サナブリ真木のなるほど!ブログ

経営、スタッフ、家族、色々な問題を抱えていた私が知った、手放して今に在るという生き方。毎日の体験を通して気付いた事を発振していきます。

受け入れる。楽しむ。情熱を燃やす。

こんにちは!

サナブリ真木です!

今日は、私が内側からの気付きを体験してから、大きく変わった、今、目の前にある事に対しての向き合い方の変化について書きたいと思います。

 

私の場合の気付きは、今考えると、色々な出来事が全て、つながって起こっているのですが、

 

「正しい事をしているはずなのに、何故かうまくいかない!何かがおかしい。それが何かを知りたい!」

 

という思いで、本を読んでいる時に、急に内側からやってきました。

 

まずはじめに、

 

「足りていないのではないんだ!全てが既に揃っているから、価値を必死になって足さなくてもいいんだ!」

 

という事が、分かり、自分も、周りの人も、ありのままを受け入れる事が出来るようになりました。

 

そして、次に

「足りているから、好きな事をしていいんだ!

絶対に、こうしなければならない。という事などひとつも無いんだ。自由なんだ!ただ楽しめばいいんだ!」

 

と分かり、気が重かった事や、嫌な事をやめ、やりたい事を楽しむ事が出来るようになりました。

 

そうしているうちに、次は、

「今、この瞬間こそが人生であり生命なんだ!

ここに心を込めればいいんだ!今を一生懸命、生きればいいんだ」

 

と分かり、今やっている事に対してメラメラと

情熱を燃やす

事が出来るようになりました。

 

そして、今、

 

受け入れる

楽しむ

情熱を燃やす

 

という3つ姿勢こそが、私がずっと探していた、イノチが喜ぶ生き方なのだと、強く感じています。

 

1日を過ごす中でも、その瞬間によって自然にこの3つの姿勢を選択しているように思えるのです。

 

例えば、急いでいるのに、曲がるべき道を間違えてしまい、車でかなりの遠回りをする羽目になって、一生懸命運転している瞬間は、楽しむ事も、情熱を燃やす事もなかなか難しいので、

「ただ受け入れる。」

を選択し、

「私って本当にドジ!」と判断せず、

自分を責めるでも無く、

ナビをコツくでも無く、

イライラするでも無く、

ただモクモクと運転します。

 

また、子供と公園に行き、子供が遊んでいるのを見ている時は、

「楽しむ」

を選択し、子供の表情や声を観察したり、声をかけたりして楽しみます。また、自分も一緒に遊んでみたり、自分は読書を楽しんだりと、その時間を楽しむ事にエネルギーを注ぎます。

 

そして、仕事をしたり、ブログを書いたり、何かを学んでいる時は、

「情熱を燃やす」

を選択し、

自分と人に、

「与えて与えて与えて尽くすぞ!」

という気持ちで全身全霊で行っているのです。

 

この、3つの姿勢のどれもが、どうしても選択出来ない時は、「何かがおかしい」と私達に教えてくれるヒントになるのではないでしょうか?

 

どうしても受け入れられないし、楽しめないし、情熱を燃やす事が出来ない時。

 

それは、自分の思考に支配され、価値観に縛られている時では無いでしょうか?

 

受け入れられない事が多いという事は、
「こうでなければならない」
「こうでなければ価値がない」
という固定概念が、自分の中に強くあるという事を知るヒントになります。

 

そして、嫌で嫌で仕方ない事。

これは、今すぐにやめてみても良いのでは無いでしょうか?

この、自分にとって嫌で嫌で仕方ない事をやり続けるという事は、自分を虐め、惨めにし、イノチの輝きをどんどん暗くしていく事です。

 

何故それをしなければならないのか?

ほとんどの場合、それは自分の思考が作り出した「不足の幻想」から来ているように思います。

足りていない、

受け入れられていない、

愛されていない、

これが、だいたいの問題のおおもとになっています。

 

自分が嫌で嫌で仕方がない事をして、人の役に立ったり、人を幸せに出来る事など、ひとつも無いというのに、不足の幻想があると、それを一生懸命やってしまうのです。

 

例えば、10年間、とても苦労しながら、ものすごく働いて、新しい商品を開発して、一気に年収1億円になったとします。

 

これを、世間では、「成功」と呼ぶかもしれません。

 

私もそうだと思っていました。

 

ですが、この人が、10年間苦労して、自分の身体や心を酷使して、我慢してやって来たという事は、この人の周りの人や、従業員も、同じように身体や心を酷使され、10年にわたり多くの不幸を生み出したという事になるのです。

 

人1人が発する負のエネルギーは相当の影響力を発揮します。

 

「10年後に報われるならば、いいじゃないか?」

 

と思われるかもしれませんが、そうして不幸を作り出しながら開発されたものが、本当に世の為人の為になるのか?という事を考えなければなりません。

 

「全ての為の最善である」

を選択の基準にした、もの作りや働きには、

必ず楽しさや、情熱が伴います。

ですから、「報われる」という概念自体がないと思うのです。

 

本当に地球や、世界にとって必要なものを作ろうとする時に、自分や人に無理して我慢させたり、苦労させる必要など全く無いという事です。

喜び、楽しさ、そして溢れる情熱から生まれたものこそが、本当の意味で人々の暮らしや心を豊かにし、自分も幸せに出来、全てにとっての最善を実現していくものになるのではないかと思います。

 

今、我慢して、苦労して、嫌だけど、それでもやらなければならないという事があるならば、その源は何か?という事を考えなければなりません。

 

私の場合は、

 

「人の役に立って感謝されたい」

「自分の能力を最大限に発揮し、成功したい」

「人より、素晴らしくありたい」

 

