サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

外に向いていたエネルギーを自分に向けるとパワー100倍。心が軽くなった話

こんにちは!サナブリ真木です。

寒い日が続きますが、皆さんお元気ですか?

 

今日は、最近ハッとしたことについて書きたいと思います。

前回も書きましたが、今私は、本来の自分らしくないバイブレーションに気付いては手放すということを徹底的にやっています。

それ以外の事をやっていても本当に仕方がないとういことが分かってきて、全てのことをその為だけに使おうとしているのです。

 

これまでの私は、こんなことをストレートに書くと、「結局真木さんも、そっちの世界の住人なのね」と、普通に生きている人が自分から離れていくのではないかという不安が少しあり、なるべく誰が読んでも、怪しくないように、誰が聞いても分かり易いようにという涙ぐましい努力をしてブログを書いてきました。

その割に、結局はやたらと熱くなってしまうので、そっちの世界の住人であることは、間違いないことを書いてしまっては、赤くなったり青くなったりして、一人で忙しくしていました( ;∀;)

ですが、最近はそんなことは本当にどうでもよくなってきました。

何故なら、離れていくも何も、すでに普通に生きている人なるものが私の周りにはいなかったからです(*'▽')あれ?

そもそも普通って何?

きっと、以前の私のように、目に見えるものしか信じていない人を普通の人と定義してその人達の目を怖がっていたのだと思います。

そういう話が嫌いな人が、私のブログなど読む筈もなく、結局、何を隠したかったのか、自分でもよく分からなくなってきたのでした。

そして、自分に起こる全ての現象は自分の意識が作り出していることを理解するにつれ、エネルギーを外に向けることが、本当にアホらしくなってきたのです。

自分が作り出しているのに、人にどう思われるかを気にしているなんておかしいですよね。

 

とにかく今は、

外に向いていたエネルギーを自分に向ける事。

自分に集中すること。

自分の内側だけに集中すること

を意識的に行っています。

そうすると、驚くほど、外側を気にしている自分に気が付くのです。

 

ある日の朝、家を出ようと思っていた時間を大幅に過ぎてしまい、焦りながら店に向かっている車の中で、ハッと気が付きました。

「私は何で焦っているんだろう?」

スタッフがいつも子供を保育園に預けて、時間通りに頑張って出勤してくれているのに、私は時間にルーズで遅れてばっかり。スタッフにどう思われるかを気にしている自分に気が付いたのです。

それは、気にして当然と思われる方もいると思いますが、外に向いていたエネルギーを自分の内側に向けるということは、人にどう思われるかなど考えもしないということなのです。みんながそんな風だったら、秩序が保たれないのでは?と思う方もおられるかもしれません。ですが、本当にみんながそんな風だったら、逆に全くバッティングを起こさないのです。

何故なら、その人の意識が平和なので、平和という現象が映し出されるからです。

 

人にどう思われるかではなく、自分はどうしたいのか?で選択する事で初めて、自分がしたい体験が出来るのです。

 

私は、自分の内側に問いかけました。

すると、時間を守ることは私にとって最優先ではないという答えが返ってきたので、気にしないことにしました。

 

また、ある時、主人に無性に腹が立つ時がありました。

「なんでこの人のことがこんなに許せないんやろ。いちいち腹立つな。」

これまでの私は、自分が変わろうと努力はしても、最後はやっぱり主人を変えようと頑張ってしまい、結局は、必ず撃沈していました。

ですが、外を変えようとすることは、外にエネルギーを向けるということです。

私は、自分の内側に問いかけました。

何を手放せば、私はこの人を許せるのでしょうか?

 

すると、突然、子供の頃を思い出しました。

父がすごく怒っていて、母は悲しそうで、両親にすごく気を使っている自分を思い出したのです。どこの家でもよくあることだと思います。

 

そして私は「そうか、私は主人に気を使っているんや」

と気が付きました。

私を知る人ならば、誰もが、「どこが!?逆やろ!」

と突っ込みたくなることでしょう。

ですが、私はこう見えて、主人にとても気を使っていたのです。

主人が怒っていたり、機嫌が悪かったりすることが気になって、ものすごく顔色を気にしていたのです。

 

私が自由にしているせいで、主人の居場所がなくなってる。

店でも、家でももっと居場所を作ってあげないと。

本当は、もっと尽くしてあげたらいいんやろうけど。

褒めれば何でもしてくれるのに、私はどうしてもそれが出来ない。

 

となんやかんや自分を責めていることに気が付いたのです。

ですが、これも、本当にとんでもなく大きな勘違いです。

勝手に人の課題まで背負い込んで自分のせいにする、「妖怪私のせいで」になっていたのです。

 

そもそも、本当に家にも店にも主人の居場所が無いのか?

