ただ感謝だけしていたいのに、なかなか難しい親との関係。親を卒業するとはどういうことかを考えました。
こんにちは!
サナブリ真木です。
この度6月から、サナブリ真木のお話会
Awakening cafe(アウェイクニングカフェ)
を開催する事になりました!
Awakeningとは、目覚めるという意味です。
正に私が、自分の本質との出会いという一つの目覚めにより、ものごとがクリアに認識出来るようになり、全てが始まったのだと感じているのです。
この、体験を通して知り得た大切な事を、子育て、仕事、人間関係など、超現実的な切り口から、お話させていただきます。
私がそうであったように、
イキイキと自分の本質を生きる
というキーワードに何かを感じる方は、自分の本質との出会いの準備が整ってきているという事だそうです。
私個人の力では大したことは出来ませんが、必ず大いなる力が働いて、私を含め参加の皆様1人1人に、何かしらの目覚めが起きる場所になると思います。
そして、お忙しい中このお話会を手伝って下さるのが、FMなばり「ちえこのビッグショー」でお馴染みの、たぐちちえこさんです。
名張の人なら、だいたい知ってるちえこさんは、信じらない事に私よりだいぶ年上です。
なのに、誰もがいつの間にかペラペラと話をしてしまう、人を緊張させない、何ともあたたかい、不思議な魅力をお持ちで、とても多才な方です。
1人では抜け抜けの私は、ちえこ姉さんのサポートをガッツリと受けて、楽しく、熱く、分かりやすく、そして超真剣に、大切な事をシェアさせていただきたいと思います!
カフェサナブリのケーキセットでお茶しながら、皆様のご質問にもお答えいたします。
気になる方は、ぜひ気軽に参加して下さい!
一応言っておますが、そんな、変な事にはなりませんから大丈夫です(^_−)−☆
会場の関係で、人数に限りがございます。
ご希望の方は、お早めに連絡下さいませ。
皆様にお会い出来るのを心より楽しみにしております!
さて、今日は、親との関係について書きたいと思います。
実に多くの人が、親に対して感謝以外の感情を感じ、そんな自分を責めたり、持て余していると思うのです。
私も、親に対して並々ならぬ思いを抱えて生きてきました。
それは、私の兄弟姉妹も同じで、ただ尊敬し、ただ愛の関係でいたいからこそ、色々と考え過ぎてしまったり、自分を責めてしまったりという事があったように思います。
私の母は、とにかく変わり者でした。
友人のお母さん達とは全く違いました。
私の知る限り、母は友達と遊びに行ったり、井戸端会議をしたりという事がありませんでした。
母は、
「お母さん、子供の頃から黙ってばっかりいたら、いつの間にか周りの人にこわがらてたみたいで、寡黙な番長だと思われてて、ビックリしたわ。アハ〜。」
と「ホンマかいな」というエピソードを、舌を出しながら番長とは程遠い顔で話していました。
母は、いつもじっと考えていたり、堪えたりしているように見え、子供の頃の私は、母は何かを我慢しているのかなと思っていました。
また、私から見ると、父はとても真面目で器用で賢く、何をやっても「下手だね〜〜!」という事がない優秀な人で、これまた母同様、多くは語らず、やる事はやるという不言実行の人でした。
私が子供の頃、父が母によく怒っていて、私には、2人ともがとても苦しそうに見えていました。
私は成長するにつれ、「私達兄弟が子供の頃、両親が苦しんでいたから、私達に自己肯定感が育たなかったのではないか?」
と思うようになっていました。
この思いは、私が子供を育てる上で大きな重石になっていました。
何故ならば、
夫婦仲良く、喜びに溢れて生きていなければ、子供の自己肯定感は育たない
という強い思いがあったからです。
そう思えば思うほど、私と主人の関係は、私のの両親そっくりそのものになっていきました。
娘は、とても悲しそうに、
「お父ちゃんは、お母ちゃんの前ではいつも怒っているね。お母ちゃんの事嫌いなのかな?」
と心配していました。
私は胸が締め付けられる思いで、早く何とかしなければと思い、
「子供の為にも、その顔とその言い方やめてくれる?」
と主人以上に酷い顔と言い方で主人に求めていたのでした。
もうどうにもならない所まで来て、私はとても重要な事を学びました。
それは、
私の自己肯定感が育たなかったのは、親のせいではないという事です。
私達は、自分の魂が成長し、本当の自分を思い出していく為に、自分で一番最高の親を選んで産まれてくるそうです。
誰が見ても、最低の親のように見えたとしても、その人の魂の学びの為には、最高の役割を担ってくれる親であるということです。
それは、実に全ての問題を一気に溶かしてしまうような学びでした。
馬渕さんは、いつもこのように教えてくださいます。
「親は、多くの場合、子供を傷付ける為だけにいるんです。
子供の業を小さい頃から浮上させ、はやく終わらせる為の役割をかって出てくれているんですよ。
ですから、親に対しての在り方はひとつしかありません。それは、ただ愛する事です。
親は、感謝して愛する為だけにいるんですよ。」
私は、両親がこうだったから、両親にこうされたからこうなったと、いつも意味を付けて考えていました。
でも、そうする事で、私の自己真実はとても強固なものになり、私を縛るルールになっていきました。
そのルールから解放されてみると、親に対して本当に感謝以外に何をすることがあるだろうかと思うようになりました。
そして、自分も、子供に対して、安心して関わることが出来るようになりました。
やはり、必要でない事など起きないという事です。
全てが必要で、全てが貴重で美しい体験ですから、安心して受け取っていればいいんですね。
そうは言っても家族となると、簡単では無い事も多いと思います。
どのように受け取るかは、いつも私達の自由ですから、こうしなければならないという事はないそうです。
ですが、今ある事を受け取るまいとすると、葛藤や苦しみが生まれる事は間違い無いのではないでしょうか?
ひとつひとつ、丁寧に観察し、ネガティヴでは無く、心震える喜びこそを選択していきたいと思う今日この頃です。
ただ愛すればいいとは、何ともシンプルですね!
