですからね!

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

また、お会いしましょう(^-^)v

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カフェを経営してみて分かった、「揺るがない自信」とは何か?

こんにちわ!

サナブリ真木です!

 

今日は、水曜日ですね!なんか一週間が早すぎないですか??

今日も、焼き立てパンとサナブリ特製弁当を持って、里の市に出店しに行ってきます(^-^)v

 

クリスマス間近という事で、ドイツのクリスマスパンシュトーレンも持って行きますよ(*゚▽゚*)これが、本当に食べだしたら止まらないんですよね!コワ〜〜∑(゚Д゚)

 

クリスマスのお菓子とシュトーレン

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後、冬の寒い日のイベント限定の、

レーズンバターサンドも、用意しました!

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天気が心配ではありますが、雨でも雪でも開催します!

ぜひ皆様、里の市に遊びに来て下さいませね(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

さて、今日は、私がお店をやってみて分かった「経営者にとって本当に必要なもの」

について書きたいと思います。

 

実際、私がお店をやってみて思った事なんですが、経営者が一番、不安になる時は、

「どうしたらいいか分からない」

時では無いでしょうか?

 

商品が売れない、

スタッフのやる気がない、

売上が伸びない、

利益が出ない、

 

など、具体的な問題が目の前にある時、

経営者は「どうすればいいか?」と考えます。

 

これが、明確にハッキリと分かっていて、

そのプロセスもしっかり見えていれば、

後はひたすら進むだけですからいいのです。

 

基本的に、経営者になろうと選択する人は、進むのが得意な人が多いと思います。

 

ですが、

「どうすればいいのか、全く分からない」

とか、

「こうすればうまく行く!という事が分かっていて、それをしているはずなのに、うまくいかない」

とか、

「人に聞きすぎて、何が正解なのか分からない。」

という事が起こってくると、

「あれ?何がまずいのかな?進む方向ってこれであってるのかな?」

と不安になってきてしまいます。

 

経営者にとって、この迷いというのは、本当に苦しみを伴います。

 

うまくいくかどうかが、自分の判断にかかっているのに、その判断が一か八かの勝負になってきては、生きた心地がしないものなのです。

 

私は、ありがたい事にそこまで追い詰められた事は無かったのですが、サナブリを経営していく上で、

「何か、思ってたのと違〜〜う!!」

という思いが常に付きまとっていました。

 

なので、

まだまだ足りない!

もっともっと素晴らしくしなくては!

ところで、何が足りないのかな?

 

と日々考えていたのです。

なので、いつも足りないヒントを探していました。

 

お察しの通り、「足りない所」を探していれば、足りないという証拠が出てきます。

 

ですから、どんどん不安になってきてしまうのです。

 

そして、私は、自分の在り方自体が問題を作り出しているという事を学びました。

 

私が在り方により、問題を作り出していた行動とは、以下の通りです。

 

①売上目標を設定し、それを逆算してどう行動するか決めていた。

 

②常に、反省点を探し、改善方法を考え、打ち出していた。

 

③自分の考え方や、価値観をスタッフと共有しようとして、ミーティングやメールで発信していた。

 

④スタッフの働きを正当に評価しようと、実力主義による時間給や、キャリアプランを設定していた。

 

⑤スタッフやお客様の声を拾うべく、細かいヒアリングを心がけていた。

 

⑥いつも笑顔で、関わって下さる全ての人に感謝し、それを表現していこう!と心がけていた。

 

まだまだ、沢山ありますが、私が心がけていた事は、多くの成功哲学の本にも書いてあるような、経営者なら、

「当然やるべき事」

ばかりです。見るからに

「それは、間違ってるよ!」

というものでは、無いと思います。

 

ですが!!!

 

正しいとされている事を心がけていても、本当に沢山の人が、「うまくいかない」という経験をしているのでは無いでしょうか?