もし、本当に主人が居場所が無いと感じているならば、それを作り出したのは誰か?

それは、他でもなく主人なのです。

エネルギーが外に向いていると、大きな勘違いが生まれ、途方もないエネルギーを消費することに、改めて気がついたのでした。

 

また、ある時、

「これは、身体に悪い。こんなものを沢山食べたら大変なことになるな。」

と考えながら料理している自分に気が付きました。

この考えは、一体どこからやってきたのでしょうか?

それは、私の内側からくる声ではなく、ただの知識であり情報で、誰かが言っていたからに他なりませんでした。

私は、自分の内側の声ではなく、外からの情報で食べ物を判断し、食べ物に多くのレッテルを貼って、それが原因で多くの罪悪感を持っていたのです。

罪悪感があるから執着が生まれます。

食べることを複雑にしているんだと気が付いたのです。

本来、人間も動物なので、自分が食べないほうがいいものも、食べたほうがいいものも直感で分かるはずなのです。

なのに、外からくる情報に気を取られすぎて、今、目の前にある、その食べ物を味わいつくしていなかった為、いつまでたっても、「もういらない」と満足まで行かなかったのだと気が付いたのでした。

 

このことに気付けたことは、私の心を一気に軽くしました。

 

人や外の事を気にしなくていいというのは何と軽やかなことか!

 

「私って自由だと思っていたけど、全然自由じゃなかった~!」

トトロのサツキとメイのように、一人で叫び出したい気分でした。

「夢だけど、夢じゃなかった〜!」

「自由だけど、自由じゃなかった〜!」

 

 

このように、気が付くと手放すことができます。

ですが、手放したらそれで終わりではなく、玉ねぎのように、何重にも思い込みや勘違いがあって、また次はさらに深い所にある自己真実に気付くことになるのです。

ですが、それを見つけることもどんどん楽しくなってきています。

 

シンプルな話で、自分の内側がざわつく、イライラする、不安になるといった、ネガティブな感情や不快感を感じたら、そこには、自分が手放すべきものがあるサインです。

 

人や、環境を変えるための合図ではなく、自分が変わるための合図なのです。

 

 

それが分かってくると、本当にネガティブをキャッチすることが嬉しくなってきます。

何故ならば、気付けば、また手放して更に自由になれると分るからです。

 

そして、最近私が一番ハッとしたことは、思い通りに行かず、すねている娘に言った自分の一言でした。

「ゆめ、世の中には自分の思い通りにならないことも沢山あるんやで。それに少しずつ慣れていかないと・・・。」

 

言いながら、ん?と思いました。

本当にそうだろうか?

自分の意識がすべての現象を作っていると言い切りながら、子供には、思い通りにならないことに慣れろ?

「なんじゃそりゃ!」と突っ込みたくなりました。

 

逆やろ。逆!

自分の思い通りにならないことに慣れてはいけないのです。

人に合わせる事、社会に目を向けて自分を抑えることは、外側に意識を向けることに他なりません。

 

目覚めて生きる為に必要なことは、自分の内側に集中することです。

自分の直感や感覚にビビットでいることです。

 

子供の方が明らかに純粋で、外に囚われず、今に在る生き方をしています。

そのことを忘れてはいかんな( ;∀;)と思った瞬間でした。

子供をどう育てるか?

それはまだ、私にもよく分かりません。 

ですが、ひとつはっきりしていることは、

例え自分の子供であっても、自分の外側のものであることは間違いありません。

子供を変えるのではなく、私が変わる合図をもらったということです。

私は、ワクワクしながら、胸に手を当てて

「こういう時は、どうしたらいいんでしょうか?」と尋ねたのでした(^_-)-☆

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https://youtu.be/5zXYm5DnRXU

☝︎子供のyotubeです。良かったら見て下さい!

今日も読んで下さってありがとうございました。

またお会いしましょう!