という信念だったように思います。

 

この信念の底にあるものに気付いた事で、私は、一気に自由になる事が出来ました。

 

底にあるものとは、「エゴ」の事です。

 

エゴはその性質上、自分自身を守り、個を発揮するために働きます。

 

ですから、エゴから来ている信念では、人を幸せには出来ないし、本当の意味では自分も幸せには出来ないのです。

 

私はラッキーな事に、まだ30代のうちに自分のエゴを解体し始めるという体験をする事が出来ました。

 

この、喜びや、解放感や、エゴ解体による現象の変化を少しでも皆様にお伝え出来ればという思いで、今このブログを書いています。

 

こうしていると、何だか分からない、謎のエネルギーがワンサカ湧いてきて、とにかく情熱が溢れてくるのです。

 

これは、本当に、私個人の力では絶対に無いなと分かるのです。

 

私が、

自分自身を守り、私の個を発揮させる為のエゴを源に書いた文章であれば、誰かの心を揺さぶる事も無ければ、誰かの心に沁みこむ事も決して無いでしょう。

 

私の力では無いという証拠に、この文章を、私は、ほとんど考えずに書いています。

 

考えて書いたら、毎日なんか絶対に書けないと思います。これは、本当に不思議な体験です。

 

毎日、私という、小さい小さい穴を通して、天からの爽やかな風が吹きぬけてくれたら嬉しいな!という思いで、ただ今に生きるようにしているだけなのです。

 

少しでも大きい穴になれるよう、日々、楽しんで情熱を傾けていきたいと思います。

 

受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす

 

これこそが、私達のイノチのカタチであり、子供のように目を輝かせて、本領を発揮させてくれる、生きる為の基本姿勢だと私は思います。

 

今日も読んで下さってありがとうございました!

今日は、いつもに増して、真面目な真木さんが出てしまいましたね(´∀`)

私という穴を風が通る時に、私という個性の色がついてしまうんですよ。

その色を見るのが、とても楽しいのです!

これからも、色々な自分との出会いを楽しんで行きたいと思います!

今日も、楽しい1日をお過ごし下さい!

また、お会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わる!成長する!成功する!その為にはやっぱりこれでしょ!!

こんにちは!

サナブリ真木です!

今月のクリスマス料理教室は、9日(金)と15日(木)の2日間行います(^-^)v

 

今日、レシピを作っていたんですが、

ほんとに、クリスマスパン教室の、

シュトーレン&クリスマスリースパンは、

めちゃくちゃお得です!!

自分でも、何してんのかな?と思うくらいの原価率で、買っても2つで2000円くらいするパンをお持ち帰りいただけます。

これを習っておくと毎年作れますので、シュトーレン好きの方は、お急ぎ下さいませ(๑>◡<๑)

 

そして、クリスマスケーキ教室の、ブッシュドノエルも、楽しいですよ〜〜!!

最後の飾り付けは、絶対にテンション上がっちゃいます!こちらも、3000円くらいで実際に、販売しているケーキをお持ち帰りいただけますので、この機会をお見逃しなく!

 

お料理は、そのまま使える、お腹パンパン大満足メニューです(๑˃̵ᴗ˂̵)

ご希望の方はお早めにご連絡下さいませませ!

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さてさて、今日は、 仕事をする上でも、プライベートを充実させる為にも

「やっぱりこれでしょ!」と思う、

なんだか知らないけど、うまくいく為の秘訣について書きたいと思います。

 

世の中には本当に沢山の、自己啓発本や、ビジネス書、スピリチュアル本、心理学の本などが出回っています。

 

その中の多くは

「こうしたら、変われますよ」

と色々な方法が書いてあります。

 

「どうしたら変われるのか?」

「どうしたらもっと良くなるのか?」

 

みんなそこが知りたいんだな〜〜。

と思います。

 

私もそこが知りたくて、色々本を読んだり、色々な人に話を聞いたり、セミナーに参加したりしていました。

 

ですが、こんなに、みんながもっと良くなる方法を探していて、

こんなに沢山の方法が紹介されているのに、何故、この「変わる為の本」が減っていくどころか、どんどん新しいものが出て、増えていっているのでしょうか?

 

本当に、「これを読んだら変われる本」があれば、間違いなくみんな変わってきて、本は売れなくなっていくはずです。

 

成功哲学の本も、

経営哲学の本も、

自己啓発の本も、

お金を儲ける為の本も、

対人関係の本も、

子育ての本も、

ダイエットの本も

 

読んで、理解しても何故、簡単には変われないのでしょうか?

実際にその方法で、変わる事が出来た人がその本を書いていると思うのですが、その極意を学んでも、何故多くの場合、劇的な変化を伴わないのでしょうか?

 

私はダイエットの本を、本当に何冊も何冊も読みました。

 

私がダイエットを始めたのは、中学生の時でした。

そして、高校1年生の時に、始めてダイエットに成功した事がありました。

 

その時に読んで、実践した本のタイトルが

辺見マリ実践!運動無し!カロリー計算無し!で20キロ減」

というものでした。

 

私は、これに書いてある、東洋医学の先生に習ったという、食生活を実践し、短期間で10キロ近く痩せる事に成功しました。

 

それが、始めて、

「本を読んで、信じて実践したら成功した!」

という体験になりました。

 

なのに、少し前に、テレビを見ていたら、

辺見マリさんが、

「実は、私は、長年、拝み屋に洗脳されて騙されていて、あのダイエットの本は、拝み屋が適当に書いたものなんです。」

と言っていたのです!!!

