オーガニックフェスタを終えて、今立ち止まって考えたい「全てにとっての最善」とは?
こんにちは!
サナブリ真木です!
昨日は、オーガニックフェスタに出店してきました!
伊賀有機農業推進協議会が主催する、伊賀オーガニックフェスタに、サナブリは毎回出店させてもらっています。
サナブリのコンセプトとして、
良いものを真面目に作っている生産者さんと、お客様を繋ぐ架け橋になりたいという思いがありますので、このオーガニックフェスタは本当に架け橋として最高だな!と常々、思っています。
昨日も、寒い中、沢山の方にご来場いただきまして、伊賀名張の方の食に対する意識の高さを改めて感じる1日となりました(*´∀`*)
主催者、出店者の皆さま、お疲れ様でした!
ご来場いただきました皆様、本当にありがとうございました!
みんなで、
有機的なつながりを大切にするまち、
そして、
あたたかい未来を考えるまち
オーガニックタウン伊賀を作って行けたら嬉しいなと思います。
今日は、有機的な暮らしについて考えたいと思います。
私は、両親がなるべく自然に近く、なるべく質素な暮らしを選択していた為、当たり前の様に有機的な暮らしの中育ちました。
子供の頃は、そのありがたさや良さがよく分からず、着色料がタップリ入った、ドギツイ色のお菓子に憧れたり、病院に行って薬を貰う事にワクワクしたりしていました。
私の家では、風邪やちょっとした怪我で、病院に行くという習慣がなく、基本的に人間が元々持っている自然治癒力を高める自然療法により治療をしていました。
その中でも、圧倒的に良く登場したのが、枇杷の葉っぱです。
擦り傷、切り傷、やけど、打撲、捻挫、などの外傷ならほとんどの場合、その患部に枇杷の葉っぱを巻き付けられていました。
子供心に、葉っぱをつけているのが恥ずかしく、
「お母さん、葉っぱが見えないようにして!」
と切実な思いで巻かれているのを見ていた記憶があります。
また、喉が痛いと言えば、ネギや、梅干しを手ぬぐいに巻いて首に巻かれ、
お腹が痛いと言えば、温めたコンニャクをお腹にのせられ、
熱があると言えば、キャベツを頭に乗せられていました。
母に「手に棘が刺さった」言った時は、梅干しを棘の上に乗せて、バンドエイドで巻かれてしまい、
「イヤ、棘を抜いてくれへんかな?」
と思ったものでした。
中でも一番謎だったのが、
目が痛い時です。
番茶に塩を入れて、その湯気を目に入れるまでは良かったのですが、その後、なぜか母の母乳を目に入れられるという、訳の分からない流れになっていました。
私には妹や、弟が3人いるので、母は、結構な割合で母乳が出ていたせいもあるのでしょうが、私は何とも言えない気持ちになり、
「それ、直接入れなあかんの?なんか恥ずかしいんやけど!」と思っていたのでした。
このように育った私は、幼少期はあまり即効性のある薬や注射で、身体の不調を直すという事をしていませんでしたし、石油系の洗剤やシャンプーを使わず、人工的に無理やり色や香りを付けた食べ物を食べずに育ちました。
その後、自分のお金を持つようになると、反動が大きく出て、今まで、憧れた食べ物や洗剤、シャンプー、そして薬をかなり買うようになりました。
そして、散々使ってみた結果、やっぱり人間は、安さ、便利さ、効率の良さ、即効性を追い求めるあまり、一番大切なものをないがしろにしているのだという事が分かってきました。
一番大切なものとは、
「全てにとって最善である」
という視点の事です。
私達人間は、自分達が
とにかく少しでも楽したくて、
とにかく少しても得したくて、
とにかく少しでも安心したくて、
とにかく少しても価値を証明したくて、
一生懸命、一生懸命、
自然を壊し、
身体に負担のかかるものを食べ、
産まれる事から死ぬ事までを含めて、全てを
コントロールしようとしています。
時には、同じ人間や、自分達が住む地球さえも、一生懸命傷つけて、自分の個性を発揮しようと躍起になって頑張っています。
ですが、本当にそうしなければ、私達は価値を証明出来ないのでしょうか?
そんなに自分を守らなければ、誰も助けてくれないのでしょうか?
「足りない」という幻想は、どこまでも自分勝手な大義名分を作り出します。
私達は、今、立ち止まらなければならないのだなと強く感じる今日この頃です。
私も、「足りない」と思っていたので、ずっと焦っていました。
価値を証明する為に、人の役に立つ大きな仕事がしたいと思っていました。
父や母のように、
質素に暮らすこと、
コントロールしようとしない事の意味が、
よく分かりませんでした。
ですが、今はこう思っています。
「自分にとっての最善では無く、全てにとっての最善を選択をしない限り、何かの役に立つ事は出来ないんだな。
自分が!という思いを手放して、天にお任せして純粋に生きていれば、必要な事が必要な時に実現していくはず!今、目の前にある事に心を込めて進もう!」
正直、なかなか、難しく感じる事もあります。
ですが、私達は愛されているので、そんなに心配しなくていいんだなという事はハッキリと分かりました。
今日も、目の前にある事に心を込めて過ごしましょう!
視点が変われば、ほとんどの事はすぐに終わっていく小さな事です。
小さな小さな棘のようなものなんですね。
とりあえず、棘には梅干しをのせておけばいいんですよ。
何でか分かりませんが、梅干しをのせておくと、棘が自然に出てきてくれるんですよ(*゚▽゚*)
不思議ですが、
「無理に何とかしようとしなければ」
自然と終わっていくんですね!
皆様今日も読んでくださってありがとうございました!
素敵な1日をお過ごし下さい!