お父さん、お母さん、生んでくれて、そして育ててくれてありがとう。
今は、心から、
私は最高の両親を選んで生まれてきたのだと感じる
日々を過ごしています。
みなさま、今日も読んでくださってありがとうございました!
また、お会いしましょう(*´∀`)♪
与える経営、与える子育て、与える教育…。与える事について考えました。
こんにちわ!
サナブリ真木です( ´∀`)
今日は、与える事について書きたいと思います。
というのも、最近、私は本当に貰うことから解放されてきて、与える事にしか興味がいかなくなってきたのです。
きっと、貰おうとすればするほど渇いてきて、与えようとすればするほど潤ってくるという、仕組みが、頭だけでは無く、細胞で分かり始めたからだと思います。
私は、これまでずっと、心の広い人になりたいと願って生きてきました。
そして、損得で判断する人を心のどこかで軽蔑していたように思います。
あれは、忘れもしない真木23歳の夏でした。
私は主人と中華料理屋さんに行きました。
2人とも、お腹がペコペコで、やっと食べられる!とソワソワしながら、料理を待っていました。
そんな時に限って、主人が頼んだ料理が、何ともすごくおかしな味で、主人の口に全く合わなかったのです。
主人はこれ以上無いくらい、ガッカリして、とても不満を募らせていました。
私は「なんか違うの頼んだら?」と言いましたが、主人は、「勿体無いから食べる」と言って、溜息をつきながら食べていました。
そんな主人を見ていて私は、何故か、無性に腹が立ってきてました。
私は若い時から
「器が大きい人間になりたい」
という思いを握りしめて生きていた為、
「お腹ペコペコなのに、注文したものが不味かった事件」
がとても小さい事に感じたのです。
「ちょっと損したくらいで、ガタガタ言いなさんな。」
と私が、異様に大物ぶっていた為、もちろん喧嘩になりました。
そして、私は主人にこう言いました。
「お互いの絶対に直して欲しい所をひとつだけ言おう。そして、その言われた事は絶対直さなアカン事な!」
私は主人に、あろう事か
「もっと器の大きい男になって欲しい」
と身も蓋も無い事を言いました。
(主人は、私より3歳年上です)
主人は、これまた、あろう事か
「おばさんみたいな歩き方をやめて欲しい」
という、ささやかな抵抗に、この貴重な1回を使ってしまったのでした。
もちろん、ただただ主人が傷付いただけで、お互いの直して欲しい事が直る筈も無く、私の「自分の損得に拘る人は器が小さい」という思い込みは、更に強くなっていったのでした。
ですが、いつの頃からか、私は自分のエネルギーを出し惜しむようになっていました。
だんだん、貰える分だけ出そうというような、計算を頭で自然と行うようになっていったのです。
フと気付くと、貰えるものと出すもののバランスを取ろうとしている自分がいました。
そして、それこそ、私が一番軽蔑していた、損得感情から来ているのではないか?という事に気が付いたのでした。
私はそれから、とても大切な事を知りました。
お金も、労力も、時間も、愛も、全てはエネルギーなので、全て本当に循環しているという事です。
自分の中に溜めこもう溜めこもうとすると、本当に詰まってしまって、流れが悪くなるのです。
ちょうど、これは呼吸と全く同じだそうです。
息を吸ってばかりいると、呼吸が浅くなり、空気があまり入ってこなくなります。
あまりにそれが酷い場合は、過呼吸になります。
ですが、身体の中にある空気を、全部全部ぜ〜〜んぶ出すつもりで吐き出せば、勝手に必要なだけ空気が入ってくるのです。
私は、この循環を、呼吸と自分の労力やお金といったエネルギーで体験し、本当にそうなっている!!と分かったのです。
それからは、とにかく、吸う事にフォーカスするのをやめて、吐く事を中心にやってきました。
すなわち、貰う事では無く、与える事にフォーカスしてきたという事です。
与える事とは、言い換えれば、
自分が愛ならばどうするか?で行動する
という事です。
そのように、意識してみると、見事に循環が始まりました。
とにかく不思議な事に、あまり疲れないのです。
エネルギーを出し惜しんでた時の方が、何故かヘトヘトに疲れていました。
今考えると、出し過ぎない為に絞る事に莫大なエネルギーを使っていたのでは無いかと思う程です。
そして、与えるという事の本当の意味が、最近分かるようになってきました。
それは、馬渕さんに教えていただいたこの言葉がきっかけでした。
「本当の教育はね、ひとつしか無いんですよ。
それは、与える機会を与える事です。
親が子供の為にと、何から何まで世話をして、先回りして与え続けたら、どうなりますか?
子供の中に育つのは、恨みだけです。
でも、与える機会をたくさん貰った子供は、本当の喜びや感謝の心が育つんですよ。」
私は、この言葉にとても感動しました。
与える機会を与える
なんと、深い言葉でしょうか?
与えるとは、ただやってあげることでは無いんですね。
よく、先進国から発展途上国への支援の仕方が問題になっていますが、その国、その人の力を奪うような援助の仕方は、やはり与えているとは言えないという事です。
むしろ奪っていると言っていいでしょう。
結局の所、誰かを、助けることで、補助する事で、自分の力や価値を証明したいだけなのかもしれません。
ですから、私は、サナブリを経営する上で、「良い物を無理してでもなるべく安く」と考えるのをやめました。
そこに歪みを作る理由は、自分の自信の無さや不安が源で、自分の価値を証明したいだけだと気付いたからです。
そして、お客様を甘くみてはいけないと思ったからです。誰も恵んで欲しいなどと思ってはいないのです。
私は、生産者さんとお客様の架け橋になりたいと願っているからこそ、適正価格は大切だと感じたのでした。
経営者がスタッフに、
親が子供に、
すべき事はただひとつ、
与える機会を与えることだと、私は心から納得しました。
ですから、スタッフに、
「申し訳ないけど、ゴミ箱の掃除してきてくるる?ごめんな。臭いけど。」
と謝る必要は無いということです。
正に、ゴミ箱を掃除するなんて、最高に与えるチャンスそのものなのです。
そして、全ての瞬間、私達は、与えるチャンスをいただいています。
出し惜しんでる場合では、本当に無いんですね。
ですが、この与える機会を与える上で、絶対に必要不可欠な事があります。
それは、
自分自身が、心の底から溢れて、与えている存在である
という事です。
それが無ければ、スタッフは、
「ただ、臭くて面倒臭い仕事を押し付けられた」
と感じるでしょう。
与えるという喜びを、爆発させながら生きたいと思う今日この頃です。
今日も、自分が愛ならばどうするか?一瞬一瞬を大切に、与える喜びと共に過ごしたいと思います。
ブログを読んで下さる皆様、いつも本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
ではでは、また、お会いしましょう(*´∀`)♪
何故あの事が気になるのか?何故執着が終わらないのか?必要な気付きと学びがありました!