 

そして、ほとんどのの場合、

「私の頑張りが足りないのかな?」

と捉えてしまい、より正しい事を頑張るという循環に入っていってしまいます。

 

私も、本当に驚いたのですが、

この常識とされている、

「うまくいく方法」には落とし穴があります。

「常識を疑え」とは、良く言ったものです。

 

それは、

その行動の源は何か?

という事です。

 

行動の源は大きく分けて2つしかありません。

1つは「不安」で1つは「愛」です。

 

この「不安」からやって来る思考や行動をまとめてエゴと言っていいと思います。

 

このエゴを源に

 

お店をやってみんなを幸せにしたい!

自分が出来る事で社会に貢献したい!

 

といくら思って努力してみても、驚くくらい顕著に、人を巻き込めないのです。

 

ですから正しいとされている事も、人には伝わらないし、繋がっていかないのですね。

 

もちろんエゴ丸出しの会社でも、利益を出しているところも沢山あるでしょう。

 

ですが、これは、利害関係で、全てが繋がっている為、損得感情を抜きにしてしまうと、簡単に破綻してしまうという危ういバランスで成り立っていると思われます。

金の切れ目が縁の切れ目というやつです。

 

だからこそ、私はいくら経営の本を読んでも、正しい事を実践しても、何か足りないような気がしていたのだと思います。

 

では、どうしたらいいのか?

今の私の答えはこうです。

 

愛を源に経営する事。

自分が愛そのものである事。

自分のイノチのカタチそのもので、

与えて与えて与え尽くすという、ビジネスを展開する事。

自分が与えるものの価値を甘く見ない事。

お客様にも、スタッフにも、本気の本気で、超真剣に関わる事。

そして、今という瞬間に全力で心を込める事。

 

これを総じて言うならば、

不安を手放して、天命に生きるという事でしょうか。これを私は、

「絶対に揺るがない自信」

という風に捉えています。

 

この揺るがない自信を身に付けつつある私は、1つなるほどな!という体験をしました。

 

それは、お客様からご予約いただいていた品を、私のうっかりミスにより、約束の時間が迫る中、まだ用意出来ていない事が発覚した時でした。

 

今までの私なら、さすがにこれは無理だ!と諦めて謝ることを選択していたと思います。

 

ですが、私はこの時、

目の前に道があるのをハッキリと感じました。

足りない材料を、まだ開店前のお店に頼み込んで手に入れ、周りのスタッフを竜巻のような勢いで巻き込んで、奇跡としか言いようの無い短時間で、約束していた通りに用意する事が出来たのです。

 

私はお客様にその品をお渡しした後、

「なるほど!これが、揺るがないという事か!」と感じました。

 

(私のうっかりミスから始まってるのが、誠に残念ではありますが!)

 

それは、自分の為、すなわちエゴの為では絶対に出て来ない大きなエネルギーが私を包み、前に進む為に邪魔になる障害物を勝手に片付けてくれたいう感覚でした。

 

今までは、ひとつひとつ、一生懸命、障害物を片付けて、片付けたつもりが、また上から落ちてきて、ウンザリしながら片付けて、その道を作る事にすごくエネルギーを使って疲れていたのです。

 

ですが、源が不安から愛に変わった途端、目の前にとても歩きやすい道がバーンと現れ、ご丁寧にも光で照らしてくれている感じがするのです。

 

こうなってしまえば、もう、猛ダッシュも可能です。

 

私の性分である、ブルドーザーを本当の意味で発動させる時が、やってきたようだね。ムフフという感じです。

 

これから私は、この揺るがない自信を引っ提げて、

「どすこい!どすこい!そこのけ!そこのけ!」

と進んで行きたいと思います。

 

今日も、愛を源に行動しましょう!

そして、自分のイノチのカタチを信じましょう!

そして、周りの人のイノチのカタチも信じましょう!

それが、自分の道を進むという事です!

今日1日が皆様にとって光に満ちて輝いている事を祈っています(*´∀`*)

読んでくださってありがとうございました〜〜!

またお会いしましょう!