また、お会いしましょう(*´∀`*)
「価値があるから、足さなくていい!」の本当の理由 &料理教室のご報告
こんにちは!サナブリ真木です!
今日は、まず料理教室のご報告をさせていただきます(*´∀`*)
胃腸風邪が流行しているようで、少人数での開催になりましたが、皆さんとっても、上手に作って下さいました!!素晴らしい〜〜(*´∀`*)
本当に今回は、めちゃめちゃボリューム満点のお得なメニューです
🎄クリスマスメニュー🎄
アレッタと海老のスパゲティ
クリスマスリースサラダ
チーズマーブルショコラ
↓
昼の部↓
夜の部↓
ご参加いただいた方、本当にありがとうございました!今日も、とても楽しかったです(๑˃̵ᴗ˂̵)
15日ご予約いただいている方、本当にご馳走です。お腹を減らしてきて下さいませ!皆さん、楽しみましょうね〜〜〜!!
シュトーレンもブッシュドノエルも最高ですよ(๑˃̵ᴗ˂̵)
お楽しみに〜〜!!
さてさて、では、タイトルにもあるように、「何故、私達には価値があるのか?」
について書きたいと思います。
私は、このブログのメインテーマとして、
「ありのまま、そのままで、価値があるから大丈夫です。私は足りていると確信し、足そうとしなくなったら、うまく行くようになりました!」
という事を書いているわけです。
「何となく分かるけど、何で価値があるって言い切れるんですか?」
「真木さんは、そう思うのかもしれないけど、どう考えても、私には価値があるようには思えません。」
「では、犯罪者や、私腹を肥やす政治家なども価値があるんですか?」
などと思われる方もいらっしゃると思います。
私もどこかで、ずっとそのように思っていました。
ですが、今は、
「価値がある」
と言い切れると確信しています。
それはシンプルでありながら、とても奥が深い真理に基づいている為、説明するのはなかなか難しいのですが、私流に簡単に言うとこういう事です。
その理由は、「愛されているから」です。
例えば、私の娘は、よくドングリを拾ってきます。たくさん拾っては、プレゼントとして私にくれるのです。
私は、家の中がドングリだらけになって、踏んだら結構、痛いので、
「ドングリ、ホンマ要らんねんけどな〜〜」
と日々思っていました。
ですが、子供達にとったら、ドングリは宝物なのです。
このドングリに価値はあるか?
と聞かれれば、
子供にとったらYes
私にとったらNo
なわけです。
という事は、物の価値というのは、その人がそれを大切にしているかで決まってくるという事では無いでしょうか?
なので、奥さんが勇気を出して買った、高額な化粧品も、旦那さんにとっては、
「それ、安いのとどう違うん?何も、顔変わってないやん」
と価値が全く理解出来ず、
また旦那さんが、へそくりして買ったゴルフセットを、奥さんがイライラしている時に
「何やこれ。こんなんで、うまくなった気になんなよ!腹立つからこのパター折ったろかな」
と思ったりするわけです。
愛しているものには、その人にとっては、価値があるという事です。
人間でも同じ事が言えると思います。
価値があるから、愛されているのではなく、
愛されているから価値があるのです。
これを多くの人が勘違いしていて、
「価値が無いと愛されない!」
と不安に思い、価値を足す努力をしているように思うのです。
そこに落ちているドングリは、愛される為に努力しているのでしょうか?
少しでも丸くなろうとか、頭の形をベレー帽っぽくして、女子受けしようなどと狙ったりしているのでしょうか?
ドングリは、ただただ、全力で自分のイノチのカタチをまっとうしているだけなのでは無いでしょうか?
ですから、私が言いたい事はこうです。
自分の価値は自分が決めているのでは無いでしょうか?
自分が自分のイノチのカタチを大切にし、全力でまっとうして、それを愛している限り、価値が無くなる事は絶対に無いという事です。
そして、それに気付くと、私はすでにたくさんの人やものや神様に、自分が愛されていたのだという事が分かりました。
愛される為に、自分の価値を足そう足そうと必死になればなるほど、「足りていない」という現象が現れていきます。
なので私は、一貫して
「皆さん!ワクワクする事をやりましょう!」
と訴えているのです。
価値を足して愛されようとしているうちは、自分のワクワクの音が聞こえなくなります。
周りの人が、自分に対して言った
「あなたは、もっとこうだったらいいのにね。」
という言葉だけが、頭の中で大音量でこだまして、それこそが自分の真実であるような勘違いが起こってしまいます。
ですが、これは意外と真実ではありません。
真実は、いつも自分の外側からではなく、内側からやってくるのです。
ワクワクに正直に、純粋な意欲に従って、自分のイノチのカタチの通りに生きようとしている時、眠っていた能力が覚醒し、その人の本当の魅力が溢れ出てくるのだと思います。
ですから、皆様、
ぜひ、自分を大切にして下さい。
価値があるから、愛されるのでは無いんです。
愛されているから、価値があるんです。
そしてすでに私達は、ものすごく愛されてているんですよ!!本当に!!
自分を大切にすれば、人も大切に出来ます。
その人を大切にすれば、その人の大切なものも大切に出来るようになります。
ドングリや、化粧品やゴルフセットも大切に出来るようになるんですね!
私達は、とても愛されています。
ですから、今日も子供達に、
「そのままで100点満点!!だって、お母ちゃんは、あなたのことが大好きだから!!」
と伝えましょう!
旦那さんには
「まあ、よしとしよか…。」
と伝えましょう!(温度差!!(^_^;))
今日も読んで下さってありがとうございました!
また、お会いしましょう!
では、誰にも愛されていなければ、価値は無いのか?
これについては、このように思います。
「全てのものは愛されている」
田んぼの中でカフェを経営してみて分かった、田舎で店をやる為のポイント4つと、特に重要な事。
こんにちは!