こんにちは!
サナブリ真木です。
明日は、水曜日、里の市です。5月17日、明日の里の市に、三重テレビさんが取材に来てくれることになりました!ゲンキ!みえ!~生き活きリポート~ | 三重テレビ放送
この機会に、環境に配慮して、ものを生産、販売している人から、地域の皆様が直接ものを買える、人と人がつながる場所を作ることで、地域の愛を育つという事を紹介出来ればと思っています。
食に対する意識の高い消費者が多く、有機的な取り組みをしている生産者が多い伊賀名張のひとつの特徴的なイベントだと思っています。
せっかくなんで、賑やかにならないかな〜〜と思っております!
皆様、ちょっとオシャレしてみたり、ちょっとお化粧濃いめになってみたり、子供の鼻水をふいてみたりして、ご家族、お友達をお誘い合せの上ご来場下さいませ!
皆様にお会い出来るのを楽しみにしております。
さて、自分を許すということに関して、大きな学びがありましたので、紹介させていただきます。
私には、双子の娘の行動で、どうしても、ものすごく気になる事がありました。
それは、2人ともとても声が大きいという事です。
いつでもどこでも、大音量で話すので、
「シー!大きな声ダメよ。」と注意し続けてきました。電車に乗る時や、映画館に行った時、静かなお店に入る時、いつもいつも声の事が気になって、「大きい声出さないって約束ね!」と言ってから行くようにしていました。
時には「大きい声出したらお母ちゃん怒るからな!」と既に怒ってしまっている事もありました。
ですが、子供の声のボリュームは、下がるどころか、どんどん上がっていきました。
だんだん私は反射的に「うるさい!」などという言葉が口をついて出てきてしまうようになっていき、心がとてもザワザワするのでした。
ある日突然、私はハッとしました。
私の今のやり方で、治るわけないと気が付いたのです。
私が「問題だ!」と思っていた事のその一番の理由が分かったのです。
それは、私自身が「声が大きい!」と言われ続けて生きてきた為、大きい声を出さないようにいつも気を付けていたという事です。
どういう事かと言いますと、私自身が自分の声、自分のボリュームを、制限していた為、自由に大きい声で話している娘たちの声が気になって仕方なかったのです。
自分が問題だと思う事の根っこには、自分自身の我慢や制限があるという事はよく知っているつもりでした。
ですから、いつも子供は、私の鏡で色々な事を教えてくれるな〜〜!などと思っていたのです。
なのに!私は何故か、子供の声を小さくしようと頑張っていたのでした。
娘に
「何でそんなに声が大きいの?」
と聞いた時、娘は必ず
「元気だから」
と言っていました。
その通りなんです。ただ元気なんです。
ただ、自分のボリュームで話していただけなんです。
私は、娘に申し訳ない事をしたと思い、このように言いました。
「ゆめ、はる、ごめんな。お母ちゃん、間違ってたわ。自分の声と自分の声の大きさは大事やな。これからは、大きい声で話してもいいよ。
でも、周りの人の事も考えてな。ゆめとはるみたいにお母ちゃんも、もっと大きい声で話すわ。」
すると、娘達は
「大きい声やと、みんなに迷惑やから、お母ちゃんは、大きい声はあんまりやめた方がいいよ。」
と急に小さい声で話し始めたのです。
私は、いつでもどんな時も、まずは自分を許し受け入れる事から、始まるのだと再認識しました。
自分を制限している限り、必ず目の前に気になる人、気になる現象が現れてきます。
それは、私達に自分が握りしめているものを教え、大きな気付きを与えてくれます。
目の前にある問題は、目の前の人や現象のものではなく、100%自分が作り出していると完全に分かった時、本当の自分の道が始まるのだと改めて感じたのでした。
ですから、いつもいつも私達の目の前にいるのは、メッセンジャーです。
感謝してそのメッセージを受け取りたいと、つくづく思う今日この頃です。
そして、もうひとつ、私は昨日、大きな体験をしました。それは、生まれてこれまで、私の長年の悩みであった、食べる事への執着との別れを予感させる大きな出来事でした。
私は、食べ過ぎてしまう自分を、そしてそこから抜け出せない自分を、許し切れていませんでした。
先日も書きましたが、何とかして自分の意識をコントロールしようとして、自分を奮い立たせ、結局コントロール出来ない自分を心の奥底では責めてしまい、自分を責めている自分も責めていました。
先月、私の先生である鶴飼さんに、食べすぎる自分との向き合い方を、このように教えていただきました。
「あなたの中には、飢えて飢えてとてもお腹が空いている子供の記憶があります。もし、あなたの目の前に、その子供がいたらどうしますか?こうしなければいけないよ!とコントロールしようとしますか?抱きしめて、もう大丈夫だよって、愛を持って労ってあげるのでは無いですか?そのように自分と関わる事です。」
私は、それを聞いて、魂が震えるのを感じました。涙がポロポロと流れてきました。
そして、自分を責めるのをもうやめようと、心に誓いました。
ですが、なかなか、どうしたら自分の中の飢えている自分を愛する事が出来るのかが分からず、過ごしていました。
そして、昨日「もしかして!これ?」というイメージが飛び込んできたのです。
自分の中にいる、飢えてお腹が空いている子供と一緒にご飯を食べようと思ったのです。
一口ずつ、噛み締めて味わって、
「美味しいね。嬉しいね。良かったね。もう大丈夫だね。」
と、自分の中の飢えている子供と会話をしながら、目を瞑ってゆっくりと食べました。
また、涙が溢れてきました。
涙でグチャグチャになりながら、最後まで良く噛んで食べました。
どんどん心が満たされ、胸がいっぱいになりました。そして、何年振りでしょうか?