 

私は

「えー!!!」

と思いました。

何故なら、私は、その方法を実行し、成功していたからです。

 

今、考えると確かに、

「15:00以降は、サツマイモだけで過ごしましょう。サツマイモは、小さくても大きくても、1本であればOKです。」

「目標体重に近づいてきたら、焼き鳥と、風呂吹き大根を食べましょう。」

 

とか、色々変な事が書いてあって、私は毎日特大のサツマイモを探してウロウロしていたのでした。

 

この事からも分かるように、

 

「信じて実行すれば、結果は出る」

 

という事です。

例え、適当に書いてあったものだとしても。

 

その中でも、一番大切な事は、

 

「信じて、すぐにやる」

 

という事ではないでしょうか?

同じ本を読んで、同じように感銘を受けても、人によって、

劇的に変化したり、全く変わらない理由は、ここにあると思うのです。

 

変わる人は

本気で信じて、すぐに実行している人です。

 

何事も、頭で分かるのと、体験するのでは、天と地の差があるんです。

ですから、純粋さ、おめでたさ、時にはバカさ加減が試されるのです。

 

そして、

すぐに

が本当にミソなのです。

人間の意欲なんて、10分くらいしか続かないと思った方がいいと思います。

 

来年から、来週から、明日から、やろうと思った時点で、それはもうやらないのと、変わらないと私は思うのです。

 

何故なら、鉄は熱いうちに打たなければ、変化しないからです。

 

冷めた鉄は、いくら叩いてもビクともしません。ビクともしない鉄を見て、

「あ〜〜あ。やっぱり私は変われないんだ。」

と自信を無くす、という悪循環に陥るのは、とても、もったいない事です。

 

私は、

今、この瞬間に始められるかどうかが、勝負の分かれ目だと、いつも自分に言い聞かせています。

 

人間の、意欲は、出た時が勝負です。

意欲が出た時だけ、鉄は熱いのです。

そこを逃していては、絶対に変わる事など出来ませんから、とにかく、全ての言い訳を捨てて、その意欲に飛び込む事です。

 

すぐに飛び込めない人というのは、

お金が〜。時間が〜。子供が〜。あの人が〜。

と現象を言い訳にしてしまいます。

 

ですが、現象は、自分の意識状態が作り出しているものですから、それを理由にしていては、絶対にグルグル回る羽目になってしまうのです。

 

この瞬間の意欲に飛び込めば、何であれ、必ず体験を通しての学びがあります。

 

この、

体験を通しての学びだけが、本当の学びであると私は思っています。

 

すぐに実行しないなら、啓発本など、読まない方がマシではないか?と思うくらいです。
変に「変われないという確信」を深めるだけです。

とりあえず、知識だけ入れとこうというのは、腹に落ちていない事を、知っているつもりになってしまい、純粋な選択の弊害になる場合があります。

今の世の中は、あまりにも、情報が溢れすぎていて、

「こうしたらこうなる」

という事が、ネットで検索すれば、一発で出てきて、分かってたような気になってしまいます。

自分で体験していない情報を頭に詰め込み、分かったつもりになる事は、とても不幸な事だと私は思います。

 

何故なら、

人間は、体験するため、

そして、体験を通して感動する為に生きていると思うからです。

体験無くして、喜び無しです!

 

この、情報化社会を生きていく子供達に、体験する事の意味と喜びを、背中で見せて教えていきたいものだと思います。

 

そして、私の周りにいる人、スタッフ達には

「今すぐ!」の大切さを教えていきたいと、思います。

今すぐやり始めれば、必ず何かを体験し、何かが変わるからです。

そして、それを3ヶ月やり続ければ、多くの細胞までもが生まれ変わり、ほぼ別人になる事も可能です。

 

基本的に私達は、必要なものは、全て持っています。

ですから、絶対に変わらなければならないという事はもちろん、ありませんし、それぞれの自由です。

ですが、純粋な意欲に従って、行動するという事は、本当の自分に従うという事なので、本当の自分への変化を伴うという事なんですね。

 

今日も、やりたい事に、今すぐ飛び込みましょう!

純粋な意欲は、本当の自分からのメッセージです。

フッと湧いた思いを逃してはなりません!

その瞬間が、全てなのです!

 

さて、今日も、純粋な意欲に従って、モーレツに働いて、モーレツにケーキの味見でもしますか!

今日も読んで下さってありがとうございました〜〜!

また、お会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これをするから、問題が大きくなる。判断するという事

こんにちは!

サナブリ真木です!とうとう12月に入ってしまいましたね〜〜!

 

1年が早すぎて、本当に驚きますね(*´∀`*)

 

12月というのは、飲食店の世界では、一番忙しい月と言われています。

 

サナブリも、3月、8月、12月が一番バタバタしますので、ほぼ毎日書いてきたこのブログも、今後は、3日おきくらいに更新出来たらいいな〜と思っています。

 

このブログは書いていて、とても楽しいので、今後も書ける時はモーレツに書いていきたいと思っておりますので、皆様、今後ともよろしくお願いいたします(^-^)v

 

 さてさて、今日は、判断するという事について書きたいと思います。

 

私は、苦手な事がたくさんあります。

例えば、とにかく、物をすぐに、なくしてしまいます。

物を持ってウロウロしては、どこかに置いてきてしまうのです。

 

探しているうちに、途中から何を探しているのかも、分からなくなり、冷蔵庫を開けては、チョコレートを食べたりしてしまいます。

 

1日の中で何かを探している時間がとても多く、本当に自分にウンザリしてしまいます。

 

たまに母を見ると、母は、ありとあらゆる物をなくしながら、あまり気付かずに生きているので、死にはしないんだなと思いますが…。

 