サナブリ真木です!
皆さん、気付きましたか?
今日から、ブログのタイトルを、ブロガーっぽくしてみました(#^.^#)アハ
昨日、ゆとり世代代表のクールな弟に
「ブログに興味を持ってもらう為にはタイトルが、とても大切。
もう少し中身が分かるようにタイトルで説明して、長くてしてもいいと思うよ。」
と教えてもらいまして、早速、ブロガー風にしてみたのです!
ブログを始めて、1ヶ月半が経ちましたので、これからはブロガー真木としてちょっと、調子に乗っちゃったりなんかしちゃおうかな(*´∇`*)
なんて思っておりますので、皆様
「調子に乗って、イキリ出したで」
とイラつかないで下さいね!
ではでは、本題に入りますが、私は、2012年の7月にcafe sanaburiという、オーガニック食材をなるべく取り入れた、ナチュラルなカフェをオープンしました。
始めに、田舎で店をやるからこそ強く意識した4つのこだわりがこちらです。
目立ちやすさ、入りやすさでは無く、自分の店の魅力を最大限に発揮できる場所かどうかを、立地の条件とする。
新規のお客様に来ていただく工夫では無く、地域の方に何度も来ていただける工夫をする。
ターゲット層を絞り過ぎないメニュー構成と、幅広く受け入れられやすい雰囲気作りをする
田舎だからこそ、一流の人材を育て、圧倒的なホスピタリティを実現する。
京都大阪で働いていた私は、立地条件というものをすごく大切に考えていたのですが、伊賀名張に帰ってきて、人気店の立地条件の悪さに本当に驚きました。
田舎では、みんなが車で移動する為、国道から離れていようが、分かりにくかろうが、周りに何もなかろうが、店自体に魅力があれば、お客様はしっかり入っているのです。
それを目の当たりにし、分かりやすくて、入りやすい、家賃の高い物件よりも、自分の店の魅力を最大限に活かせる場所を探した方がいいなと思いました。
私の場合は、
姉妹店のオーガニックショップはらぺこあおむしの近くで、
まわりに緑があり、自然が感じられて、
駐車場がある程度確保できる。
これが、絶対に外せない条件でした。
次に、お客様に何度も来ていただく為の工夫です。
田舎で店をやる時の条件として、一度来て下さった方に、気に入ってもう一度来ていただけなければ、よっぽどの観光地以外は、絶対に続けていく事は出来ません。
都会の路面店のように、店に入ってもらう事がゴールでは無く、店に入ってもらった上で満足してもらい、「また、来たい!何回でも来たい!」と思っていただく事こそがゴールなのです。
その為に、私が一番力を入れたのは、メニューを変えるという事です。
週替わりのランチメニューや、季節のスイーツ、ドリンクで、旬を感じていただいたり、オススメ食材を提案させていただく事を大切にしています。
次に、ターゲットを絞り過ぎない事ですが、
都会で、人口が多ければ、
20代〜30代の健康と美容に興味があり、独身で自分にかけられるお金をある程度持っているOLさん
というように、ターゲットを絞れば絞るほど、コンセプトを明確に打ち出す事が出来て、コアなファンを獲得しやすくなります。
ですが、田舎でそれをやりすぎると、お客様を選び過ぎてしまい、元々分母の数が少ない為、分子が足りないという事になってしまいます。
私の場合は、オープン当時は、
健康、美容、ヘルシー、ベジタリアン、オーガニック、ナチュラル、オシャレ、
の、どのキーワードに対しても、こだわりすぎない、とんがり過ぎない、という事を大切にしていました。
田舎でやるなら、「お客様を選びすぎてはならない」と感覚的に感じていたのです。
そして、最後に、人材についてです。
田舎で、商売をするという事は、都会以上に、
何を買うか?
どこで買うか?
よりも、
誰から買うか?
の誰が重要になってきます。
経営者は勿論、スタッフ1人1人の人間性により、店の雰囲気やイメージが作られてきますし、一度ついたイメージは、簡単には拭い去る事は出来ません。
ですから、人気店を作る為には、都会以上に、優秀で誠実なスタッフが必要であると考えていました。
私の中で、オープン当初から、この人材の力が9割で、残りが合わせて1割だという感覚がありましたので、
「人を大切に、人を輝かせる店を作りたい!」
という強い強い思いがあったのです。
ですが、この人を育てる事が、一番難しく、一番頭を打った部分でした。
そして、4周年を迎える直前に人材を育てる為に本当に必要な事を学ぶを事になりました。
それは、
「自分自身がめいいっぱい楽しむ」
という事です。
私は、経営を起動に乗せる為に
「こうしなければならない。」
「こうでなければならない。」
と沢山のルールを作り、その中で一生懸命働いていました。
いつも笑顔で、
スタッフに感謝して、
明確な指示を出して、
どんどん新しい課題を出して、
良いところは褒めて、
分かりやすく改善点を説明して、
と、いつもいつも、自分で決めたルールを必死に守る事を心がけていました。
ですが自分自身に無理があれば、どれだけ正しい事を言っていても、人を巻き込む事や、育てる事は出来ないのです。
優秀で誠実な人材が、どうすれば育つか?
今の私の答えはこうです。
「自分自身が優秀で誠実で在る事。
そして、常に自由であり、
最高に楽しんで、情熱を燃やしている事。
それを、背中でスタッフに見せながら、
少し前を一緒に走る事」
結局は、スタッフに
どう関わるか?
では無いのです。
自分がどう在るか?