気が付くと、心もお腹も、とても満足していたのです。
今までどれだけ食べても、私が満足出来なかったその理由は、食べ物を物質として食べていたからだそうです。
食べ物も、お金も、時間も、全ては、エネルギーなので、そのエネルギーを感謝して身体に入れることが出来た時、やはり本当の満足が生まれるのです。
私は、いつも自分の本当の声に気付いた時、涙が溢れてきます。本当の私からの「分かってくれた!良かった!ありがとう!」のサインは涙としてやってくるのです。
ですから、これが明確な自分からのメッセージだという事が分かりました。
これからそのように、食べるという事を真剣にやっていきたいと思います。
最後にもうひとつ、私は自分の課題でありテーマである食べることに関して、先日、ブログに書きました。
それは、とても勇気のいる事でした。
何故なら、まだ完全には解決していなかったし、結局の所、とても気にしていたからです。
それでも、この事を問題として扱うことを終わりにしようと、恐れの中に入っていく感覚で、ブログに書きました。
頭の中で問題として扱っている限り、この問題は終わらないと思ったからです。
お手上げして、アウトプットしました。
すると、不思議なことに、私にとって一番必要な事が、頭にポーンと浮かんできたのです。
これは、正に
手放せば与えられる
という体験だったように思います。
いつも変化の時に必要なのは、覚悟と勇気であると教えてもらったように思います。
今日は、出来たてホヤホヤの、まだ湯気が出ている、私の「手放し体験」を、鼻息あらめでお届けいたしました。
皆様も、気になる自分、執着がある自分と出会った時は、どうか大切に労ってあげて下さい。
読んで下さってありがとうございました!
また、お会いしましょう\(^-^)/
最近、食べ過ぎて太ってきた自分にガッカリしていた私が気付いたこと
こんにちは!
サナブリ真木です。
今日は、最近あった、ひとつの気付きについて、書きたいと思います。
最近の私には悩みがありました。
それは、食べ過ぎにより、また太ったてきたという事です。
私は、子供の頃から食べる事にものすごい執着がありました。
いつもお腹が空いていて、寝ても覚めても、食べる事ばかり考えていました。
そして、食べたいという思いと同じくらい、食べすぎる事への罪悪感と共に過ごしてきました。
人生の半分くらいは、この食べる事に対する執着に振り回されてきたと言えるかもしれません。
昨年、私は、何故自分が、こんなに食べる事に執着していて、食べ過ぎて太っているのかを知りました。
私の師匠である馬渕さんに、「神との対話」(サンマーク出版)いう本を紹介してもらい、何度も何度も読んだからです。これは、人生に行き詰まった中年の男性が、なげやりになって神に恨み言を言っていたら、返事が返ってきて神と対話し、色々教えてもらった事をそのまま書いたという本です。
ものすごい密度で驚くべき真理が書かれています。
そこには、このように書いてありました。
あなたは、自分がこうだと思う人間になる。
否定的な考えをもつと、悪循環が起こる。あなたの現在の経験の多くは、今までの考え方がもとになっている。考えが経験につながり、経験が考えにつながり、それがまた、経験につながる。体験は支えとなる考えによりどんなものかが決まる。
私は、
「私は異常に食べ物に執着があり、いつも食べ過ぎてしまい、その結果、背が高いのに太っていてめちゃくちゃデカイ!」
という考えにより、そのままの体験をし、その体験により、また支えとなる考えを作っていたのでした(;ω;)
私はそのことを学んでから、支えとなる考えを変えていこうと努めました。
その方法として、この本に、このように書いてありました。
思考ー言葉ー行為
というパラダイムを逆転させる事だ。
考える前に行動しなさい。
根となっている考えを変えたいと思うなら、新しい考えに従って行動しなさい。
それを何度も繰り返せば、あなたは新しい考えを身につけるだろう。
私は、根となる考えを変えるべく、必死になって、根となる考えが浮かぶ前に行動する事を心掛けました。
そして、だんだん脅迫的な思考が治ってきて、食べ過ぎる自分と、やっとサヨナラ出来たかな?と思っていたのでした。
なのに!!最近また、食欲が治らなくなってきたのですಠ_ಠ
それは、私が
「これからは、しっかりと家でも料理をして、身体に良い、気エネルギーに溢れた食事をするように心掛けよう。」
と思い始めてからの事でした。
今まで私は、実を言うと自分が食べるものにどうしても、手間をかけられませんでした。
手当たり次第早く出来るものを、本を読んだり、テレビを見ながら食べるという、自分を粗末にした食べ方をなかなかやめられずにいたのです。
それをひとつずつ終わらせていこう、
本当に良いものを意識的に食べようと
意識し始めてから、
「ちゃんとした食事は、美味しすぎてやめられない!」
という、一周まわって何言ってんねん!という状態になってしまったのです(-_-;)
私は焦りました!
ヤバイ!!このままでは、また太ってしまう!
何とかしなければ!
分かっているのに、私の根となる思考がどんどん不安に侵されていったのです。何故ならば、行動の源が不安だったからです。
私はとてもガッカリしました。
まだ、この問題は終わっていなかったのか!