また、早く作業をする事は出来るのですが、丁寧に行う事はとても苦手です。

何事も、ガシャン、バタンと音を立てながら、行ってしまい、物を落としたり、ひっくり返したりしてしまいます。

 

始めて就職した飲食店で、

「ブルドーザー」

とあだ名を付けられたくらいです。

 

最近は、みんなの迷惑にならないように、作業が早すぎて、逆に止まって見える領域を目指して、音速を超える練習をしています。

 

悪い所を言えば、キリがないくらいに、大迷惑な私なのです。

 

ですが、私は何かを教えるのは得意です。

自分がたいして出来ないので、出来ない人の気持ちが分かるのですね。

 

このように、才能や、素質には裏と表があります。これが長所だ!というのは、

その面を良いと捉えているだけで、

結局は、捉え方の違いだけなのです。

 

私が、自分について、そう捉えているという事です。

 

私達は、まあるい地球のようなもので、

南極を指して

「ほら、私ってこんなに冷たいのよ」

と言ってみたり、

海の部分を指して

「ほら、私って何もないでしょう?」

と言ってみたりしているのです。

どこを切り取るか、そして、それをどう判断するかは、私達の価値観にかかっています。

 

いずれにしろ、まあるい地球は全体として素晴らしく、高価で尊いという事だけは、決まっていると私は思っています。

 

ですから、

自分に対しても人に対しても「判断しない」という事がとても重要になってくるわけです。

 

判断するから、ややこしくなるわけです。

例えば、

「今日は雨が降っている」

という現象に対して、

「今日は晴れて欲しい」

「今日は晴れるべきだ」

という強い価値観があると、

「日頃の行いが悪いから雨が降ったのだ」

「私が、雨女だから雨が降ったのだ」

と何かしら理由付けをしてしまいます。

 

雨が降るという現象は、ニュートラルなもので、誰のせいでも無ければ、悪い事でも良い事でもありません。

 

「やったー!恵みの雨だ〜!」

と感じる人もいれば、

「今日だけは、雨、勘弁やわ〜!」

と感じる人もいるのですね。

 

これと同じような事が、日常の中で沢山おこなわれています。

例えば、機嫌が悪い人がいると

「私がトロいからイライラしているのかな?」

と不安になったり

「またあの人怒ってる。きっと彼とケンカでもしたんやわ。プライベートを持ち込むなんて最低!」

と想像してしまったりします。

 

子供が泣き止まないと

「私が、砂糖を食べさせ過ぎたから泣き止まないんのかな?」

と自分を責めたり、

「私に対して、何か不満があるに違いない!」

と思い込んだりしてしまいます。

 

そして、この判断による、不安や自責が、潜在意識に刷り込まれ、本当にそのような現象を作り出してしまうのです。

 

現象はニュートラルなものです。

どう捉えるかだけの話ですから、

「ほぉそうか」と観察しておけば、いいのですね。

勝手な判断をしない事です。

判断は、常に自分の価値観からやってきます。

 

そして、

その価値観は、自分だけの真実であるとしっかりと認識しておく事が大切です。

 

判断してしまったら、

「あ!また判断しちゃった!」

と気付く事が大切だと私は思っています。

 

何故なら、気付く事さえ出来れば、後はもうなにもしなくても、終わっていくからです。

 

自分の判断により、今、私は怒っている。

自分の判断により、今、私は落ち込んでいる。

自分の判断により、今、私は「さっき、ベロを出して、はにかんだ事」を後悔している

 

というように、認識する事です。

 

自分の判断から来ているのだと知る事。

そして、判断こそが、自分の意識状態を作り、現象を作っているのだと知り抜く事です。

 

これこそが、私を価値観から自由にしてくれた第1歩だったように思います。

 

今日も、判断せずに、目の前にある事に、心を込めましょう!

この瞬間に全力投球していれば、判断する暇などないのです!

旦那について、何か判断しそうになったら、

旦那の鼻の穴に、10円玉が何枚入るかを判断しておきましょう。

 

そうすれば、

「旦那の鼻の穴に、10円玉が4枚入る」

という、本当にニュートラルなどうでもいい現象が起こってきますからね!

 

読んでくださってありがとうございました〜〜!

またお会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

娘よ。今の母ちゃんを見ておくれ。

こんにちは!

サナブリ真木です!

 

今日は、水曜日なので、パンを焼いて里の市に行きます(*´∀`*)

 

最近、私が出店に行っているのですが、やっぱりイベントって最高に楽しいですね!!

 

まず、

パンを作るのがとても楽しく、

パンを売るのもとても楽しく

色んな方と話せるのも

すっごく幸せです!

 

最近は、サナブリ弁当も販売しています!

これが、なかなか、好評でして(^-^)vエヘ

 

寒いとは思いますが、お時間ある方、ぜひぜひご来場下さいませ!

 

今日は、最近、娘に言われて、一番嬉しかった事を書きたいと思います。

 

双子の7歳の娘は、私によく手紙をくれます。

内容は、色々です。

 

少し前までは、

「お母さんへ  いつも、疲れているのに、お客さんの為に頑張って偉いね。」

とか、

「お母さんへ   いつも、正しくてありがとう。」

 

というような、アチャー(>_<)と目を覆いたくなるような、手紙をもらっていました。

 

特に、妹の晴乃は、いつも、

「お母さん、お仕事手伝うね。

お母さんは、いつも、疲れたー。ばっかり言うから、あたしが手伝ってあげるからね。」

 

と事あるごとに言っていました。

私は、そんなに、「疲れたー。」と言っているつもりは無かったので、言われる度に、ドキッとしていました。

その度に、

「お母さんは疲れてないよ。大丈夫だよ。」

と、ぎこちない笑顔で、ややムキになって言っていました。

 

ですが、昨日、その晴乃が、学校に行く直前に、こう言ったのです。

 

「お母さんはいいな〜〜。

毎日、楽しい仕事に行けて。」

 

私は本当に驚いてしまいました。

私は意識的に、「仕事が楽しい」と娘に言ったつもりなど無かったからです。

 

ですが、子供は、本当に敏感です。

 

私が出しているオーラをハッキリと読み取っているんですね!