こそが全てなのです。
私は、それが分かってから、自分の在り方、店の在り方に対して、ものすごーく真剣になってきました。
自分が真剣そのものなので、変にスタッフの気持ちを考えて、気を使ったり、遠慮したり出来なくなってきました。
ですが、確実に、気を使って、遠慮していた時よりも、スタッフが成長しているのを肌で感じるのです。
やはり、はじめに書いた4つのポイント、全てにおいて言える事ですが、何事も小手先でやろうとしていては、絶対にうまくいかないという事です。
楽しんで情熱を燃やせないならば、流行らせるポイントを追いかけても、何の意味もないのです。
自分の責任で何かをやるのならば、
自分自身が、徹底的に楽しめる事
ものすごい情熱を燃やし続けられる事を
超真剣にやらなければ、続いてはいかない
という事です。
ですから、今の私にとって、店をやる上で、一番重要な事は、
現象に囚われず
「本当の自分のワクワクに従って進む」
という事です。
人間、それだけは、超真剣になれるのです。
それが、いつも自分の答えなのです。
これを見失えば、必ず迷いが出てきます。
そして、その迷いは周りの人を不安にさせます。
ですが、ワクワクに向かってさえいれば、どんなに、しんどい作業も耐えられます。
寒い中、朝早く起きて、冷たい野菜の土を洗う作業でさえも、喜びになってくるものです。
今日も、自分を信じて、まっすぐ前に進みましょう!
そうすれば、必ず同じ方向を見てくれる、ビジョンパートナーを与えられます。
ビジョンパートナーとの出会いは、最高です!
ワクワク以外の何物でもありません!
自分が心を開いて超真剣になってみたら、意外に横にいたりするものですよ!
「君か?」「君なのか?」と言いながら、日々を過ごしましょう?
皆様、今日も読んでくださってありがとうございました!
またお会いしましょう(*´∀`*)
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。
こんにちは!
サナブリ真木です。
今日は、わたくしサナブリ真木の誕生日です。
お陰様なのか、残念ながらなのか分かりませんが、今日で39歳になりました(*´∀`*)
30代最後の年を、最高に楽しみたいと思います。
誕生日を迎えて、フッと頭をよぎる事がありました。
それは、私の母方の祖父母の事です。
私の祖父母は、熊本に住んでいて、二人共90代にして健在です。
_
最近は、体調を崩していますが、少し前まで、車を運転していたような元気な農家のおじいちゃん、おばあちゃんです。
2人は、何とも言葉では表せないような、あたたかい雰囲気の持ち主なのです。
この、おじいちゃん、おばあちゃんは、私達兄弟にとって、とても大きな存在でした。
私が、物心ついてからは、たま〜に会うくらいでしたが、子供心に只者では無い感をビシビシと感じていたのだと思います。
おじいちゃんは、私に会うたびにニコニコしながら、
「真木ちゃんは、太かね〜。」
と熊本弁で言うので、
「えーー!?それ言う!?」と子供心にやや傷ついてはいましたが、
母は「大きいっていう意味だから!」とフォローしてくれていました(涙)
笑っていない所を想像するのが難しいくらい、2人は、いつもいつもニコニコと笑っていました。
私の結婚式の時も、おじいちゃんが体調を崩していたのですが、それでも2人で無理して結婚式に来てくれたので、
「これで会えるのは、最後かもしれない」
と涙を堪えて、
「来てくれて本当にありがとう!」
と固く握手をしたのを覚えています。
それから14年経ちますが、その間も、何度も何度も、おじいちゃん、おばあちゃんに会うことが出来てしまい、会う度に、今度こそこれで最後とばかりに「ありがとう」と固く握手を交わしているのです。
この、おじいちゃんとおばあちゃんの事が頭をよぎったのには、理由があります。
私が最近、
「何をするか?何をしたか?」doing
では無く
「どう在るか?どう在ったか?」being
こそが大切
だと日々感じていたからだと思います。
おじいちゃんとおばあちゃんは、まさに存在そのものだなと思ったのです。
私はこれまで、
「何をするか?」doing
をとても大切にしてきました。それこそが結果を作り、価値を決めると信じていたからです。
ハッキリ言ってしまえば、面接をする時も、スタッフを育てる時も、子供を見る時も
その人が
「何が出来るのか?」
という事を一生懸命みて、探していたました。
自分に対しても、
何が出来るのか?
何をすればいいのか?
を常に問いかけていました。
このdoing重視により、
私は、長い間、矛盾を解消出来ずにいました。
結果を出す為には、正確に、スピーディに、質の高い仕事をしなければならない。
だが、心が満たされる為には、そのままの自分を受け入れなければならない。
それは、質が高い仕事が出来なかったとしてもそのままを受け入れるということである。
だが、そうしていると結果は出ないのではないか?
という事です。
この矛盾は、人を育てようとする時に、顕著に現れてきました。
doingを大切にしてながら、beingを受け入れようとしていたので、どうしても無理が出て、バランスが取れなくなっていたのです。
完全に言っている事とやっている事が違う人になっていました。残念(^_^;)!
私は、「ではどうすればいいのか?」
が分からず、とても、もがいていたのです。
今、ハッキリと理解した事は、
多くの企業がそうであるように、
私が、ビジネスの目的を
「利益を出す事」
と捉えていた事でその矛盾を解消出来なかったように思います。
「利益を出す事」
は結果であり、目的では無いのだと今は思っています。
私は、
「人を幸せにする」「利益を出す」
という2つの、本来、結果であるものを、目的として追いかけていた為、行動に縛られ、動きが取れなくなっていったのでした。
これが分かってからは、
何をするか?では無い!どう在るか?だ!