もう、いい加減にに卒業したい(;ω;)
ほとほとウンザリした気分になってきたのです。
ある日娘が、私を見て、必死な顔で言いました。
「お母さん、また太ってきたね。
ちゃんと運動しないからだよ。
神様、どうかお願いです。
どうかお母さんがおばあちゃんになる前に、痩せさせて下さい。
どうかお願いします。お願いですから、お願いします。」
私は、とても、いたたまれない気持ちになりました。
そして、あろうことか娘に、
「分かってるから、お母さんの事は、放っといてくれる?そんな事言われたらお母さん、悲しくなるわ。ほんで、早く宿題して。」
とやや、睨み気味に言ってしまったのです。
その後、私はすぐに、娘が何故そんな事を言ったのか分かりました。
それは、娘が、私のタイプレコーダーを生きているからです。
私が出している波動を、ただ娘は言葉にしただけなのです。
正に、娘の言葉は、私の心の声でした。
この事により、私には大きな気付きがありました。
それは、
「私はまだ、自分がなりたい自分にこだわっている。」
というものです。
愛そのものになって、全てに真剣に関わることにフォーカスしていた私ですが、
理想と違う事が起こると、たちまち不安になり、焦って、何とかしようとしてしまっていたのです。
私が学んでいる事は、
「自分の考える最高の自分になりましょう」
という事ではありません。
自分の理想や価値観によるジャッジを終わらせていけば、自分さえ認識していなかった本当の自分のエッセンスを思い出します。
そのエッセンスのままに生きた時、人は喜びや愛に溢れ、どこにいても、何をしていても、本当の献身が出来るようになります。
足りないという不足の幻想を終わらせ、今の自分の全てをあるがままを受け入れ、本当の自分に戻り、愛そのものとして生きましょう。
という事を学んでいるのです。
私は、然るべきタイミングで然るべき気付きをいただき、なるほどな!と思いました。
私は、これから自分がどうであっても自分を受け入れるという事を体得していきたいと思います。
人は、自分にしたようにしか、人にしてあげられないからです。
そのままの自分を受け入れ、愛を込めて大切に出来るからこそ、人も、ものも、そのままを受け入れ、本当に愛を持って大切に出来るのです。
本当にそのように生きる事が出来た時、そして、自分のこだわりを本当に捨てる事が出来た時、きっと私が必要としていたものは、勝手に成されていくのだと思います。
ありがたい事に、気付き(認識)とは、本当に光そのものです。
何故なら、気付く事で、考えが終わっていくからです。
考えが終わるという事は、その考えに基づく体験が終わるという事です。
認識という光だけが、これまで溜め込んできた、勘違いを溶かし、そして終わらせる事が出来るのです。
私は、このガッカリするという体験を通して、新たな認識と出会いました。
この体験というのは、どんなものであってもその瞬間のその人にとっては、必要で、貴重で、素晴らしくありがたいものなのだと感じます。
何故ならば、内的体験は認識を生むからです。
今日も、認識という光の中で、ひとつひとつ終わらせながら、100%今を生きたいと思います。
今日も、読んで下さってありがとうございました(^-^)
また、お会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)
人生の目的とは何か?自分がなりたい自分になる事ではないと知りました。
こんばんは!
サナブリ真木です。
久しぶりの投稿になりました。
今日は、「人生の目的」について書きたいと思います。
今まで私には、人生の目的がありました。
それは、
「なりたい自分になる」
という事です。
自分の持てる力を最大限に発揮し、多くの人の役に立つ事を目標にして生きてきました。
ですが、信じられない事に、
「なりたい自分になる」という事は、本当の人生の目的では無く、なりたいと願った時点でなれないということを去年学びました。
この事が、分かるようになってから、私の生き方は本当に変わりました。
今まで、私は、自分が体験した事をブログに書いてきましたが、どうしても肝の部分を具体的に書く事が出来ませんでした。
その理由は、自分が学んでいるスピリチュアルな内容を書いて、果たして読んで下さる方に、受け入れてもらえるのか?という不安があったからです。
私自身が、目に見えないものに対して、胡散臭さや、怪しさを感じて生きてきたので、きっと、分かってもらえないだろうという、先入観があったのだと思います。
なので今までは、今学んでいる事を、私がした体験を通してなるべく分かりやすく書こうと心がけてきました。
何故不安ながらも書こうと思ったかと言いますと、その事を学んだ事で、自分自身がとても生きやすくなったからです。
前向きで明るく生きている気満々だった私が、如何に自分を粗末にし、制限し、縮こまらせていたかを知ったからです。
この事を多くの人と分かち合いたいと、ただ純粋に思ったのが私のブログの始まりでした。
そして、最初に書いたように、本当の意味での人生の目的を知り、自分はそのように生きようと心に決めたのでした。
今日は、核心に迫って具体的に書いてみたいと思います。
何故なりたいと願えばなれないのか?