 

私は、今この人生において、

子供たちが一目見て、

「こう生きればいいのだ」

と分かる、モデルになりたいと願っています。

 

何故なら、今の世の中、どう生きたらいいのか、あまりにも分かりにくいからです。

 

「こうしたらいいよ。」

と言っている大人達が、あまりにも苦しそうなので、そのようにしても幸せになれるとは、到底思えないように感じます。

 

子供達は、親の言う事は聞きませんが、親のしているようにします。

 

ですから、私の娘も、少し前までは、正しさという刀を振り回し、人を裁きまくっていました。

 

そして、自分も、その刀で刺しては、とても苦しそうにしていました。

 

私はその姿を見て、本当に、娘は私のしているようにしているのだなと分かり、とても申し訳なく感じていたのです。

 

正しさに縛られて、人を許せない事ほど不幸な事があるでしょうか?

 

私は、正しさにこだわっていたので、本当に沢山の人を傷付けてきました。

 

どうしても、許せない人がいました。

自分は、正しいから、教えてあげた方がいいと、正義の剣で斬りまくってきました。

 

今考えると、正義のヒーローが、

「もう降参しました!」と言っているその辺の悪役でもない人を、泣きながら叩き続けているという状況になっていました。

 

その辺の悪役でもない人というのは、主人の事ですが…。

ドンマイ…。

 

そして、自分も、とても苦しんでいました。

 

今まで言われた私を表す言葉

ベスト3は、

 

1位 パワフル

2位 威圧感がある

3位 強い

 

でした。

主人に私のイメージを聞いたところ

「鬼軍曹」

と言っていました。

 

これを見て、何を学べというのか?と今は、本当に笑ってしまいます。

 

でもその真っ只中にいる時には、本当に分からないのです。

 

自分の価値観にがんじがらめに縛られているからです。

 

1人を許せないという事は、全てを許せないという事です。

 

1人を許すという事は、全てを許すという事です。

 

自分を許していない人に、人を許す事は絶対に出来ません。

 

やはりどうしても、どうしても、そこが重要ポイントなのです。

 

私達はとても自分を責めています。

普通に生きていたら、そのようになる世の中だからです。

 

そして、多くの人が、

「自分を責めなくていいよ。」

と言われたら、

「責めてないよ。」

と答えます。

 

ですが、責めている人のほとんどは、自分で気付いていないのです。

 

自分を許す事、全てをありのままの状態で受け入れる事が出来れば、そこから本当の意味で自由な選択が可能になります。

 

私は、自分を許すという事を体験し、全てのひと、すべてのものを許せるようになり、

劇的に毎日が楽しくなりました。

 

1日1日が、喜びに溢れ、何事に対しても本気になれたと感じています。

 

娘は、それを見ていて、しっかりと感じ取ってくれたのでしょう!

 

私にとって仕事は、

喜びそのものです。

愛を伝える手段であり、

生きがいであり、

いのちの営みそのものです。

 

ですから、

その喜びこそを背中で見せて、生きたいと思います。

 

娘よ。よ〜く見ていなさい!

母ちゃんは、やったるで〜〜!!

 

今日も読んでくださってありがとうございました!

またお会いしましょう(*´∀`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己評価が上がれば、結果がでる。その為に必要な自信をつける方法

こんにちは!

サナブリ真木です。

 

今日は、どっから来ているのかよく分からないのだけれど、何かと自信を持って生きてきた私が、自信を付ける方法について掘り下げてみたいと思います。

 

私は、力を発揮する為には、

「自分を信じること」

がとても重要だと考えていました。

 

なので、スタッフや、周りの人に、自信を付ける方法をあれこれアドバイスしてきました。

 

20代前半の頃は、

「自信は経験が作る」

と信じていました。

だから、自信が無い人を見ると、

「経験を積んで!必ず自信になるから!」

と自分より年上の人にも、言ってしまっていました(汗)

 

そして、もう少し経つと、経験は経験でも

「何かを乗り越えた経験」

でなければ、自信にならないのかな?

と思い、

「壁を乗り越える」

という事を大切にしてきました。

 

現に私が、よく分からない自信があったのは、「頑張ったら乗り越えられた」

という感覚があったからのように感じていたのです!

 

私は小学生の時は、活発で、よく発言し、成績もまあまあ良い子供でしたが、中学1.2年でなぜか、急に引っ込み事案になり、勉強が急激に出来なくなりました。

 

そして3年になってから、また急に、自分らしさを取り戻し、

2学期の時点で、学年で真ん中くらいの学力だったのに、20番以内に入らないと行けないような進学校に行こうと決め、そこからモーレツに勉強してスンナリと受験に合格しました。

 

その後も、進学校なので、みんなが大学に行く中、私だけは、料理の世界に進もうと決め、1人で就職活動をして、飲食店で働き始めました。

 

田舎から出てきた右も左も分からなかった私は、大学に通いながらそこでバイトをしていた

茶髪で、ロン毛で、ガングロの主人と出会いました。

 

主人は、そんな見た目なのに、誰よりも、

店長よりも、一番真面目に働いていました。

 

主人は、誰もが、見て見ぬ振りをするような下水の掃除などを率先して、何故か素手で行い、手が異常に、臭くなってすごく困っていました。

 