と、自分自身の在り方を徹底的に変えていきました。
すると、今まで分からなかった、困った時の対処法が、迷う事無く、明確に分かるようになって来たのです。
何が起こっても、本当に揺らがなくなって来ました。ドーンと構えて
「どすこい!どすこい!」
と言っていられるようになりました。
これを言葉で表現するのは、とても難しいのですが、
どう在るか?とは、源は何か?と言い変える事が出来るかもしれません。
この事が分かってくると、
母や祖父母の在り方
がハッキリと見えるようになってきたのです。
うちの、母にしても、
祖父母にしても、何をした人か?
と聞かれれば、
「農業?」
と言うしかありません。
これと言う肩書きや、偉業を語る事は、ほとんど出来ないのです。
ですが、間違いなく
「愛を源に行動している人である。」
とは言えると思います。
そうでなければ、あのようには笑えないはずです。本当に90代であっても、目が純粋な子供のようにキラキラと輝いているのです。
私は、肩書きは何だかよく分からないけれど、
「存在そのものが愛である」
人が近くにいて、すごく幸せだなぁと思いました。
今の世の中は、
「何が出来るか?」
を大切にするあまり、
体力や、記憶力がある、働き盛りの人達により作られています。
ですが、どう在るか?こそが大切だと分かれば、今まで見過ごしてきた、お年寄りのその、圧倒的な存在感に驚いてしまいます。
これからの少子高齢化の日本において、
お年寄りを、働けなくなった人として社会の片隅に追いやるのではなく、
その存在そのものの力により、
知恵を授けてもらったり、
子供達に愛をもって関わってもらう事を通して地域の中心にいてもらう必要があるのかもしれません。
両親、祖父母、祖先の、愛のバトンを受け継いで、今、私がここに在るのだという事を心に留め、しっかりと愛のバトンを繋いでいきたいと思います。
自分がどう在るかを決めれば、
結果は、後から必ずついてきます。
おじいちゃんとおばあちゃんに感謝しつつ、
私は存在そのものを持って、それを伝えていきたいと日々感じているのです。
39歳の、太か〜サナブリ真木のサンキュー!な活躍にご期待くださいませ(^-^)v
今日も読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
私は「人のブログを読む暇などない!」と思い込んでいた、エセ忙しい人間だったので、こうして読んでくださる方々の事を本当に尊敬してしまいます。
やはり、私の目の前には愛と豊かさが溢れていたんだな!と実感する日々でございます。
今後とも、どすこい真木、サナブリ、スタッフ、クサヤのせられ主人、声デカ娘、はらぺこあおむし、バケモノ美和子、賢ブラック父、多すぎる兄弟達とその配偶者、姪っ子甥っ子共々、よろしくお願いいたしま〜〜す!
ありがとうございました〜!
また、お会いしましょう(*´∀`*)
受け入れる。楽しむ。情熱を燃やす。
こんにちは!
サナブリ真木です!
今日は、私が内側からの気付きを体験してから、大きく変わった、今、目の前にある事に対しての向き合い方の変化について書きたいと思います。
私の場合の気付きは、今考えると、色々な出来事が全て、つながって起こっているのですが、
「正しい事をしているはずなのに、何故かうまくいかない!何かがおかしい。それが何かを知りたい!」
という思いで、本を読んでいる時に、急に内側からやってきました。
まずはじめに、
「足りていないのではないんだ!全てが既に揃っているから、価値を必死になって足さなくてもいいんだ!」
という事が、分かり、自分も、周りの人も、ありのままを受け入れる事が出来るようになりました。
そして、次に
「足りているから、好きな事をしていいんだ!
絶対に、こうしなければならない。という事などひとつも無いんだ。自由なんだ!ただ楽しめばいいんだ!」
と分かり、気が重かった事や、嫌な事をやめ、やりたい事を楽しむ事が出来るようになりました。
そうしているうちに、次は、
「今、この瞬間こそが人生であり生命なんだ!
ここに心を込めればいいんだ!今を一生懸命、生きればいいんだ」
と分かり、今やっている事に対してメラメラと
情熱を燃やす
事が出来るようになりました。
そして、今、
受け入れる
楽しむ
情熱を燃やす
という3つ姿勢こそが、私がずっと探していた、イノチが喜ぶ生き方なのだと、強く感じています。
1日を過ごす中でも、その瞬間によって自然にこの3つの姿勢を選択しているように思えるのです。
例えば、急いでいるのに、曲がるべき道を間違えてしまい、車でかなりの遠回りをする羽目になって、一生懸命運転している瞬間は、楽しむ事も、情熱を燃やす事もなかなか難しいので、
「ただ受け入れる。」
を選択し、
「私って本当にドジ!」と判断せず、
自分を責めるでも無く、
ナビをコツくでも無く、
イライラするでも無く、
ただモクモクと運転します。
また、子供と公園に行き、子供が遊んでいるのを見ている時は、
「楽しむ」
を選択し、子供の表情や声を観察したり、声をかけたりして楽しみます。また、自分も一緒に遊んでみたり、自分は読書を楽しんだりと、その時間を楽しむ事にエネルギーを注ぎます。
そして、仕事をしたり、ブログを書いたり、何かを学んでいる時は、
「情熱を燃やす」
を選択し、
自分と人に、
「与えて与えて与えて尽くすぞ!」
という気持ちで全身全霊で行っているのです。
この、3つの姿勢のどれもが、どうしても選択出来ない時は、「何かがおかしい」と私達に教えてくれるヒントになるのではないでしょうか?
どうしても受け入れられないし、楽しめないし、情熱を燃やす事が出来ない時。
それは、自分の思考に支配され、価値観に縛られている時では無いでしょうか?
受け入れられない事が多いという事は、
「こうでなければならない」
「こうでなければ価値がない」
という固定概念が、自分の中に強くあるという事を知るヒントになります。
そして、嫌で嫌で仕方ない事。
これは、今すぐにやめてみても良いのでは無いでしょうか?