それは、私達は、意識にある事を体験するように出来ているからです。
意識の状態が、呼吸や言葉、行動を司り、それによって現象が起こり、体験をします。
その、現象による体験を通して意識を作るというサイクルの中にいます。
私が、「人の役に立ちたい!」と願ったとすると、その願いを支える土台の意識の方が現象として現れてきます。
願いを支える土台の意識とは、
「私は人の役に立っていない」
というものです。
これが、潜在意識というやつです。
顕在意識でいくら決意したところで、潜在意識にはなかなか勝てないのです。
そして、多くの成功哲学の本には、「この潜在意識を自分の理想通りに書き換えていきましょう。そうすれば、本来の自分になって力を発揮するする事ができますよ!」という事が書いてあります。
ですが、私が今学んでいる事は、そうではなく
「潜在意識も顕在意識も過去の記憶からきているので、終わらせて0にしていきましょう」
というものです。
初めは、えー!!と思いました。
それでは、何を元に判断しどう生きたらいいのかというと、こういうことになります。
潜在意識がニュートラルになってくると、思考や感情に振り回されなくなり、潜在意識の更に下にある普遍意識が自分を通れるようになります。本当の自分のイノチのエッセンスからのメッセージが届くようになるのです。
本当のイノチというのは、実はみんながつながっていて、それを感じられるようになると、急に全てのものに一体感が感じられるようになります。
本当のイノチのエッセンスは、別名「愛そのもの」というわけなのです。
聖書では、愛そのものと繋がる事を「神の御国に入る」と表現したりしています。
自分の個人的な価値感が終わってくると、愛そのものである自分の本質と出会い、自分の意識状態が愛そのものになってくるため、愛に溢れた体験をする事になります。
私は、今その事を身を以て体験し、本当に驚いている真っ只中なのです。
私の場合は、メッセージが届いているというよりは、まだ直感に飛び込んでいるという感じですが。
正直言って、霊的な話はなんか嫌いだった私は、初めの方は、
「そんな仙人みたいになりたいわけじゃないんやけど…」
という気持ちが根強くありました。
ですが、その仕組みを理解し始めると、見事に本当にそうなっているのが分かるようになってきたのです。
私達は、自分が出した波動を体験します。
ですから、一番重要なのは、何が起きたか、何をするか?ではなく、意識の中に何があるか?なのです。
でもやはり、分かってはいても、現象に対して右往左往してしまいまうこともあります。
お金が無くなれば不安になり、誰かに拒絶されたら悲しくなります。
ただ、その現象を見て意識を作っていると、更にどんどんその意識にある事が起こってきますので、現象にフォーカスしない事がとても大切だという事は、ハッキリと分かりました。
では努力の結果、なりたい自分になっている人は、何なのか?と思いますよね。
人は、常に自分を創造し、作り直しているそうで、意識の中で明確に確信している通りに創造しているそうなのです。
ですから、本当になりたい自分になっている人は、自分はすでにそうであると知っているという事になります。
世界で最も精神的に影響を与えているスピリチュアルマスターの1人と言われている、エックハルトトールが、人生の目的についてこのように語っています。
人生に目的があるとするならば、それは二重構造になっている。
第一の目的は、
100%今ここに在る事
第二の目的は、
本当の自分に回帰しすべてが一体である事に気付く事
今という瞬間に、自分はこれをするのだ、する事になっていたのだ、と100%分かった上で、内的な感覚と一体になって行う事
これが、第一の目的なのです。
世界的に活躍しているスポーツ選手や、アーティストなどが見せる、正に神ってるパフォーマンスは、この第一の目的を達成している時に起きてくるそうです。
自分が次の瞬間どう動けばいいのか、頭で考えるのではなく、普遍意識からのメッセージを受け取ってそこに飛び込んでいるのです。
私は、常に今という瞬間をおろそかにして、先走って、焦って生きてきました。
ご飯を食べる時も、
口に入れた瞬間から、飲み込む事を先走り、次のものを口に入れる事を先走り、感想をいう事を先走っていました。
なので、バイキングなどの食べ放題に行くと、信じられないくらい焦って、慌てふためいていました。
仕事もそうです。いつも先の事と、前の事に、気持ちを持っていかれていて、今という瞬間を大切にしていませんでした。
本当の人生の目的を知った私は、とても呼吸が深くなり、生きやすくなりました。焦りや不安が無くなってきたからです。
今を大切にする事は、自分や、周りの人や、全てのエネルギーに真剣に向き合う事になります。
それは、丁寧に愛を込めて向き合う事でもあります。
それを本気でやってみると起きてくる事が変わるのです。
そして、第二の目的である自己への回帰につながっていくのだと思います。
エックハルトトールは、正に普遍意識の通り道として生きていて、たくさんの本やDVDを出しています。
youtubeでも見ることが出来るのでオススメです。
私は、とにかく初めのほうは
「なんか怪しいねんな〜」と思っていましたが、頭では、ちんぷんかんぷんながらも、何か大切な事を言っているという事は分かるんですね。
結局、何回も見たり読んだりして、どんどん理解が深まっていきました。
そして、このように私が握りしめていた、自分の価値感や固定観念を、終わらる方法を丁寧に教えてくださったのは、奈良の室生で「真の教育のための学校NOW」という活動をされている馬渕さん、鶴飼さんという先生お二人です。
このお二人は、今まで私が出会ったどんな人よりも、今という瞬間に100%フルコミットで生きておられます。
私の意識状態がニュートラルに近づけば近付くほど、お二人の愛の大きさ、深さに本当に驚かされます。とても博学で、ものすごくパワフルです。
完全に、お二人とも、普遍意識とつながっておられるのです。
私は、正直言うと、最初は、このお二人に近付くのをとても怖く感じていました。
私のエゴが、ものすごく反応していたのです。
エゴは、自分の消滅の危機が分かるのですね。
そして、私のエゴが減ってくると、お二人のその厳しさや、在り方が、愛そのものからきているのだとハッキリと分かるようになってきました。
伊賀名張では、馬渕さんがリードをされる、サットサンガ(真理の交流)が行われています。
私の場合は、最初から理解できた訳ではありませんが、私のイノチがハッキリと反応を示しました。不思議なことに、
「これは、本当の事を言っている!」と直感で分かったのです。
もし、ピンとくる方がおられましたら、是非参加してみて下さい。
とても長くなりましたが、未熟ながらも、私は本当の自分と出会うための旅をしています。
少しでも、私が知り得た大切な事を、多くの人と分かち合いたいと思っています。
また、ご興味をお持ちの方がおられましたら、いつでもお声かけ下さいませ!
めちゃくちゃ長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました!
またお会いしましょう(๑˃̵ᴗ˂̵)
どこまでオーガニック食材を使えばいいの?私の迷いが無くなった本質的なビジネスのカタチとは?
こんにちは!サナブリ真木です!
今日は、まずお知らせをさせていただきます。
今年も母の日に、子供カフェを開催します。
これは、毎年恒例のイベントで、母の日にお子さんにカフェの店員さんになってもらい、ランチを作って、大好きなお母さんをおもてなしするというものです。
カフェの仕事を通して、
「喜んでもらう為に心を込める」
という体験してもらいたいと思っています。
お子さんが頑張っている姿は、こちらで写真を撮らせていただきます。
子供店員さんのおもてなしは、毎年、本当に一生懸命で、可愛くて感動してしまいます。
今回は、10:00から一回転のみの開催です。
毎年、予約があっという間に埋まります。
ご希望の方はお早めにご予約下さい。
皆様のご参加を心よりお待ちしております!