そういう所を見ていて、私にはとても感じる所がありました。

 

当時、主人には、とても可愛らしい彼女がいたのですが、私の念の力により、確実にゲットされ、それから、クサヤ人生が始まってしまったのでした…。アーメン

 

その後も、多くの壁を、

「諦めない!何とかなるし!何とかするし!」

というスタンスで乗り越えてきた私なので、

「私は乗り越える事ができる」

という 確信があれば、自信に、なるのだよ!ガハハと思っていました。

 

ですが、私が今回出会った壁は、自分の力では乗り越えられませんでした。

 

自力で出来る事を全てやってみて、それでも、どうしても、乗り越え方が分かりませんでした。

 

結局、自力には限界があるという事です。

 

ですから、自分の能力や根性を信じるのでは、自信にも限界があるのです。

 

自分が愛されている存在なのだ信じる事

何の武器も無く、何も持っていなくて、弱くて、丸裸で、未熟であっても、

それでも素晴らしく、愛されている存在なのだ信じる事が、自信なのだなと思うようになってきました。

 

そして、最近習った事で、なるほど!

と思う事があります。

色々教わっている先生が、

 

「自信を付けるっていうけれど、人は何を信じていると思う?実はね、人は自分の肉体を信じているんですよ。だから、身体が弱い人、病気の人は自信が無いでしょう?自分の肉体を信じる為に身体を強くする事が大切です。すなわち、氣が通っているということ、氣太くなるということです。」

 

とおっしゃっていたのです。

私は、

「なるほど〜〜!だから、私は、自信があったのか〜〜!」

と思いました。

どう考えても、子供の頃から私は、身体が強かったのです。

 

風邪も病気もあまりしませんでしたし、みんながインフルエンザにかかっても、私だけは、かかりませんでした。

 

菌にも強ければ、力もありました。

 

だから、何か知らんけど、自信があったんですね!

 

なぜ、今の若者が自信が無いのか、分かったような気がします!

今の環境が、若者達の身体を弱くしているのかもしれません。 

 

若いもんは身体を鍛えるのだ〜〜!

 

自信が欲しい!という皆様、子供に自信をつけたいという皆様、

今日から、身体を鍛えましょう!

肉体の力が自信を作ります。

 

大地の恵みをいただく!

筋力トレーニング!

歩く!走る!踊る!

そして、地面に転がって、土にまみれて

色々な菌を、身体に付けて生きていく!

 

ストレスで疲れた、自分の身体と心を労って、お風呂にゆっくり浸かって、ニッコリ顔で布団に入って、

「ありがたい〜。ホンマありがたいわ〜」

と言いながらぐっすり寝る!

 

これを続ければ、必ず自信になる!(はず!)

何事も、意外とシンプルなんですね〜!

 

今日も、元気いっぱい過ごしましょう!

今日、食べたもの、今日、発した言葉が、明日の自分を作ります!

 

 

本当ににパワー!!!ですね(*´∀`*)

 

読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30年前の子供と今の子供で決定的に違う所は、ここ!38歳の私が子供の頃の話

こんにちは!

サナブリ真木です!

昨日は、母と2人の娘と、姉が住む京都に行って来ました〜〜!

 

久々に、母とドライブしながらゆっくり話した事で、色々と昔の事を思い出しました(´∀`)

 

私は赤ちゃんの頃から、ものすごいエネルギーの塊だったらしく、とにかくあきらない子供だったそうです。

 

赤ちゃんのくせに、

オッパイにしても、抱っこにしても、

もらえるまでは絶対にあきらめず、

転げ回って泣き喚いていたとの事でした。

 

今、考えると、本当に母は大変だっただろうな〜と思います。

 

私も双子の娘があまりに泣きやまない時に、

「お酒を飲ましたらどうなるんやろ?」

「首の後ろを手刀でえいっとやったら気絶しないかな?」

と考えては、

「アカンアカン」と1人で首をふっていたものでした。アハ(*゚▽゚*)

 

5人兄弟の2番目として産まれた私は、

この、何が何でもあきらめないというエネルギーにより、兄弟を押しのけたり、引っ張ったり、まとめたりしながら成長しました。

 

私が小学生の頃は、近所の子供達と、夜暗くなるまで毎日、外で遊んでいました。

 

7〜8人で集まったら、まず靴飛ばしをして一番遠くへ飛ばした人が、何をするかを決めるという決まりがありました。

 

陣取り、ドロケイ、缶蹴り、ドッチボール、キックベースなどの中から、決めるのですが、

エネルギーの塊である私は、

靴飛ばしで勝つ度に「相撲」を選択し、みんなをウンザリさせていました。

 

何故なら私は、相撲がめちゃくちゃ強かったからです。

 

男の子を持ち上げて投げ飛ばしては、とても得意な気持ちになっていたのでした。

 

だから、ジャイアンの気持ちがよく分かるのです。

自分のパワーを見せたいんだよね〜〜?

たけし〜(*´∀`*)

 

身体も小さく、気持ちも優しい私の妹は、いつも私のパワーについていけず、パワフルな遊びを、とても怖がっていました。

 

ある日、些細な事で、妹とケンカをした私は、パワー全快で、妹に怒りの手紙を書きました。

 

後で、その手紙を見て、自分で、驚いたのですが、

 

そんな事では、ダメだよ!

もっとこうしなきゃいけないよ!

という内容が、怒りに任せて書いてあるのですが、

書いている字の色を、一行ずつを変えて、すごく可愛い便箋に書いてあるのです。

内容は、めちゃくちゃ怒っているのに、

とても、カラフルな手紙に仕上がっていました。

私は、どんな気持ちで、このペンの色をを選んだんや!