この、自分にとって嫌で嫌で仕方ない事をやり続けるという事は、自分を虐め、惨めにし、イノチの輝きをどんどん暗くしていく事です。
何故それをしなければならないのか?
ほとんどの場合、それは自分の思考が作り出した「不足の幻想」から来ているように思います。
足りていない、
受け入れられていない、
愛されていない、
これが、だいたいの問題のおおもとになっています。
自分が嫌で嫌で仕方がない事をして、人の役に立ったり、人を幸せに出来る事など、ひとつも無いというのに、不足の幻想があると、それを一生懸命やってしまうのです。
例えば、10年間、とても苦労しながら、ものすごく働いて、新しい商品を開発して、一気に年収1億円になったとします。
これを、世間では、「成功」と呼ぶかもしれません。
私もそうだと思っていました。
ですが、この人が、10年間苦労して、自分の身体や心を酷使して、我慢してやって来たという事は、この人の周りの人や、従業員も、同じように身体や心を酷使され、10年にわたり多くの不幸を生み出したという事になるのです。
人1人が発する負のエネルギーは相当の影響力を発揮します。
「10年後に報われるならば、いいじゃないか?」
と思われるかもしれませんが、そうして不幸を作り出しながら開発されたものが、本当に世の為人の為になるのか?という事を考えなければなりません。
「全ての為の最善である」
を選択の基準にした、もの作りや働きには、
必ず楽しさや、情熱が伴います。
ですから、「報われる」という概念自体がないと思うのです。
本当に地球や、世界にとって必要なものを作ろうとする時に、自分や人に無理して我慢させたり、苦労させる必要など全く無いという事です。
喜び、楽しさ、そして溢れる情熱から生まれたものこそが、本当の意味で人々の暮らしや心を豊かにし、自分も幸せに出来、全てにとっての最善を実現していくものになるのではないかと思います。
今、我慢して、苦労して、嫌だけど、それでもやらなければならないという事があるならば、その源は何か?という事を考えなければなりません。
私の場合は、
「人の役に立って感謝されたい」
「自分の能力を最大限に発揮し、成功したい」
「人より、素晴らしくありたい」
という信念だったように思います。
この信念の底にあるものに気付いた事で、私は、一気に自由になる事が出来ました。
底にあるものとは、「エゴ」の事です。
エゴはその性質上、自分自身を守り、個を発揮するために働きます。
ですから、エゴから来ている信念では、人を幸せには出来ないし、本当の意味では自分も幸せには出来ないのです。
私はラッキーな事に、まだ30代のうちに自分のエゴを解体し始めるという体験をする事が出来ました。
この、喜びや、解放感や、エゴ解体による現象の変化を少しでも皆様にお伝え出来ればという思いで、今このブログを書いています。
こうしていると、何だか分からない、謎のエネルギーがワンサカ湧いてきて、とにかく情熱が溢れてくるのです。
これは、本当に、私個人の力では絶対に無いなと分かるのです。
私が、
自分自身を守り、私の個を発揮させる為のエゴを源に書いた文章であれば、誰かの心を揺さぶる事も無ければ、誰かの心に沁みこむ事も決して無いでしょう。
私の力では無いという証拠に、この文章を、私は、ほとんど考えずに書いています。
考えて書いたら、毎日なんか絶対に書けないと思います。これは、本当に不思議な体験です。
毎日、私という、小さい小さい穴を通して、天からの爽やかな風が吹きぬけてくれたら嬉しいな!という思いで、ただ今に生きるようにしているだけなのです。
少しでも大きい穴になれるよう、日々、楽しんで情熱を傾けていきたいと思います。
受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす
これこそが、私達のイノチのカタチであり、子供のように目を輝かせて、本領を発揮させてくれる、生きる為の基本姿勢だと私は思います。
今日も読んで下さってありがとうございました!
今日は、いつもに増して、真面目な真木さんが出てしまいましたね(´∀`)
私という穴を風が通る時に、私という個性の色がついてしまうんですよ。
その色を見るのが、とても楽しいのです!
これからも、色々な自分との出会いを楽しんで行きたいと思います!
今日も、楽しい1日をお過ごし下さい!
また、お会いしましょう(*´∀`*)
変わる!成長する!成功する!その為にはやっぱりこれでしょ!!
こんにちは!
サナブリ真木です!
今月のクリスマス料理教室は、9日(金)と15日(木)の2日間行います(^-^)v
今日、レシピを作っていたんですが、
ほんとに、クリスマスパン教室の、
めちゃくちゃお得です!!
自分でも、何してんのかな?と思うくらいの原価率で、買っても2つで2000円くらいするパンをお持ち帰りいただけます。
これを習っておくと毎年作れますので、シュトーレン好きの方は、お急ぎ下さいませ(๑>◡<๑)
そして、クリスマスケーキ教室の、ブッシュドノエルも、楽しいですよ〜〜!!
最後の飾り付けは、絶対にテンション上がっちゃいます!こちらも、3000円くらいで実際に、販売しているケーキをお持ち帰りいただけますので、この機会をお見逃しなく!
お料理は、そのまま使える、お腹パンパン大満足メニューです(๑˃̵ᴗ˂̵)
ご希望の方はお早めにご連絡下さいませませ!