さて、今日は、
最近、よく考える本質的な仕事について書きたいと思います。
私は、サナブリをやりながら、迷っていた事があります。
それは、どこまで、こだわりのオーガニック食材や消耗品を使うか?という事です。
全てにおいて、良いものを使いたいと思う反面、全てにおいて、良いものを使えば、ものすごく材料費や経費がかかってしまい、販売価格の設定がかなり高くなってしまう。
それで、お客様に来ていただけるのか?喜んでいただけるのか?
という葛藤がありました。
どんな方にも気軽に足を運んでいただければ、地元の美味しくてパワフルな食材を紹介し、興味を持っていただけるきっかけになれるのではという思いもありました。
ですから、どこまでやるか?
そのバランスを取ることは、私にとって、とても難しい事のように感じました。
ですが、最近
「すべてのものに愛を込める」
という経営方針の元、仕事をしていると、その迷いがどんどん無くなってきている事に気付きました。
私は、これまで、店を軌道に乗せる為、飲食店経営の成功ノウハウの本を読み、たくさんの人の話を聞きました。
そして、実践し体験する事で、ある程度、自分流の成功哲学が積み上がっているように感じていました。
例えば、お客様が、何を求めているか?
どういう商品が女性に喜ばれるか?
などは、かなりデータが取れているという感覚がありました。
ですが、経営方針を変えてから、とても重要な事に気が付きました。
それは、
私がお客様の何に訴えてビジネスをしていたか?
という事です。
世の中に出回っているビジネス成功の為のノウハウの多くは、当たり前ですが、そのビジネスが成功する事に圧倒的なウエイトを置いています。
言い換えれば、そのビジネスさえ成功すれば良いとう考えから来ているものも、少なくありません。
例えば、不足感や、将来に対する不安感、束の間の満足や刺激に訴えるビジネスは、商品を売るという事を一番の目的にしていて、その後、買った人がどうなっていくか。世の中がどうなっていくかは、そんなに考えていないと思うのです。
「このままでは、病気になるから、これを食べましょう。」
「このままだと子供が健全に育たないので、これをさせましょう。」
「このままだと愛されないから、これで身体を締め付て細く見せましょう。」
といった、不安を煽るビジネスで、ものが売れたとしても、その不安が、どこから来ているか、本当の原因を知らなければ、そのお客様の不安を解決するには至りませんし、社会貢献にはならないのではないでしょうか?
ですが、多くのビジネスは、売る事を一番の目的としています。
世の中のお子様ランチの多くは、子供が喜ぶ、ハンバーグ、からあげ、スパゲッティなどが並んでおり、野菜やスープなどは付いていませんが必ずと言っていいほど、ゼリーとオモチャがついています。
私も、子供の頃は、このお子様ランチに憧れすぎていたものです。
企業は、子供の身体や心の発育に良いものでは無く、子供が欲しがるものを売っている場合が圧倒的に多いと感じます。
何故ならば、その方が売れるからです。
子供が、欲しがればこっちのものというわけです。
そうして、
いかに色を綺麗に見せるか?
いかに保存性を高めるか?
いかに安く見せるか?
いかにまた買いたいと思ってもらうか?
多くの企業は、売れる事を目的に一生懸命、商品を開発しています。
私はそこにずっと疑問を持っていました。
そして、とうとう、
私も結局、企業と同じだったんだ!
と気が付きました。
私は、これまで、身体も心も元気になれる商品を作って、お客様に喜んでいただこうと考えていました。
ですが、突き詰めてしまえば、その源は、
その方が売れるから
だったのではないかと気が付いたのです。
あからさまな、「売ってナンボ!」の商売を軽蔑しながら、結局、自分も「売ってナンボ!」と思っていたのです。
大義名分がある分だけタチが悪いなと思いました。トホホ。
今、私は、お客様のマインド(思考)に訴えかけるビジネスをやめようと思っています。
不足感、優越感、特別感に、訴えかけるのでは無く、お客様の本質に届くビジネスをしたいと考えているのです。
本質とは、イノチそのものの事です。
それは、具体的に言うと、ひとつひとつの商品やサービスに圧倒的な愛があるというビジネスです。
与えに与え、また与えられる、循環するビジネスでもあります。
サナブリを通る食材や、ものや、人や、お金に揺るぎないイノチが吹き込まれるという本質的なビジネスが出来ないか?と考えているのです。
今までは、偏る事に不安があり、トンガリすぎたら商売にならないと思っていたのですが、最近は、果たして本当にそうか?と思うようになりました。
やはり、今、本当に多くの人が、本質的な暮らしとは何か?を立ち止まって考え出していると思うのです。
自分さえ良ければいい
という意識の総和により現れた、今ここにある現実をじっくりと見つめ、このままではいけないと感じている方が、とても多い事に、私は気付いていませんでした。
ですから、ひとつひとつ全てにとっての最善を選択し、愛を込めて、イノチが喜ぶビジネスを展開していきたいと思います。
それは、もちろん、奉仕活動のようなものではありません。
本当の貢献でありながら、本質的であり、どこにいっても通用するビジネスを目指したいと思っているのです。
結局、どれだけ良いことをやっていても、立ち行かなければ、広がらないし、続いてはいきません。
ですから、本気でなければならないし、キレッキレでなければなりません。
本当に私自身がビジネスに精通し、一流を目指さねば!と思ってるところです。
私の性質上、まだ、実現していないうちから、早々と公言してしまいましたが、有言実行出来るよう、頑張ります!
地元で本質的なモノづくりをされている、尊敬すべき生産者の皆様、そして、どうせなら地球や人にとって良いものを選びたいという消費者の皆様、どうぞお力添えをお願いいたします!!
今日も、皆様にとって光が溢れる1日となりますように。
読んでくださってありがとうございました(´∀`)
また、お会いしましょう〜(๑˃̵ᴗ˂̵)
受け入れるって何?影響されないってどういう事?全てを受け入れながら影響されない生き方について書きました。
おはようございます!