そして、妹は、この手紙を、どういう気持ちで、受け取ったらいいんや!

と思うと、ホント、パワーが有り余るのも考えものだな〜と思いました。

可愛い妹よ!ごめんやで!

 

そんなある日、朝起きると妹がワンワン泣いていました。

泣きながら母に必死に何かを訴えていました。

私は隣の部屋からこっそりとそれを盗み聞してみました。

よくよく聞いてみると

「真木ちゃんみたいに、体が大きくなったらどうしてくれるのよ〜〜!!嫌や!嫌や〜!!」

 

と言って泣いているのです!

私は愕然としながらも、その様子を見ていたのですが、

母も神妙な面持ちで、

「大丈夫だよ。真木ちゃんみたいにはならないよ。よしよし。」

と言っているのです!

これは、どう捉えたら良いのか?

と受け止め方が分からずに呆然としながら、学校に行ったのを覚えています。

 

私が子供の頃は、子供達はみんな、外で遊んでいました。

 

ファミコンが爆発的に流行り出した時代でしたが、私にとっては、テレビゲームよりも、圧倒的に友達と陣取りをしている方が楽しく感じました。

 

毎日、毎日、今日は何しようか?とみんなで頭を突き合わせて考えていました。

 

身体が小さい子も、

気が弱い子も、

すばしっこい子も、

すぐ怒る子も

力が強い子も、

 

みんな、ずっと一緒に遊んでいました。

 

木に登ったり、秘密基地を作ったりする事に、心からワクワクしていました。

 

土にまみれて、真っ黒になりながら遊んでいました。

 

 草や、葉っぱや、虫や、動物達を身近に見て、育ちました。

 

私は、そこで本当に沢山の事を学びました。

 

池に落ちたり、膝を擦りむいたり、ケンカをしたり、服が破れたりしながら、大自然の中で学びました。

 

今考えると、私達人間は、自然の中で学ぶように、作られているんですね。

 

今も、土や水と共に生きている人達は、ストレスを自然の中で洗い流し、人間が本来持っている、動物的直感力、危険察知能力が、研ぎ澄まされているように見えるのです。

 

今は、多くの子供達が、学校から帰ってきたら、塾や習い事で忙しく、短い時間の遊びも、アスファルトの上か、室内で行われています。

 

私が、子供の頃、自然の中で学んだ、本当に多くの事に触れる機会が全く無いままに、成長していくのだなと、最近気付いたのです。

 

私は、5人兄弟のサバイバルの中で、沢山、頭を打ちました。

 

弟の面倒をみたり、近所の小さい子も一緒に遊ぶ為の工夫をしたりして、沢山挑戦し、沢山失敗して育ちました。

 

 何を、どうやっても自然には勝てないのだと、全身で体験して育ちました。
 

この、失敗こそが、今、私を支え、私を突き動かしているな〜と感じるのです。

 

私達は、自然の恩恵により生かされています。

 

都会のアスファルトの上に立つ、ビルの中で暮らしていると、その事を忘れて、自分の力で生きていると勘違いしてしまうのでは、無いでしょうか?

だから、

自分次第で全てが変わると思い込み、思考で頭が埋め尽くされて、全てをコントロールしたくなります。

それがうまくいかないと、

自分や、人を責めて、

ストレスを抱えてしまいます。

 

でも、私達は、自然に生かされていますし、愛されています。

そのままで、十分愛されているから、コントロールしなくていいんですね!

 

私が、その事に気付けたのは、

多分、田舎に住んで、土付きの野菜を料理していたからだと思います。

 

家の周りに見渡す限り、杉の木が生えていて、店のまわりは、田んぼと畑が沢山あり、

店を出る時に見える夕焼けが、怖いくらいに美しいからだと思います。

 

だから、私は自分1人で生きてるんじゃないんだな!と分かったんだと思います。

 

忙しさにかまけて、

子供を危険の無い家に閉じ込めて、

オモチャやテレビを与え、

自分が楽な子育てをしては、

自分を責めていた私ですが、

これからは、

勉強よりも、

テレビや、ゲームよりも、

自然の中で遊ぶ事を教えていきたいなと思います。

 

この、インターネット時代に、何かを暗記した所で、そんなに生きやすくなるとは、思えません。

 

自然の中で、

人と人とのコミュニティの中で、

失敗した体験を通して学ぶ事の方が、遥かに価値があると思うからです。

 

 

子供達が目を輝かせて生きられる、地域やコミュニティがどんどん広がっていくと信じて!

 

今日も、大自然の恩恵を感じて過ごしましょう!

沢山ぶつかって、沢山失敗して学びましょう!

 

腹が立ったら、その事を日記に、

ペンの色を変えながら書き殴りましょう!

 

皆様の、今日この瞬間が、自然の恩恵により、キラキラと輝いている事を願っています!

 

読んでくださってありがとうございました〜〜!

また、お会いしましょう(´∀`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

組織を動かす為に今、必要な事は?これからのリーダーの在り方を考えました。

こんにちは!

サナブリ真木です。

今日は、私が考えるこれからのリーダーの在り方について書きたいと思います。

 

私は、最近、自分の在り方が変わった事で、

リーダーとしてこう在りたいという考え方が、大きく変わりました。

 

リーダシップといえば、以前、勤めていた会社で面接を行う時に、

必ずしていた質問があります。

 

それは、

「今まで1番頑張った事と、その結果を教えてください。」

「今まで取ったリーダーシップ経験と、リーダーとして大切にしなければならないと感じた事を教えてください。」

 

この2つの質問は、サナブリの面接でもずっと続けて聞いていました。

 

たとえ、責任者になる人で無くても、

自分に対して、

周りの人に対して、

お客様に対して、

ただ言われた事に反応して動くのでは無く、常に、自分の頭で考え、判断し、その場その場でリーダーシップを取れる人が伸びていくと考えていたからでした。

 

その中で聞いてきた、リーダーシップ体験はかなり様々で、

大学在学中に起業し、従業員を雇用し、指導していたという新卒生もいれば、

生徒会長、

部活の部長、副部長

店長

料理長

バイトリーダー

自分の引越しの時に、リーダシップを取った!

