色々握り締めているとうまくいかない。ではどうしたら手放せるのか? その2
こんにちは!
サナブリ真木です。
今日は、昨日の続きです。
どうしたら手放せるかについて、書いていきたいと思います。
ひとつめは
「余命1年のつもりでシンプルに生きる」
ふたつめは
「我慢をやめてみる」
でした。
みっつめに
「自分の役割に徹してみる」
というのは、どうでしょうか?
毎日の暮らしの中で、色々と、気になる事はあると思うのですが、心配や、悩みというのは、ある程度、頭が暇な時にやってきます。
夢中で、ガムシャラに生きていたら、あまり悩む暇が無いと思うのです。
そのガムシャラも、我慢のガムシャラだと、いつか必ず爆発が起こり、周りの人が吹っ飛んで
しまうことになりかねません。
ですから、自分が、ワクワクする事、夢中でできる事を、モーレツにやり続けてみるのです。
夢中で出来る事を通して、人に、社会に、そしてありとあらゆる生命に、地球に、対象は何でもいいので、与え尽くすという事を徹底してやってみるのです。
そうしていると、我慢などしている暇はありません。価値観がひっくり返るような、内部核爆発が起きる可能性は大いにあります。
そして、最後に、本当にすべてを手放しても、一切揺るがないパーフェクトな方法があります。それは
「降参して生きる」
ということです。
もちろん、私もこれが、出来ている訳もなく、まだまだ、揺るぎながら毎日を生きています。
私の母の話を何度か書きましたが、母は、すべてを天にお任せして生きています。
ありとあらゆる事を、手放しているのです。
困った事が起こっても、ハッキリ言って全く困っていません。
それは、
「すべては、神の采配である」
と確信しているからに違いありません。
例えば、自分が必死になって準備を進めてきたプロジェクトが、本番直前になって中止しなければならなくなったとします。
私ならば、ここまで頑張ってきたんだ!
なんとかして出来ないものか?
と考え、走り回ると思うのですが、
母なら、多分
なんの迷いもなく、
「分かりました」
と笑顔で言えてしまうのです。
これは、ありとあらゆる事は、
「すべてにとって最善だから起こる」
と知り尽くしているからに違いありません。
母は、いつの頃からか、「自分が」というエゴが無くなっていて、「私達みんなが」と全体として物事を捉えられるようになっています。
自分だけの事を考えると、どうしても受け入れられないし、褒められたいし、労って欲しいし、あれだけ、頑張ったのに損したー!と満たされない思いを抱えてしまうと思います。
ですが、
「神様がすべて必要な事をしてくださるので、それに従って、真面目に誠実に生きていればいい」
と考えていると、一瞬にしてすべてを手放せるようなのです。
これは、決して「信仰を持ちましょう。」と言う話ではありません。
人生の最高責任者は、自分ではないと思って生きる
ということです。
私は、少し前から
スピリチュアルの学びを始めました。
精神世界だけでなく、すべてを網羅していて、圧倒的な知識と、愛で、分かりやすく教えて下さる先生がいらっしゃって、その先生と初めてお話させていだいた時に
「自分の自己真実では、うまくいかない」
という事を教えていただきました。
私はその時に、初めて、自分の価値観を疑ったのでした。
そして、その先生から
「surrender with joy」
サレンダー ウィズ ジョイ
という言葉を教えていただきました。
「喜んで降参していなさい」
という意味だそうです。
神様でも、仏様でも、イエスキリストでも、宇宙でも、何でもいいそうです。
私達は自分の人生を、自分次第で切り開いていくと思っているので、不安にもなるし、正しさに魅了されたりもしてしまいます。
ですが、すべてを委ねて生きる事を選択すれば、正誤や、損得感情対から起こってくる不安により、揺らぐ必要が全く無くなり、自分が与えらた使命を全う出来るそうなのです。
「surrender with joy」
本当にシンプルですが、綺麗な言葉だなと思いました。
私は、この言葉が、心に焼き付いて離れなくなりました。
前は分からなかった、母のその
「天にお任せ」
の生き方は、献身、愛そのものなのですが、ビジネスにもなれば、政治にも通用してしまうような、ものすごいパワーがあるのです。
なぜならば、自分個人のためでは無いからです。
私達すべての為だからです。
すべての為に必要ならば、この願いを叶えて下さいというスタンスの祈りなら、現象が自然に起こっていって当然かもしれません。
ただ、母の場合は、次々と、天からの言葉を受信してくる上に、一生懸命やっている事があまりにも不器用なので、私達子供や、巻き込まれた人達が、必死に頑張る羽目になっているという訳なのです!
最近、母は、すべてを手放しているな〜〜と思いながら見ていたのに、
ご飯を作ると
「ちょっと、からかった」
「ちょっと、焦げちゃった」
とすべての料理に対して、言い訳をしているので
「そこは、手放せへんのかい!」
と思う今日この頃です。
なかなか、難しく感じる方も、多いと思いますが、やっぱり私達は、貢献したり、つながったりしている時に本当の喜びを見出すようです。
ですから、「自分」と、とことん向き合った上で「自分が」を卒業し、「私達すべてが」
に変わっていけたらいいなぁと思います。
そうです!
Yes! we can!です!
古い?
今日も、出来る事から始めましょう!
すべては、最善の為に起きるのですから!
今日も読んでくださってありがとうございました〜!
また、お会いしましょう!