サナブリ真木です。
今日は、
全てを受け入れながら、影響されない
という在り方について書きたいと思います。
私は、長い間、「人を受け入れる」という事にこだわってきました。
それこそが愛だと思っていたので、誰かの事を悪く言ったり、拒絶したりする事にとても罪悪感がありました。
子供の頃から、いじめっ子やいじめられっ子の事が気になり、誰もが関わりたがらない子も、持ち前の正義感から、放ってはおけず、自分はどう接するべきかと悩んだものでした。
私が18歳で初めて就職した飲食店に、やたらと私に話しかけてくる30歳くらいの男性の先輩がいました。
その人は、田舎から出てきた私に対して、
自分が若い時にいかに悪かったか
いかに恐れられていたか
いかにして、登りつめてか
みたいな話を延々としてきました。
「18歳で弟子入りした大工の仕事で2年で親方を抜かすとこまで登り詰めたった」
みたいな、明らかに「それは嘘やろう!」という武勇伝も多く、他のスタッフ達は全く相手にしていませんでした。
私は、まだ若く、誰に対しても、まず受け入れる事をモットーにしていた事もあり、一生懸命話を聞いていました。
でもだんだん腹が立ってきて、その先輩の事が嫌いになってきました。
イライラした態度を取るようになっていって、なるべく話さなくて済むように工夫して過ごしていました。
それでも、その先輩は、私に嘘だらけの自慢話をしようと追いかけまわしてきました。
そして、更に問題は悪化し、大学生のアルバイトの先輩も、自分の悩みや、彼女としたケンカの内容などを延々と話てくるようになり、その内容のあまりの女々しさに、私はもう、ストレスでいっぱいになっていきました。
その後も、5人くらいは、一番若い田舎者の私に話を聞いて貰おうとする先輩が出てきて、私は18歳にして、社員食堂のおばちゃん的存在になっていました。
私は、
受け入れるって何?
と思いました。
自分のキャパが足りていないうちから、何でもかんでも受け入れようとしたら大変な事になるなと思いました。
それからは、自分に嘘をつくのをなるべくやめました。
誰からも良く思われたいという思いを捨て、愛想笑いをやめ、ハッキリ、サッパリを目指すようになっていきました。
主人も、人を笑わせるのが得意で、よく面白話を聞かせてくれました。
私は、正直になりすぎて、面白くない時は、
「フリ長い。オチ弱い。」
と一刀両断で切り捨てるようになっていました。
そして、ようやく自分のアイデンティティを確立出来たかなと思った頃から、受け入れられるものが減ってきている事に気付きました。
全体的に、ほとんどの人や物事に距離を置いている自分に気付いたのです。
私は、自分がどう在るべきか考えました。
努力して色々な経験をして、自信はついたけど、どう考えても、私の心は狭くなってる。
これは、どう捉えたらいいのか?
本当にどうしたらいいのかを強く知りたいと思いました。
そして、とうとう、私にとって正に必要な学びをしました。
それは、いつも書いていますが、
受け入れるとは、自分の個人的な価値観で判断してするものでは無く、個人的な判断をせずにするもの
だという事です。
個人的な価値観が無くなってくると、不思議なくらい、色々なものと一体感が感じられるようになります。
自分のアイデンティティを確立するという事に意識がいっている時には全く見えなかった、全てのものはつながっていて、ひとつなのだという事が、身体で感じられるようになってきたのです。
正に先日、私の目の前にいた子猫もそうです。
ハッキリと一体感を感じ、この子は私の家族なんだなと分かりました。
そして、信じらないくらい、私達家族の全員にに懐いています。
そうなってくると、だんだん怖いものがなくなってきます。誰がどう思おうと、誰に何て言われようと、本当はひとつだから大丈夫なんだなという、あたたかい安心感から、リラックスしていられるようになってきたのです。
すると、何故、私が若い頃、やたらと自慢や悩みを聞く羽目になっていたかが、分かるようになってきました。
それは、
私が影響されていたからです。
多くの人は、人に影響を及ぼすという事にとても興味があります。
それこそが、自分の価値の証明につながっているように感じるからです。
子供が、泣き喚いてお母さんの反応を見たり
先輩が後輩にお説教したり
彼女が彼を困らせたり
みんな、自分がどこまで人に影響を及ぼせるかを知りたがります。
自分が何者なのかを知りたいのです。
私も正にそれが知りたくて、
人の役に立ちたいと強く願っていました。
子供は、純粋なので、影響が出るものに対しての関わりにとても敏感です。
例えば、水たまりや、泥んこ、砂場、虫、とれかけているゴムパッキンや、かさぶた、ボコボコと踏んだら音がする床、
「絶対に穴あけたらあかんよ」
と言われている障子
自分が触る事で影響が出るものは、どれどけでも触っていられます。
でも、いくら踏んでもビクともしない地面や壁を押し続けられる子はいないのです。
影響を与える事は、自分の存在を証明してくれるように見えるのです。
正に、私に影響が出ていたからこそ、わたしの周りの先輩方は、私を選んで話をしたのだと思います。
そして、
八つ当たりされやすい、
いじめられやすい、
怒られやすい、
お門違いのクレームを受けやすい、
なども同じです。
そういう事は、ビクともしないところには、やはり来ないのです。
私も、今まで、スタッフから色々な相談を受けてきましたし、人に色々な相談もしてきました。
ですが、今はただ、愚痴を聞いて欲しいとか、不安を共有したいというような、不毛な話は一切入ってきません。
ビクともしなくなってきたので、貴重な意見や、本当に力になれる時の相談しか入って来ないのです。
今、私は、
全てを受け入れながら、影響されなくなる
という事を、体験を通して実感しつつあります。
この体験は、
自分の証明はしなくても良い
と知った所から始まりました。
何故ならば、みんな本当はつながっていて、みんな愛から生まれているからです。
元々、私たちは愛そのものなので、元々価値があると私は感じています。
影響されないという事は、ドライでクールで人との関わり方が薄いという事ではなく、
正に愛そのものであるからこそ、一体感を持ちながら、密接に関わって、でも自分の在り方を変える必要が全く無い
という事だと感じます。
ですから、安心してリラックスしてお任せして、今という瞬間に関わっていきたいと思います。
今日1日が皆様にとって、安心に包まれたあたたかい日となりますように。
読んでいただいてありがとうございました!
また、お会いしましょう!