さてさて、今日は、 仕事をする上でも、プライベートを充実させる為にも
「やっぱりこれでしょ!」と思う、
なんだか知らないけど、うまくいく為の秘訣について書きたいと思います。
世の中には本当に沢山の、自己啓発本や、ビジネス書、スピリチュアル本、心理学の本などが出回っています。
その中の多くは
「こうしたら、変われますよ」
と色々な方法が書いてあります。
「どうしたら変われるのか?」
「どうしたらもっと良くなるのか?」
みんなそこが知りたいんだな〜〜。
と思います。
私もそこが知りたくて、色々本を読んだり、色々な人に話を聞いたり、セミナーに参加したりしていました。
ですが、こんなに、みんながもっと良くなる方法を探していて、
こんなに沢山の方法が紹介されているのに、何故、この「変わる為の本」が減っていくどころか、どんどん新しいものが出て、増えていっているのでしょうか?
本当に、「これを読んだら変われる本」があれば、間違いなくみんな変わってきて、本は売れなくなっていくはずです。
成功哲学の本も、
経営哲学の本も、
自己啓発の本も、
お金を儲ける為の本も、
対人関係の本も、
子育ての本も、
ダイエットの本も
読んで、理解しても何故、簡単には変われないのでしょうか?
実際にその方法で、変わる事が出来た人がその本を書いていると思うのですが、その極意を学んでも、何故多くの場合、劇的な変化を伴わないのでしょうか?
私はダイエットの本を、本当に何冊も何冊も読みました。
私がダイエットを始めたのは、中学生の時でした。
そして、高校1年生の時に、始めてダイエットに成功した事がありました。
その時に読んで、実践した本のタイトルが
「辺見マリ実践!運動無し!カロリー計算無し!で20キロ減」
というものでした。
私は、これに書いてある、東洋医学の先生に習ったという、食生活を実践し、短期間で10キロ近く痩せる事に成功しました。
それが、始めて、
「本を読んで、信じて実践したら成功した!」
という体験になりました。
なのに、少し前に、テレビを見ていたら、
辺見マリさんが、
「実は、私は、長年、拝み屋に洗脳されて騙されていて、あのダイエットの本は、拝み屋が適当に書いたものなんです。」
と言っていたのです!!!
私は
「えー!!!」
と思いました。
何故なら、私は、その方法を実行し、成功していたからです。
今、考えると確かに、
「15:00以降は、サツマイモだけで過ごしましょう。サツマイモは、小さくても大きくても、1本であればOKです。」
「目標体重に近づいてきたら、焼き鳥と、風呂吹き大根を食べましょう。」
とか、色々変な事が書いてあって、私は毎日特大のサツマイモを探してウロウロしていたのでした。
この事からも分かるように、
「信じて実行すれば、結果は出る」
という事です。
例え、適当に書いてあったものだとしても。
その中でも、一番大切な事は、
「信じて、すぐにやる」
という事ではないでしょうか?
同じ本を読んで、同じように感銘を受けても、人によって、
劇的に変化したり、全く変わらない理由は、ここにあると思うのです。
変わる人は
本気で信じて、すぐに実行している人です。
何事も、頭で分かるのと、体験するのでは、天と地の差があるんです。
ですから、純粋さ、おめでたさ、時にはバカさ加減が試されるのです。
そして、
すぐに
が本当にミソなのです。
人間の意欲なんて、10分くらいしか続かないと思った方がいいと思います。
来年から、来週から、明日から、やろうと思った時点で、それはもうやらないのと、変わらないと私は思うのです。
何故なら、鉄は熱いうちに打たなければ、変化しないからです。
冷めた鉄は、いくら叩いてもビクともしません。ビクともしない鉄を見て、
「あ〜〜あ。やっぱり私は変われないんだ。」
と自信を無くす、という悪循環に陥るのは、とても、もったいない事です。
私は、
今、この瞬間に始められるかどうかが、勝負の分かれ目だと、いつも自分に言い聞かせています。
人間の、意欲は、出た時が勝負です。
意欲が出た時だけ、鉄は熱いのです。
そこを逃していては、絶対に変わる事など出来ませんから、とにかく、全ての言い訳を捨てて、その意欲に飛び込む事です。
すぐに飛び込めない人というのは、
お金が〜。時間が〜。子供が〜。あの人が〜。
と現象を言い訳にしてしまいます。
ですが、現象は、自分の意識状態が作り出しているものですから、それを理由にしていては、絶対にグルグル回る羽目になってしまうのです。
この瞬間の意欲に飛び込めば、何であれ、必ず体験を通しての学びがあります。
この、
体験を通しての学びだけが、本当の学びであると私は思っています。
すぐに実行しないなら、啓発本など、読まない方がマシではないか?と思うくらいです。
変に「変われないという確信」を深めるだけです。
とりあえず、知識だけ入れとこうというのは、腹に落ちていない事を、知っているつもりになってしまい、純粋な選択の弊害になる場合があります。
今の世の中は、あまりにも、情報が溢れすぎていて、
「こうしたらこうなる」
という事が、ネットで検索すれば、一発で出てきて、分かってたような気になってしまいます。
自分で体験していない情報を頭に詰め込み、分かったつもりになる事は、とても不幸な事だと私は思います。
何故なら、
人間は、体験するため、
そして、体験を通して感動する為に生きていると思うからです。
体験無くして、喜び無しです!
この、情報化社会を生きていく子供達に、体験する事の意味と喜びを、背中で見せて教えていきたいものだと思います。
そして、私の周りにいる人、スタッフ達には
「今すぐ!」の大切さを教えていきたいと、思います。
今すぐやり始めれば、必ず何かを体験し、何かが変わるからです。
そして、それを3ヶ月やり続ければ、多くの細胞までもが生まれ変わり、ほぼ別人になる事も可能です。
基本的に私達は、必要なものは、全て持っています。
ですから、絶対に変わらなければならないという事はもちろん、ありませんし、それぞれの自由です。
ですが、純粋な意欲に従って、行動するという事は、本当の自分に従うという事なので、本当の自分への変化を伴うという事なんですね。
今日も、やりたい事に、今すぐ飛び込みましょう!