という、よく分からないものまで様々でした。

 

その、リーダーシップ体験を通して学んだ、リーダーが大切にしなければならない事の答えの8〜9割が、

「みんなの気持ちを大切にする」

というものでした。

「落ち込んでいる人がいたら励ましたり、みんなで意見を出し合ったりして、1人1人の気持ちを大切にして、より良い方向を目指していく

という事が大切だと思った。」

と多くの人が言っていました。

 

私も、その答えに何の違和感も持たずに聞いていましたが、今考えると、それで本当に、

いい方向に行けるのかな?

という気がしているのです。

 

私も、皆さんの答えと同じように、1人1人の気持ちを大切に、まとめるという事を心がけてきました。

 

ですが、自分の価値観を手放してみると、

みんなの気持ち、すなわち価値観や、感情を大切にしたところで、

果たしてまとまるのか?

果たして前に進めるのか?

と思うのです。

 

それぞれの自己真実に照らし合わせれば、全ての事はその人にとっては正しいのです。

それを、大切にしてしまえば、逆にどんどんまとまらなくなるのではないでしょうか?

 

ですから、私が最近大切にしているのが、

 

「全てにとって最善であるという確信」

です。

これがあれば、絶対にグラつかないからです。

 

私は今まで、なんやかんや突き詰めてしまえば、自分にとっての最善を核として、一生懸命、人の役に立つリーダーになろうとしていました。

 

ですが、自分にとっての最善では、結局本当の意味では人を動かす事が出来ませんでした。

 

私は、タチが悪い事に、とてもエゴだと分かりにくい自己真実を握り締めていました。

 

「人を喜ばせ、人の役に立ってこそリーダーである」

 

というように、人の役に立つことにものすごく拘っていたので、結局、自分も人も、人の役に立つように求め続けていました。

 

これが、

「みんな私のいう通りにするべきだ!」

というような、エゴ丸出しの自己真実であれば、私も、もう少し早く、誰かに突っ込まれて気付いていたと思うのですが、あまりに正論ぽい善念を抱えていた為、周りの人も

「それは、分かるけど、なんか腹立つな〜」

となってしまっていたのではないかと思うのです。

ホンマ、すんませ〜ん(T-T)

 

ですから、自分の自己真実ではうまくいかないという事を知った時は、

では、何を核に進めばいいの?と、かなり路頭に迷った感じになってしまいました。

 

今となって確信している事は、

全てにとっての最善である事を生業とし、

全てにとって最善であるという選択、判断で、進んいくこと。

そうすれば、

人に遠慮をする必要も無くなり、

人に気を使う必要もなくなり、

無駄なエネルギーを使う必要も無くなり、

ただただ、まっすぐ最短距離を進んで行けるのではないかと思うのです。

 

全てにとっての最善とは、

世界中の全員がそれをしても困らないか?で考えると分かりやすいそうです。

 

そして、ど〜んと構えてグラつかない事。

リーダーがグラグラしていたら、周りの人は、不安になります。

 

今は、私がやるのではなく、私を通して神様がやってくれるのだなと思っているので、とてもとても気楽で、尚且つ、グラつかなくなりました。

 

私が1人でやるならば、一生、不安と孤独との戦いになっていたでしょう。

 

そして、

神様とは、自分自身の中にいるので、心を静かにし、自分の直感に従う事こそが、

全てにとって最善の選択をするのに1番早い道のようです。

 

これからの時代を作っていくリーダーに必要な資質は

「全てにとっての最善を選択出来る」

事ではないでしょうか?

 

やはり、世界で活躍するリーダー達は、どう見ても、自分の中の神様とつながっていると思うのです。

 

以前読んだ本にこういう事が書いてありました。

 

飛行機のビジネスクラスのラウンジでは、

高級そうなスーツでビシッと決め、搭乗までの時間、パソコンを開いて 難しい顔で仕事をしている人が多い。

 

ファーストクラスのラウンジでは、

とても、ラフな格好で、コーヒーや、ワインを楽しんだり、にこやかに会話を楽しんだりしている人が多い。

 

ここにが正に、自力と他力の境目を表しているように思うのです。

 

ビジネスクラスに乗る人は、自分の力で働いているので、とても緊張感があります。

自力で行ける最高峰に行った、物凄いがんばり屋さんではないでしょうか?

 

ファーストクラスは、ビジネスクラスの何倍も高いので、自力では到底乗れないのです。

自分の中の神様とつながっていて、

絶対的な安心感の中、

神様と周りの人にお任せしているので、終始リラックスしていられるのではないしょうか?

 

世界の為、

人類の為

地球の為

宇宙の為の

最善を選択していけば、

 

正しい!間違っている!と誰かと争う必要も無ければ、

人の気持ちを考えて、判断を迷う必要も無くなります。

 

そして、その選択に向かって、

子供のように目を輝かせ、

純粋に、

おめでたく、

バカみたいに、

進んでいければいいなと思います。

 

私達には、強力な後ろ盾があります。

本当は、1人で生きている訳ではなかったんですね!

 

読んでくださってありがとうございました!

また、お会いしましょう(´∀`)