純粋な意欲は、本当の自分からのメッセージです。
フッと湧いた思いを逃してはなりません!
その瞬間が、全てなのです!
さて、今日も、純粋な意欲に従って、モーレツに働いて、モーレツにケーキの味見でもしますか!
今日も読んで下さってありがとうございました〜〜!
また、お会いしましょう(*´∀`*)
これをするから、問題が大きくなる。判断するという事
こんにちは!
サナブリ真木です!とうとう12月に入ってしまいましたね〜〜!
1年が早すぎて、本当に驚きますね(*´∀`*)
12月というのは、飲食店の世界では、一番忙しい月と言われています。
サナブリも、3月、8月、12月が一番バタバタしますので、ほぼ毎日書いてきたこのブログも、今後は、3日おきくらいに更新出来たらいいな〜と思っています。
このブログは書いていて、とても楽しいので、今後も書ける時はモーレツに書いていきたいと思っておりますので、皆様、今後ともよろしくお願いいたします(^-^)v
さてさて、今日は、判断するという事について書きたいと思います。
私は、苦手な事がたくさんあります。
例えば、とにかく、物をすぐに、なくしてしまいます。
物を持ってウロウロしては、どこかに置いてきてしまうのです。
探しているうちに、途中から何を探しているのかも、分からなくなり、冷蔵庫を開けては、チョコレートを食べたりしてしまいます。
1日の中で何かを探している時間がとても多く、本当に自分にウンザリしてしまいます。
たまに母を見ると、母は、ありとあらゆる物をなくしながら、あまり気付かずに生きているので、死にはしないんだなと思いますが…。
また、早く作業をする事は出来るのですが、丁寧に行う事はとても苦手です。
何事も、ガシャン、バタンと音を立てながら、行ってしまい、物を落としたり、ひっくり返したりしてしまいます。
始めて就職した飲食店で、
「ブルドーザー」
とあだ名を付けられたくらいです。
最近は、みんなの迷惑にならないように、作業が早すぎて、逆に止まって見える領域を目指して、音速を超える練習をしています。
悪い所を言えば、キリがないくらいに、大迷惑な私なのです。
ですが、私は何かを教えるのは得意です。
自分がたいして出来ないので、出来ない人の気持ちが分かるのですね。
このように、才能や、素質には裏と表があります。これが長所だ!というのは、
その面を良いと捉えているだけで、
結局は、捉え方の違いだけなのです。
私が、自分について、そう捉えているという事です。
私達は、まあるい地球のようなもので、
南極を指して
「ほら、私ってこんなに冷たいのよ」
と言ってみたり、
海の部分を指して
「ほら、私って何もないでしょう?」
と言ってみたりしているのです。
どこを切り取るか、そして、それをどう判断するかは、私達の価値観にかかっています。
いずれにしろ、まあるい地球は全体として素晴らしく、高価で尊いという事だけは、決まっていると私は思っています。
ですから、
自分に対しても人に対しても「判断しない」という事がとても重要になってくるわけです。
判断するから、ややこしくなるわけです。
例えば、
「今日は雨が降っている」
という現象に対して、
「今日は晴れて欲しい」
「今日は晴れるべきだ」
という強い価値観があると、
「日頃の行いが悪いから雨が降ったのだ」
「私が、雨女だから雨が降ったのだ」
と何かしら理由付けをしてしまいます。
雨が降るという現象は、ニュートラルなもので、誰のせいでも無ければ、悪い事でも良い事でもありません。
「やったー!恵みの雨だ〜!」
と感じる人もいれば、
「今日だけは、雨、勘弁やわ〜!」
と感じる人もいるのですね。
これと同じような事が、日常の中で沢山おこなわれています。
例えば、機嫌が悪い人がいると
「私がトロいからイライラしているのかな?」
と不安になったり
「またあの人怒ってる。きっと彼とケンカでもしたんやわ。プライベートを持ち込むなんて最低!」
と想像してしまったりします。
子供が泣き止まないと
「私が、砂糖を食べさせ過ぎたから泣き止まないんのかな?」
と自分を責めたり、
「私に対して、何か不満があるに違いない!」
と思い込んだりしてしまいます。
そして、この判断による、不安や自責が、潜在意識に刷り込まれ、本当にそのような現象を作り出してしまうのです。
現象はニュートラルなものです。
どう捉えるかだけの話ですから、
「ほぉそうか」と観察しておけば、いいのですね。
勝手な判断をしない事です。
判断は、常に自分の価値観からやってきます。
そして、
その価値観は、自分だけの真実であるとしっかりと認識しておく事が大切です。
判断してしまったら、
「あ!また判断しちゃった!」
と気付く事が大切だと私は思っています。
何故なら、気付く事さえ出来れば、後はもうなにもしなくても、終わっていくからです。
自分の判断により、今、私は怒っている。
自分の判断により、今、私は落ち込んでいる。
自分の判断により、今、私は「さっき、ベロを出して、はにかんだ事」を後悔している
というように、認識する事です。
自分の判断から来ているのだと知る事。
そして、判断こそが、自分の意識状態を作り、現象を作っているのだと知り抜く事です。
これこそが、私を価値観から自由にしてくれた第1歩だったように思います。
今日も、判断せずに、目の前にある事に、心を込めましょう!
この瞬間に全力投球していれば、判断する暇などないのです!
旦那について、何か判断しそうになったら、
旦那の鼻の穴に、10円玉が何枚入るかを判断しておきましょう。
そうすれば、
「旦那の鼻の穴に、10円玉が4枚入る」
という、本当にニュートラルなどうでもいい現象が起こってきますからね!
読んでくださってありがとうございました〜〜!
またお会いしましょう(*´∀`*)